初めましての前編
ターフェは極々普通の人間で、一般事務官を勤めている。
クラウル大陸から海を挟んで東、ぽっかりと浮かんだそれ程小さくはないマーカル王国という島国の、王宮に勤める事務官だ。
マーカル王国が島国であるのはある種不便な事であったが、そのお陰様でこの平和も保たれている。何故ならマーカル王国は獣人亜人人間と、種の境なく在る国であるからだった。わかりやすいところで言えば、現王は人狼、王妃は魚人。魚顔の王妃への王のプロポーズの言葉は有名だ。
「一生涯俺の隣で俺の胃袋を刺激し続けてくれえ!」
受けた王妃も王妃である。
ともかく、そんな国であるので、ターフェは職場でも其処以外でも多くの別種と同じ空気を吸って来た。偏見はないつもりだ。
けれど。
「その、私と交際をして戴けないだろうか……?」
流石に、この展開は想像した事がなかった。
***
「えーと、交際ですか」
「ああ」
「友情的な……」
「それは私の種でも聞いた事がないな。注釈を付けるなら、男女交際でお願いしたいのだが」
相手はかなり冷静だった。ターフェはずれた眼鏡を押し戻して、小首を傾げて確認した。ちなみに首はとてつもなく上を向いている。痛い。
「私とですか」
「勿論」
相手は静かに頷く。頷く様も綺麗だし、立っている様も綺麗だ。ピンと張られた尻尾も――、そう、尻尾も。
「私、サーザランディグ=ウェバー=ウォーラは、貴女、ターフェ・ティティとの将来を見据えた真剣な男女交際を望む」
目の前に立った虎頭の武人ははっきりとそう言って、ピンと張られた尻尾を揺らした。
「――という訳でね」
お茶の時間、何の前触れもなしに今日の出来事を相談し出したターフェに、同僚のワナはぶっふぁあと飲み掛けの珈琲を噴出した。
「ウォ、ウォーラ将軍……何という猛者……ッ!」
「え、何が」
「アンタを選ぶとこよ! このいつでも何処でも自分どうでもいい女を!」
「ワナはいつでも酷いなあー」
のほーんと返しながら辺りに飛び散った珈琲を拭くターフェに、ワナは益々頭を垂れた。その頭頂部の綺麗な天使の輪を見ながら、ターフェは件の虎頭の将軍を思い返す。
サーザランディグ=ウェバー=ウォーラ将軍は、マーカル王国軍にある国王直属三軍の内一軍を指揮している。虎頭の獣人だけれど、他に比べてとても冷静で理知的、信頼の置ける上役である。お家柄もよく引く手数多、それが。
「それが、どうしてターフェ?」
同じ様な事を考えていたのだろうワナがひょこんと首を傾げると、正面でターフェも「どうしてかなあ?」と首を傾げ返す。そうじゃない、とワナに小突かれても、ターフェはへろーんと笑むばかりだった。
ターフェは本当に、何の特徴もない事務官である。家柄も別に宜しくない。何せ辺境の人間街の孤児院が実家だ(孤児ではない、孤児院を経営しているのだ)。ま、そのお陰様かターフェはひょほーんとしているけれど芯は強いし思い切りもいい。次いで能力もそこそこあったから、試験を受けて今や中央で下っ端だけれど事務官を勤めている。此処までなら、そう悪い女ではない筈だ。
が、生憎とターフェは外見に構いやしないタイプの女であった。一体いつから使っているのやらわからない古い形の眼鏡をいっつも直し直し掛け、髪はざんばらあちこちに飛んで日に焼けまくり、生活に差し支えると前髪を括っているが所謂噴水状態。服装も全く構わないものだから、仕事以外ではだぼっとした服を適当に引っ掛けて過ごしている。仕事中は「制服があって楽だよねえ」ときたもんだ。勿論化粧っ気があろう筈もない。
こんな女を、どうしてあんな上物が望んで来るのか、さっぱりわからん。
「あー、考えててもわからないもんはわからないね」
「うん……そうね」
無駄な事に時間を使ったとばかりに二人は同時に頷くと、静かに休憩所から退出した。ワナは夜勤だけれど、ターフェは日勤であったのでもう退庁だ。
「じゃ、頑張ってね」
「そっちも気を付けて帰るのよ、変なのに捕まらない様に」
まるで子供の様な心配のされ様に、「何それえ」と笑いながらターフェは広い廊下をゆったりと歩き出した。