第八十話 降臨(めざめ)
刃が空を切る。
もう何度目だろうか。その大きな三日月型の刃が空を切ったのは。
切っ先がコンクリート片を真っ二つに裂き、地面を砕く。
軽快なバックステップを見せ付ける電鋭。右手に握られた両端に刃の付いた槍を回し、慎重に間合いを測りながら一定の距離を保つ。
優花もまた電鋭との間合いを測り、少しずつ距離を縮めていく。徐々に刃が電鋭に迫る。
刃を振る度に鋭い風音が鳴り、疾風が吹き抜け電鋭の黒髪が揺れる。
赤い瞳が電鋭を見据え、三日月型の刃が地面を抉り切り上げられた。切っ先が僅かに電鋭の前髪を掠める。黒髪が二人の間に散り、穏やかな金色の瞳が優花を見据える。
刹那、いつしか向きの変わった刃が電鋭に向って振り下ろされていた。予測していた事だったが、あまりにも速い切り替えしに、電鋭の反応が遅れ、諦めた様に目を伏せる。右手に持った槍で受け止める気が無いのか、静かに左手で右目を覆う髪を掻き揚げた。
甲高い乾いた音が周囲に響き、柄から伝わる振動が体中に駆け巡る。
『えっ、えっ、エェェェッ。ど、どうなってるの!』
『野郎。消えやがった』
驚きの声を上げるシェイドネリアとキファードレイ。確実に刃が当るはずだった。しかし、そこに電鋭の姿は無い。切っ先が触れる直前、その姿が煙の様に消えた。突然の事に困惑する二人に対し、優花は冷静だった。
地面に刺さった切っ先を抜く。地面が砕け乾いた音が僅かに聞こえた。口から吐き出される吐息が荒い。流石に疲れていた。あれだけ大鎌を振ったのだ、疲れて当然だ。だが、結局一発も当らなかった。これが、五大鬼獣。普段戦っている鬼獣とは天と地の差だ。動きのキレも、堂々たる態度も、その隠された能力も。全てが規格外だった。
「ハァ…ハァ……」
「お疲れの様で。そろそろ、武器を退いてもらえると嬉しいな」
「ハァ…こ、こと……わる」
眼差しは強く電鋭を見据える。小さくため息を漏らす電鋭は、静かに首を振り槍を地面に突き刺す。そして、大きく手を広げ、
「どうして、分かってもらえないのだろう。私は、あなたの事をこんなにも想っているのに……」
甲高く大声で述べる。
その声に、シェイドネリアは震えた声で言う。
『ううっ……寒気が……』
『ケッ。何が想っているだ』
『何処にでもいるんだよね。ああいう台詞吐く奴って』
シェイドネリアとキファードレイの率直な意見に、電鋭が微笑む。背筋に走る寒気に、優花は一歩足を引く。
空気が変わる。その瞬間を優花は肌に感じた。今まで大らかだった電鋭のオーラに、僅かに殺気が込められる。遂に本気になったのだろう。そう確信し、優花も意識を集中する。周囲に気を配る優花は、ふと気付く。先程まで地面に突き刺さっていた槍が消えた事に。
おかしいと思うが、それよりも電鋭の動きに目を向ける。何をするつもりなのか分からないが、とても嫌な予感がする。
「フフフッ……。私は知ってる。あなたがどうして退かないかを」
「……何の――!」
言葉を言い終える前に、優花は言葉を呑む。奴の目的は初めから――。
「それじゃあ。消えてください」
「止め――」
スッと右手を上げると、雷光が空を裂く。眩い光が全てを消し去り、轟音だけが周囲を包む。眩い光に瞼を閉じた優花の耳に、ビルの崩壊する音が微かに聞こえた。全ての音が鳴り止み、暫しの時が過ぎる。電鋭が近くに居るのか分からないが、優花はまだ瞼を閉じていた。
風が優しく髪を撫で、瓦礫の崩れる音に体がビクッと反応した。恐る恐る瞼を開く。瓦礫が山となり目の前に広がる。
膝から崩れ落ちる優花は、両手を地に下ろし両肩を小刻みに震わせた。大地が居たはずのビルも藻屑と化し、全てを失った。そのショックは大きく、優花は戦意を失う。その視線の先に、割れたイヤリングが一つ転がっていた。
視界が滲む。手から零れたキファードレイが、その姿をとどめられなくなり、ネックレスへと戻った。
『お、オイ! テメェ、確りしやがれ!』
「……ごめん」
弱々しく返答する。戦意を失った優花の姿に、電鋭は穏やかな笑みを見せ、静かに歩みを進めた。
「どうです? まだ戦いますか?」
「……」
放心する優花は反応を示さない。キファードレイもシェイドネリアも言葉を呑み、ただ電鋭を見据えるだけだった。
静かに時が過ぎ、風が優しく吹き抜ける。穏やかな表情の電鋭は、優花の正面に腰を下ろし、静かに口を開く。
「返答しないと言う事は、戦意喪失と見ていいのかな?」
「……」
やはり返答は無い。小さく頷いた電鋭は、クスリと笑うと踵を翻し、静かにその場を去っていく。
その後姿を見据える優花は、右目から涙を一筋零した。赤い瞳は一層赤くなり、目頭が熱くなる。だが、涙が零れたのはそれ一滴だけで、それ以上涙は出ない。霞む世界に弱々しく瞼を閉じた。闇が全てを包み込み、優花は静かに地面に倒れた。
ほんの数十秒程の時間が、優花には長く感じられ、闇の中を彷徨う。そんな中、一際大きく輝く光が優花の前に現れる。不気味な青白い暖かい光。闇から救う様に、光が優花を包み込む。その奥で声がする。気味の悪い不気味な声が――。
『望め――……力を――。望め――……強さを――。望め――……』
繰り返される言葉に、優花は静かに口を開く。
「誰?」
静かな声に、不気味な声が言葉を告げる。
『力が欲しくば願え。力が欲しいと。願え。全てを破壊したいと』
「あなた、何を――」
『解放て――……願え――……力を――……強さを!』
眩い光が視界を遮り、優花は意識を失った。
動かなくなった優花の微妙な変化に、キファードレイがいち早く気付く。微かに漂う殺気が、全ての空気を変える。優しく流れていたはずの風が静まり返り、突如静寂が周囲を包む。
異様な空気に電鋭も気付き足を止める。背後から感じる威圧に、電鋭の額から一筋の雫が流れた。右手の指先にバチッと電撃が迸り、雷光が空を裂く。それは、電鋭が意として行ったものではなく、咄嗟に出た自己防衛だった。だが、眩い光を発しただけで、雷撃は何かの力により消滅していた。
「ど、どういう――」
『クククククッ。久方ぶりの空気だ。我ここに降臨する』
不気味な声が周囲にこだまし、突如鋭い風が吹き荒れる。地面が、瓦礫が、壁が、風によって生じた刃により切り裂かれる。その刃は電鋭の体をも襲う。皮膚が裂かれ赤い液が滲む。
「クッ」
奥歯を噛み締め、拳を握る。微弱な電流が右腕に集中し、槍を手の中に生成していく。余分に電撃を放電した所為か、先程よりも生成に時間が掛かっていた。
通常二、三秒で終わるはずの柄の生成が十五秒掛かり、今も尚刃を生成している途中だ。漂う殺気と、ただならぬ気配に僅かながら表情を強張らす電鋭は、静かな口調で問う。
「貴様は誰だ? 彼女はどうした?」
『クククククッ。再びこの地に立てる事。汝に感謝しよう。我、レイドフェレス。汝の鮮血を欲す!』
突如右手に具現化された大鎌が、回転し宙を滑空する。スピードはそれほどまで無いが、風を裂き不気味な音を奏でるその大鎌に、電鋭は視線を奪われていた。その刹那、何処からともなく突風が吹き抜け、鮮血が飛び散った。