第八十七話 蒼い炎
爆炎が土煙を払う。
燃え上がる木々を背に、火猿が右腕をかざす。炎弾が手の平に構成される。轟々しい音が空気を焼き、酸素を吸収し更に巨大に膨れ上がっていく。不適な笑みを浮かべ、狼電を見据える。
表情を変えず、小さく息を吐く狼電は足に雷撃を纏う。これが、先程の高速移動のタネだった。迸る雷撃が地を砕き、狼電の姿が一瞬で火猿の視界から消える。またしても残像だけが残されていた。
感覚を研ぎ澄ます火猿。それが野生的本能だったが、それより先に閃光が空を裂き、落雷が火猿を襲った。
「グッ……」
表情を僅かに強張らせ、火猿の右膝が地に落ちる。落雷を受け体に電流を帯びていた。後方に佇む狼電は、膝を付く火猿に目を向けたまま、近付く気配を警戒する。狼電の推測からその力は水属性。しかも、五大鬼獣である火猿と同等と見て、それが水嬌であると判断する。足元で雷撃が迸り、視線は真っ直ぐ火猿だけを見据えていた。
痺れる体を動かし狼電の方へと眼差しを向ける。口からむき出しの二本の牙から唾液を滴らせ、右手で地面を砕く。
「貴様……。それ程の力を持っていながら、何故奴等に手を貸す」
「…………」
狼電は返答しないまま、静かに口から息を吐く。周囲の草木が風に揺れ、時を刻む様に一つの足音が背後に迫る。言うまでも無い。水嬌の到着だ。火猿・水嬌の両者を相手にすれば、分が悪いのは目に見えていたが、狼電はあくまで強気な姿勢で口を開く。
「水嬌まで居る……と言う事は、他のも五大鬼獣と見ていいのだな」
何も言わず水嬌が頷く。気配の大きさと数から、既に分かっていた事だったが、突如現れたもう一つの気配により、その確信も不確かなものとなってしまった。それは、あまりにも大きすぎる力で、明らかに五大鬼獣を上回るものだったからだ。
だが、水嬌の先程の行動で、この中に五大鬼獣が揃っていると言う確信を得て、不気味な笑いを発する。
「クククククッ……。どうしてだろうな……。貴様等が揃う時は必ずろくでもない事が起きる」
「それは、私も同感です。五大鬼獣が集まれば、必ずそこに災いが訪れる。遠い昔から言われてきた事です」
「なら、何故集まった? 昔の様な事を引き起こすのか? 多くの同胞と大勢の無関係な人の命を奪ったあの悲劇を……」
狼電の表情に僅かに陰り、鼻筋にシワを寄せる。背後に佇む水嬌に、その表情を読み取る事は出来ないが、どの様な顔をしているかは手に取る様に分かる。水嬌も狼電と同じ気持ちだったからだ。
鬼獣とて、皆が皆人を殺すわけではない。ほんの一部の鬼獣が人を襲い、それが結果として他の鬼獣を巻き込み、多くの封術師やガーディアンに狙われる。平和に暮らしたい。それだけを望む鬼獣は多く、水嬌もその一人だった。
暗い表情を浮かべる二人に対し、腹の底から笑い声を吐き出す火猿。口元から吹き出る白煙が、彼の体内に眠る炎を呼び覚ます。
「クハハハハッ! ふざけた事を抜かせ! 全ては奴等が――封術師とガーディアンが招いた悲劇! それを、五大鬼獣が集まったからだと! よくそんな事を抜かす」
怒りと憎しみが混ざり合い、火猿の体から熱気が溢れる。怒りこそが火猿の力。憎しみこそが火猿の本当の力を引き出す起爆剤。全てが作用し、今目覚める。いや、本来の火猿の姿を取り戻す。轟々しい炎が青白く変化し、火猿を蒼き炎が包み込む。その姿は火の魔人――いや、業火の魔人と言うべきだろう。
ただならぬ殺気に、狼電は本能的に危険を察知たのか、雷火の如く火猿から距離を取る。水嬌も同じ様に火猿から距離を取り、その禍々しい姿を真っ直ぐに見据えた。
「どうやら完全に目を覚ました様ですね。もう止められませんよ」
「惨劇を繰り返すか……。それもまた運命か……」
ため息混じりで呟く狼電。その目は何を思うのか、儚げに火猿を見据える。
燃える業火。全てを焼き払うだろう。街も、人も、鬼獣も、何もかもを。その炎に触れれば、全てが灰になる。そう分かっていても、逃れる術が無い。
静かに目を伏せ、考え込む様に頭を項垂れる。電撃が一つ、また一つと弾け、狼電を青白く眩い光りがもう一度包み込んだ。赤黒い瞳が真っ直ぐに火猿を見据え、地を雷撃が破壊する。
「何をするつもりか予測は出来ますが、一応聞いておきます。何をするつもりです?」
「全てを奴にぶつける」
予測していた言葉だったが、それを聞くとやはり自然とため息が零れた。と、同時に笑ってしまう。
訝しげに視線を向ける狼電は、小さく鼻で笑い低い声で言う。
「笑っている場合か? 言っておくが、貴様の力も貸してもらう」
「……残念だけど、それは出来ない」
「当然の返答だな」
「分かっていて、その言葉を言った真意を聞かせてもらいたいです」
やや不服そうに眉毛を吊り上げる。そんな水嬌に、僅かに口を動かす狼電。声は出ていなかったが、狼電の言葉は水嬌にハッキリと伝わった。
目の色を変え、右手から水が溢れる。だが、その水は手の平から零れる事無く、綺麗な球体を形成していく。球体の水を胸元に運び、更に両手で力を加える。加速的に膨らむ球体は、ものの数秒で水嬌を包むほどの大きさへと変わった。
「これ位でいいですね」
「流石は五大鬼獣。それ位朝飯前と言うわけだな」
「貴方にそう言われると、何だか嫌味に聞こえるのは何故ですか」
「俺は純粋に褒めただけだ。そう聞こえるのは、貴様が素直じゃないからじゃないのか?」
狼電の体から更に電撃が放出され、線香花火の様にバチバチと稲妻が弾けあう。
二人の会話の最中、息を吐いた火猿が太い脚を一歩前進させた。重々しい一歩に、地面が砕け亀裂が走る。吐き出された息は高温の熱気を帯、周囲の温度との差から白煙へと変わっていた。鼻筋に出来たシワ。怒り狂った目。完全に我を忘れている。
火属性の鬼獣には良くありがちな状況だが、火猿の場合は別格だ。普段の力から一気に跳ね上がる。未だ嘗てあの蒼い炎を纏った鬼獣は居らず、それ故に火猿は現在五大鬼獣に君臨して居る事になる。その力が例え不安定なものだとしても。
動き出した火猿に注意を払いながら、狼電は身を低く構える。爪は確りと地面を噛み締め、いつでもスタートが切れる状態だった。
全ての準備が整い、後は合図を待つだけ。その合図を出すのは――他でもない火猿自身。そうとは知らず、静かに開かれた口から熱風と共に咆哮が轟く。
「グオオオオオッ!」
「水嬌!」
「はい!」
咆哮とほぼ同時だった。地を蹴った火猿が二人の間合いに一瞬で入り、水嬌の作り出した球体の水が火猿を包む。だが、火猿の纏う蒼い炎が全てを消し去り、右拳が振りぬかれた。
爆音と突風が吹き荒れ、瓦礫が宙を舞う。いつの間に離れたのか、火猿の間合いから逃れる狼電と水嬌。顔色一つ変えない二人に対し、火猿は静かに地面に刺さった右拳を持ち上げる。蒸発した水が火猿の周囲に水蒸気となり張り巡らされ、白い湯気が火猿の視界を僅かに狭めていた。
「私の役目は果たしました。後は任せます」
「ああ。すまなかったな。五大鬼獣同士で――」
「関係ない。私は静かに暮らしたい。それだけです」
それだけ述べ、水嬌は階段を足軽に下っていく。その背中を見送った狼電は、視線を火猿の方へと戻し、静かに口を動かした。その声は誰にも届かず、発した雷光が火猿を包む水蒸気を糧とし、暴発する様に轟音と雷火を周囲に広げた。
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