第八十四話 プランA
「ハァ…ハァ……。これが、最後の一本と……」
地面へと一本の杭を打ち付け、額に溢れる汗を拭う。奇抜な服装とサングラス姿の武明は、小さく息を吐き周囲を確認する。風童の気配は無い。
安心した様に胸を撫で下ろす武明は、ふと空を見上げ息を呑む。
「みぃ〜つけた」
幼く気味の悪い声と共に、地面へと押し付ける様に風圧が武明の体を襲った。
「ぐああああっ」
「クスクス。もっと苦しめよ」
更に風圧を強める。地面は風圧で陥没して行き亀裂が無数に広がる。地面へと圧し付けられ、武明の体からは血が滲む。呼吸が苦しく、意識が遠退く。薄れ行く意識の中、右手の中指と親指を力一杯に擦れ合わせた。パチンと微かな音が聞こえ、風童に向って火柱が上がる。
突然の事に思わず風を止め、その場から離れるが、その動きを止める様に更に斜め下から火柱が上がる。計算された様に風童の左翼を直撃した。
「クッ! ――直撃!」
表情を僅かに引き攣らせながら、風童の体は地上へと落ちた。
風圧から解き放たれた武明は、荒々しく呼吸を繰り返し、ようやく体を起す。体中がズキズキと痛む。
「ゲホッ、ゲホッ……。やばっゲホッ、かった」
何度か咳を繰り返し、周囲を見回す。火柱はもう収まっているが、風童の姿見当たらない。どこかに隠れていると、言う事は無いだろう。そもそも隠れる理由が無い。あの強さなら不意打ちをしなくても十分な実力があるからだ。
ひび割れたサングラスを捨て、おぼつかない足取りでその場を立ち去る。この場に居るのは危険だと判断したのだ。これでも数多くの修羅場は潜ってきた武明だが、これ程身の危険を感じたのは初めてだった。死さえ、脳裏に浮かぶ程だ。
「ヤベェ……マジ、死ぬかもな……」
不意にそんな事を呟きながら、崩れかけの壁を伝ってゆっくりとだが足を進める。早く円と合流しなければならないが、あの様子を見る限り風童にやられた可能性が脳裏に過り、この後の事を少なからず考えた。考えたが結局打開策など無く、逆に最悪な結果ばかりが浮かび上がる。
足を止め小さく息を吐き出し、その場に座り込む。深く息を吸い込み、心を静める様に息を吐いた。
「どうすりゃいいんだ。俺等より格上の奴だって消されてるんだぞ……。そんな奴にどうやって……」
頭を抱える武明は、もう一度空を見上げた。
「どうするつもりだよ。円」
ボソッとそう呟き視線を足元に落とすと、聞き覚えのある声が耳に届く。
「なっ、何であんたまで怪我してんのよ!」
杖を持った彩の姿を目視し、武明は安堵の息を吐いた。とりあえず、一人ではないと言う事が、少しだけ冷静さを取り戻させる。落ち着いた事により、武明の口調も少しだけ乱暴になった。
「うるせぇな。お前みたいに、逃げ回ってたわけじゃねぇんだよ」
「誰が逃げ回ってるって?」
「おめぇだ、おめぇ」
「あんたね……。口だけは達者ね。ってか、サングラスはどうしたわけ? そのキラキラの澄んだ目を私に向けないで」
「うるせぇ。好きでこんな目をしてんじゃねぇんだから」
視線を外し瞼を閉じる。武明は自分の目が嫌いだった。この目の事で幼い時に色々あったからだ。だから、普段はサングラスで目が見えない様にしている。こんな乱暴な口調なのも、この目を隠すサングラスに合わせて、そうしているだけだった。
憮然とする彩は、杖を翳し静かに唇を動かす。
「水は――全てを――」
「待て待て。てめぇの力を借りなくても、それ位の術は使えるんだよ」
「ムッ――。何よ。人が親切に――」
「うっせぇ。大体、てめぇは無駄が多いいんだよ。毎度毎度言うがな、水属性の呪文は――」
「あーっ、もううるさい! あんたが言いたい事は分かってるわよ。私だって、育成学校出てるんだから!」
怒声を響かす彩に対し、小さくため息を漏らす武明。同じ封術師だから分かる。水属性の呪文を使う時の彩の力配分が明らかにおかしい、と言う事に。一度、育成生時代に見たあの広範囲に広がる水の結晶が、今でもその脳裏に焼きついていた。
水属性は攻撃よりも治癒・防衛に特化した属性の為、どれだけ力を練り込んでも術者に危害は無い。ただ、その他の術は別だ。力配分を間違えれば命を落とす術だってある。一応、武明も彩の事を気遣っているのだ。
憮然とする彩は、杖を下ろす。杖の頭に付いた水晶が青白い光りを放ち、ウィンクロードが口を開く。
『あの……彩様。円殿からの伝言は伝えなくてもよろしいのでしょうか?』
「あぁ。そう言えば――」
「おい! お前等、円に会ったのか?」
『ねぇ、お姉ちゃんは無事なの? どうなの?』
「って言うか、伝言て何だ?」
『今、何処にいるの?』
次々と繰り出される武明とセルフィの問いに、彩がキレた。
「うるさーい! そんないっぺんに答えられるか! つうか、何でセルフィまで会話に加わってんのよ!」
『あたしだって、お姉ちゃんの事心配だもん! っていうか、彩こそ何で役にたたないのに、お姉ちゃんと一緒だったのよ!』
「や、や――」
『役に立たないとは何ですか! さ、彩様は――』
「うるせぇ! それより、伝言を言え! 話が進まねぇだろ!」
武明の一声で、ウィンクロードとセルフィは黙り込んだ。心を静める様に深呼吸を二度、三度繰り返した武明は、真っ直ぐ彩の目を見据える。その澄んだ目が妙に気持ち悪く感じた彩は、怯えた様に「なによ」と、小さく呟き一歩後退した。自分の目の事を思い出した武明は、目を隠す様に背を向け言葉を続ける。
「それで、伝言って何だ?」
「とりあえず、それはウィンクロードから説明させる」
「覚えてねぇのかよ! 相変わらず、物覚えが悪いな……」
背を向けたまま腕を組んでため息を吐く。自分自身のもの覚えの悪さを分かっている為、何も言い返せない彩は、ただ目尻を震わせ口元を引き攣らせていた。杖を握る手の感覚から、彩の怒りを察知したウィンクロードは、僅かに声を震わせながら円からの伝言を伝える。
『ま、円様からの伝言は、プランAを実行。合図があり次第行動を開始しろ、との事でした』
「プランA? 何の事だ?」
「知らないわよ。あんたと円の作戦じゃないの?」
『あたし達、プランとか立てた事無いよね』
セルフィの言葉に「ああ」と、答えた武明は渋い表情を見せた。何と無く円の真意を理解した。それは、長くパートナーをしていたから分かる。円は一人で風童と戦うつもりなのだ。奥歯を噛み締める武明は、小さく舌打ちをして彩の方へと視線を向けた。彩もその表情に事情を少なからず理解し、目の色を変え答える。
「円と別れたのが、十分位前だからまだそんなに遠くまで行って無いと思う」
「行くぞ! 間抜け!」
「ま、まま、間抜け! あんた、それが人にモノを――」
「急げ、バカ!」
「ば、バカって!」
怒りもあったが、とりあえず状況を把握し言葉を呑んだ彩は、「こっち」と呟き走り出した。武明もそれに続き走り出す。出来れば、円と風童が出会う前に合流できる事を、願いながら。