第三十三話 屋上での一時
静かな昼休み。屋上では守が昼寝をしていた。腹の上に置かれたフロードスクウェアは、守が呼吸する度に上下に動いている。彩にパンを渡した後、守はずっとここで眠っているのだ。ぼんやりと大きな青空を見据えるフロードスクウェアは、黙って辺りの気配を探る。
ウィンクロード、グラットリバー、キファードレイ。それぞれのサポートアームズの気配の中に、時々違うサポートアームズの力を感じた。だが、それが何処からなのかははっきりと分からない。ただ、その力の強大さだけは分かった。そして、絶対に守をそいつに近づける訳には行かないと、思った。
そんな時、大きな鐘の音が響いた。腹の底まで響く様なその音に寝ていた守も飛び起きる。その反動で、フロードスクウェアが床に転がった。
『いって〜! 何しやがる』
「ご、ごめん!」
目覚めたばかりの守は、床に転がるフロードスクウェアを右手に取り謝る。まだ眠そうな表情をする守は、フロードスクウェアを首に掛け立ち上がった。まだ眠り足りないのか、立ち上がると同時にふらつき倒れそうになる。
『オイオイ。大丈夫か?』
「何とか……」
『何とかじゃないだろ。こんな状態で、鬼獣とか来たらどうするんだ?』
「ん〜っ。まぁ、何とかなるよ……きっと」
半笑いの守に、『大丈夫かよ』と呟くフロードスクウェアは、心配そうにため息を漏らす。フロードスクウェアの心配を他所に、大きな欠伸をする守は屋上から立ち去ろうとした。その瞬間、屋上の扉が開かれ、守はその開かれた扉に額をぶつけた。
「はうっ!」
「あっ」
ゴンッと言う音の後に、守の声と一緒にそんな声が聞こえた。蹲り額を押さえ苦しむ守に、扉の向こうにいた人が優しく声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「う〜っ……。もう駄目です」
顔を上げる事無くそう答えた守だが、ふとその声に聞き覚えがあり顔を上げる。そして、守の目に一人の少女の顔が映し出された。それは、守の憧れの皆川 奈菜の顔だ。一瞬で頭の中が真っ白になり、胸がざわめき鼓動を早める。
あまりの衝撃的な事に、守の思考は完全に停止。ついでに意識も停止した。その為、体が後方へと静かに倒れていく。
「エッ! だ、大丈夫ですか!」
いきなり倒れた守に驚きを隠せない奈菜が、慌てて守の体を起す。だが、それは逆効果だった。憧れの奈菜の急接近に、視界は狭まり遂には真っ暗になった。
暫くし、守は意識を取り戻した。傍には奈菜が座っていて、守が目を覚ますと嬉しそうに微笑んでみせる。
「目が覚めました?」
「――ッ!」
驚きのあまり飛び起きた守は、すぐに奈菜との距離をとる。そのままの距離だと、また思考回路が停止してしまう可能性があったからだ。脈が速い。完全に動揺していると、自分で分かるほどだ。
キョトンとした表情をする奈菜は、軽く首を傾げ、右手を可愛く顎に添える。その行動が守の胸を貫き、意識を失いそうになった。だが、それを必死に堪え意識を保つ。
「な、ど、どうしたんですか? もう昼休み終わりですよ」
「うん。そうだね」
「授業始まりますよ?」
「大丈夫! 一時間位サボったって」
ニコッと笑みを浮かべる。その愛らしい笑みが、本当に可愛く守は見とれてしまった。だが、すぐに我に返り言う。
「いや。駄目だよ!」
「でも……。次の授業自習だから……」
「自習でも授業は授業だよ」
「火野君って、結構真面目なんだね。あんまり学校で見かけないから、てっきりサボってるんだと思ってた」
その言葉に守はショックを受けていた。まさか、奈菜にそんな風に思われていたなんて、思っても無かったからだ。落ち込む守は、両肩を落としドンよりとした空気を振りまいていた。それに気付く気配の無い奈菜は、笑顔を振りまき楽しそうに言う。
「火野君はどう思ってた? 私って、真面目で何でも出来る様に見えるかな?」
「エッ? そ、そりゃまぁ……。と、言うより実際なんでも出来るわけですから」
「ううん。そんな事ないよ」
首を左右に振る奈菜は、小さくため息を吐く。そのため息に気付いたのはフロードスクウェアだけだった。いつもの守なら、すぐに気付くだろうが、すでに守に冷静さなど無い。その為、奈菜の小さなため息にすら気付かなかった。
「私にだって、苦手な事は沢山ある。人には言えない秘密だってある。何でも出来る完璧な人なんて存在しないんだよ」
「う〜ん。でも……」
そこで守は言葉を止め振り返る。それに攣られ奈菜も振り返った。二人の背後には一人の教師が立っている。キッチリとした服装に整った髪の男。不適に笑うその男は、社会科の教師大沢 信夫だった。大沢は生徒指導も担当していて、生徒から大分嫌われている先生だ。
「授業が始まると言うのに、こんな所で何をしている?」
「別に……ただ話しているだけですよ」
穏やかに返事を返す守は、両腕を広げバカにした様に首を振る。正直、守も大沢は嫌いだった。何かと守に突っかかってくるからだ。呆れた表情を見せる大沢は、守と奈菜の顔を順に見ると、いやらしく笑みを浮かべる。その笑みに守は背筋をゾッとさせ、軽く身震いした。
「そんな事を言って、本当は不純行為でもしようとしてたんじゃないのか?」
「へ〜っ。それじゃあ、先生にとって屋上は不純行為をする所なんですか?」
ゆっくりと立ち上がる守は、大沢の方に体を向け軽く笑みを浮かべる。心配そうに守の顔を見据える奈菜は、立ち上がると守を止め様とした。だが、それより早く大沢が言葉を発した。
「フッ。口だけは達者だな」
「いえいえ。先生程じゃないですよ」
笑みを浮かべる守は真っ直ぐに大沢の目を見据える。僅かに大沢の目元が震え、額に青筋が浮き出ていた。完全に怒っている様だ。だが、奈菜の顔をチラッと見て、その怒りをかみ殺し口を開く。
「皆川。君は教室に戻れ。もうすぐ授業が始まる」
「あっ、はい。で、でも、火野君は……」
「こいつには話がある。大体、君の様な優秀な生徒が、こんな出来損ないと……」
そんな事をぼやく大沢に、反論しようとした奈菜を守が止めた。そして、耳元で囁いた。
「大丈夫。俺の事は心配ないって」
「でも……」
「さぁ」
ポンと奈菜の背中を押す。そのままトントンと歩いて行く奈菜は、心配そうに守の方に目をやるが、守はニコニコと笑みを浮かべ軽く右手を振って奈菜を見送った。守としては、もっと長く奈菜と一緒にいたかったので、見送るのは辛かった。だが、これもしょうがないと諦めたのだ。
奈菜が大沢の横を通り過ぎ、屋上を去っていった。大沢は、階段を下りていく奈菜が見えなくなるのを確認すると、扉を閉じ静かに守の方に目をやる。落ち着いた様子の守は、笑みを消し真剣な表情へと変る。
「俺に話ってなんですか?」
「調子に乗っている様だな。火野」
「そうですか? 先生こそ、少し図に乗りすぎじゃないですか?」
微動だにしない守のその言葉に、怒りを表面化に表す大沢は、ネクタイを緩め歪んだ笑みを見せる。その瞬間、フロードスクウェアが、殺気と共に鬼獣の気配を感じた。その為思わずフロードスクウェアは声を出す。
『守! 鬼獣の気配だ!』
「――なっ!」
驚きを見せる守は、目付きを変える。