第八十九話 素直に
白い息が吐き出され、赤い雫が指先から落ちる。
向かい合う守と愛の間に流れる沈黙と風。穏やかに揺れる両者の髪。右手に握られた蒼い銃の先に集まる青白い光が、銃口へと圧縮されていく。
手が微かに震える。それでも、銃口を真っ直ぐに守の方へと向け、引き金に掛かった指に力が入る。
苦痛に歪む表情とは裏腹に、守の思考は至って冷静だった。ガーディアンになってからの多くの経験から、この程度の傷程度で戸惑う程やわな思考回路ではないのだ。
フルに活動する守の思考回路は次々と現状を打ち出していく。相手の状況、自分の状況、周りの状況。全てが頭の中で分析され、事細かく情報を纏めていく。
(現状は最悪。傷は浅い。しかし、争いは避けたい――)
頭の中で次々と言葉を重ね、忙しなくこの場を収める策を並べていくが、どれもシュミレーションの結果却下されていく。
最初に出された策は『気を逸らす』と言う策だったが、彼女の気を逸らす事が出来ずあえなく銃撃を直撃。次に出された策は『とりあえず突っ込む』だ。一見無策の様に見せて不意を突く――などと考えたがやはりあっちが一枚上手であえなく発砲。その次が――と、次々にシュミレーションの中での守は愛によって倒されていく。
それは、あくまで守の脳内でのデータを基に行ったもので、実際にやれば成功するかも知れない。だが、やれば成功するじゃダメなのだ。今ここで愛と敵対するわけには行かないし、守自身もこれ以上の傷を負うわけには行かない。
意を決した守は考えるのをやめた。こう言う場合、ゴチャゴチャと考えるよりも直感で動く方が、良い結果が生まれる可能性が高い。そう考えたからだ。
小さく息を吸い、大きく吐く。神経を研ぎ澄まし、真っ直ぐ見据えた愛に静かに言葉を語る。
「キミは何故戦うんです。鬼獣が敵だからですか? それとも――」
「うるせぇ! 黙れ! 今すぐ、その口を塞いでやろうか!」
突然声色が変わる。だが、これが本来の愛の口調なのだろう。その口から次々と吐き出される言葉は、刺々しく毒づいた敵意の現れた言葉ばかりだった。
「てめぇが鬼獣をどう思おうが勝手だ! だが、それをウチ等にまで押し付けんじゃねぇ!」
「別にそんな風に思ってるわけじゃない。ただ、鬼獣の中には平和に暮らしたい鬼獣だって――」
「うっせぇ! それが、押し付けてるって言うんだよ! 鬼獣が平和に暮らしたい? フザケルな! アイツと同じ様な事言いやがって、なめんなボケ!」
奥歯を噛み締める愛の手に力が込められた。引き金が引かれる。そう思った瞬間、何処から風を切る音が聞こえた。それに気付いたのは守だけではなく、水嬌もフロードスクウェアも瞬時に声を上げる。
「危ない!」
『守』
二人の声が重なると同時に、守の手にフロードスクウェアが具現化される。片手で持つには不釣合いなその大きな剣を、左手だけで構え腰を落とす。と、同時に水嬌が右手を空へと翳した。その行動にすぐに愛が身構える。だが、それも無駄に終わった。何が起るわけでもなく、水嬌が手を下げたからだ。
周囲に変化は無く、水嬌が何を行ったのか守と愛には分からない。しかし、サポートアームズであるフロードスクウェア、セイラ、ヴィリーの三人はすぐに異変に気付く。
『お前――』
『姫! 周囲に水の膜が!』
「退路を断とうってか……。いいぜ。やってやろうじゃねぇか」
愛の目が水嬌へと向けられ、圧縮された蒼い光が遂に放たれた。それと同時に地を駆けた守。冷気を放つその弾丸へと、自ら迫り刃を一閃。爆音が僅かな間を空け轟き、守の体が宙へと投げ出された。その手から弾かれた大剣が大きく弧を描き、愛の右横へと突き刺さる。
呼吸を荒げる愛は戸惑っていた。守が自ら弾丸へと突っ込んできたからだ。
そんな愛に、横から声が投げかけられる。
『不思議そうだな』
地面に突き刺さったフロードスクウェアだ。具現化されたままのフロードスクウェアに目を向ける愛は、持っていた銃を下ろし空を見上げて瞼を閉じる。今の気持ちを抑える為に行ったその行動に、フロードスクウェアは更に言葉を続けた。
『そろそろ来るぞ。衝撃に備えろ』
フロードスクウェアの言葉に「エッ?」と間の抜けた返答をして気付く。風を切る音に。何かが来る。そう思った時には飛沫の飛ぶ音と共に、衝撃が襲う。地面に突き刺さったフロードスクウェアが愛を庇う様に衝撃を防ぐ。
『グッ……』
「どうして……」
『わりぃな。余計なお節介で。けどな、それがアイツだ』
「うるさい……。何なのよ……。まるで、私が――」
言葉を呑み拳を握る。自分がどうすればいいのか、その答えは出ているがどうしても素直にそれを受け入れられない。俯く愛の耳に届いたのはセイラの声だった。
『……愛ちゃん。もう、いいでしょ?』
大人びた声に、愛が唇を噛み締める。
『あの子の言っている事の意味を理解出来ないわけじゃないでしょ?』
「分かってる。分かってるけど……」
『なら、今する事も分かるでしょ?』
セイラの言葉に僅かに頷く。それでも、まだ踏ん切りが付かない。その愛の背中を押したのは、やはりセイラだった。
『愛ちゃん。晃も、武明も、円も、皆やれる事をやってる。特に晃は――』
「分かってる! 分かってるのよ。そんな事は――」
『なら、行動するだけでしょ』
「ううっ……」
全てを見透かした様なセイラの言葉に俯いた愛は、右手に握った銃を持ち上げる。銃口が真っ直ぐに衝撃の向うに向けられ、引き金が――引かれた。
――甲高い発砲音。
――衝撃を貫く蒼い弾丸。
蒼い弾丸から漂う冷気が、風を凍らせ衝撃を瞬時に相殺する。続け様に轟く銃声が、次の弾丸を外へと放ち、螺旋を描きながら漂う冷気と白煙を貫き、水の膜を一瞬で凍らせ更にその先へと消えていった。
衝撃が収まり漂う土煙に、冷気が混ざる。立ち尽くす愛は小さく長く息を吐き出し、ゆっくりと水嬌の方へと目を向けた。二人の視線が交わったのはほんの一瞬で、愛の視線はすぐに水嬌の足元でグッタリとする守の方へと向けられた。
意識を失っているのか、動く素振りすら見せない守に、小さくため息を漏らした愛は、呆れた様な眼差しを向けながら、ボソリと水嬌に告げる。
「ソイツが目ぇ覚ましたら伝えといて。ありがとう……って」
これでもかと言わんばかりに赤面する愛は、その場を逃げる様に立ち去った。相当恥ずかしかったのだろう。顔は熱く、火が出るんではないかと思うほどだった。
そんな愛の後姿を見つめ、水嬌は僅かに微笑んだ。自らの子を見る母親の様に。
青桜学園校門前に佇む一人の少年。右手には刀身の細い鍔の無い剣を持っていた。
乱れる呼吸に、白髪混じりの赤黒い髪が呼吸に合わせて静かに揺れる。上二つまでボタンをあけたシャツの胸倉を左手で握り、呼吸を落ち着ける様に静かに息を吐き出す。
その少年の目の前に、一つの影が校舎内から現れた。穏やかな笑みと異常な殺気を纏ったその瞳が少年を真っ直ぐに見据える。
「キミもここに来ていたんだね。桜嵐晃君」
「あんたを止める為にここに居る。これ以上、罪を重ねるのは止めろ」
晃の声と共に風が足元から吹き上がり、髪を逆立て瞳の色が赤く染まる。不適な笑みと共に現れたそれは、風を切る不気味な音を奏で、
『さぁ、始めようぜ。ここで決着を付けてやろう』
低い声が荒々しく吹き荒れ、刃が薄気味悪く輝きを放つ。