第五十五話 守と大地
静かな昼休み。守はいつも通り、屋上にいた。
顔には大きな青タンがある。これは、今朝彩に跳び蹴りされた時のものだ。この傷が一番痛い。正直、昨日の智夏とのトレーニングでの傷よりも、痛む。その為、午前中の授業は殆ど頭に入っていない。
寝そべり空を見上げる。床はヒンヤリとしていて気持ちが良く、結構体の傷は癒せた。あまりの気持ちよさに、ウトウトとする守は、大きな欠伸をすると、右手で目を擦る。
『オイオイ。大丈夫か? このまま眠るんじゃないぞ』
「ン……分かってるよ……ふぁ〜っ」
もう一度欠伸をする守は、体を起す。眠そうな守は、髪を掻き揚げると、そのまま髪を乱暴に掻き毟る。
「ウガーッ! ネムッ! 超眠い」
『な、何だ何だ? 眠気で頭が可笑しくなったか?』
「全くだ。眠気如きで、何壊れかかってんだよ」
「ヌオッ!」
突然の声に、壊れかかっていた守は、喉の奥から出した様な声を発し振り返る。そこには、前髪を下ろし黒縁のメガネを掛けた大地が立っていた。普段との風貌の違いに、一瞬誰だか分からなかった守は、首を右に捻る。だが、すぐにピーンと来て、笑みを見せ口を開く。
「初めまして。転入生ですな」
「違う」
笑顔の守に即答する。
「それじゃあ、隣りの――」
「違う!」
今度は守が言い切る前に大地が怒鳴る。米神付近に僅かに青筋が見えた。苦笑する守は、一度胸の位置で揺れるフロードスクウェアに目を落とす。すると、フロードスクウェアも小さな声で返答する。
『怒ってるぞ』
「みたいだね」
『変なボケをカマスからだ』
「いや……。ウケルと思ったんだけど……」
『残念だが、受け入れられなかったらしいな』
「俺も、全力を尽くしたんだけど……残念だよ」
「なぁ……もういいか?」
守とフロードスクウェアのヒソヒソ話に、呆れ顔で大地が間に入る。流石に待ちくたびれたのか、黒縁のメガネを外し、右手で前髪を掛け上げ守を睨んでいた。大地の視線に苦笑する守は、立ち上がりお尻をはたく。
そんな二人の行動を影から観察する二人組みが居た。
赤縁のメガネを額に掛け、カメラを首からぶら下げる鳥山 理穂と、黒髪をお下げにした山中 若菜の二人だ。長い髪を頭の後ろでたくし上げている理穂は、前髪は邪魔にならない様にピンで留めており、気合十分だった。一方、若菜の方は相変わらずやる気が無さそうで、購買所で買ったカップラーメンを食べている。
「ちょっと! 張り込みと言ったら、アンパンでしょ!」
隣りで麺を啜る若菜の方に顔を向ける理穂は、左手に持ったアンパンを見せ付けた。呆れた様に目を細める若菜は、手を休め一言。
「コレハ、張リ込ミデハアリマセン」
何故か片言の若菜に、たじろぐ理穂は顔を守と大地の方に向けた。
「これだって、立派な張り込みなんだから」
「そう思ってるのは――ズズズッ。理穂だけですよ」
口に麺を頬張る若菜は、理穂の横顔を真っ直ぐに見つめる。
守の事を調べれば良いと、言い出したのは若菜だった為、少しだけ理穂の事が心配だった。理穂は、事件の事を調べる為なら、自分の体の事など全く気にかけない。現に、ここ最近理穂はまともな食事もして無いし、睡眠時間だって短くなっていた。その証拠に、少しだけ顔色が悪く、目の下に隈が出来ている。
こうなる事は分かっていた。その為、若菜はあの発言をした事を後悔していた。
「ふ〜っ……」
「何よ。ため息なんて」
「別に何でもありません。それより――」
「シッ! 守じゃない方がこっちに来る!」
鼻先に人差し指を立てる理穂は、息を殺す。突然の事に、若菜も咄嗟に息を殺してしまった。金具が軋みながら、非常口が開かれる。先程理穂が言った通り、大地が屋上から出て行ったのだ。
壁に凭れ掛かる理穂は、ホッと肩を落とすと、大きく深呼吸をした。静かに息を吐く若菜は、呆れた様に両肩を落とし目を細める。
大地が去り、一人残された守は大きな欠伸を一つ。睡魔にウトウトとする守は、静かに息を吐きその場に座り込む。
『大丈夫なのか?』
フェンスに凭れ掛かる守に、フロードスクウェアが心配そうに声を掛ける。少しだけ驚いた守だったが、すぐに笑みを見せると、落ち着いた声色で言う。
「大丈夫だよ。少し眠いだけだから」
『いや……そっちじゃなくて、さっきの話の事だ』
「さっきの――ああ、黒木君の」
先程の大地の話を思い出した守は、一瞬困った表情を見せたが、すぐに微笑み右手で頭を掻いた。呆れるフロードスクウェアは、ため息を漏らし静かに話し掛ける。
『いいのか? 簡単に承諾したみたいだが……』
「別に断る理由も無いし、気にする事ないって」
『お前な……。ちょっとは警戒しろよな』
「黒木君は仲間なんだし、警戒する必要なんて無いよ」
全く警戒心の無い守に対し、呆れ果てるフロードスクウェアは小さくため息を吐いた。こんな気楽な奴がパートナーで、この先大丈夫だろうかと、少しだけ不安になった。だが、こんな守だからこそ、フロードスクウェアも信頼しているのだ。
だからと言って、警戒を怠るのは色々と問題で、守が警戒しない分は、フロードスクウェアが補っている。その為、フロードスクウェアは既に理穂と若菜の存在に気付いていた。もちろん、守に知らせるつもりは無い。あの二人が守に危害を与えないと知っている為、気になどしていなかった。
「ふぁ〜っ……。今日も無駄足だったかな……」
突如両肩を落とし落ち込む守を、不思議に思うフロードスクウェアは、気になった為すぐに声を掛ける。
『どうしたんだ? 急に』
そんなフロードスクウェアの言葉に、暗い表情を見せる。先程とは明らかに違うその表情に、フロードスクウェアはただ事ではないと思い、息を荒げ口を開く。
『何かあったのか? 辺りに鬼獣の気配は無いが?』
大慌てで辺りの気配を探るフロードスクウェアに、呆然とする守は、小さく肩を揺らし笑うと、いつもとチョット違う寂しそうな笑みを浮かべる。
「違う違う。そうじゃないよ」
『そうじゃないって、どういう事だ?』
「いやな。屋上にいれば、また皆川さんに会えるかなって、淡い期待をしてたんだけど、やっぱ今日も会えなかったなってさ」
その言葉に愕然とするフロードスクウェアは、言葉を失っていた。そして、大慌てした事と、守を心配した事を後悔し、深いため息を漏らした。
笑みを浮かべる守だが、フロードスクウェアから返答が来ない。不思議に思った守は、首を傾げると、フロードスクウェアを右手に持ち声を掛けた。
「フロードスクウェア?」
『うるさい。俺は寝る!』
「怒って――るみたいだな」
半笑いを浮かべる守に対し、フロードスクウェアから返答は無い。もちろん、守もこれ以上フロードスクウェアを怒らせない為に、黙る事にした。
静かに息を吸い、立ち上がった守は、ズボンのポケットに手を突っ込みフェンスの向こうに見えるこの街の風景を見つめる。いつも見るこの風景が好きで、この街が好きで、この学校が少しだけ好きだった。