第二十八話 優花の赤い眼
二時間目――数学の授業。
数学教師の岩村は、黙々と黒板に数式を書いてゆく。生徒の顔すら見ず、黒板と教科書だけを交互に見ながら。
弱々しい顔つきの岩村は、天然パーマでダサい眼鏡を掛けている。その為、生徒からもバカにされ、今では生徒と話す事も出来ず、色々と職員の間でも問題になっている。
それはそうと、今回も半数が眠りについていた。相変わらずのこの様子にため息を漏らす彩は、ぼんやりと窓の外を見る。澄んだ空に薄らと浮かぶ白い雲。グランドでは、生徒達が楽しそうにサッカーをしていた。そんな光景を目にする彩は、詰まらなそうな表情を見せ、深々とため息を吐く。
「今日は、元気が無いわね」
「へっ?」
急に声を掛けられ、声が裏返る彩。そんな彩を見て、「くくくくっ」と、隣の席で口を押さえて笑う真弓。ムスッとした表情を見せる彩は、膨れっ面のまま眉間にシワを寄せる。
そんな彩の顔を見据える真弓は、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべながら口を開く。
「あらら。もしかして、愛しの彼氏が居なくて寂しいの?」
「な、何よ。愛しの彼氏って……」
少し頬を赤く染める彩に、「はは〜ん」と、意味ありげな声をだす真弓。その声になにやら嫌な予感を脳裏に過らせながら、彩は息を呑み込む。
そして、彩の嫌な予感が的中する。
「何言ってるのよ。私達、知ってるんだよ。彩が火野と付き合ってんの」
「うえっ! な、ななな何、言ってんの? わ、私が、何で守と……」
「な〜に誤魔化してるのよ。もう、分かってるんだから。昼休み良く二人で屋上いるの見掛けるし、帰りもよく一緒にいるじゃない」
「フエェェェッ! 嘘、嘘! 何で知ってるわけ!」
そう口にした彩はハッとして、両手で口を塞ぐ。しかし、手遅れだった。ニヤニヤと不適な笑みを浮かべる真弓が、「へ〜っ」と、関心した様な声をだす。やられた。完全なる誘導尋問に、引っかかってしまったのだ。
赤面し顔が燃える様に熱くなった彩は、俯き視線を逸らす。その行動に確信する真弓はゆっくり口を開く。
「こうも簡単に誘導尋問に引っかかるとは、彩も大した事無いわね」
「う〜っ。うるさいよ! もう、授業に集中してよ!」
「またまた。ごまかしちゃって」
「別に、誤魔化してなんかいません! それに、守とは家の方向が一緒なだけです!」
「本当かな〜。目茶目茶あやしーんだけど」
疑いの眼差しを向ける真弓に、引き攣った笑みを浮かべる彩は身を僅かに引いていた。意外と、こう言う時勘が冴え渡る。その為、迂闊に反応すると、何かと勘づかれてしまう。
彩もその事に気をつけ、極力リアクションしない様に心掛けていた。だが、それはあくまで、彩の思い込み。実際は物凄く分かり易いほどの動揺が窺えた。
そんな彩の動揺っぷりが可笑しく、真弓は口を両手で塞ぎながら笑いを堪える。
「クックックックッ。焦りすぎ……」
「あ、焦ってなんか無いもん!」
「まぁまぁ。隠さなくてもいいって」
茶化す様にそう言う真弓は、笑みを浮かべながら彩の顔を見ていた。ムスッと頬を膨らす彩は、「もー知らない!」と、言い放ちソッポをむいた。
青桜学園のすぐ近くの喫茶店。
店内に流れる美しいメロディーを聞きながら、話を進める守と優花の姿があった。
困惑した様子の守は、納得がいかない様子で口を開く。
「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃあ、昨夜の事は、水島が先に仕掛けたんですか!」
「そうよ」
口元に笑みを浮かべたまま、優しく答える優花。だが、その言葉には暖かさなど無い。突き放した様な、冷たい言葉だった。
混乱する頭を整理する守の代わりに、フロードスクウェアが質問する。
『それでは、やはりあの雷撃は――』
「そう……。彩の仕業よ」
『まぁ、あんな雷撃俺様には全く効かないけどな!』
ガラガラでガラの悪い声のキファードレイが、そのまま大笑いする。呆れた様にため息を漏らす優花は、そんなキファードレイを鞄の中に突っ込み、「ごめんなさいね」と、守とフロードスクウェアに謝る。しかし、困惑する守にはその言葉は聞こえておらず、フロードスクウェアが、『気にする事はない』と、静かに答えた。
そして、更に言葉を続けた。
『何故、あの小娘はお前達を攻撃した? 同じ封術師だろ?』
「私と大地は、彩に嫌われているのよ」
『嫌われている? 何故だ?』
「私と大地が、彼女の一家を殺したからよ」
深刻な面持ちでそう言う優花。その言葉に、困惑していた守の表情が一変する。
「どう言う事ですか! それは」
真剣な表情。鋭い眼差し。握った拳の甲には血管が浮き出て、力が入っているのが良く分かる。表情を変えない優花は、そんな守の目を真っ直ぐに見据えたまま口を堅く閉じていた。そして、その優花の黒い瞳が、徐々に赤く染まってゆく。
色鮮やかで明るいその赤い瞳に、驚きを隠せない守。当たり前と言えば、当たり前の反応だ。初めて見た者は誰もが、驚き怪訝そうな表情をする。こんな事には、慣れている優花は少し笑みを浮かべ口を静かに開く。
「驚いた? 初めは皆驚くのよ」
「その眼は……」
「呪い……の様なモノかしら?」
『呪い……だと?』
「そうよ」
不思議そうな声のフロードスクウェアにそう答えた優花は、鼻から息を吐き俯く。
「この眼は、私が四歳の時にある男によって付けられた呪い……」
『ある男? そいつは一体……』
「さぁ? その男の顔を私は知らないわ。そもそも、その当時、私は視力を失っていたから」
『視力を……失っていた? それは……一体……』
「私、生まれた時から眼が見えなかったの」
まるで他人事の様な素振りで話す優花に、ようやく正気に戻った守が口を開く。
「何だか、他人事の様に聞こえますが?」
「そうね。昔の事だからかしら?」
そう言うと、「フフフフフッ」と、含み笑いを浮かべる。相変わらず笑うと可愛らしく、女の子っぽい優花に、ちょっぴりトキメク守は、視線を逸らし問いかける。
「でも、今は見えてるんですよね?」
「えぇ。この赤い眼の呪いを受けたと同時に、眼も見える様になったわ。ただ、初めて見た光景は、思い出したくも無い程悲惨なものだったけど……」
表情を曇らせる優花を見て、不思議そうな顔をする守。普通、初めて世界をその眼で見る時、感動するものじゃないかと、思ったからだ。そんな疑問を抱きながら守は、口を開く。
「人の過去は詮索しません。俺も人にあれこれ過去を詮索されたくないので……」
「そう。私も、自分の過去を詮索されるのは、嫌なの」
「それでは、話を戻しましょう」
「そうね」
そんな二人のやり取りに、『お前ら、人と距離を置くタイプだな』と、フロードスクウェアが呟いた。そんな声など聞こえていない守と優花は、真剣な表情をしていた。呆れたため息を漏らすフロードスクウェアは、『ハハハ……』と、小さな声で笑った。