第四十三話 赤い眼の男
屋上へと足を踏み込んだ。守と大地の二人の視界には、一人の男の姿が映った。黒の足元まで届くコートに、頭にはフード。そのフードから見える赤と茶の混ざった髪は、風で静かに揺れていた。
フロードスクウェアは、その男の前で床に突きたてられており、男の着ているコートは少しばかり焦げ痕が残っている。そして、そこに鬼獣・武中の姿は無かった。何があったかは分からないが、この男が倒したと言うのは確かだろう。その証拠に、彩は無傷のまま床に倒れている。
「あ…あいつ!」
その男を見るなり、大地が声を上げる。大地の声に、男は振り向く。赤く光る男の瞳。それは、優花と同じ瞳だった。
「あ、あれって!」
『優花と同じ瞳だ!』
「てめぇ! 一体何者だ!」
肩に掴まる守を突き飛ばした大地は、右足を踏み込むと同時にグラットリバーを具現化する。具現化されたグラットリバーは、中指の付け根の方から細長い針の様なモノが突き出ていた。これは、相手の急所を的確に突く為の武器だが、大地にそれだけの技術は無い。その為、大地はこれは相手を殴る為に使っている。
大地に突き飛ばされた守は、フェンスの柱に右肘をぶつけた。表情を歪め、「くっ!」と小さな声を守は吐き出す。そんな守に目も暮れず、大地はグラットリバーの針の先を男に向ける。
「その眼の事……優花の事……ここで全部吐いてもらうぞ!」
大地の力強い言葉に、フードを被ったままの男は、右手を大地の方に向ける。大きく開かれた裾口から、右手があらわになった。薬指には赤い水晶の付いたリングが輝き、手首には蒼い水晶の付いたブレスレットが煌く。右手を開いたまま、男は大地の方に眼をやり、静かに口を開く。
「すまんが、俺は何も知らん」
「そんなはずあるか! 前回と言い、今回と言い、何故俺達の周りに現れる! 大体、その赤い眼は――」
大地がそこまで言った時、視界から男の姿が消えた。そして、耳元で男の声がする。
「俺は……何も……知らん」
「なっ!」
驚く大地だが、男の左手で頭を触れられると、そのまま意識を失った。何らかの力を使ったのだろう。床に倒れこんだ大地の右手のグラットリバーは、具現化が解けブレスレットに戻る。何が起こったのか分からないグラットリバーは、男に対し怒声を響かせた。
『貴様! 大地に何をした!』
「すまん。グラットリバー。お前の主には暫し眠ってもらう。俺も力を使いすぎた。今の状態ではまともに相手は出来んからな」
男が微かに笑みを浮かべたのが分かった。そして、守の方に顔を向け左手を向ける。
「すまんが、お前にも眠ってもらう」
「その前に、聞きたい事があります」
その言葉に動きを止める男は、フードを更に深々と被り、押し殺した声で問う。
「何だ?」
不思議そうな表情をする守は、とりあえず体を起し口を開く。
「その赤い眼は……一体」
「さっきも言ったが、これは俺にはわからん」
「じゃあ。何故、俺達を助けるんですか?」
「……」
沈黙する男は、フードの上から頭を掻くと、静かに息を吐く。何やらめんどくさそうな態度の男に、怪訝そうな表情を見せる守。そんな守の視線に負けたのか、男が渋々と言った感じで口を開いた。
「俺にも、目的がある。今は言えぬが、その内お前達もそれに気付くだろう。それから、フロードスクウェア……。あれは……」
そこまで言って、男は軽く首を振った。
「いや。今はまだ良いだろう。だが、気をつけろ。あれは、お前の思っている程生易しいサポートアームズじゃない」
「それって……どういう意味ですか?」
「何れ気付く。それまでは……」
男の左手が守の頭に触れた。その瞬間、守の意識は遠ざかった。すると、床に突き刺さったフロードスクウェアの具現化が解け、ネックレスに戻る。静かに息を吐く男は、ゆっくりとフロードスクウェアの方に足を進めた。ここにあるサポートアームズ達は意識が無いのか、声がしない。フロードスクウェアも、グラットリバーも、ウィングロードも、誰一人として口を開かなかった。
男はフロードスクウェアを右手に取り、それを守の右手に乗せる。反応は無い。完全に意識を失っている。それを確認し、男は左手の裾に手を入れた。そして、蒼い水晶の付いた指輪を取り出し、中指にはめる。水晶が微かに光を放ち、男は左膝を床に落とし、右手を静かに床につける。
「全てを癒せ」
ボソッとそう言うと、中指にはめられた指輪の蒼い水晶が光を放つ。そして、床に波紋が広がる。それが、校舎全体へと広がり、学園全体へと広がった。波紋が学園全体に行き渡ると、学園内に居た者全ての意識を奪う。それから、破壊された壁、割れた窓ガラス、黒焦げた地面、傷付いた者。全てを癒し修復する。
修復が始まり、男は静かに腰を上げた。額には大量の汗が吹き出て、疲れが表情に出ている。息を整える男は、右手でフェンスを掴み体を支えていた。
『今日は、術を使いすぎだ』
突如、何処からとも無く突き放した様な口調の声がする。その声に対し、左手で頭を押さえる男は、微かに口元に笑みを浮かべ答えた。
「仕方ないだろ……。ゴノーレフォスト」
『仕方ないって、マスターは無茶し過ぎだって』
先程と違い、子供っぽい声が明るい口調で言い放つ。それに、先程の声の主ゴノーレフォストが失笑しながら答える。
『シェイドネリアは何もしていないから、そういえるんだ。こっちの身を考えろ』
微かに男の右手の薬指に付いた指輪の赤い水晶が光る。それが、ゴノーレフォストだ。一方、右手首にあるブレスレットに付いた蒼い水晶が光、先程の子供っぽい声が返ってくる。
『何よ〜。私だって、少し位戦いたいんだから!』
『二人とも。静かに! 誰かに聞かれてたらどうするの!』
今度は美しい女性の声が、ゴノーレフォストとシェイドネリアを注意する。その声に、苦しそうな笑みを浮かべるマスターと呼ばれていた男は、弱々しい口調で言う。
「すまない……。フィリーラン……」
『いえ……それより、お体の方は?』
中指にはめられた指輪の蒼い水晶が輝く。眼が虚ろになる男は、微かな声でフィリーランにだけ聞こえる声で何かを告げる。唇が僅かに動き、フィリーランが光を放つ。
『分かりました。では、早速』
そう言うと、中指にはめられた指輪の蒼い水晶が青白い光を放ち、男の体を水が覆う。そして、その姿をかき消した。
皆が眼を覚ました時、全てが終わっていた。怪我の治療。校舎の修繕。全てが終わり、何事も無かったかの様だった。まるで、全てが夢だったと、思わせている様だ。
そして、夕暮れ時、守は屋上で目覚めた。
「ううっ……あれ?」
体の痛みが無い事を不思議に思う。確かに全身に痛みを伴っていたはずだった。しかし、今は全く痛みは感じず、傷すら消えている。全く何が起こったか分からない守は、首を傾げオレンジ色に染まる空を見上げた。夕日が既に沈みかけており、反対側の空には薄らと月が見えている。
ぼんやりと守は空を見上げ、固まっていた。右手には何故かフロードスクウェアが握られ、あの後一体どうなったのかと、考える。そして、あの男は一体何者なのかと――心の中で問いかけた。