第三十八話 鬼獣襲来
校舎を出て体育館へ向う途中の優花は、ガラスの割れる音に足を止め振り返る。校舎の三階、窓際の教室。そこは彩の教室だ。嫌な予感が脳裏に過る優花は、視線をそこに向けたまま二、三歩足を進める。
彩に何かあったのではないかと、不安になる優花は体育館に行くのを止め、校舎へと引き返そうとした。その刹那、割れた窓ガラスから一体の鬼獣が現れ、腕の中に彩を抱え屋上へと駆けていくのが見えた。割れた窓ガラスの破片が、地上へと落ち澄んだ音を響かせ砕ける。
彩を抱えた鬼獣を見た優花の瞳は、見る見る鮮やかな赤色に変る。
『久し振りに赤い眼の死神だな』
「急ぐわよ」
キファードレイを全く相手にせず、走り出そうとした優花の前に、一体の鬼獣が現れた。黄色の地肌に黒の斑模様が描かれている。そして、鋭い眼球が真っ直ぐに優花を見据え、裂けた口の合間から鋭い牙が無数見えた。その牙は、鋭利で何でも一噛みで噛み切ってしまいそうな程だ。体長は二メートル以上。引き締まった筋肉が表面にはっきりと窺える。
細かな砂塵が風に舞い、優花と鬼獣の周りを包む。周りに人の気配は無い。その為、優花はキファードレイを瞬時に具現化する。すると、優花の周りを風塵が舞い、渦巻く。鋭く鋭利な刃が優花の頭の上に翳され、長い柄の尻が地面に触れる。
「キファードレイ」
『ああ、豹風。属性風の鬼獣だ』
「そう。一撃で決める」
右足を引き、キファードレイの鋭い刃を地面スレスレに構える。柄を両手で確り握り、赤く染まった瞳で豹風を睨み付けた。優花と豹風の視線が激しくぶつかりあい、両者の間に流れる風塵が更に勢いよく舞い上がる。
そして、遂に両者が動き出す。風塵が真っ二つに裂け、豹風の右腕が現れる。鋭い爪が三本。それを確認しつつ、優花は後方に飛び退く。
「がうっ!」
風塵を裂いた豹風の三本の爪は、優花を捕らえられず、地面を抉った。僅かに地響きを起し、爪が地面を裂く音が不気味なほど響き渡る。
綺麗に三つの爪痕が残され、地面には爪痕から亀裂が数本走っていた。
それを見ても、表情を変えない優花は、地面スレスレに構えたキファードレイの刃を勢いよく振り上げる。その風で地面に亀裂が走り、砂塵が二手に別れ舞い上がった。三日月型の刃の切っ先が、豹風の顎に伸びる。
「うがっ!」
大口を開き、牙をむき出しにする豹風は、両足で地を蹴ると、一瞬にして後方に十メートルも飛び退く。その脚力は凄まじく、先程まで豹風が立っていた場所は砕け窪んでいた。両者の距離が離れ、再び静寂の中対峙する。
『チッ、あの野郎! すばしっこい!』
「そうね……。骨の折れそうな相手ね」
『このままじゃ、あの鈍間を助けられないぞ!』
「大地に任せるしかないわね。全力で行くわよ」
静かに息を吐く優花は、目付きを鋭くし、カードフォルダから一枚のカードを抜く。そして、キファードレイの刃と柄の間にある水晶に、それを翳す。カードの情報が水晶の中へと流れ込み、赤い光を放つ。
「炎は大地を貫き燃え上がる」
静かにそんな事を口にする。すると、刃を炎が包み込む。
「がうっ?」
キファードレイの刃を高々と翳し、刃先を豹風の方へと向ける。そして、その刃を振り下ろし、叫ぶ。
「蜿蜒・火柱!」
切っ先が地に突き刺さる。すると、地面を貫き火柱が右へ左へとうねりながら豹風に向って近付いていく。
『燃え尽きな!』
キファードレイの声が響き、火柱が遂に豹風の足元から吹き上がる。轟音が辺りを包み込み、炎が豹風の体を覆いこむ。黒い影が炎の中で大きく揺らぎ、蠢く。その影を真っ直ぐに見据える優花は、キファードレイを持ち上げると、すぐに構えなおす。
『低級呪文くれぇで、倒せるわけねぇな』
「えぇ。次は少し強いのをぶつける」
真剣な眼差しを変えない優花は、カードフォルダからもう一枚カードを抜く。そのカードには、全身を針の様な毛に身を包んだ小動物の姿が映っていた。人差し指と中指の間にそれを挟み、優花は静かにキファードレイの水晶に翳す。
「我、汝を封じし者。今一度、汝の体を解き放つ。我の矛となり戦え!」
優花の足元に風が渦巻き、風塵が舞い上がる。右手の人差し指と中指の間のカードは、光をおび、一瞬にして解き放たれた。
「鬼獣召喚! 炎蝟」
カードは優花の手から消え、優花の前にカードに描かれていた鬼獣の姿が現れる。小さく刺々しい毛並みの弱そうな鬼獣が。
屋上へと向かい走る守と大地は、四階で一体の鬼獣と対峙していた。ヌルヌルの表皮に大きな口。牙や爪などはなく、長い舌が口の中から見えた。体格は守と大地と同じ位で、弱々しい姿に見える。守も大地も既にフロードスクウェアとグラットリバーを具現化していた。
鋭い爪の形のグラットリバーと、両手専用の大剣のフロードスクウェア。二つが並ぶと狭い廊下が更に狭く感じる。その為、鬼獣の近くに立つ大地は、渋々と守に言う。
「てめぇ、先に行け! ここは俺がやる」
大地のその言葉に守は軽く頷く。
「分かりました。ここはお任せします!」
「任せろ。絶対に彩お嬢様を傷付けるなよ。分かってんな」
『俺がついている。安心しろ』
『お前の力が無いから逆に心配なんだよ』
『なんだと!』
グラットリバーの言葉に、怒声を上げる。そんなフロードスクウェアを苦笑しながら宥める守は、大地の方に背を向け階段の一段目に右足を掛けた。そして、背中を見せたまま口を開く。
「俺等では、彩を救う事は出来ません。だから……」
「心配すんな。俺もすぐに追い付く。それまで、時間を稼げばいい」
「何処まで稼げるか分かりませんが、出来るだけの事はします」
『死ぬなよ。ヤバイと思ったら逃げろ。誰かの命を救っても、自分の命を救えない様では意味が無いからな』
心配そうなグラットリバーの声に、大地は少し驚いた。こんなに他人の心配をしたグラットリバーを初めて見たからだ。
守は、僅かに口元に笑みを浮かべる。そして、振り返り右手の親指を立て、大地の方に突き出す。
「大丈夫です! 俺の脚では鬼獣から逃げるのは不可能ですから!」
『って、何自信満々でそんな事言ってんだよ!』
笑う守にフロードスクウェアの鋭い突っ込みが決まる。そんな守とフロードスクウェアの様子に、呆れたため息を漏らすグラットリバー。だが、大地は大声を張り上げ笑う。
「ナハハハハッ!」
『な! 何が可笑しい!』
「確かに、人間の俺達が鬼獣の足から逃げるなんて殆ど無理な話だ」
フロードスクウェアの言葉にそう言い退ける大地は、視線を守の方に向けて真剣な表情で口を開く。
「だがな。逃げる事が不可能なら、どうすれば逃げられるか考えろ。俺達鬼獣と戦う者は、力だけじゃない。知能も必要だ。分かったな」
力強い大地の言葉に、守は白い歯を見せ笑みを浮かべると、「忠告ありがとう!」と言って背を向け階段を上り始めた。
その言葉を鼻で笑う大地は、視線を鬼獣の方に向け、グラットリバーの切っ先を真っ直ぐに鬼獣の方へと伸ばした。
「後輩のガーディアンが怪我をする前に、こいつを倒して後を追うぞ」
『ああ。チャッチャと終わらせようぜ相棒!』
大地とグラットリバーは互いに士気を高め合う。