第五十六話 夕暮れに染まる空
放課後。
いつもの様に静まり返った教室。そこに、守の姿は無かった。既に帰ってしまったのだろう。
自分の席に座ったままの彩は、守の席をジッと見つめながら頬杖をついていた。今朝の事を謝ろうと思っていたが、結局今日も学校では一言も言葉を交わさなかった。ここの所中々学校で話す機会が無い。真弓達がからかうせいもあるが、それ以前に守が教室で寝ている時間が増えた。授業開始時は起きているが、終了間際になると眠りについている。放課後もホームルームが終わるとすぐに姿を消す。休みの日も朝から出掛けて、昼に帰ってきたと思えば、すぐにどこかに出掛ける。一体何をしているのかも教えてくれない。その為、彩は不安だった。一人だけ何も知らずにいるという事が――。
静かに深々とため息を吐く彩は、渋々とイスから立ち上がる。イスの足が床を擦り、嫌な音を響かせた。聞きなれた音の為、全く気にとめない彩は、右手にカバンを持つと、前の出入口から教室を出た。と、同時に声を掛けられる。
「あっ! 彩ちゃん」
突然の声に体をビクッとさせた彩は、素早く振り返る。
「な、奈菜ちゃん……。ど、どうしたの?」
「教室出たら、丁度彩ちゃんが出てくるのが見えたから」
満面の笑みを浮かべる奈菜は、何だか嬉しそうに見えた。そんな奈菜の笑顔が、とても眩しく見え、自然と彩は俯いていた。俯いた彩の顔を覗き込む奈菜は、少し心配そうな表情で彩に問う。
「何かありました?」
「エッ? べ、別に何にも無いよ。どうして?」
「今日はチョット元気が無いみたいだから……」
心配そうな奈菜の視線に、少しだけ無理に笑ってみせる彩は『以前にもこんな事があったなぁ』と、思う。そして、何かと落ち込んでいる時に奈菜に会う事を不思議に思った。確か以前も守との事で悩んでいる時に会ったのだ。
不思議そうな表情を見せる奈菜に気付いた彩は、この場を誤魔化そうと頭を働かせる。そして、いいアイディアが浮かび、微笑みながら明るく口を開く。
「一緒に帰りましょう! この前は、色々あって一緒に帰れなかったから」
その言葉を聞くなり、嬉しそうに笑みを浮かべる奈菜は、胸の前で両手を組み答えた。
「うん。一緒に帰りましょう。この前は話せなかったから、今日は沢山話せるね」
「そうだね。今日は、沢山話せそう」
「じゃあ、この後、私の部屋に来ない?」
突然の申し出に戸惑う彩は、オロオロとし始める。その行動が面白かったのか、奈菜は口を右手で押さえながら笑う。奈菜に笑われ、更に恥ずかしさが増す。完全に赤面する彩は、思考回路がショートしたのか、頭から湯気を吹かし俯いたまま動かなくなった。流石の奈菜も、それにはビックリし、大慌てで彩に声を掛ける。
「さ、彩ちゃん! だ、大丈夫?」
「フェ……ふぇいきれす……」
きっと「平気です」と、言っているのだろう。それを理解した奈菜は笑顔を見せ、「じゃあ、行こうか」と歩き出した。
それから随分と歩いた。呂律が回らず、混乱していた彩も、暫く歩いている内に、ようやく元に戻った。気がついた時には、校門を出て寮のある方へと足を進めており、奈菜が楽しそうに話をしていた。一体、どんな話をしていたのか、良く覚えていない。頭が混乱していたからだろう。
その後、落ち着きを取り戻した彩は、奈菜の話を聞きながら相槌を打っていた。話の内容は殆ど学校の話で、クラスの事、友達の事、授業の事、色々と奈菜は話していた。何だか、溜め込んでいたモノを全て吐き出している様に感じ、彩は静かに口を開く。
「何か、悩んでる事でもあるの?」
不意を突いた彩の言葉に、奈菜の声が途切れる。不思議に思った彩は、横を歩く奈菜に顔を向けた。いつもの笑みはそこには無く、辛く切なそうな表情をしている。今まで奈菜がそんな表情をしている所を見た事が無かった彩は、戸惑い言葉を失う。
そんな彩に気付いたのか、奈菜が彩の方に顔を向けニコッと笑みを浮かべる。だが、それは先程まで見せていた笑みと違い、少しだけ寂しそうな瞳を見せていた。
夕日の見える屋上。
そこに一つの影があった。
夕日を背に足元から伸びる長い影。それが、非常口の方まで伸びている。
青桜学園の制服。白のワイシャツに、黒のズボン。足元にはカバンが置かれ、逆光を受け髪が茶色く輝いていた。その髪が穏やかな風に静かに揺れ、胸にぶら下がるアクセサリーが、一瞬だけ煌いた。
「待たせたな」
低く雄雄しい声と共に、非常口が軋む音が響く。振り返ると、男が一人非常口の前に立っていた。黒い髪が夕日を浴びて、オレンジ色に輝く。男の方も同じく青桜学園の制服を着ており、ワイシャツの第二ボタンまでを開けていた。
二人の間に漂う沈黙。それを払う様に、二人の間に穏やかな風が吹き、前髪だけを揺らす。そして、フェンスの方に背を向ける男が口を開いた。
「それで……。話って何です?」
「……」
返答は無い。それに対し、首からぶら下げているアクセサリーが光を放ち声がする。
『お前、何を企んでいる。事と場合によっては――』
「寄せ。フロードスクウェア。単に話をするだけだよ」
『守! 少しは――』
「大丈夫だよ。心配しなくても」
守はそう言うと、笑みを浮かべた。すると、非常口の方に立っていた男が静かに口を開く。
「悪いが、お前に話す事は無い」
『おい! 大地。どうする気だ!』
「グラットリバー。お前は黙ってろ」
大地は右拳を握ると、左手で右手首のブレスレットを握り、それを顔の前に持って行く。すると、グラットリバーが具現化され、大地の右手を黒い硬質な物質が包み込んだ。艶やかに光を放つ大地の右手が、ゆっくりと開かれる。
乾いた音を鳴らす大地の右手。その甲に輝くオレンジの水晶が、夕日を反射する。
向い合う二人の視線がぶつかりあう。大地は腰を低く落とすと、右足を摺り足で前に出し、呼吸を整える。一方、守は表情一つ変えず、大地を真っ直ぐに見据えていた。
『守! 早く具現化しろ!』
見かねたのか、フロードスクウェアが声を上げる。だが、守は表情を変えぬまま静かに答えた。
「俺に戦う意思は無い」
『何! お前、状況を分かっているのか?』
怒声を響かせるフロードスクウェアに対し、守は落ち着いた様子で、首からぶら下がるフロードスクウェアを右手に握る。
「落ち着けフロードスクウェア」
『お前な……。この状況で落ち着いていられるか!』
「すぐ熱くなると、冷静な判断が出来なくなるぞ」
『のんびりしてたら、敵に命を絶たれる』
意見の分かれる守とフロードスクウェアを他所に、大地が一気に間合いを詰め右拳を振り抜く。黒く艶やかに輝くその拳が視界に入った守は、右手に力を込め一瞬にしてフロードスクウェアを具現化する。
拳から溢れる光と共に、柄が手の中に現れ、鍔と刃が瞬時に姿を現す。大きく幅の広い刃の腹が、大地の右拳を受け止め、鍔の中心の赤い水晶が輝き、フロードスクウェアの声が聞こえる。
『何が目的だ! 小僧!』
「黙ってろ。すぐに終わらしてやる」
『なんだと!』
大地の言葉に食って掛かるフロードスクウェアだったが、直後大地の前蹴りが守の腹に決まり、守の体制が崩れた為言葉を呑んだ。
『大丈夫か。守』
「大丈夫……全然平気」
腹部が痛み体勢が少々前屈みになっている守は、苦しそうにそう答え大地の方を見据える。前蹴りを入れた後、距離を取った大地は、もう一度腰を低く落とした姿勢で守を睨んでいた。