第五十一話 月下神社
彩が大地と優花の二人と仲直りして数日が過ぎた。
鬼獣も暫くは姿を見せず、平穏な日々が続く。そんな間も、守は朝のトレーニングを欠かさず、月下神社で行っていた。
「うりゃッ!」
『踏み込みが甘い!』
「フンッ!」
『振りが遅いぞ!』
月下神社の敷地の森に、守の威勢の良い声と、フロードスクウェアの厳しい口調の声が響く。始めた頃に比べると、幾分鋭い風音を鳴り響かせる。勢いの良い太刀風が、落ち葉を舞い上げた。
「ハァ…ハァ……」
具現化されたフロードスクウェアを元に戻した守は、タオルで汗を拭き呼吸を整える。重量のあるフロードスクウェアを、三十分も振り回す事が出来る様になったのは、チョットは成長したと言う証拠だろう。
まだ肩で息をする守は、顔を上げ空を見上げる。少しだけ冷たい朝の風が、汗で湿った頬を優しく撫でた。
「はふ〜っ……疲れた……」
『疲れたって……。お前、三十分しか動いてないぞ』
「あのな……。その前にランニングを二時間もやったんだぞ……」
『やりすぎだな。休みだからって、調子に乗るからだ』
フロードスクウェアが当然だろうと、言いたげな声でそう言うと、守は困った様な表情を見せ、ボソリと言う。
「最近、誰かに監視されている気がするんですよ。特に昼休みと放課後。だから、休みの日と朝しかトレーニングが出来無いんです!」
「気合入ってるね。守君」
「はいっ! ……ンッ?」
突然の声に返事をした守だが、その声はフロードスクウェアの声ではない事に気付いた。恐る恐る振り返った守の視線に映ったのは、巫女の格好をした望美だった。驚き慌てる守は、口をパクパクとし、妙な行動をとる。
穏やかな笑みを浮かべる望美は、守の慌てぶりなど、気づいていない様だった。その為、のんびりとした口調で、守に問う。
「他にも声がした様な気がしたけど、守君の他に誰かいるの?」
「い、いない。いないよ! 俺以外誰もいないですよ!」
「そう? う〜ん……。確かに他にも声が聞こえたんだけど?」
不思議そうに首を傾げる望美は、持っていた竹ぼうきに体重を掛ける。冷や汗を掻く守は、引き攣った笑みを望美の方に向け、何とかこの場を誤魔化そうと口を開く。
「の、望美さんこそ、こんな所で何を……しかも、そんな格好で」
「ンッ? 守君、知らなかった? ここ、私の家だよ」
「ヘッ?」
意外な言葉に呆然とする守は、ふと望美の苗字を思い出し叫ぶ。
「うおっ! そ、そうだ! 望美さんの苗字って、月下じゃないか!」
「そうだよ。中学も一緒だったのに、忘れてたの?」
「いや……。同じクラスになった事ありましたっけ?」
「酷いな〜。三年間同じクラスだったのに」
可愛らしい笑みを見せたままそう言う望美に、守は「そうだった」と、小さく呟き右手で額を押さえる。確かに、守は望美と中学三年間同じクラスだった。それに、何度も隣りの席になった事もあり、幾度か言葉を交わした事もあった。しかし、その当時暗く女子生徒と滅多に話さなかった守にとっては、曖昧な記憶でしかなく、あまり思い出せるものでは無い。
複雑そうな表情を見せる守は、腕組みをして必死に望美との事を思い出そうとする。色んな記憶を探るが、結局何の思い出も見つからなかった。
「ゴメン……。中学の時の事、あんまり覚えてない……」
「多分、そうじゃないかって、思ってたから、大丈夫だよ」
微笑む望美にそう言われ、胸に何か鋭いものを突き刺された様な錯覚を覚える。そんな守に優しくのんびりとした口調で望美は言う。
「中学の時の守君って、女子とはあんまり話さなかったから。それに、授業中以外、殆ど寝てたから」
「う〜ん。言われてみれば……」
中学の時から、少しだけ変った性格をしていたのだ。授業はちゃんと受けるが、休み時間は寝る。給食時間は、とりあえずボーッと食事をし、掃除時間はボンヤリと掃除をする。と、言った様に、存在感に欠ける人物だった。きっと、同じ中学の奴に守の事を聞いても、覚えている奴は少ないと、守自身も思っている。
「でも、守君変ったね」
「……そうですか? 基本、中学と一緒ですよ。休み時間は寝て、昼休みはボンヤリ過ごして――」
高校での行動を思い出しながらそう言う守を見て、クスクスと望美が笑う。突然の事に困惑する守は、少しだけ頬を赤く染める。何だか恥ずかしかった。そもそも、女性とこんな二人きりになるという状況だけでも、緊張するのに、巫女の格好をした望美の姿に、更に緊張していた。
頭の中が徐々に真っ白になりつつある守は、この場を何とか切り抜けようと考える。しかし、考えれば考えるほど、思考は停止する一方だ。そんな守に助け舟が来た。
「望美〜ッ」
男の声が、望美を呼ぶ。声質からすると、三十代後半から四十代前半位の男の声だと思う。きっと、望美の父親辺りだと、守は推測する。そして、胸中で呟く。『助かりました。ありがとう』と。
守の気持ちなど全く気付いていない様子の望美は、少し残念そうな顔をし、軽く微笑んだ。
「ゴメンね。父が呼んでるから、行くね」
「う、うん。全然気にしないでいいですよ。行って上げてください」
守は自然と早口になる。正直、これ以上一緒に居ると、本当に思考回路がショートしてしまいそうだったのだ。そうだとも気付かず、望美は少しだけ名残押しそうな顔をして、歩き出す。
ホッと胸を撫で下ろす守は、両肩の力を抜き項垂れる。そんな時、望美の声が戻ってきた。
「そういえば、守君――」
戻ってきた望美の声に、焦った守はオドオドと周辺を走り回る。それを見た望美は、「トレーニングですか?」と、不思議そうに聞いた。トレーニングでは無かったが、守は激しく頷き、「う、うん。トレーニング」と答え、引き攣った笑みを見せ走り回る。
「凄いね。本当に、気合入ってるね」
「う、うん。体、鍛えたいから」
感心する望美に、無理に笑ってみせる守は、その場凌ぎにそんな事を口走った。その言葉に、いち早く反応する望美は、嬉しそうに満面の笑みを見せ口を開く。
「体、鍛えるなら、いい所教えてあげるよ」
「ヘッ?」
意外な言葉に唖然とする守は、言葉を発することも出来なかった。もちろん、守が言うよりも先に、望美ののんびりとした口調が、先に言葉を発したからだ。
「智夏ちゃんの家って、道場やってるんだよ。剣道とか、柔道とか、色々やってるみたいだから、体鍛えるのには最適だと思うよ。私連絡しておくから、この後行ってみるといいよ」
守が拒否する暇も無く、望美はその場を走り去って行った。漠然とする守は、そんな望美の後ろ姿を見送り、「俺に拒否する権利は……」と、呟く。それが、聞こえていたのだろう、フロードスクウェアは小さな声で『無いな』と、言い放った。