第五十二話 パートナー
月下神社でのトレーニングを終えた守は、家へと帰宅していた。
トレーニングでの疲れと、ジリジリと地を照らす日差しに、少しだけふら付く守は、水を飲む為にリビングへと移動する。
「お帰り。何処行ってたの?」
リビングに入ると、ソファーに座りアイスを片手に持つ彩がいた。ここは守の家なのに、随分と寛いでいる彩に、聊か理不尽さを感じる守だったが、気にせず返答する。
「チョットそこまでですよ。それより、母さんは?」
「う〜ん。チョットそこまでだって」
「チョットそこまでと言う事は、買い物かな?」
「多分、そうだと思うよ。買い物カゴ持ってたから」
その言葉に守は目を細める。そう思うなら、初めから買い物に行ったと言えと、思ったがそんな事口が裂けても言えなかった。ため息を漏らす守は、コップ一杯の水を飲み、フロードスクウェアをテーブルの上に置く。アイスを銜える彩は、そんな守の行動を不思議そうに見つめていた。
「な、何? ジロジロと見て……」
「守って、あんまり自分の事話さないよね」
「何ですか、急に」
目を細める守は、少しだけ警戒した様に彩を見る。何を警戒しているのか分からない彩は、不満そうな表情を見せると、不服そうな声で言う。
「そんなに警戒しなくていいじゃない。別に問いただしてるわけじゃないんだし」
『娘。他人の過去を知りたがるのはよくないぞ』
「別に知りたがってるわけじゃないけど……」
少しだけ困った様な顔をする彩。自分でも悪い事だと思ったのだろう。そんな彩をウィンクロードがフォローする。
『彩様は、守殿を心配なさっているのです』
『心配なら、人の過去を知りたがってもいいのか?』
『別にそんな事は……』
『なら、もうこの話はなしだ。誰でも知られたくない過去はある』
やけに説得力のあるフロードスクウェアの言葉。確かに誰もが皆、知られたくない過去を一つ位持っている。守も――彩も――。
暫く沈黙が続いた。時を刻む音だけが聞こえ、静かに時が過ぎる。しかし、すぐに守が口を開いた。明るくいつもの様にマイペースな口調で。
「俺もアイス食べたい」
暑さに我慢が限界だったのだろう。そう呟くと、守は冷蔵庫へと向った。冷凍室を開けた守は、少しだけ浮かれ気分で中を覗く。鼻歌混じりで冷凍室をあさる守だが、暫くして鼻歌が止み冷凍室が閉められた。
『どうかしたのか?』
テーブルに置かれたフロードスクウェアが、異変に気付いたのか、守に声を掛けた。その声に彩は守の方に顔を向ける。そして、守の顔を見て彩は驚き、表情を引き攣らせた。
「ど、どうしたの? そ、そんな顔して……」
『何かあったのですか?』
気になったのか、ウィンクロードも話に加わる。その時、守はその場に崩れ落ち、床に両手を着くと、暗い守の声が聞こえた。
「ううーっ……。俺の……俺のアイスが……」
『――ま、まさか……』
守の言葉を聞いたフロードスクウェアが声を震わせる。その声は彩とウィンクロードにも聞こえた。その為、唖然とした様に守の事を眺めている。彩の冷たい視線を浴びる守だが、愕然と落ち込む守には全く効果はなかった。
「アイス一つで、あそこまで落ち込めるとは……」
『本当に、あの人をガーディアンに選んでよかったのでしょうか?』
「……不安だよ。私も」
彩とウィンクロードは改めて後悔した。守をガーディアンに選んだ事を。
暫く時は経ち、落ち着きを取り戻した守は風呂へと向った。その間、リビングには彩とフロードスクウェアとウィンクロードの三人だけが残った。テーブルの上のフロードスクウェアは、大きな欠伸を一つ。一方、ソファーに座る彩は首からぶら下げた小さな杖のアクセサリーを右手に持ち静かに口を開く。
「最近、毎朝出掛けるけど、何してるのかな?」
『気になるのでしたら、調べますが……』
「でも、さっき過去を詮索するなって言われたから……」
フロードスクウェアには到底聞こえてはいないが、コソコソと話しているのは分かった。
『ヒソヒソと密談か? それなら、俺に見えない所でやるんだな。目障りだ』
荒々しい口調でそう言い退けるフロードスクウェアに、噛み付いたのはウィンクロードだった。
『何ですか! 別にあなたには関係ない事でしょ!』
怒鳴るウィンクロードの言葉を無視するフロードスクウェア。両者の気迫が激しくぶつかりあっているのが、何と無くだが彩にも分かった。その為、困った様に苦笑いを浮かべ、両者の争いを止め様と立ち上がる。
「まぁまぁ、お互い仲良くしようよ。パートナーなんだし――」
『言っておくが、俺は守のパートナーだが、お前等のパートナーではない』
「守が私のパートナーなんだから、そのパートナーのあんたは、私のパートナーでもあるって事でしょ?」
『……?』
彩の言っている事をフロードスクウェアは理解してはいなかった。元々それほど賢いサポートアームズではない。その為、遠回しな言い方などは、大分理解するのに時間が掛かるのだ。
混乱するフロードスクウェアを横目に、こっそりとリビングを後にした彩は、静かに二階へと上がった。
「もう。ウィンクロードは、すぐにフロードスクウェアと喧嘩しないでよ。お互い命を預け合うパートナーなんだから」
『申し訳ありません……。ですが――』
「ですが、じゃない。お互いを信じ合わなきゃ。私は守を信じる。だから、ウィンクロードも――」
「俺が、どうかした?」
彩が言い終わる前に、背後から突如守の声がした。
「へっ? ま、まも――!」
驚き素早く振り返る彩だが、焦りから右足を踏み外した。
「キャッ!」
彩は悲鳴を上げると同時に瞼を硬く閉じる。
『彩様!』
「水島!」
守とウィンクロードの声がほぼ同時に聞こえ、それと同時に階段を滑り落ちる鈍い音が響き渡った。その音にリビングに残されたフロードスクウェアも気付き声を上げる。
『どうした! 何かあったのか?』
先程はあんな言い方をしたが、実際はフロードスクウェアも彩達の事を気に掛けているのだ。しかし、フロードスクウェアの声に返事は無かった。
『何があったんだ? 一体……』
不思議に思ったフロードスクウェアだったが、動く事も出来ない為、静かにそう呟いた。
「あう〜っ……」
階段の下では、守が妙な声を上げていた。
「だ、大丈夫?」
守の体の上で体を起した彩が、心配そうに守の顔を見下ろす。咄嗟に守が庇ってくれたのだ。体を張って。その為、守は背中を激しく階段に強打していた。
「うう〜っ……。どうでもいいけど……重い」
「ふえっ! ご、ごめん!」
彩は大慌てで守の上から退く。痛みに顔を歪める守は、ゆっくりと体を起す。すると、風呂上りでまだ湿った黒髪の先から、雫が数滴零れ落ちた。首から掛けていたタオルを手に取る守は、呆れた様に目を細め、髪の毛を拭きながら静かに口を開く。
「怪我は……無い……みたいだね」
「う、うん。そ、それより、大丈夫?」
少し頬を赤く染める彩は、恥ずかしそうに尋ねた。特に表情を変えるわけでもなく、落ち着いた様子の守は、右手で軽く頬を掻きながら答える。
「全然平気。体は鍛えてるから、これ位なら問題ないよ。それより、何処も怪我して無いよな?」
「う、うん」
「なら、良かった。それより、気をつけてくれよ。打ち所悪いと、結構危ないんだから」
守はそう言い立ち上がると、首の骨を二、三度ポキポキと鳴らし、大きな欠伸を一つ。そして、面倒臭そうな目をして歩き出した。そんな守の背中を見据える彩は、初めて会った時に比べて、その背中が大きくなった気がした。