第八十二話 砕けた想い
それは、一瞬の事だった。
突然窓の外に眩い光りが放たれ、轟々しい雷鳴と共にビルが崩壊する。凄まじい稲妻が壁を突き抜け、一瞬にして大地を呑み込んだ。だが、大地は無傷だった。眩い光りの中で、何かが壁となり大地の体を守っていた。
大地が目覚めたのは、丁度その時だった。何が起こっているのか分からず、周囲を見回しグラットリバーに問いかける。グラットリバーにもその現象が何なのか分からず、返答は曖昧なモノとなった。
光りが止む頃、その現象の正体に大地とグラットリバーは気付く。右耳に煌くオレンジの水晶。僅かに亀裂が生じ、大地を包む障壁の様なモノが崩れ、大地は降り注ぐ瓦礫に埋もれた。
そして、今大地は優花と対峙していた。正確には、優花の体で暴れるレイドフェレスとなのった奴と、対峙している。
大きな三日月の刃が回転し空を裂き、左腕の大型の刃は高音の音を奏でる。耳障りな嫌な音に、眉間にシワを寄せる大地は右手首を掴むと、喉の奥から声を吐き出す。
「ハアァァァァァッ!」
『だ、大地! おまっ!』
突然の行動にグラットリバーが叫ぶ。だが、大地は聞こえないのか、深く息を吐く。右腕を侵食していた漆黒の物質が更に侵食を早め、大地の首元まで這い上がっていく。衣服で見えないが、その漆黒の物質は体をも蝕んでいた。
「うっ……うううっ……」
『無茶だ! これ以上は――』
「うっせぇ……。まだ、行ける……。それに……、俺はアイツを――クッ!」
表情が引き攣る。激痛が体を襲い、鼓動が速まる。体内を駆け巡る血流が、その速度を上げ更に侵食を早める。
だが、それを優花は待ってはくれなかった。何かを感じ取った様に地を蹴り、右手に持った大鎌を振る。風切り音に遅れ、金属音が響く。漆黒の右手が刃を押さえる。しかし、それを予期していたのか、すぐさま左腕の大型の刃が胸に向って突き出された。
金属音が鳴り響き、キィィィンと甲高い音が周囲に響く。
『硬いな……』
優花の声で呟く。切っ先が大地の胸に触れたまま動かず、甲高い音だけを響かせる。服が裂け、漆黒の鎧が大地の皮膚を覆っているのが見えた。大地の強気な眼差しに、優花の口元が僅かに緩む。
硬化した漆黒の鎧に亀裂が走る。刃を包む風の高速振動が硬化した漆黒の鎧を貫こうとしていた。
『クククククッ。土属性では風属性に勝つ事は不可能。この刃はもうじき貴様の鎧を砕き、胸を貫く』
「分かってんだよ。土が風に弱いのは。でもな、てめぇは分かってねぇんだよ。てめぇは、既に俺の術中にはまってんだよ!」
三日月形の刃を払い、右腕で刃を弾く。それと同時に大地の右足が優花の腹を蹴り飛ばした。防ぐ事も出来ず、腹部に蹴り喰らった優花はよろめきながら後退する。
息の上がった状態の大地。疲労は否めなかった。体が本調子で無い状況で、体の半分まで侵食が進めば疲労も溜まる。それに、体が本調子でもここまで侵食を進めた事は無い。この侵食は体に大きな負担が掛かる為、大地も極力使わない様にしていた。一歩間違えば命を失うリスクがあり、最悪体をサポートアームズに乗っ取られる可能性だってある。
それでも、大地にはこうするしかなかった。こうするしか、優花の持つ風属性に対抗する術が無いのだ。
「ハァ…ハァ……」
『大地。もう無理だ。これ以上は――』
「るせぇ。これ以外にどうやってアイツをとめろって言うんだ……」
『でも、これじゃあお前の体がもたない』
大地を気遣うグラットリバーだが、その言葉は耳に届かなかった。刃が空を裂いたからだ。大地もグラットリバーも、刃が振り下ろされるまで優花の接近に気付けなかった。左肩口から血が吹き出、大地はよろめく。激痛が走り、表情が歪む。
視界に不適に笑う優花の顔が映る。右手の大鎌が大地の首を刈るかの如く振り抜かれた。
奥歯を噛み締め力強く地を蹴り後方へと逃れるが、踏み込んだ優花の左腕の刃が首元へと伸びる。甲高く耳に残る嫌な音が周囲に一瞬響いた。切っ先が大地の首元に触れたが、すぐに弾かれた。
その現象に一旦距離を取る優花は、僅かに眉間にシワを寄せる。グラットリバーの表皮が、先程よりも硬くなっていた。
小さく息を吐く優花は、口元に僅かながら笑みを浮かべる。
『面白い……。面白いぞ。人間』
「テメェを楽しませるつもりはねぇ」
『我、汝の血を欲す!』
「黙って、とっとと優花に体を返しやがれ!」
優花と大地が同時に地を駆けた。大鎌が地面を抉り、大型の刃が大地に向って伸びる。切っ先を見極め、素早く右拳を振り抜く。刃の平を殴り外へと弾くと、大地はそのまま体を反転させ後ろ蹴りを見舞う。
腹部に蹴りが決まり、優花の体が飛ぶ。だが、地面に刺さった大鎌が優花の体を支える。
『来るぞ! 大地!』
「分かってる!」
左腕の刃を突き出そうとする優花を、見る事無く大地の右拳が地面を叩いた。その衝撃が地面を押し潰し、周囲一帯に爆風が吹き荒れる。地面が砕けた事により突き刺さっていた大鎌の刃が地から抜け、優花の体が宙へと舞う。
その状況を大地は待っていた。
「呪文が使えるのは、封術師だけじゃねぇ。詠え! グラットリバー!」
『これ以上は無理だ。お前の身が――』
「かんけぇねぇ。今しかないんだ。早くしろ!」
大地の怒声にグラットリバーは返答する事無く、静かに呪文を唱え始めた。
『我――地を司る者なり。揺ぎ無く佇む地を割き、今汝を滅ぼす――』
「地を喰らえ! 地獄の――ぅ!」
大地の声が途切れ、口から血が吹き出る。
『だ、大地!』
異変に気付いたグラットリバーが声を張り上げた。ふら付く大地はもう一度吐血すると、静かに視線を腹部へと落とす。そこに何かが光るのが見えた。
「うっ……。何故……ぐふっ」
『大地! 確り――ッ!』
大地の両膝が地に落ち、同時にグラットリバーにも異変が起こる。右手の水晶に亀裂が走り、グラットリバーの意識が薄れていく。
『クッ……ソッ……。俺はまだ……』
大地の体を包んでいた漆黒の鎧が一瞬で砕け、大地の体が地面に平伏す。その背中に深々と刺さるのはあの大鎌だった。
静かに地上へと降り立った優花は、平伏す大地の前へと歩みを進め、
『無様だな。人間』
「だま……れ……。優花に…体を……かえ……せ……」
朦朧とする意識でそう言葉を返すと、僅かに笑い声が聞こえた。
『いいだろう。この体を返してやる。貴様の命に免じてな』
その言葉と同時に体から刃が抜かれた。血が流れ出るのを感じ、大地の意識は遠退いていく。遠退いていく意識の中で、声が聞こえた。優花の声だった。だが、それは悲鳴の様な泣き叫ぶ声だった。