第六話 屋上
朝も早く、守は何故か屋上に呼ばれた。
一応、登校時間の為、校門の方に多くの人の影がチラホラと見えている。その校門の向こう側には住宅街が広がり、車二台がやっと通れる幅の小さな路地が学校前の大通りに多く連なっている。この高校に通う大半がこの住宅街に住んでいる。まぁ、受験動機はとりあえず家から近いからと、言うものが多数いる。結構、いい加減な連中が集まっているのだ。そして、守もその中の一人だった。
だが、この高校とて、そんないい加減な連中ばかりが集まっている訳ではない。他の県から受験をする者達もおり、意外と有名な高校でもある。学力も意外や意外かなりレベルが高いのだ。奈菜もこの高校を受けるため、親と別々に暮らしている。そんな奈菜を追いかけてこの高校を受験した者もいたが、殆ど虚しく散っていった。ついでに、守は奈菜と同じ高校に通いたくてここを選択したという理由もある。
ともあれ、屋上で立ちつくす守は、大きな口を開け欠伸をする。この時間帯はほぼ教室で寝ているため、頭がぼんやりしているのだ。そもそも、ここに呼び出した張本人は――。
「ご、ごめん! ね、寝過ごした!」
今、ようやく屋上の扉を慌ただしく開き登場した。寝癖で何処かしらに跳ね上がった髪に、焦ってきたのか、ボタンの位置が一つずれている制服。挙句、スカートの下にはパジャマのズボンを着ている。そんな奇天烈な格好の彩に、守は目を細めて物珍しそうに呟く。
「ほ〜っ。それが、今はやりのファッションな訳ですな?」
「ち、違う! 違うに決まってるでしょ! 急いできたから、ちょっと――」
「ちょっと? それの何処が? ボタンはつけ間違えてるし、スカートの下にパジャマって……。よく校門くぐれたな。俺なら恥かしくて学校辞めてるね」
「う、うるさいわね! グチグチと!」
セカセカとボタンを付け直し、パジャマのズボンを脱いだ彩が、ようやく話を始め様とした時、その横を守が通り過ぎる。振り返る彩は屋上を後にしようとした守を呼び止める。
「ちょ、ちょっと! 何処行くのよ!」
「もうすぐ、ホームルーム始まるぞ。ホームルームとか遅れると大変なんだぞ」
「えっ、それより、私の話を!」
「遅刻してきた水島が悪い。それじゃあ、話は昼休みにでも。そんじゃ」
それだけ言い残し守は扉を開け屋上を出て行った。何かを言いかけた彩だったが、ムスッと頬を膨らまし怒ったようにため息を吐いた後、胸元にあるウィンクロードに声を掛けた。
「さっきの話し、本当なんでしょ?」
『えぇ。何度調査しても同じでしたから』
「そうよね。もう。大切な事なのに……」
そう呟くと同時に、ホームルーム開始のチャイムが鳴り響いた。「あっ!」と、小さく声を上げた彩は、急ぎ屋上を後にした。
それから、時間が過ぎた。同じクラスだと言うのに、守と彩は一言も教室で喋る事も無く。まるで、二人が知り合いである事を悟られない様に、振舞っていた。だが、それは、守が授業中以外は寝ているというのが原因なのだ。
元々、彩の席は窓際の一番前の席で、守は廊下側から三列目の前から四番目。席が離れているため、守の起きている授業中は話す事は出来ない。休み時間に話そうとするが、すでに守は机に突っ伏して眠っているため、話す事は不可能。
それもあり、結局話しは昼休みにする事になった。もう一度、屋上へと呼び出された守は、右手に食堂で買ったサンドウィッチを持っていて、口にはカレーパンを銜えていた。モゴモゴと口に銜えたままのカレーパンを動かし、ポケットから携帯を取り出す。既に昼休みは大分過ぎるが、一向に呼び出した張本人が現れない。
「ふぁた、ちふぉくふぇすふぁ」(また、遅刻ですか)
カレーパンを銜えながらそう言う。すると、胸の位置にあるフロードスクウェアが、今起きたばかりなのか眠そうな声で言う。
『どうした? 元気ないように見えるが』
「まぁ、元気が無いのは当たってるかな。今日Bランチを食べる予定だったのに……」
『ふ〜ん。それで、その予定はどうしたんだ?』
「予定は狂わされた。封術士とか名乗る水島 彩に」
『お前、尻に敷かれるタイプだな?』
「俺はですね。待ち合わせで女の子を待たせたくないんですよ。分かりますか?」
『分からん。俺は女の言う事は聞かんからな。アハハハハッ』
大笑いするフロードスクウェアに、「そうですか」と、小さく呟いた守は右手に持ったサンドウィッチを口に銜えた。モゴモゴと口を動かしフェンスの方に歩み寄り、フェンスに背を預け腰を下ろした。右足を真っ直ぐ伸ばし、左膝を立てて座っている守は、サンドウィッチを食べ終え大きな欠伸をする。
『なぁ、暇なら俺の刃を磨いてくれ』
「俺、剣の手入れなんてした事無いんで、やりかた知らない」
『適当に乾いた布なんかで磨いてくれるだけで良いからさ』
「布で磨いてて手切ったら痛そうだから、嫌だ」
『何だよ。磨くくらい良いだろ!』
急に大声で怒鳴るフロードスクウェアだが、守の方は別に気にはしていない様子だ。と、言うよりフロードスクウェアの言葉など聞いていなかった。のほほんと空を見上げ流れゆく雲を見送る。優しく頬を撫でる風が、少し寝癖のたった守の髪をユサユサと靡かせる。
もうすぐ昼休みも終わりだというのに、一向に姿を見せることの無い彩。運動場や体育館で遊んでいた生徒達もすでに自分の教室に戻り始める時間。それでも、もう少し待てば来るだろうと、守は気長に彩のことを待っていた。小さく欠伸をするフロードスクウェアは、『来ないな』と、何と無く呟く。軽く頷いた守は「何かあったかな?」と、心配そうな表情で言った。
時計台の針がカチッと音を鳴らしながら動く。すると、鉄と鉄が擦れ合い軋む音が微かに聞え、予鈴が大きな音で鳴り響いた。まさか、こんな近くで予鈴を聞く事になると思っても見なかった守は、両手で耳を塞ぎ予鈴が鳴り終わるのを待った。
予鈴が鳴り終わると、また鉄と鉄が擦れ合う音がしてカチッと、小さく音がした。塞いでいた耳を解き放った守は、まだ耳の奥でキンキンと音がしている。
「う〜っ。耳が痛い……」
『凄い音だったな……。朝は静かだったのに……』
「昼休みの予鈴だけは大きな音にしてるんだって。先生が言ってた。何でも昔は音が小さくて遅刻する人が多かったからとか」
『ふ〜ん。お前は偉く余裕だが、良いのか?』
フロードスクウェアは落ち着いた様子の守にそう問う。少しは焦るんじゃないかと、思っていたが、その考えは軽く覆された。のん気に「アハハハハッ」と、声を上げ笑い出したのだ。何を笑っているんだと思うフロードスクウェアだったが、すぐに守が言葉を発す。
「な〜に。元々午後は授業を受けないつもりだったしいいんだよ」
『サボりか?』
「サボりって言うなよ。午後は少しお前の扱い方を学ぼうと思ってるんだから」
『ふ〜ん。お前も一応ガーディアンとしての自覚があるのか?』
「いや。ガーディアンとか、そう言うのじゃなくてさ。水島一人に鬼獣とか言う化物と戦わせる訳には行かないだろ? 一応、あいつも女だし」
少し真面目な顔付きの守に、ちょっとフロードスクウェアは驚いた。マイペースでひ弱な奴だと思っていた守が、ガーディアンになる資格を十分に持ち合わせていた事に。
表情を和らげ深呼吸する守は、目を閉じ胸の位置にある小さくなったフロードスクウェアを右手に握り締め念じる。右手の指の隙間から微かに光が漏れ、フロードスクウェアが大きくなり、すぐに左手を柄に持って行く。多少ふらつきながらも、何とか倒れずに踏み止まった守は、「ニシシシッ」と食い縛った白い歯を見せ笑うと、ゆっくりと重々しいフロードスクウェアを構える。
「今日は、こけなかったぞ」
『お前、前より少し力が強くなったみたいだな』
「一応、あれから少しずつ筋トレしてるんだぞ。そりゃ力もつくさ」
『いや。筋肉とかじゃなく――!』
そこまで言って、フロードスクウェアは何かの気配を察知した。それは、間違いなくあの時の鬼獣の気配だった。