第五十四話 ボロボロの守
休み明けの月曜。
相変わらず、守は朝のトレーニングを欠かさなかった。
月下神社。望美の実家であるその神社の一角で、具現化したフロードスクウェアを振るう。摺り足で右足を一歩踏み込み、両手で力一杯横一線に振りぬく。足元には砂塵が舞い、凄まじい太刀風が砂塵を呑み込む。
静かにフロードスクウェアの具現化を解いた。彼是一時間近く重量のあるフロードスクウェアを振り続けた為、両肩を落とすと静かに息を吐き出す。
「はう〜っ……。ダメだ……腕が……上がらない」
疲労から腕に力の入らない守は、その場に寝そべり動かなくなった。木々の葉の合間から見える青い空。それが、朝日を浴び眩しく輝いて見える。風で揺れる木々の葉が、何枚か枝から離れユラユラと地に降り立った。少しだけ冷たい風が地面に沿う様に流れ、それが守の体を冷やす。
『だらしないぞ守。この程度で根をあげている様じゃな』
「しょうがないよ。俺、現代っ子だし、別に特別体を鍛えてたわけじゃないんだから」
『その割りに、昨日は結構いい動きをしてたじゃないか』
「その割りに、俺の顔は何でこんなにボコボコなんだろうな」
守はフロードスクウェアの言葉を真似する様にそう言うと、軽く左手で額に触れた。ほんの少しだけ腫れた右目の上に、額の左側には大きめのバンソウコウを張っている。もちろん、体中アチコチに痣があるが、服を着ている為ソレが目立つ事は無い。
額の傷に触れる守に、胸元のフロードスクウェアは哀れみの言葉を掛ける。
『しかし、女にこうもボコボコにされると、ヘコむな』
「うっ……。ま、まぁ……」
昨日の事を思い出し、目を細めた。あの後、望美に言われた通り、智夏の道場に行った。その道場が、また立派で守なんかが足を踏み入れて良いものなのかと、思わせるほどだ。もちろん、道場の前に居た智夏に、歓迎され無理矢理道場の中へと引き込まれた守は、その後智夏に色々と手合わせさせられた。
柔道から始まり、空手、合気道、弓道、剣道、様々な武術の手合わせをされ、その結果守は全てにおいて惨敗を喫した。柔道では何度も投げ飛ばされ、空手では凄まじい蹴りを浴びた。合気道では、何が起こったか分からず、弓道は例外だ。一番酷かったのが、剣道で初めは互角に渡り合ったが、最終的には一方的にやられてしまった。
そんな事があり、現在守の顔は傷だらけなのだ。体がズキズキと痛み、朝のトレーニングはいつも以上に辛かった。母も彩も何があったのか分からず、心配していたが、何とか誤魔化したから大丈夫だろう。
額を押さえる守は、苦しそうにため息を吐くと、疼く体の痛みに耐えながら静かに体を起した。
「また、日曜に行かなきゃ……」
『しかし、お前の話では、現代では武器を持つ者が居ないと聞いていたが、あの娘中々の身のこなしだったな。あれは相当の手練だな』
そのフロードスクウェアの言葉に、茂みの向こうから望美の声が聞こえた。
「だって、智夏ちゃんあの道場の師範代だもの。当たり前だよ」
茂みから現れた制服姿の望美が、いつもの様に微笑みを守に向ける。驚く守は、すぐさま立ち上がり、望美から距離を取った。少しだけ不思議そうな顔をする望美だが、すぐに笑みを浮かべる。
「さっき、別の人の声もしたけど……」
「ひ、独り言だよ」
「独り言? けど、大分守君とは声質が違ったけど……」
そこまで言った時、望美は初めて守の顔を見た。傷だらけの顔に、驚く望美は口を右手で覆い、心配そうな声で言う。
「どうしたのその顔?」
「いや……。どうもこうも、昨日道場で……」
「道場って……智夏ちゃんにやられたの? 酷いやられかた……。ごめんなさい。私のせいで」
「いえ……全ては俺が弱いからですから……気にしないでください」
そう言い笑う守に、何度も頭を下げる望美。笑みを零す守は、「俺は、全然平気だから」と、優しく言った。そんな守に申し訳無さそうな表情を見せた望美は、小さく頷き気合を入れる。
「ううん。こう言う事ははっきりしなきゃ! 私がちゃんと文句言っておくから任せておいて」
「いや……いいよ。余計にこじれそうだし」
「んっ? 大丈夫! 心配しないで」
守の最後の言葉は聞き取れていないらしく、望美は力強い言葉で守を励ます。困った表情を見せる守は、呆れた様に半笑いを浮かべると、小さくため息を吐いた。だが、それは望美には聞こえていなかったらしく、気合を入れ直しその場を去っていった。
呆然と立ち尽くす守は、もう一度小さくため息を吐くと、胸の位置で揺れるフロードスクウェアに目を落とす。小さな水晶が僅かに輝くと、フロードスクウェアの声が聞こえた。
『しかし、あの娘には驚かされるな』
「まぁ……」
『のんびりしているかと思えば、物凄く行動が早いと来た』
「うん……そうだね。でも、そのギャップが良いって人もいるから」
『お前はどうなんだ? その辺のギャップは?』
フロードスクウェアの質問に、腕を組む守は、考え込む様に首を傾げる。暫く考え込む守は、難しい顔を見せると、静かに口を開く。
「俺は……特に気にしないかな?」
『だろうな。お前はそう言うタイプだろうな』
「んっ? うわっ! そ、そうだ! 早く帰らなきゃ! 遅刻だよ……」
ふと時間に気付いた守は、慌てて立ち上がる。落ち着いた様子のフロードスクウェアは、小さな声で呟く。
『今頃か……』
「な、何だよ。気付いてたなら、教えてくれよ」
『何だ。聞こえたのか?』
不満そうなフロードスクウェアの声に、目を細める守は「聞こえてたよ」と、呟く。しかし、すぐにこんな事をしている場合ではないと、慌ててその場を後にした。唖然とするフロードスクウェアは、そんな守の胸元で大きく揺れている。
神社から立ち去る守の後ろ姿を見守る望美は、少しだけ嬉しそうな笑みを見せると、胸の前で小さくガッツポーズを見せ「ファイト」と、小さく呟いた。
大分人通りの多くなった道を駆け抜け、ようやく家に戻ってきた守は、玄関で汗だくのまま倒れこんでいた。
「ハァ…ハァ……」
「お帰りなさい守。お風呂にする? ご飯にする? それとも、私?」
のん気な口調でジョークを言う母は、長い髪を頭の後ろで確りと留め、可愛らしいエプロン姿で守を出迎えた。疲れ切っている守には、その母のジョークにすぐにツッコミを入れることが出来ず、暫し沈黙が漂う。大分間が空き、残念そうな顔をする母は、小さく鼻から息を吐いた。その後、守の荒々しい呼吸だけがその場に聞こえ、母も不思議そうに首を軽く右に傾げる。
そこに、丁度二階から彩が降りてきた。見慣れた制服姿に、右手にはカバンを持っている。髪は綺麗に整えられ、以前より若干伸びた前髪を上げて、デコを丸出しの彩は、可愛らしく笑みを浮かべる。疲れていた守は、一瞬だが誰だか分からなかった。それ程、前髪を上げた彩が新鮮だったのだ。
そんな守の視線に気付いたのか、嬉しそうな含み笑いを見せる母は、その場を静かに去っていった。呆然とする守は、暫し目を丸くしていたが、ゆっくりと目を細めると静かに口を開く。
「水島……」
「な、何よ」
若干の間が空く。
階段の上の彩は、少しだけ緊張した面持ちで守の顔を見つめる。腕を組み、右手を顎に添える守は、僅かに頭を上下に動かすと、ボソッと呟いた。
「結構、デコが広いんだな」
「――なっ!」
何を言われるのかと、少しだけ期待していた彩は、その言葉に愕然とし、米神がピクッと動いた。怒りがこみ上げ彩は、俯き拳を握ると、勢い良く階段から飛ぶ。
「お、おい!」
「この馬鹿!」
「――ヌガッ!」
鈍く痛々しい音が家中に響き、モノが倒れる音がその後に続く。綺麗なフォームで放たれた彩の跳び蹴りが、守の顔にクリーンヒットしたのだ。吹き飛んだ守は、壁へと後頭部を強打し、その場に蹲った。顔面と後頭部の両方に痛みが走り、蹲る守は右手で顔を覆い、左手で後頭部を押さえる。打ち所が悪かったのか、鼻から血が流れ、床へと落ちた。
文字通り、悶絶する守るを尻目に、彩は足早に家を出て行き、蹲ったままの守は、一つ学習した。『デコが広い』と言う言葉が、彩には禁句だと言う事を。
あけましておめでとうございます。
今年初の更新です。
最近、更新が滞っていますが、頑張りたいと思います。
面白い展開になっているのか、自分でも分からなくなって来てますが、面白くなる様に努力したいと思います。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。