第八十三話 癒し
爆風で巻き上がった土煙。
その衝撃の大きさを物語る様に、周囲の建物の壁が抉れていた。
瓦礫だけが山積みになり、建物は絶妙なバランスでその身を留めている。
静まり返ったその場に、緩やかに流れるそよ風が、土煙を薄めていく。亀裂の入った地面は衝撃で陥没していた。
瓦礫の上に佇む小さな少年風童は、周囲を見回しゆっくりと息を吐く。美しい金色の髪が頭を動かす度に優雅に揺れる。緑色の瞳が辺り一帯を隅々まで見渡す。周囲には全く人の気配がしない。吹き飛んだとは考え難い事から、逃げられたのだと判断した風童は、膨れっ面で背中から翼を広げる。
「ふざけやがって。人を最弱呼ばわりしといて、そそくさと逃げやがった。見つけたらボッコボコだ!」
翼が大きく空をかき突風を巻き上げながら、風童の体を空へと浮き上がらせる。上空へと舞い上がった風童はゆっくりと優しく翼で空をかきながら、周囲一帯を見回す。
建物の中に身を潜める円。
右肩に滲む鮮血。先程の風童が放った衝撃波から逃れる時に、吹き飛んできたガラス片が右肩に直撃した。ガラス片は抜いたが、それにより出血が止まらなくなっていた。
肩で息をする円は静かに瞼を閉じると、そのまま動かなくなった。傷の痛みを堪える為か、少しでも体力を回復する為か分からないが、ゆっくりと鼻から空気を吸い、潤んだ唇の間から静かに息が吐き出される。その度にゆっくりと上下に動く胸に左手を乗せ、右手は力なく床に寝かされていた。
右耳で揺れ動く十字架のピアスの水晶が微かな光りを放ち、綺麗な女性の声が聞こえてくる。
『大丈夫? まどちゃん』
「…………」
返答は無く、静かな呼吸だけが聞こえる。円のサポートアームズであるエディは、彼女の体を気遣い言葉を呑んだ。
円は風童に「五大鬼獣で最弱で自分より劣る」と宣言したが、実際に交戦して分かった。奴は圧倒的なまでに円より強い。動きの一つ一つがそう物語っていた。あの銃弾を全て止め、終いには円の得意とする双剣の太刀を、掠る事無くかわして見せた。
円とて弱いわけじゃない。これまでも、あの双剣の太刀で幾度と無く鬼獣を倒してきた。それを簡単に――。円にとっては屈辱だったのかも知れない。絶対の自信を持っていたからこそ、その太刀を全てかわされたと言うのは。
静かに聞こえる円の吐息が止まり、瞼が開かれた。外から聞こえる瓦礫を踏み締める音に、緊張が走る。息を呑む円は、ゆっくりと立ち上がり物陰へと身を潜めた。
「エディ。モード銃」
『分かったわ』
静かにそう答えたエディが光りを放ち、円の両手に真っ白な銃が現れる。グリップを握り締め、トリガーに指を掛けた。右手は血で染まり指先からポトリと赤い雫が落ちる。
瓦礫が崩れ微かな足音が耳に届く。グリップを握る手に力が入り、口の中が極度の緊張で乾いていた。右手の人差し指が震えているのに、円は気付いた。死への恐怖からか、ただ単に血を流しすぎたからか分からないが、自分自身を落ち着かせる為に、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。少しだけ落ち着いたのか、指の震えが止まると同時に足音も止まった。
静寂がその場を包み込む。穏やかな風が崩れた壁の穴から入り込んだ。
どれ位続いたか分からない静寂を、瓦礫を踏み締める音が破った。ガラス片を踏んだのか、パキッと何かの割れる音が聞こえる。その音が徐々に近付き、円は物陰から飛び出し銃口を向けた。
と、同時に彩の声が響く。
「ワッ! ちょ、ちょっとまっ――!」
間の抜けた彩の声に、じと目を向ける円は、静かに銃を下ろし深いため息を吐いた。それから、安心したのか、ゆっくりと腰を下ろし銃を床へと置いた。だが、すぐに鋭い眼差しを彩の方へと向けると、棘のある声で言う。
「あんた、何でここにいる」
「何でって、そりゃねぇ」
笑顔で返答する彩に対し、冷たい視線を向ける円は、左手に持った銃の先を彩に向ける。
「いい。あんたじゃ足手まとい。大体、その役立たずのサポートアームズで何が出来るって言うの?」
『だ、誰が、役立たずですか!』
「お前だ。お前」
「って、ウィンクロードをバカにしないでよ!」
「じゃあ、あんたが役立たずだ! とっととここから離れろ!」
「うるさい! 何であんたに命令されなきゃいけないのよ! 私が何処に居ようと私の勝手でしょ!」
声を荒げる二人に対し、エディが小さなため息を漏らし、静かに言葉を挟む。
『こんな事をやってる場合じゃないでしょ? 彩ちゃん。お願い。まどちゃんの傷を見てあげて』
「え、エディ。何勝手な事――」
『勝手な事じゃないわ。その傷じゃあまともに戦えないでしょ?』
「う、うるさい。こんな傷程度で、あんな奴に遅れは取らない」
強気に答える円は、立ち上がり自信満々に腕を組んでみせる。だが、すぐに肩に痛みが走り、表情を歪めた。
呆れた様に息を吐く彩は、目を細め静かに言う。
「傷、見てあげる」
「べ、別に見なくていいって言ってる」
口調がいつもより早く、慌てているのが分かる程だった。素直じゃないのだ。
静かにため息を漏らす彩とエディ。こんな時位素直になれば良いのに、と彩は密かに思いつつ具現化したウィンクロードを翳す。
「傷見せないなら、そのままやっちゃうけどいいよね?」
『ええ。構わないわ。やっちゃって』
「ちょ、ちょっと! 勝手に話を進めないで!」
円の言葉を無視する様に、彩が言葉を続ける。
「あーっ。でも、私水属性の呪文は使わないって決めてるんだけど……」
「だったら、傷を見せろとか言うな。大体、あんたに何が――」
「まぁ、同期のよしみだし、特別に今日はその決まりを解禁して見せよう」
ニコッと笑みを浮かべる彩。その顔を睨む円は、仏頂面で口を尖らせ文句を言う。
「言っておくけど、傷を治してもあたしのあんたに対する評価は変わらないし、これを貸しだ何て思わない事よ」
「分かってる。それに、悔しいけどアイツと対等に戦えるのは円だけだと思うし、私に出来るのはこれ位だから」
「な、何、急に、その――」
突然の事に戸惑う。正直、彩がこんな事を言う何て思ってもいなかった。育成生時代から彩の事を知っているが、当時はこんな風に人に頼る事など無かった。あの当時は色々あったから、周りの人を信じられたかったと、言う事もあるのだろうが、この変わり様には驚くしかなかった。
そんな円を尻目に、呼吸を整える彩は、静かに力を集中する。背丈程の大きな杖を胸の前に抱き、瞼を閉じゆっくりと唇が動き出す。
「水は――全てを癒す。零れる水滴は、優しく暖か」
彩の足元に青白い光りが生じ、杖の頭に付いた水晶までも青白い光りを放つ。風も無いのに舞い上がる彩の髪。まるで水中にいるかの様に、髪が広がっていく。
そして、彩の周りに球体の青白い光りがポツポツを現れ、その場を眩く照らす。
神秘的なその光景に、思わず息を呑む円とエディ。武明もこの程度の呪文は使えるが、それとは全く次元の違うまるで最上位の術を見ている様な気分だった。
周囲に集まる青白い球体が徐々に一つに纏り、圧縮され小さな粒が円の頭上へと出来上がった。すると、彩の瞼が静かに開かれ、唇が僅かに動く。
「――滴れよ。蓮の葉の雫」
その声に反応する様に、円の頭上へと出来上がった小さな光りの粒が、雫が落ちるかの様に円の頭へと滴れた。