第三十二話 静かで平和な昼休み
三時間目が始まる前。教室にのんびりと守が姿を現した。休み時間の為、生徒達は皆騒ぎあっている。その間を通り抜ける守は、自分の席に着くと大きな欠伸をして机に伏せた。急な眠気に襲われたのだ。頭の中がポーッとして、顔を伏せるとすぐに意識が遠くなった。
そんな守の方を見据える彩は、深いため息を吐き俯く。昨夜、結局あの後に一言も話す事が出来なかった。守も何も聞かなかったし、彩としては複雑だった。その為、ため息が自然と漏れた。
「はぁ〜っ……」
「どうした、どうした。ため息なんてらしくないぞ」
「智夏……」
ニコヤカな笑みを浮かべ声を掛ける智夏に、沈んだ声で返事を返す。その声に、不満そうな表情を見せる智夏は、彩の頭を両手でクシャクシャにする。
「キャッ! な、なにするの!」
「うるさーい! ウジウジ悩むな!」
「な、悩んでなんか無いよ!」
頬を膨らして否定する彩に対し、隣の席でニヤニヤと笑みを浮かべる真弓が話しに乱入する。
「フフフッ。いとしの彼がすぐ寝ちゃったから寂しいんでしょ?」
「ち、違うもん!」
「ンッ? いとしの彼って……あれの事?」
腕組みをする智夏が、チラリと目線と守の方へと向ける。すると、真弓は「そうそう」と、嬉しそうに笑みを浮かべながら頷く。慌てて否定する彩だが、その慌てっぷりが更に怪しかった。それを見て笑う真弓と智夏。可笑しくてたまらなかった。
ムスッと頬を膨らましソッポを向く。苦しそうに腹を押さえる真弓は、目に涙を浮かべながら彩に声を掛ける。
「ごめんごめん……。しかし、あんたはからかいがいがあるわね」
「フンッだ!」
「あ〜ぁ。怒らせちゃったよ」
智夏が笑いながら真弓の肩を叩く。まるで、真弓が悪いと言う様に。
「ちょ、ちょっと! 私が悪いみたいにしないでよ」
「いや。実際、真弓が悪いでしょ?」
「って、あんたねぇ……」
真弓が額に青筋を立てる。そんな中、のんびりとした口調の望美が、のんびりとした足取りで二人の前にやってきた。のんびりと笑みを浮かべ、明るい声で聞く。
「どうかした? 青筋なんか立てて」
「望美〜っ。聞いてよ。智夏の奴が、彩を怒らせたのは私だって言うのよ」
望美に泣き付く真弓に、智夏は「あっ! 卑怯だぞ! 望美を引き込むなんて!」と、叫ぶ。完全に話は違う方向へと流されていっている。その為、呆れた様な表情を見せる彩は、ため息を吐き目を細めた。
何故か二人に巻き込まれた望美は、笑みを浮かべたまま真弓と智夏の顔を交互に見る。何の話をしているのか、まだ分かっていない様だった。
「ど、どうしたの? 二人とも。喧嘩はよくないよ」
「喧嘩じゃないよ〜。一方的に智夏が〜」
「ちょ! 真弓!」
「きゃ〜っ」
「あんた、そんなキャラじゃないだろ!」
智夏の鋭い突っ込みに、望美が「そうだね〜」と、のんびりと呟き軽く笑う。それが、恥ずかしかったのか、真弓は急に赤面し「うるさーい!」と、叫んだ。もちろん、彩と智夏は「あんたがうるさいよ」と、ツッコミを入れた。
静かに笑う望美に、真弓は「笑うな〜」と耳まで赤くして叫ぶ。その後、三人は真弓をバカにする様に笑った。
時間はアッという間に過ぎ、昼休み。
今日は彩一人教室に残っていた。いつもなら、守と屋上で昼食を食べるが、今日は流石に一緒には――。複雑の心境のまま、彩は机に顔を伏せる。空腹で頭がおかしくなりそうだった。今朝はご飯を食べ損ね、昼はお金が無い。その為、只今飢え死にしそうだった。
「う〜っ。お腹が〜……」
『確りしてください! 彩様』
「……駄目。もう……限界」
目の前がグルグルと回り、思考回路がどうかなりそうだった。そんな時だ。彩の頭にビニール袋に入ったパンがぶつけられたのは。だが、その中にはパックの牛乳も入っており、その角が彩の米神に直撃したのだった。
「いったーい! 誰よ! 一体!」
顔を上げた彩の前にいたのは、牛乳をストローで飲む守だった。目が虚ろで、物凄く眠そう。そんな守は、軽く欠伸をすると、眠そうな声で言う。
「水島の分。屋上で待ってたけど、来ないから届けにきた」
「あ…ありがとう」
「んじゃま、誰か来る前に立ち去ります。あっ、それから、さっきのは面白かった」
守はそれだけ言い残すと、フラフラと教室を出て行った。米神を押さえる彩は、守の言った“さっきのは面白かった”と、言う言葉に疑問を抱きつつ、少し胸をときめかせていた。こんなに、守がカッコよく見えたのは、多分初めてだ。
何と無く嬉しくて、笑みを零す彩はビニール袋の中からパンを取り出す。クリームパンと蒸しパンが一つずつ入っていた。お腹が空いていた彩は早速クリームパンを袋から出す。
そして、被り付こうとしたその刹那、背後から視線を感じ恐る恐る振り返る。すると、教室の後ろの戸の方から真弓、智夏、望美の三人が入ってくる。一部始終を見ていたのだろう。真弓と智夏は不適に笑みを浮かべ、望美はいつもと変らぬ笑みを浮かべていた。
「見たわよ。優しい彼ね。購買所で一番人気のフワフワ蒸しパンを買ってくるなんて〜」
「全くだ。昼間っから熱いね」
「ち、違うってば! そんなんじゃないんだって!」
「フフフフッ。そんな言い訳……言っていいわけ?」
冷たい風が吹き抜ける。面白くも何とも無いギャグに、彩も智夏も唖然とするしかなかった。望美はニコニコと笑っていて、あんまり真弓の言ったギャグの意味を分かっていない様だ。意外だが真弓はこう言うつまらないギャグが好きで、時々こう言う風に辺りを寒がらせている。
「そのくだらないギャグとか止めろよな」
「くだらなく無いわよ! 面白いじゃない!」
「いや……。全く笑えない」
「智夏の言う通りだよ」
呆れた様にそう言う彩は、苦笑し首を左右に振る。その態度に真弓が目を細め顔を近づけてきた。あまりの迫力に仰け反る彩は、「な、なに?」と恐る恐る聞く。ニヤッと笑みを浮かべる真弓は、彩の胸を右手の人差し指で突き言う。
「話を逸らそうったって、そうは行かないわよ。フフフフフッ」
「フフフフフッじゃない! って、そもそも話しを逸らそう何てしてないし!」
「まぁまぁ、お代官様。そう言わずに」
「誰が、お代官様じゃ! ってか、そのお代官様の意味は何だ!」
大騒ぎをする彩。茶化す真弓。そして、それを見て笑う望美と智夏。
平和で静かな昼休み。こんな風に皆と笑える事が、彩にとっては嬉しかった。この時が、ずっとずっと続けばいいと、心のどこかで願っていた。だが、そんな時間も長くは続かないと、この時の彩は知る由も無かった。