第四十四話 トレーニング開始
いつもと変らない静かな朝。
静かな路地には、まだ人気が無い。そんな路地にテンポのいい足音が響く。厚着の格好をした守がランニングをしていたのだ。誰もいない路地を、一人で黙々と一定のリズムを刻みながら。
あの事件以来、守は毎朝ランニングをする様になった。結局、あの時守は何も出来なかったからだ。自分の不甲斐無さを痛感した。だから、守は体を鍛える事にしたのだ。今まで以上に――。
「ふっ…ふっ……」
一定の呼吸法をキープし、守はランニングを続ける。額から溢れる汗は、頬を伝い顎へと流れ雫となり滴れた。
走る事数十分――守は神社の前で足を止める。月下神社と呼ばれ、この町では最も古い歴史のある神社だ。この町には他に三つの神社があるが、ここが一番古いと言われている。だが、三つの神社の中で、最も美しい神社なのだ。
そんな神社の下にいる守は、長い階段を見上げ「ふへ〜っ」と、妙な声をだす。その声に反応したのは、胸元で揺られていたフロードスクウェアだった。
『ランニングは終わりか?』
不思議そうなフロードスクウェアの言葉に、守は腕を組み答える。
「いや……。まだ、終わりじゃないけど……」
『それじゃあ、さっさと終わらせてくれ。毎朝毎朝、こんな早くから起されちゃ堪らんからな』
眠そうに欠伸をするフロードスクウェアに、守は呆れた表情を見せた。そして、月下神社の階段を駆け上る。激しい揺れに驚くフロードスクウェアは、声を上げた。
『な、ど、何処に行く気だ?』
「まぁまぁ。気にすることは無いさ」
『き、気にするに決まってるだろ! もう少し寝かせろ!』
「授業中にいつも寝てるだろ? それに、少し位トレーニングに協力しろよ」
守の言葉に不思議そうな声でフロードスクウェアは聞く。
『何だよ協力しろって? ランニングするだけだろ?』
「何言ってんだよ。そろそろ本格的にお前の使い方を覚えるって、話を昨日しただろ?」
『あ〜ぁ。そんな事を言っていたな。それと、これ何の関係があるんだ?』
不思議そうな口調のフロードスクウェアに、守は笑みを浮かべながら答える。
「何だよ。知らないのか? 修行と言ったら神社は定番じゃないですか。アハハハッ……」
のん気に笑う守に、呆れた様な笑い声を吐くフロードスクウェアは、『普通は山だろ?』と、小さく言った。その小さな声を聞いた守は、怪訝そうな表情を浮かべて、「山って、仙人じゃないんだから」と、首を振り言う。その言葉に、呆れた様に『そうかい』と、呟いたフロードスクウェアは、大きな欠伸をし静かになった。
階段を上り切った守は、腰を伸ばし静かに息を吐く。木々に囲まれ、鳥の囀りが聞こえる程静まり返っていた。真っ赤な鳥居を潜った守は、冷たい空気を吸い込んだ。草木のいい香りに、守は笑みを浮かべる。
「ン〜ッ。懐かしいな〜」
神社内を見回す守は、二つ並んだ狛犬を撫でていた。広々としている境内は、人気も無く葉音が微かに聞こえている。もう一度深く深呼吸をする守は、「よし!」と小さな声を発し、辺りを警戒して、人目につかない場所に移動した。
月下神社の近くの茂みの奥。具現化されたフロードスクウェアを、真っ直ぐに構え精神統一する守の姿があった。眼を閉じ、静かに口から息を吐く。耳に聞こえるのは、鳥の囀りと揺れる葉音、そして風の流れる音。全ての音が消え、頭の中にフロードスクウェアの声だけが聞こえた。
『まずは、上段構えから始める』
「おう! 頼む」
守はフロードスクウェアの指示に従い、重いフロードスクウェアを何度も振るった。上から下へ、下から上へ、右から左へ、左から右へ。何度も繰り返し行われた。体の動かし方、足の移動の仕方、踏み込み方など、様々な事をフロードスクウェアに叩き込まれた。もちろん、これだけの事を叩き込むのに、二週間は掛かった。
守は毎朝のトレーニングの疲労からか、授業以外の時間は殆ど眠っていた。と、言っても守はいつも授業以外の時間は寝ている為、誰も怪しむ者はいない。実際、彩も守がトレーニングをしている事を知らなかった。
「あんたの彼氏は、休み時間は毎回寝てるわね」
何だか不服そうな真弓は、机に伏せて寝ている守を真っ直ぐに見ていた。そんな真弓に対し、苦笑いを浮かべる彩は、「だから、彼氏じゃないってば」と、軽く否定する。だが、それを聞くつもりも無い真弓に、小さな体の唯香が眠そうに欠伸をしながら問う。
「ねぇ……。火野君って、本当に彩ちゃんと付き合ってるの?」
「そりゃもう、アツアツよ」
「ちょっと、真弓……。嘘は良くないだろ?」
明るくハキハキとした口調の梨奈が、真弓を注意する。真弓は黒髪を揺らし、梨奈の方に顔を向けた。そして、不服そうな表情で答える。
「嘘じゃないって! 何言ってんのよ梨奈」
「付き合ってるって証拠でもあるの?」
梨奈と違い少し冷やかな口調の零が、鋭い目付きで真弓を見る。一瞬、ドキッとした真弓は、「そ、それは……」と、口篭った。零のあの眼で見られると、何故かドキッとしてしまう。口篭る真弓に、零は何も言わずにトボトボとその場を去っていった。きっと、図書室にでも向ったのだろう。
呆然とする真弓は、零の背中を眼で追い、教室から出て行くのを確認してから、彩達の方に顔を向け呟く。
「神出鬼没だよね」
と。その言葉に微かに首を縦に振る梨奈と唯香も、呆然とした表情を見せていた。一人苦笑する彩は、三人には聞こえない様な小さなため息を吐く。そして、窓の外をボーッと見ていた。そんな彩に、梨奈が心配そうに聞く。
「どうかしたか? 彩。チョット元気無いみたいだけど」
「へっ? そ、そんな事無いよ」
「そうかな〜? あたしも、元気無さげに見えるけど? それって、気のせい?」
唯香が少し高めの声でそう言う。無理に笑ってみせる彩は、「本当に、何でも無いって」と言うが、真弓が力強い目付きで彩の眼を見て言う。
「彩! 悩みがあるなら、心にしまわないで、私等に相談しなよ」
「う…うん。悩みがあったら、相談するよ」
そうは言ったが、実際相談するなんて事は出来ない。彩の悩みは封術師の事だからだ。そんな事を真弓達に相談できるわけは無い。それは、守にも相談できない事。守に相談した所でどうにかなる様な問題ではないからだ。その問題は、自分自身で解決しなければならない事なのだ。
それから、彩は真弓、梨奈、唯香と他愛も無い話を楽しんだ。
その頃、青桜学園の校門前には、一人の少女の姿があった。長い茶色の髪を風に揺らし、黒いワンピースの少女。その耳にはキラリと金色の水晶の付いたピアスが見えた。そのピアスから、強い殺気が放たれ、青桜学園中にそれが広がる。この殺気に学園内にいる全てのサポートアームズが気付いた。
『これで、良かったのか?』
「えぇ。これで、良いわ」
少女は鋭い眼差しで校舎を見据え、口元に微かな笑みを浮かべた。