第二十五話 暗雲 雷撃 疾風 炎
夜の街を駆ける一つの足音。乾いた道路を叩く靴の踵が、音を響かせる。ボサボサの黒髪は、風を受け更に乱れ、衣服も随分と乱れていた。額から流れる汗は、首筋を流れ衣服を湿らせる。口の中が乾き、自然と息が上がっていた。右手で汗を拭い、前かがみになりながら呼吸を整える。
そんな守の首にぶら下がるフロードスクウェアは、落ち着いた様子で守の顔を見据える。焦りが窺える守の表情に、フロードスクウェアは静かに口を開く。
『もう少し落ち着けって。焦っても始まらないぞ』
「分かってるよ。俺だって……」
『じゃあ、落ち着いて考えてみろ。小娘の行きそうな場所を』
「水島の行きそうな場所?」
腕組みをして考える守は、首を捻り唸り声を上げる。だが、よく考えると、守は彩の事をよく知らないと、思う守はため息を漏らし呟いた。
「悪い……。俺、あいつの事よくわかんねぇ……」
『……。だろうな。俺も、そうじゃないかって思ってた』
その言葉に守は目を細め、イライラっとした目付きで首にぶら下がるフロードスクウェアを見据え、「お前……」と、呟く。軽く『ハハハ……』と、笑うフロードスクウェアに、深いため息を吐き守は首を左右に振る。
それから暫く、守は走り回った。不吉な予感を脳裏に過らせながら。
ビルの屋上に階段を上がってくる足音が響く。その足音に黒髪を揺らす大地と優花。誰が来るのか分かっているのか、大地は口元に微かに笑みを浮かべた。ニコヤカな表情を浮かべる優花は、胸の位置に揺れるキファードレイを具現化させる。それと同時に、鉄の扉が真っ赤に光り、金具を弾く音と共に鉄の扉が大地と優花の方に飛んでくる。それを、右手で受け止めた大地は、そのまま床に叩きつけた。その右腕は、具現化されたグラットリバーがコーティングされていた。その為、鉄の扉も軽々受け止められたのだ。
「随分と手荒い歓迎ね」
笑みを浮かべたまま優花が聞く。その声に、壊れた扉の奥から姿を現した彩が肩口まで伸ばした黒髪を揺らしながら口を開く。
「何しにこの街に来たの。ここは、あなた達の管轄外のはず」
「あら、私と大地は本部の指示で、ここに来たのよ」
「本部の? なんで、本部が……」
『てめぇが、鈍間で役立たずだからだろ。キャハハハハッ!』
キファードレイが甲高い声で笑う。呆れた様な表情を見せる大地は、静かにため息を吐き優花の顔を見る。優花も一瞬困った表情を浮かべたが、ニコヤカな笑みをもう一度浮かべ彩の方を見据える。
怖い顔をする彩は、両手に具現化されたウィンクロードを握られており、カードフォルダが開けっ放しになっていた。
『オイオイ。あっちはすでに戦闘態勢に入ってるみたいだぜ』
「どうする? 優花」
「……どうしましょう?」
そう言いながら、優花は笑顔でカードフォルダを開く。その行動に目を細める大地は、「やる気満々じゃねぇか」と、呟くが、それはグラットリバーにしか聞こえなかった。
カードフォルダに手を伸ばす彩と優花。彩の取り出す一枚のカードには、狼電の姿が映り、そのデータが事細かに表されている。それを、杖の頭にある水晶に翳す。すると、水晶がそのデータを読み取り、雷撃が水晶の中に迸る。
「雷鳴は轟き、雷火は一瞬。大気を揺るがし、大地を貫く!」
「大地」
「はいはい……」
大地は右拳を引き、静かに息を吐く。その間に優花はフォルダからカードを一枚取る。そのカードには、巨大な鳥獣の姿が映っており、“風鳥”と名前が書かれている。それを、刃と柄境目にある水晶に翳す。カードのデータが水晶に読み取られ、風が水晶の中を渦巻く。
彩は鋭い眼差しで大地と優花を見据え、ウィンクロードを振り翳す。空には暗雲が立ち込め、それが禍々しく渦巻き、その中で青白い閃光が光る。
「天を裂く雷撃!」
翳されたウィンクロードの水晶から、青白く迸る雷撃が眩い光りを一瞬夜の空に輝かせ暗雲の中へと消えてゆく。それから、少し遅れ暗雲の中から轟々しい雷鳴が腹の底を揺るがす様に鳴り響く。
突然の稲光と雷鳴に、町中は一時大騒ぎになる。もちろん、街を走り回る守も、その雷鳴と稲光に足を止め暗雲の方を真っ直ぐに見据え、フロードスクウェアに話しかける。
「まさか、あれって、水島の仕業じゃないよな?」
『いや……。あれは……封術師の術だな。下級の呪文とは言え、ありゃまずいぞ』
「まずいって……」
『ウィンクロードは基本性質が、水だ。もしあの小娘がこの術を使ったとなると、自分自身にもダメージを受ける事になるぞ』
落ち着いた口調のフロードスクウェアに、守は慌てた様子で口を開く。
「ど、どうして、それを先に言わないんだよ! 急がなきゃまずいじゃないか!」
『いや、だからまずいって言ってるだろ』
「こんな所で、のんびりしてる場合じゃない! 急ぐぞ!」
『急いで間に合えば良いけどな』
「間に合わせるんだよ! 絶対に!」
守は停めてあった自転車にまたがり、力強くペダルを踏む。チェーンの軋む音だけが街に響いた。
だが、そんな守の心配を他所に、翳されたウィンクロードを勢いよく振り下ろす。それと共に、轟く雷鳴が唸りをあげ、眩い光が辺りを包み込む。そして、夜の空に蒼い一筋の光が走った。
轟々しく激しい音が町中に広がり、ビルの屋上が眩く光る。爆発音がその後に聞こえ、暗雲がその波動で一瞬でかき消された。
「うっ!」
落雷したビルの上では、衣服の裾を焦がした彩の姿があり、その周りには薄らと黒煙が舞い上がっていた。そして、その奥に無傷の大地が右手を翳した姿があった。右手は黒く艶やかな物質にコーティングされ、その指先からは鋭い爪が生えている。その右手の周りには、僅かに青白い稲妻が走り、バチッバチッと音が聞こえる。
『いで〜っ。無茶させんなよ!』
「イッ……。俺に言うな。優花にやらされてんだから」
『だからってな……』
「そこ、どいた方が良いわよ」
背後から聞こえる冷たい優花の声に、大地は振り返り「ぎょっ」と、声を上げる。大鎌の刃の周りに、風が渦巻き鋭く甲高い音の響かせていた。それが、優花の長い黒髪を揺らし、目付きが鋭く変る。
「透明な鱗は、触れるものを引き裂き、疾風の如き速く敵を喰らう」
「ゲッ! 逃げるぞ!」
素早い動きでその場を退く大地。そして、優花の視線の先には、座り込み動けない彩の姿が映る。だが、そんな事お構い無しに、キファードレイを振りあがる。
「全てを裂け! 疾風の牙!」
風を纏ったキファードレイが刃を輝かせ振り下ろされる。空を一閃すると同時に、刃を取り巻く風が渦動し、口を開いた龍を描き、その鋭い牙が彩に襲い掛かる。
「うっ!」
目を背ける彩。風は轟々しく重々しい鈍い音を辺りに響かし、大気を激しく揺らす。だが、彩の元に流れる風は緩やかで、頬を優しく撫で黒髪をフワリと靡かせる。その時、起きた爆風は、大地と優花の体を吹き飛ばし、床を激しく揺らした。
「クッ!」
「イッ……。誰だ!」
床を転げた大地は、睨みをきかせ吹き荒れる風の中を見据える。床に幾つモノ傷を残す風が徐々に弱まり、一人の男の姿があらわになった。足元まで長い黒いコートに、頭にはフードを被った男。裾は風に激しく揺れ、フードの隙間から見える赤と茶の複雑に混じった髪が、風を浴び微かに揺れる。
その男の顔を、彩は確認できない。だが、ウィンクロードはその後ろ姿に見覚えがあった。その為、驚いた声を上げる。
『あ、あなたは!』
「な、何? 知り合い?」
『いえ、その――』
「風を呑み込め! 炎舞衝!」
コートの袖から見える右手の薬指に煌く赤い水晶のはめ込まれたリングが光る。そして、まだ勢いの残る風を、炎が一瞬にして呑み込む。燃え盛る炎は、そのまま優花の方へ一直線に向う。
「うっ!」
「優花! くそ! 間に合わん!」
「フロードスクウェア!」
『任せろ!』
向かい来る炎の前に飛び出す守は、両手用の大きな刃の剣を振り翳す。赤い水晶が煌き、振り下ろすと同時に、炎を一刀両断し水晶の中へと吸収する。消え去る炎の奥に立つ男を真っ直ぐ見据える守は、ふとフードの奥に見える顔に見覚えがあった。だが、声をかける前に、男は「戦う相手を間違うな」と、告げ屋上から飛び降りた。