第二十二話 守の母と彩
放課後、すでに生徒のいない教室に守と彩の姿があった。開かれた窓からは、グランドで部活動をする生徒の声が、風に乗って聞こえてくる。そんな活気溢れる部活生達とは打って変わり、教室に残った守と彩の間には、険悪なムードが漂っていた。
そして、この全ての原因は、昼間出会った少年、黒木 大地のせいだ。机の上に伏せ右足を震わせる守。一方の彩も机をシャーペンで何度も叩いていた。両者のイライラが同時に頂点に達したのか、ほぼ同時に立ち上がり叫ぶ。
「くっそ!」「あの馬鹿!」
守の席の椅子は勢いで倒れ、彩の机は立った勢いで前方に倒れる。この二つの倒れる音が重なり、更に大きな音が教室に響く。その大きな物音は廊下まで響いた。守も彩も少し息を荒げ、思いのままに叫ぶ。そんな二人を見据えて呆れるフロードスクウェアは、ため息を吐いた。
その後、思う存分叫んだ二人は落ち着きを取り戻し、自分達の行いを恥じた。冷静に考えると、叫び声は部活生達に丸聞こえだと、知ったからだ。よくよく考えると、いろんな人にその声は聞こえてるし、物凄く恥ずかしい事だった。きっと、明日には笑いものになるだろう。そう思うと、やめとけばよかったと思う。
耳まで赤くして教室を出た守に、数分遅れて彩が教室を後にした。この順番に教室に出たのは理由がある。フラフラとボーッとしながら帰る守は歩くのが遅い。その為、彩が普通のペースで歩いても、守に追い付く事が出来るのだ。
だが、この日は違った。いくら歩いても守の姿は見えず、結局彩は必死に走り、家の前でようやく守の姿を捉えた。
「ちょ、ちょっと! 守!」
「何だよ!」
少々乱暴な口調の守に、彩は圧倒された。その為、その後に言おうとした言葉を呑み込み足を止める。彩の表情に守は、落ち着きを取り戻し、「ごめん」と、小さな声で謝った。それに対し、「だ、大丈夫」と、彩は申し訳無さそうに言う。二人の間に妙な空気が流れ、ギクシャクとする。そんな二人の間に入ったのは、守の母だった。丁度、玄関が開かれ、「あら?」と、明るい声がする。
「二人して、そんな所で何してるの?」
ニコヤカな笑みを浮かべる守の母は、外に出てくるなり、彩の方へと小走りで移動する。母の妙な行動に、守は目を細め呆然とする。それを尻目に、守の母は嬉しそうに彩の右手を両手で握り話を始める。
「今日は、彩ちゃんの好きな物作ってあげるわ。何がいい?」
「いえ……な、なんでも……」
「駄目よ〜。ほら、何でも言って。私が知ってる物だったら、何でも作るから。ねぇ、ねぇ」
ニコニコとはしゃぐ守の母に、苦笑する彩は目で守に助けを求める。守も何とか助け舟を出そうとするが、何度も言葉を遮られた。その為、守は両手を合わせて申し訳無さそうに頭を下げた。困った表情を見せる彩は、『えーっ』と、言いたそうな口をする。しょうがないので、守は口パクで、「適当に言っていいよ」と、言ったつもりだったが、彩には「自分で何とかしろ」と、言っている様に見えた。
そんな二人のやり取り何て気付くわけも無く、嬉しそうな微笑を見せる守の母。その眼差しに、彩は根負けし、ついに口を開く。
「そ、それじゃあ、ハンバーグで……」
「ハンバーグ? 和風? 洋風?」
「いや……」
「任せます」と、言うつもりだったが、守の母の眼差しに自然に「和風で……」と、言ってしまった。その途端、表情が更に明るくなり、「それじゃあ、一緒に買い物行きましょ」と、無理やり右手を引いて歩き出した。逆らう事も出来ず、彩は守に助けを求めながら消えていった。
その光景を見据える守は、合掌し瞼を閉じ静かに頭を下げた。
「すまん。俺には何も出来ん」
『お前の母さんは凄いな』
首から下げられたフロードスクウェアが半笑いしながらそう言う。顔を上げた守は、表情を引き攣らせながら苦笑し、静かに門を開きドアノブに手をかける。そんな守にフロードスクウェアが話しかける。
『ほっといていいのか?』
「ほっとくも何も、俺にはどうする事も出来ないからさ」
『だが、帰ってきてから騒がれるぞ』
「それは……。もう覚悟してる」
『苦労するな』
同情する様にフロードスクウェアはそう言う。その言葉に、守もガックリ肩を落としため息を漏らして家の中に入っていった。
自分の部屋へと戻った守は、私服に着替え椅子に座りノートを広げる。その光景にフロードスクウェアは勉強をしているのだと、静かにしていると、守がシャーペンを回しながら声を掛けた。
「なぁ、サポートアームズって、大体幾つ位あるんだ?」
『さぁな。サポートアームズは、元々幾多の封術師とガーディアンが自分専用に造った物だからな……。今じゃ、造る奴もいないが、昔は一人に二つも三つも持ってる奴がいたけどな』
懐かしそうにそう語るフロードスクウェアに、「だから、どの位あるんだよ」と、フロードスクウェアを見ながら言う。その言葉に、イラッと来たのか、フロードスクウェアは少々乱暴な口調に変わる。
『何だよ。おめぇ、勉強するんじゃないのか?』
「勉強? 誰が、そんな事言ったよ?」
『だって、ノート広げてるじゃないか』
「これは、勉強する為に広げたんじゃないよ。俺って、色々と知らな過ぎるだろ? 封術師の事とか、ガーディアンの事、サポートアームズの事。それに、鬼獣の事。だからさ、知らなきゃいけない気がするんだ」
『ふ〜ん。まぁ、そう言うのに興味持つ事は良い事だと思うが……』
何かを言いかけたフロードスクウェアだったが、廊下を走る足音に言葉を止める。乱暴で大きな足音に、守は表情を引き攣らせ、素早く椅子から立ち上がり窓を開く。窓から脱出を試み様としたが、それより早く部屋の戸が開かれた。ドアノブが壁に激突し、大きな物音を起てその音に守は恐る恐る振り返る。そこには、目尻を吊り上げた彩が立っており、窓の淵に右足を乗せる守に僅かに笑みを浮かべながら問う。
「あら。どちらにお出かけ?」
「いや……。ちょっと、散歩に……」
「窓から?」
「いや……そ、その……」
焦る守に、『諦めろ』と、フロードスクウェアがため息交じりに呟いた。その言葉に守は、涙を浮かべながら「う、うん」と、小さな声で呟く。その声は、フロードスクウェアにしか聞こえなかった。
逃げるのを諦め、窓の淵から足を下ろし床に正座する。覚悟を決めたのだ。そして、守は怒鳴られ、暫く正座したまま長々と文句を言われた。別に彩は守の母の文句を言ったわけじゃない。守に対しての文句を言ったのだ。延々と文句を言われた挙句、足が痺れて守はその後も暫く動けなかった。その為、ベッドにうつぶせに倒れたままフロードスクウェアに問いかける。
「なぁ……。俺、何か悪い事したか?」
『単なる八つ当たりだろ? 気にするなって』
「に、したって、酷すぎるだろ? 二時間も拘束するなんて……」
『全くだな。俺がお前だったら、完全にぶち切れてるな』
「お前は、短気過ぎる……。短気は損気って言葉知らないのか?」
うつ伏せになったまま、フロードスクウェアにそう言うが、怪訝そうな声で『んな、言葉知らん』と、ぼやいた。言うだけ無駄だといった表情を浮かべる守は、枕に顔を埋め「う〜っ」と、声を漏らした。