第八十五話 同期の三人
円の元へと向う彩と武明。
風童との再会だけは避けて欲しいと願う。
だが、既に――。
「クスクス。次は逃がさない」
「逃げる気なんて無い」
両者は遭遇していた。
静かに流れる風が、二人の髪を撫でる。
鮮やかに揺れる腰まで届く群青の髪。耳の十字架のイヤリングが、金色の光りを放ち小さな手に双剣が現れる。美しい白刃を鮮やかな手並みで、ゆっくりと回す。刃を回す度に吹き抜ける風が、塵を巻き上げる。
幼さの残る顔に笑みが浮かび、金色の髪が足元から吹き上がる風により逆立つ。風は塵を巻き上げ風童の姿を隠す。
刹那、放たれる無数の斬撃。だが、白刃は何事も無いかの様に斬撃を受け流し、後方で爆音だけが響く。
「この程度の斬撃は受けなれている。何度放っても無駄だ」
「そう。じゃあさ、これはどう?」
風童の声が止むと同時に、突風が吹き抜けた。それは何でも無いただの風で、ただ円の長い髪を靡かせただけ――の様に見えた。だが、群青の髪の揺れが収まる頃、血飛沫が上がり円の手から白刃が落ちた。
「ううっ……何が……」
衣服が裂け、左脇腹と右肩から血が流れる。深い傷は、何か鋭利なモノで切りつけた様な傷だった。痛みに表情が歪み、膝が震える。右腕に力が入らず、左手の白刃を地面に突き立て体を支える。その光景に、風童が小さく笑う。
「クスクス。今の凄かったでしょ? カマイタチって言うんだよ」
「クッ……エディ。モード銃」
エディは何も言わずその姿を銃へと変えた。真っ白な銃を左手に一丁持ち、真っ直ぐに銃口を向ける。風が止み、舞っていた塵が地上へと落ち、風童の姿が円の視界へと現れた。ブカブカの衣服に塵が付いているが、気にせずゆっくりと背中の翼を広げた。美しい両翼が風を掻き、風童の体を空へと持ち上げる。小柄な体は簡単に空へと浮き上がり、更に暴風を地上に吹き散らす。
「うぐっ……」
突風に煽られる円は、何とか両足を踏み込みその場に留まっている。だが、人一倍小柄な円の体は徐々に後退していく。いつ飛ばされてもおかしくない。
『まどちゃん。このままじゃあ――』
「分かってる。今、何とかする」
突風にブレる銃口を何とか風童の方へと向けた円は、引き金に掛かった指をゆっくりと引いた。銃声が雷鳴の様な轟音を奏で、空を閃光が駆ける。それからは一瞬だった。
周囲が眩い光りに包まれ、衝撃波が広がる。次々と建物が崩れる音が聞こえ、円の体は衝撃で吹き飛ばされた。気付いた時は、エディの具現化が解け瓦礫に埋もれていた。
「エディ……」
『大丈夫。周囲に気配は無い』
「そう……。また……負けたの……」
悔しそうにそう延べ、拳を握った。相手が五大鬼獣とは言え、傷一つ付ける事が出来きなかった。自分の不甲斐無さに奥歯を噛み締めた。その思いを悟り、エディは何も言わなかった。
どれ位時が過ぎたのか分からない。ただ、体から血が抜けていくのだけは分かった。頭が朦朧とし、瞼が重い。感覚も麻痺して傷の痛みも感じない。流石にこれはヤバイと円も思ったのか、弱々しくエディの名を呼んだ。
「エディ……。死ぬわ」
『なっ、と、突然何を――』
「何か、自分の体の事だから……良く分かる……」
「ってか、死なないわよ! その程度で」
突然、彩の声が聞こえ瓦礫が崩れた。朦朧とする意識の中で、二つの顔が見える。一つは彩で間違いない。もう一つは、誰だ。ハッキリしない頭に、様々な人の顔が浮かぶ。だが、どれもその人物とは当てはならない。
頭の中が真っ白になり、遂に円が口を開く。
「お前……誰だ……」
その言葉が武明の胸にザクリと刺さり、「お、おまっ」と動揺を隠せない声を上げた。その声で、円もようやくその人物が武明と気付いたのか、僅かに口元に笑みを浮かべ、
「お前……サングラス……無いと……変だな」
「だ、誰が変だ! 大体、プランAって何だよ!」
「兎に角……逃げろ……だ」
「はぁ〜っ。馬鹿馬鹿しい」
彩が頭を左右に振り、呆れた様にため息を吐く。そもそも、この閉鎖された空間では逃げ場などない。逃げ切れたとしても、何れにしろ探し出されて殺されてしまうだろう。それを考えると、逃げると言う行為がどれ程無謀でおろかな事なのかを、彩は円に力説した。
しかし、ひん死の円にその言葉は届いておらず、ただうわ言の様に「分かった」とだけ答えていた。その間武明が一人静かに水属性の術で円の治療を行う。本当は彩がする方が早いのだが、現在彩も手が放せない。水の膜を周囲に張り、光りを屈折させ姿を隠す役割をしているからだ。彩の今の力で何処まで隠しきれているのかは不明だが、今の所風童に気付かれている様子は無い。
小さく息を吐く彩は、両手に握った杖の先を見据え、ボソリと呟く。
「ねぇ。守は大丈夫かな?」
『私には何とも言えません。今出来るのは、無事を祈る位です』
「そうだよね……。でも、狼電も行ったっきり戻ってこないし……」
不安で落ち着かない。それでも、守の無事を信じ、自分を落ち着かせる様に深呼吸を繰り返す。いつの間にか、守をちゃんとしたパートナーとしてみていた。それは、色んな戦いがあって、その都度守の背中を見てきたからだろう。彩自身がその事に気付いているかは、分からない。だが、ウィンクロードは分かっていた。今の彩が守を必要としている事を。
ある程度円の傷が塞がった所で、武明が根を上げた。傷付いた状態ではやはり体力の消耗が激しかったのだろう。息を荒げ激しく胸を上下させる。
「も、もうダメだ……」
『七割、八割がた治療は済んだけど……。まだちゃんと傷が塞がってないよ。お兄ちゃん』
「わ、わかっ、てる。でも、も、もう……」
息切れ中の武明の言葉は聞き取り辛かった。その為、セルフィが『エッ? 何』と、聞き返した。だが、返って来た言葉はやはり聞き取り辛く、セルフィは困った様に彩の方へと言葉を振る。
『ねぇ、彩。お兄ちゃんが何て言ってるか分かる?』
「へっ? 武明が? さぁ……。って、あんたの方が付き合い長いでしょ!」
『付き合いの問題じゃないのよ。全く、これだから理解力の無い人は』
「悪かったわね。理解力無くて! そもそも、あんたの理解力が無いから、言葉も上手く聞き取れないんでしょ!」
不服そうにそう述べる彩に対し、セルフィは甘えた様な声で、『あたしはいいの。だって、まだ子供だもん』と、軽い口調で言う。言葉を失う彩は、引き攣った笑みを浮かべる。
「ウィンクロード。あれって、どの位?」
『そ、そうですね〜。確か、私と同じ位かと』
コソコソと話す彩とウィンクロードに、セルフィの声が飛ぶ。
『そこ! あたしの年齢について詮索しない!』
「だったら、素直に二百歳越えてますって言えばいいのに」
『ウィンクロード。お前、役立たずの分際で!』
「あら〜。遂に本性がでちゃった?」
からかう様な口調の彩に、セルフィは『うるさーい!』と一喝すると、
『ヤクタターズがうるさいのよ! この出来損ない共め!』
と、暴言を吐き捨て、逃げる様に光りを失った。ぶつけ様の無い怒りだけが残され、彩は握った拳を武明の腹部へと突き立て、武明の「うっ」と言う短音の声だけが僅かに聞こえた。