第二十六話 朝
夜が明けた。
いつも通りの時間に目を覚ます守は、眠そうに欠伸をする。
殆ど寝る事が出来なかった。色々と気になる事がありすぎて。
結局、あの屋上に現れた男が誰なのか、その場にいた誰もが知らなかった。確かに、守には面識があったし、記憶の片隅にあの男の姿が残っていた。それが、いつ出会ったのかは不確かで、薄らとなので、本当にあの男なのかも分からない。
寝不足の為、ぼんやりする守は、ウトウトとしながらベッドから立ち上がる。その際、足元がふらつき転倒する。その音が部屋中に響き、棚の上に置かれていたフロードスクウェアが目を覚ます。
『なッ! だ、大丈夫か? お前!』
「だ……大丈夫」
半笑いを浮かべそう答える守は、ゆっくりと立ち上がり、棚の上のフロードスクウェアを首にかける。心配そうにするフロードスクウェアは、静かに口を開く。
『あのさ。無理しない方がいいぞ』
「大丈夫……。フロードスクウェアが心配する事じゃないって」
無理に笑ってみせる守は、制服に着替えると鞄を持ち部屋を出た。フラフラした足取りで階段を降りる守は、大きく欠伸をすると首をポキポキと鳴らしリビングへと入っていく。
「おはよう。今朝は随分と騒がしかったけど、どうかした?」
優しい笑みを見せる母親に、苦笑する守は右手で頭を掻きながら答える。
「ベッドから落ちただけ。大した事ないよ」
「そう。なら良いけど。無理しちゃだめよ」
「うん。分かってるよ。それより、水島は?」
リビングを見回し、彩がいないのに気付いた。その問いに、母親は困ったような表情を見せる。その母親の表情に首を傾げる守は、椅子に腰掛け鞄を床に置く。ご飯を茶碗によそう母親は、表情を変えぬまま答える。
「それが、今朝は早く学校へ行ったみたいなの。朝食も食べないで、大丈夫かしら?」
その母親の言葉を聞き、「ふ〜ん」と、素っ気無い返事を返す守は、茶碗を受け取り箸で一口ご飯を口に運ぶ。そして、そのまま箸を銜えたまま動かなくなった。暫く沈黙が続き、時計が時を刻む音だけがリビングに響く。
それから、随分と時間が過ぎ、ようやく守の手が動く。茶碗と箸をテーブルに置き、ニコッと軽く笑みを浮かべ、「ご馳走様」と言い立ち上がる。この行動に母親は何も言わず笑顔を向ける。
「いってらっしゃい。怪我しない様にね」
「小学生じゃないんだから、怪我何てしないよ。それじゃあ、行ってきます」
笑顔で返事をした守は、鞄を持ちリビングを後にした。リビングを後にした守を見て、「フフフッ」と、笑う母親は、「男の子は父親によく似るわね」と、呟き嬉しそうに後片付けをしていた。
家を出た守は、急ぎ足で学校へと向う。胸元で揺れるフロードスクウェアは、そんな守に迷惑そうに声を掛ける。
『おい! もっとゆっくり歩けよ! こっちはまだ眠いんだよ!』
「はいはい。そうですか。こっちは急いでるんだよ。少し我慢しろ」
『我慢しろってな……』
「まぁ、学校着くまでの辛抱だよ」
『何で、今日は急いでんだよ。いつものんびりなのに……。こっちの都合も考えろよ』
少し怒った様な口調に、申し訳無さそうに「ごめん」と、守は謝った。すると、フロードスクウェアは少し静かになった。素直に謝られると、何だかこっちも調子が狂う。その為、フロードスクウェアは静かになったのだ。
暫く走り学校が見える位置まで来た守は、赤信号で立ち止まっていた。少し落ち着かない様子の守に対し、背後から落ち着いた様子の声が聞こえる。
「そんなに急いで、どうしたの?」
「エッ?」
振り返ると、そこには昨夜、ビルの屋上で会った少女優花がいた。長い黒髪を微かになびかせ、落ち着き払った目付き。短いスカートから伸びる脚は細く長い。首から下げられたアクセサリーに付いた水晶が日の光を浴びキラリと輝く。
怪訝そうな表情を見せる守は、軽く身構え距離をとる。一応、昨夜の事を忘れたわけじゃない。その為、体が自然とそうさせたのだ。
「そんなに、警戒しなくても」
「昨日の事は忘れたわけじゃない!」
「あら。あれは、彩の方から仕掛けてきたのよ」
穏やかな目つきの優花に、警戒していた守は表情を和らげる。そんな守に優花はニコヤカに笑みを浮かべ言う。
「信号、変ったわよ」
守の横を通り過ぎる。体の向きを変え、道を渡る守は優花の横に並ぶ。不思議そうな表情を見せる優花は、暫く黙って歩く。その横に並んで歩く守も、沈黙を守り腕組みをしている。何かを考える守に、優花に代わってキファードレイが言い放つ。
『てめぇ、何堂々と昼間からストーカーしてんだ! 気持ち悪い!』
キファードレイの声に、素早く反応したのはフロードスクウェアだった。守をバカにされた事に、怒るフロードスクウェアの怒声が響く。
『ざけんな! 誰がストーカーだ! こっちは聞きたい事が山ほどあるんだよ! 黙ってろ』
『んだと! 弱小のサポートアームズが!』
『誰が弱小だ! 調子にのんな!』
二人の声に、歩道を歩く人達は、変な顔で守と優花の方を見ている。それを、特に気にする素振りすら見せない守と優花。二人ともこの状況に慣れているのだ。だが、流石にこのまま騒がれるのはまずいと思った守は、胸元にぶら下がるフロードスクウェアを右手で握り呟く。
「やめろ。フロードスクウェア」
『けど!』
守の右手の中から篭ったフロードスクウェアの声が聞こえる。その声は守にしか聞こえない。取り敢えず、辺りを見回す守は、近くに喫茶店を発見する。
「あのさ。フロードスクウェアの言うとおり、聞きたい事がいっぱいあるんで、あの喫茶店で話をしたいんですが?」
「それって、今じゃないと駄目?」
冷たく冷静な眼差しを向ける優花は、暫し考える。冷静に色々考えた結果、優花は軽く了承する。
「そうね。あなたには、お礼も言わなきゃいけないし、色々言う事もあるんで。いいわよ」
『オイオイ。こんな優男とお茶すんのか? お前も軽い女だな』
「フフフッ。そうかしら? 私はタイプよ。彼みたいな子は」
「なっ! な、なななな」
優花の言葉に慌てる守は耳まで赤くし、口をパクパクとする。ニコニコと悪戯っぽく笑う優花は、一足先に喫茶店へと入っていった。「う〜っ」と喉から声を出す守は、半泣き状態でフロードスクウェアに聞く。
「俺、からかわれてんのかな?」
『いや……。本気かも知れんぞ。意外に……』
「間違ったかな? 誘う人? やっぱ、男の方にした方がよかったかも……」
『もう誘ったんだ。さっさと行くぞ!』
フロードスクウェアに説得され、守は渋々と喫茶店へと入っていった。先に入った優花は、すでに椅子に座り守の事を待っている。肩を落とし重い足取りで優花のいる方に進む守は、優花の向かいの席に座る。そんな守の顔を見る優花は、ニコッと軽く笑みを浮かべた。
「あら。隣りに座ってもいいのよ?」
「い、いいや……。け、結構です……」
「まぁ、可愛らしい反応。大地だったら、すぐ怒鳴るわよ」
「は、ハァ……」
暫し圧倒される守は、戸惑いながらもそう返事する。女性と喫茶店などに二人っきりで来た事の無い守は、やや緊張した表情を見せていた。そんな守の緊張を解そうとしているのか、ハタマタからかっているのか、優花は「フフフッ」と、軽く笑いかけていた。