第六十四話 狼電
住宅街の複雑な通りを駆ける少女。
髪は黒く肩口で毛先が激しく揺れる。淡い青の布地に濃い青のチェックの入った青桜学園指定ミニスカートが揺れ、胸元の大きなリボンが呼吸に合わせて上下に動く。
水獅・風蛙屍が地上を駆け回り、火虫・燕雷の群れが空中を滑空する。
少女は背後を気にしながら、首からぶら下げたネックレスを握り小声で問う。
「ウィンクロード、守の居場所は分かった?」
可愛らしい澄んだ声が、少し厳しい口調で尋ねると、ネックレスの杖型のアクセサリーに付いた小さな水晶が光りを放ち、少々低めの真面目そうな声が聞こえる。
『強大な邪気と大勢の鬼獣の気配で正確な位置は分かりませんが、僅かにフロードスクウェア殿の力を感じます。しかも、邪気の中心付近に……』
「何でそんな所に……」
呆れた様にため息を漏らす少女は、十字路を右に曲がり身を隠す様に壁際に凭れ掛かる。地を駆ける鬼獣は十字路を直進し、少女の存在に気付いていない様子だった。いや、多分少女を相手にすらしていないのかも知れない。
呼吸を整える少女はポケットから携帯を取り出すと、小さなため息を吐いた。
「あう〜っ……。今頃、守の携帯番号知らない事に気付くなんて……パートナー失格だよ」
『何を言ってるんですか! そんな事ありませんよ! 彩様!』
声を荒げるウィンクロードに、彩と呼ばれた少女がニコリと微笑んだ。
「ありがとう。いつもゴメンね」
不意の言葉にウィンクロードも戸惑い、しどろもどろになる。
『い、いえ。そ、そんな事は……。わ、私は当然の事を……』
後半は聞き取れなかったが、随分と動揺しているのが分かった。それが面白く、彩は口元を隠してクスクスと笑い、ウィンクロードを優しく握る。手の中から静かに光りが溢れ、杖型のアクセサリーが具現かされた。
背丈程の大きな杖。頭には青白い水晶が煌き、美しい姿を見せ付けた。空を裂く様に杖を回転させる彩は、小声でぼそぼそと何かを呟き瞼をゆっくりと閉じる。水晶が薄気味悪く点滅し、空中に円を描く。
「汝、我に従え。我の供となりて、障害となるモノを払え!」
左手でカードフォルダーを開き、一枚のカードを取り出す。青白い雷撃を身に纏う狼電の絵柄の入ったカードを。
「召喚! 狼電!」
高らかと響く声と共に光りが水晶から溢れ、左手に取った狼電のカードが光りを放出し、消滅すると同時に狼電が姿を現した。体に深い傷痕が残った雄雄しい体格。他の狼電と違う赤黒い瞳を僅かに動かし、彩の顔を見上げ、大きく裂けた口をゆっくりと開き牙をギラリと光らせた。
「ガルルルルッ!」
『相変わらずの様で……。本当に大丈夫なのですか? 言う事を聞かない鬼獣などを召喚しても……。私は心配ですよ』
「貴様に心配される程、私は落ちぶれていない」
低い擦れた声が返答し、鋭い眼差しがウィンクロードへと向けられる。だが、その事よりも、その声の主に驚き彩もウィンクロードも同時に声を上げた。
「喋れたの!」
『喋れたのですか!』
重なった二人の声に、呆れた表情をする狼電はじと目で彩とウィンクロードを見据え、ふてぶてしくため息を漏らした。それがあまりにもワザとらしく嫌味っぽいため息だった為、彩もウィンクロードも無性に怒りが込みあがってきた。
だが、揉めている場合ではない為、怒りを堪え淡々とした口調で話し始める。
「力を貸して欲しいわ。って言うか、貸しなさい」
「断る」
背を向け即答した狼電は、右前足を舐め毛繕いを始めた。憮然とする彩は右手に握ったロッドに目をやると、小声で問う。
「何あの態度は? いつもあんな感じなわけ?」
『え、えぇ。まぁ、相変わらずと言った所です。これでは全く使い物になりません』
「フッ……。まるで道具を扱う様な口振りだな。まぁ、貴様らにとって鬼獣など道具に過ぎんか?」
『あなたなど――』
「やめて! ウィンクロード」
狼電の言葉に反論しようとしたウィンクロードを制止し、彩は小さくため息を零してジッと狼電の背中を見据え言う。
「私達は別にあなた達を道具だ何て思ってないわ。ただ、力を貸して欲しいの」
「力を貸して欲しい? なら、何故私達を封じる? 何の為だ? 私達が何をした?」
『ふざけた事を! あなた方はむやみに人を襲い、命を奪う!』
「それは、人間も同じだ。私達の住処を奪い、自然を破壊する。それが原因となり、鬼獣は力を暴走させ町で人々を襲う。私もそれとなんら変わらない。人間が起こした害を受け、力が暴走した。その結果がこの体の傷だ」
体に刻まれた傷を見せ付け、怒りをぶちまける様な口調。人間を怨み、封術師を憎む。そんな眼差しが彩を睨んだ。だが、彩はその目を受け入れ、真っ直ぐな瞳で見つめ返す。赤黒い瞳と、漆黒の瞳が視線を交えたまま動かない。
沈黙が辺りを支配する。町で暴れる鬼獣達の雄叫びや、逃げ惑う人々の悲鳴だけが聞こえてきた。流石に狼電も状況を悟り、小さなため息を吐き視線を下ろす。
「分かった……今日の所は手伝ってやろう。だが、今日だけだ」
擦れた声の返答に、彩も笑顔を向け、
「ありがとう」
『それより、これからどうするおつもりで?』
「取り敢えず、守と合流。それから町で暴れてる鬼獣を――」
「止めておけ。お前等では相手にならん。行くだけ無駄だ」
低音の大人びた男声が前方から聞こえ、彩と狼電がすぐさま視線を向けると、そこに男が居た。背丈は高く身は細い。刈り上げた黒髪に、楕円の薄いサングラスで目を隠していた。黄色の布地に赤と青で装飾されたアロハシャツを着込み、左手の人差し指に赤い水晶の付いたリングが輝く。
「誰だ? 貴様は」
「俺の事は、その出来損ないにでも聞いたらどうだ?」
『その様な愚弄を――』
『お前も、出来損ないの一つだ。ウィンクロード』
女の子らしい可愛い声が、嫌味ったらしい口調でウィンクロードの発言を止めた。その声を、ウィンクロードは良く知っており、その口調からそいつが怒っている事も瞬時に判断する事が出来た。
対峙するだけでピリピリと伝わる異様な威圧に、彩とウィンクロードは圧倒されていたが、狼電だけは臆す事無く一歩前へと足を踏み出す。
「誰かは知らんが、私は今、非常に機嫌が悪い。邪魔をするなら相手をしてやってもいいが、命を落とすかも知れんぞ」
「下級の鬼獣無勢が、調子に乗っている様ね」
「クッ! あんたも来てたの」
振り返ると、そこに少女が居た。彩よりも小柄で色白、腰まで届く群青の髪は美しく、風に靡く度に毛先が輝いて見え、その合間から見え隠れする耳には金色に近い黄色の水晶の付いた十字架の形のイヤリングが煌く。それが、彼女のサポートアームズだった。
彩もウィンクロードもそのサポートアームズの名を知っており、その力の凄さも彼女の強さも嫌と言う程知っていた。
「元気そうだけど、ここからは早く消えて」
「ここは私の担当よ。あなたの指図は受けないわ」
「人が親切で言ってやってんのに、そう言う態度は良くないぜ」
男の方がそう言うと、少女が軽く頷き右手でイヤリングに触れと、眩い光りが彩と狼電の視界を遮り、不気味な物音だけが聞こえた。