第六十八話 白翼の少女
沈黙。
長い長い沈黙。
驚きの表情。それは、正しく狼電に向けられたモノで、氷神以外の皆は眼を丸くし、守にいたっては口をパクパクと動かしていた。
一方で、何を驚いていると言わんばかりの表情を見せる狼電は、守の横の氷神に眼を向ける。二人の視線が僅かな時間だが合わさった。だが、何を語る訳でも無く、氷神は背を向け歩き出す。その背中を見据える狼電に、口をパクパクさせる守が言葉を放つ前に、瞳を輝かせた望美の方が先に口を開いた。
「智夏〜ぅ。ワンちゃんが喋ってるよ〜」
「あ、ああ……そ、そうだな」
狼電に駆け寄り頭を撫でる望美は智夏の方に眼を向ける。刀を持つ手を震わせ、守の事を気にしながら狼電の方へと足を進め、望美の隣りに座り込み左手で狼電の顎を撫でた。フカフカの毛並みと、手に伝わる感触に表情を綻ばす智夏は、ウットリした瞳で狼電を見据え、
「か、可愛い……」
と、小さく呟く。その表情にいつもの凛々しい智夏の面影は無く、一少女の顔だった。そんな智夏の顔を嬉しそうに微笑みながら見据える望美は、狼電の背中を摩り顔を守の方へ向ける。慌ただしくその場でオロオロとする守が、その視線に気付いたのは大分後になってからだ。
嬉しそうに顎を撫でる智夏に、視線を向ける狼電は擦れた渋い声で静かに言葉を告げる。
「私は犬では無い」
「喋る犬……。欲しい……」
「貴様、人の話を――」
「ハウウウウッ! 愛おしいなぁ」
包み込む様に狼電を抱き締める智夏。そのふくよかな胸に顔を埋める狼電は、敏感な嗅覚に僅かに程よい石鹸の香りを嗅ぎ取った。野生で生きてきた狼電にとって初めての香りに、過剰な反応を見せ、暴れ智夏の腕を振り切り間合いを取った。
突然暴れだし自らの腕を振り切った犬、もとい狼電にショックを隠せない智夏は悲しげな瞳を向けたまま放心していた。大好きな犬に拒否された事が相当ショックだったのだろう。目尻に僅かながら何か透明なモノが煌いていた。
瞳を潤ませる智夏の頭を撫でる望美は、子供をあやす様に言葉を掛ける。
「だいじょ〜ぶ。大丈夫だよ。ちょっと、怖かっただけだよ。別にちぃーチャンの事を嫌いになったわけじゃないからね」
「ううっ……そ、そう……なのか?」
潤んだ瞳で望美を見つめる。そんな二人のやり取りを黙って見据える狼電は、不意に視線を守の方へと向けた。目が合い、狼電が訴え掛ける様に鼻筋にシワを寄せる。苦笑する守は、ゆっくりと視線を外そうとしたが、その眼差しが痛々しく胸に突き刺さり断念した。
「あ、あの……」
「あっ、守君もワンちゃんとふれあい?」
「いや……そうじゃなくて……」
眼を細める守が困った様に息を吐くと同時に、二つの声が響く。
「来るぞ!」
「来ます!」
狼電の乱暴な口調と、氷神の丁寧な口調。両者の対照的な言葉と同時に、空に複数煌くモノが見えた。それが何かを推測するのは簡単で、狼電も氷神も身構える。無数の氷柱が四人と一匹に迫り、氷神が刀を振り上げた。
「ふん!」
冷気が刃となり氷柱を破壊。しかし、数本の氷柱が冷気の刃をすり抜け迫る。智夏の目付きが一瞬変わるが、それより先に雷撃が宙を裂いた。花火の様に美しい閃光が空を彩り、氷の粉が優雅に降り注ぐ。
あまりの美しさに見とれてしまう守だったが、すぐに我に返り空に浮かぶ一つの影を見据える。美しい白翼を生やした見慣れない制服を着た少女。整った顔つきや体型から見て、守達と同い年に見えるが、この辺りの高校に通っては居ない様だ。
そんな事よりも、問題は背中から生える白翼。アレは一体何なのかと、疑問に思う守はある事に気付き視線を伏せ、顔を見る見る赤く染めた。
「あ、あのー。実に、言い難いのですが――」
「パンツ丸見えダナ」
守が言うより先に、狼電がそう述べる。耳まで真っ赤にする守は、慌てて両手を交錯させ、
「み、見てないですから! ぼ、僕は全く見てないんで、早く降りてきてください!」
「今更、そんなに否定してもさ」
「そうだよ。見たなら見たで、大した問題じゃないもんね」
じと目の智夏に対し、能天気な発言の望美。そんな守の言葉でようやく事の重大さを悟ったのか、赤面しながら少女は大声で叫ぶ。
「う、うるさい! こ、これは、見せてるのよ! べ、別に見せたからって、減るもんじゃないし!」
「の割りに頬が赤いな」
「言われて見れば……そうだね。やっぱり、男の子に見られるのは恥ずかしいのかな?」
「お前は恥ずかしくないのか?」
「う〜ん。守君はどう思う?」
「えっ、あの、その――」
突然の望美のフリに焦る守は、返答に困りアワアワとうろたえている。守に女性への免疫が無いと言う、意外な発見をした智夏は、腕を組みながら「ふ〜ん」と、頷き望美に何かを囁いた。すると、頬を赤らめながら慌てた様に望美が叫ぶ。
「ち、違うよ! そ、そんなんじゃないよぉ。それに、守君には彩が居るんだから!」
後半は少し怒り気味の望美に、イジワルな笑みを浮かべながら、智夏は守の方に目を向けた。
「うーっ、うーっ」と唸り声を上げながら、思考回路を完全にショートさせた守は、プスンプスンと頭から湯気を上げている。そんな守には既に上空を舞う少女の事など、考えている余裕はなかった。
一方、表情を崩さない氷神は、刀を下段に構え真っ直ぐに少女の顔を睨む。彼女から放たれる異様な空気を肌に感じていた。まるで自分と同じ、鬼獣上がりの様だが、彼女は守と同じガーディアンに見えた。どこかがオカシイ。だが、何処が? 頭が困惑する氷神に、足元から擦れた渋い声が響く。
「考えるな。考えるだけ無駄だ。今、起きている事だけを見ろ」
「貴様、やはり――」
「話している時間は無い。私は一刻も早く奴を――」
「私を無視するなぁぁぁぁっ!」
幼い子供の様な声が響き、無数の氷の矢が降り注ぐ。思考回路がショートしていた守はその声に意識を戻し、咄嗟にフロードスクウェアを具現化する。意として行ったものかは分からないが、具現化と同時にフロードスクウェアは炎を纏い、降り注ぐ矢を全て焼き払った。
「ウオッ! な、なんですかこれは!」
驚きの声を上げる守。当然と言えば当然だ。突然、刃が炎に包まれたのだ、驚かない方が不思議である。その一方で、守以上に驚いているモノも居た。フロードスクウェアだ。まさか、自らの身を炎で包むなどと、思っても居なかったのだろう。驚きに言葉を失っていた。
目を丸くする望美と智夏は、守の両手に持つ大剣に目を向ける。両刃の大剣は鋭く刃を煌かせ、その姿を威風堂々と見せ付けた。
「火野……お前」
「手品師だったの?」
「違うだろ!」
マイペースな望美の言葉に、思わず智夏は突っ込んだ。不思議な事は沢山あるだろうが、質問など受け付ける余裕の無い守は、一言だけ述べた。
「ゴメン。話は後でするから。今は――」
『来るぞ! 守!』
落ち着きを取り戻したフロードスクウェアが叫び、宙を舞う少女が両手を翳す。両手に集まる冷気が白い霧を生み出す。それが、少女の姿を隠し氷の塊が次第に姿を見せ始め、少女の声が響く。
「皆凍っちゃえ!」
天高く響いた声と共に、氷の塊が空から落ちた。