第九十九話 胸を貫く刃
晃と雷轟鬼の間に立つ守の手から、具現化されたフロードスクウェアが光と共に消滅する。
肩で息をする守が真っ直ぐに雷轟鬼を見据えた。
右拳から血を流す雷轟鬼は、そんな守の視線を見据え、更に怒りを募らせる。人間如きに、その身を傷付けられた事。それが、雷轟鬼のプライドも傷つけたのだろう。
怒りに滲んだその表情に、守の後ろに立つ晃が静かに微笑む。その手に握った刃を逆手に握り、ゆっくりと空へと振り上げる。真っ直ぐ下を向いた刃は、足元に横たわる奈菜の胸に向く形となった。その状態のまま動かず、唇だけを動かす晃は、瞼を閉じ更に刃を振り上げる。
そうとは知らず、両肩を大きく揺らす守は、胸の位置で揺れるフロードスクウェアを握り締め、静かに笑みを浮かべる。堂々として何か考えがある様な、そんな笑みを見せる守に、雷轟鬼も少なからず動揺していた。その動揺を見逃さず、守が右足を踏み込む。同時に行われたフロードスクウェアの具現化。刃が形成されるまで一瞬。直後に切っ先が雷轟鬼の皮膚に触れ、遅れて雷轟鬼の体が回避運動を行う。
切っ先が先程よりも深く入り、胸の中心から右方向へ掛けて、赤い線を描いた。普通の鬼獣なら、きっとこの一撃で終わっているはずだ。だが、雷轟鬼は普通ではない。間違いなく、五大鬼獣を凌ぐ力を持っている。その証拠が、あの回避力。僅かに切っ先を掠めただけで済んだのは、その回避力があったからだ。
フロードスクウェアの具現化が解け、守が膝に手を付く。
「クッ……」
『大丈夫か?』
「平気ッスよ。まだまだ、これからですから」
無理に笑ってみせる守だが、その疲労は相当の物だった。立っているだけでも辛いだろう状況で、具現化を何度も繰り返す。それはもう、守の気力がなせる業だろう。
ふら付く体を支える様に両足に力を込める。意識はまだはっきりしており、守はまだ戦えると判断し、力強く雷轟鬼を見据えた。
そんな守に、声が響く。彩の焦ったような声が――。
「守! 奈菜ちゃんが!」
彩の声が届き、その視線を奈菜の居る方へと向けた。
視線に映ったのは、奈菜の胸に向って切っ先を向ける晃の姿だった。一瞬、思考が乱れる。何が起こっているのか、状況を整理しようとするが、それより先に足音と共に風を切る音が耳に届く。遅れて聞こえるのはフロードスクウェアの声。何を言っているのか理解する前に、守の腹を雷轟鬼の左拳が抉る。
腹部を襲う衝撃が背中から突き抜け、守の体がくの字に曲がり吹き飛ぶ。地面を激しく転げ、動きを止めた守は、咳き込むと同時に吐血する。肋骨を何本かやられ、気力までもをそぎ落とされた。
蹲る守の背後で聞こえる雷轟鬼の遠吠えが、大気を揺らす。震える漆黒の膜が更に震え、今にも裂けそうな勢いだ。
激痛に悶絶する守は、遠吠えの放つ振動に更なる苦しみを味わいながらも、体をゆっくりと起き上がらせる。完全にガス欠状態の守を心配するフロードスクウェアは、守にしか聞こえない小さな声で問う。
『もういいだろ。何で、お前だけがこんなに傷付き苦しみながら戦うんだ。お前は元々、ガーディアンじゃないんだ。戦う必要も無いだろ』
フロードスクウェアの意見は当然だった。だが、守はその言葉に対し、頑なに首を振り続け、苦しそうな笑みを浮かべ答える。
「別に……俺だけが、傷…付いてる……わけじゃない、ですよ。皆……傷付き、ながら……戦い続けてるんですよ……」
分かりきっていた事だった。守がそう答えるのは。それでも、フロードスクウェアには守を止めなければならない。このままでは、間違いなく死を迎える事になるからだ。今、ここで守を死なせるわけには行かない。いや、守はここで死んでいい人物ではない。そうフロードスクウェアは直感していた。だからこそ、フロードスクウェアもそこで退かず言葉を続ける。
『だからって、お前はこんな所で命を落とすつもりなのか! 俺はそんなの認めない』
「な、に……言って……るん、です? 俺は、は、じめから……いの、ちを落とす……気は、ない……ですよ」
『お前、バカか! 死ぬ気は無くても、その体で戦えば、間違いなく命を落とす!』
それでも、守は頑なに首を振り、自らの意思が固い事を伝える。両者の意見がぶつかり合う中で、雷轟鬼の遠吠えが止む。
突如として世界が変わった様に静まり返った。何かの前触れの様な静けさに、その場にいるサポートアームズ全てが、
『守!』
『彩様!』
『晃!』
『愛ちゃん!』
『姫!』
『マスター!』
『お兄ちゃん!』
『まどちゃん!』
『氷神様!』
同時に自らの主の名を呼ぶ。それは、自らの主に危険を知らせるのと、同時にその場からすぐに去る様にと伝えた言葉だった。だが、その場に居た誰もが動かなかった。いや、その場に居た殆どがもう動く気力すら尽きていた。
そして、遂に異変が起きる。漆黒の膜に亀裂が走り、風が漏れる音が町中に響く。漏れると、言う発言は間違っているのだろう。正確には入り込んでいると、言うべきなんだろう。空気が入り、膨れて行く漆黒の膜。これが、破裂した時、果たして町はどうなるだろう。そう考えるだけで、恐ろしくなる。
奥歯を噛み締め、苦しみに耐える守が、右手でフロードスクウェアを掴み、
「やっ、ぱり……俺は、見過ごせない……。誰かが、やら、なきゃ……行けない事、だから」
優しく微笑み、腹部に走る激痛に耐えながらゆっくりと歩みを進める。一歩歩けば血を吐き出し歩みを止め、またゆっくりと一歩踏み出す。歩くたびに腹部の痛みが増し、守の表情も一層険しくなる。やはり、これ以上は動く事は無理と判断したフロードスクウェアは、静かに言葉を発した。
『お前、死ぬぞ。これ以上は無理だ!』
「それでも――」
「キミは、簡単に命を捨てられるんだね」
守の言葉を遮ったのは、晃の声だった。静かだが何処か怒りの篭った声に、守の足が止まる。二人の視線が交わった。穏やかながらも、強い意志と怒りを宿した目が守をジッと見据え、静かな声が更に言葉を紡ぐ。
「キミは随分と周りから信頼されているみたいだけど、キミは何とも思わないのか?」
「……」
「返答しないと言う事は、何とも思ってないと見る。キミは自分の死がどう周りに影響するか、考えた事は無いのか?」
『何が言いたい! ハッキリ言いやがれ!』
晃の声に、フロードスクウェアが叫ぶ。その声に対し、落ち着いた態度で晃が返答する。
「今、キミがやろうとしている事は無意味だ。無駄に命を捨てる事になるだけだ」
「なら……キミが、やろうと、している事は……意味が、ある……のか?」
「そうだね……。少なくともキミのしようとしている事よりは、意味のある事だよ」
『その娘の命を絶つ事が……か?』
フロードスクウェアの言葉に、一瞬晃の表情に陰りが見える。だが、すぐに表情は元の落ち着いた表情に変わり、
「それじゃあ、試してみようか」
と、告げ、振り上げた剣を奈菜の胸に振り下ろす。
「止めろ!」
守の制止に耳を貸さず、刃は胸を貫く。鈍い音と血飛沫が僅かに舞う。目の前の光景に、膝を落とし、項垂れる守。一方、刃を突き立てた晃も膝を落とし、その場で動かなくなった。