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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

息子が彼氏を連れてきた!

雨の前、雨の後(後編)

作者: 滝野 卯月
掲載日:2026/09/20

 こちら本作の後編になります。文字数の関係で前・後編になり、申し訳ありません。

 いきなり副社長から持ち込まれた縁談に振り回される広瀬暁人と彼の恋人・明石実央。周囲の力も借りて何とかこの災難を乗り切ろうとするが…?

   鳩首(きゅうしゅ)会談


「実央君、すげえ…かっけえ」

篤紀が感心して実央の顔をしげしげと見つめる。

「すごくないですよ」

「それにしても実央君がいきなりラスボスに会っちゃうとはね」

さすがの綾乃も驚いている。

「ラスボスかどうかは知りませんけど、向こうから接触してきたんです。仕方ありません」

実央はあっさりしている。

「いやー、1億2億で生活費まで出してもらったら、俺なら心動いちゃうなー」

という篤紀の発言に

「俺も」

と応じたのは岩城である。ここは例によって暁人と実央の家のリビングだ。綾乃の親友アイミも来ている。かなり手狭(てぜま)な状態のうえ、テーブルにはそれぞれが持ち寄った食べ物が所狭しと並べられている。

 実央が一方の重要人物最上光太郎と会って話をしたことで、改めて情報を整理しようという事になったのだ。そして集まった全員が、先日のファミレスでのやり取りの録音を聞いたのである。

「篤紀、岩城さん」

綾乃が厳しい視線を送る。

「…スイマセン…」

「…冗談です…」

二人して小さくなった。

「秘書に任せず御大(おんたい)自ら乗り出したか。敵もいよいよ本気モードだわね」

アイミの指摘に一同頷(うなず)く。

「広瀬家への2か所の揺さぶりも不発、三輪春(みわはる)へのちょっかいも不発、そして実央君との直接交渉も不発…となると残る可能性は2つ」

アイミはちょっと勿体(もったい)ぶった言い方をした。

「2つって…何ですか」

篤紀が聞いた。

「1つはもう見込みがないと覚(さと)って諦める。もう一つはさらに強引な手を打ってくる」

「カンベンしてよー、たかが一サラリーマンが何でこんな事に振り回されなくちゃいけないのよー」

綾乃が頬杖(ほおづえ)をついて嘆いたが、そこへ

「やけに静かだな、広瀬」

岩城が暁人に声を掛けた。

「え」

「いや、お前が一番怒っていいところだろう?お前の大事な実央君に敵が近づいたんだぞ?怒り心頭(しんとう)って感じだろうが」

「怒ってるよ」

「そうか?なんだかニヤニヤしているように見えるんだが」

岩城はさっきから締まらない暁人の表情が気になっていた。


「あー、コイツは多分…」

綾乃はちょっと呆(ほう)けたような弟の顔を見て分析をした。

「録音の中の実央君のセリフに酔ってるんじゃない?『シアワセ~』って顔しちゃって」

その通りだった。暁人は実央が最上に言い放った<僕たちの関係に値段なんか付けないで下さい。僕は暁人さんと別れないし、暁人さんも僕とは別れない><暁人さんと僕の仲は永遠に不滅なんです>等々の言葉や、最上に屈しない実央の強い態度に感動していたのだ。最上の言動にはもちろん腹が立ったが、実央との関係は揺るがないという幸せな気持ちの方が凌駕(りょうが)してしまった。

「『永遠に不滅』は食事会で頂いたメッセージからパクリました」

実央が笑ってそう言った。ちょっと?古い世代だと、プロ野球の歴史の一場面を思い浮かべる人も多いだろう。

「僕一応言葉には気を付けたんですよ。当然相手も録音しているだろうと思ったから、カッとなって暴言とか吐いちゃったら後で揚(あ)げ足を取られかねないでしょう?」

実央はそう言ったが、一同は内心思った。

(確かに暴言は吐いていないけれど、実央君けっこうキツめの事言ってるよね…)

と。

「それにしても愛人でOKって発想がすげえな(正直俺なら社長令嬢と結婚できて本命は愛人として付き合っていいよ、なんて言われたら喜んでお受けしちゃうけどな)」

岩城が缶ビール片手にそう話す(※つくづくこの男はこういうところがクズです)。

「岩城さんはさあ、今副社長付きなんでしょ?兄貴の事でなんか言われたりしないの?仲がいいって知られてるだろうし」

篤紀が岩城の方を向いて尋ねた。

「あー、まあ、1回聞かれたけれど…」


—岩城、ある日の回想—

「岩城君は広瀬君と親しいらしいな」

「はあ、そうですね。採用面接のグループが一緒で、最初の配属先も一緒で縁があったので」

「彼の恋人の事も知っていたのか?」

「ええ、初(しょ)っ端(ぱな)聞かされてますから。社内に広まる前から知ってますよ。以来ずーっとノロケを聞かされてばかりです。勘弁してほしいですよ、まったく」

岩城は苦笑いして副社長に答えた。今回の件で言動には気を付けるようにと金沢から注意されていたが、岩城はあまり意に介していなかった。副社長の秘書とは言っても(仮)(カッコかり)で金沢との2人体制だし、暁人の事があったので特別遜(へりくだ)って気を遣(つか)うつもりもなかった。

(広瀬を振り回す狸親父にへいこらしてられっかよ)

岩城の本心を知ってか知らずか、

「友人の君の言葉なら彼も耳を傾けるんじゃないかね。君も男ならこの先何が大事になるかわかるだろう?友人の出世は君にとっても悪い話じゃないだろう」

副社長は口元に笑みを浮かべながら、岩城に向かって言った。

(はあ!?このオヤジ俺を懐柔(かいじゅう)して広瀬をモノにしようとしてんのか?冗談はよしてくれよ、広瀬をどこぞの社長令嬢に持っていかれるくらいなら俺が頂くっての)

岩城は内心呆(あき)れたが、顔は平静を保って

「いやー、俺も…私も彼には恋人との事で口を出したりしましたけれど、全く動じないというか、もう恋人一筋で…あいつを動かすのは相当骨が折れると思いますよ(何本骨を折っても、動かないだろうけどな)」

と答えた。副社長はあからさまに不機嫌そうな表情を見せ、横を向いてしまった。

—岩城、ある日の回想 終わり—


 岩城は以上の場面をかいつまんで一同に説明した。

「岩城、大丈夫か。俺を庇(かば)ってくれるのは嬉しいが、程々にしておけ。前にも言ったが、お前の立場まで危うくしたくはないんだよ」

暁人が自分の身を心配している事に岩城は小躍りして喜びたい気分だったが、そこは抑(おさ)えておいた。

「それにしても実央君、社長令嬢がこの話に前向きだって思ったのはなんで?」

綾乃が率直な疑問を口にした。

「そう言えばそうだな」

岩城も実央を見る。

「なんでって…普通社長令嬢ともなれば、縁談が持ち込まれる相手は社長令息(れいそく)とか政治家関係とか官僚でも結構立場の上の人とか…その他でも思い浮かぶのは、やり手の弁護士や病院経営者なんかじゃありませんか?」

実央が首を傾(かし)げながら話す。

「そりゃあ暁人さんは素敵な人ですよ。かっこいいし頭もいいしスポーツは万能、仕事もできて性格も真面目で優しいし。お父さんは重役でおうちも立派です。でもまだ社会人としてはベテランとは言えないし、役職についているわけでもない。将来有望な若者の青田買(あおたが)いだとしたって、最上重工業のような大企業のご令嬢との結婚だなんて、いくらなんでも突飛(とっぴ)すぎますよね?」

「確かにそこは最初から引っかかってるところよね」

綾乃も同意する。暁人はまた実央が自分の事を色々褒めてくれたので、鼻の下が伸びている。もうちょっと危機感を持て、広瀬暁人。

「話している時に、最上側ではすでにこの結婚話が確定事項になっていると感じました。暁人さんと…一花さんでしたっけ?二人の結婚前提で僕に話をしてきたんです。つまり当然一花さんもこの縁談を知っていて、了承しているという事です。だってもし僕が彼らの条件を呑(の)んだ後に一花さんが『一介のサラリーマンとの結婚なんてイヤ』とか言い出したら、元も子もないじゃないですか」

一同顔を見合わせた。実央の言う通り、最上一花はこの縁談に不服はないという事になる。実央は続けた。

「僕は大企業同士の事情とかは分からないけれど…あ、大学で学んだ程度の事はわかりますが、裏側までは計りかねます。大室副社長と光太郎氏が結びつく事にお互い何かメリットはあるんでしょう。でもその話は『一花さんの同意』が大前提になっていると思います」

「なるほどね、でも実央君、また敵が接触してきたらくれぐれも気を付けてね。今回はファミレス指定で正解だったわ。料亭なんか行っていたら大変だったかも」

綾乃が「うんうん」という風に頷いて話す。

「?どういうことですか、お姉さん」

「一服盛られるかもしれないからよ」

「一服…?」

実央は不思議そうな顔をする。

「姉さん!またそんな話を…」

暁人が止めに入ったが、綾乃は構わずに続けた。

「媚薬(びやく)よ、媚薬。大変な事になったかもよ」

「び…?お姉さん前にもそんな事言ってましたけど…」

「実央が媚薬を飲まされてどうなるっていうんだ!」

「いや、それは…(BL的にとても興味深い展開に…)」

綾乃は明言を避けた(というか、口に出すのは憚(はばか)られる内容だった)。

「お前の姉さん、やっぱり面白いな広瀬」

憤慨する暁人を宥(なだ)めるように、岩城が笑った。


「実は…ちょっと不確かな情報ではあるんだけど…」

実央の話を受けてアイミが口を開いた。

「最上の社長も大室の社長と同様、今体調不良で静養しているのは知ってるわよね。最上兄妹(きょうだい)の母親は早くに亡くなっていているらしいの。それで光太郎氏は歳が離れている事もあって、妹の事をだいぶ可愛がっているというか大事にしているらしいのよね」

「え、シスコンて事?引くんだけれど」

綾乃は「うへえ」という顔をする。

「案外今回の騒動の根っこは単純なのかも…そこに会社の思惑とかが乗っかったんじゃないのかしら」

アイミの推測を受けて

「広瀬、もう一度よく考えてみろ。お前どっかで社長令嬢に愛想(あいそう)よく親切振りまいてないか?」

岩城が再確認したが、

「だから知らないって、会った事ないし」

暁人は断言する。

「『シスコン』か…うちには縁のない言葉だな」

「篤紀、なんか言った?」

「ナンデモアリマセン…」

「大室副社長の方は子供がいないって事は知ってると思うけど、夫婦仲はかなり冷え切っているらしいわ。元々政略結婚みたいな感じだったらしくて。自分に息子や娘がいたなら当然手駒(てごま)にしたでしょうけれど」

アイミの話に

「いい迷惑ですよ」

暁人は仏頂面(ぶっちょうづら)をする。

「あとね、近いうちに最上は創立記念?みたいなパーティをするらしいわ。豪勢な事ね」

アイミが追加の情報を出してきた。

「そういうのは俺らみたいな下っ端(ぱ)には関係ないよな。出席するのは重役とかある程度の役職の人だろ。岩城は副社長の秘書として同行するかもな」

暁人が言うと

「どうだかな、金沢さんが行くかもしれないし」

岩城もあまり興味がなさそうだった。

「それよりアイミ、そういう情報また探偵さんに聞いたの?費用がけっこう掛かってるんじゃないの?」

綾乃が心配そうにアイミに聞いた。

「えー、大丈夫だよ、暁人君たちには日頃(アイディア出しで)お世話になってるし、恩返しみたいなものだから」

そういうアイミの言葉に

「いや、俺たちアイミさんと会った回数も多くないし、お世話なんて何も…」

暁人が恐縮して立ち上がったが、

「気にしないで、仕事柄こういう話もネタ…じゃなくて、参考になるからウィンウィンだと思ってよ。それに日頃お姉さんには助けられてるからね」

「…そうなんですか?」

暁人は綾乃の方を見たが、綾乃は大きく「黙っとけ」という感じで頷いた。

「それよりさあ、実央君の作ったおかず、何かないの?出来合いばかりじゃ味気なくて」

また綾乃の図々(ずうずう)しい一言が出た。

「はあ!?姉さん、また何を言い出して…」

暁人が呆れて遮(さえぎ)ろうとしたが、

「おかずですか…?すぐ出せるのは昨日突き蒟蒻(こんにゃく)と練り物と野菜で作ったきんぴらと…少し前に始めたぬか漬け、漬かってるかなあ」

実央が正直に答えてしまった。

「いいわね、ぬか漬け始めたんだ、きんぴらも頂戴ね」

「きんぴらは俺の明日の弁当に入れてもらおうと思ってたのに…」

「小さいこと言ってんじゃないわよ暁人、社食の定食でも食べときなさい」

綾乃は容赦(ようしゃ)なかった。


 一同で食事をしながらまた話を始めたが、

「ねえ、綾乃」

アイミが小声で話しかけた来た。

「なあに?」

「実央君、なんか雰囲気変ったんじゃない?」

「えー、まあそりゃあこれだけの事が次々起これば、逞(たくま)しくもなるんじゃないの?」

「逞しく…確かにそれはそうなんだけれど、それだけじゃなくて…」

アイミはなかなかうまい言葉が出てこなかった。

「私実央君てマシュマロみたいな子だなって思ってたんだけれど…」

「なにそれ、面白過ぎ。今は?」

「…折れないポッ〇―?いや、違うな、ブランデーチョコ?」

「いやいや、わけわかんないよアイミ、折れないポッ〇―とブランデーチョコって…全然違うし実央君のイメージじゃ…」

理解できない親友の発言に笑いながら、綾乃は暁人の隣で微笑(ほほえ)む実央の姿を覗(のぞ)き見た。


   雨夜のパーティ


「どういう事ですか!」

暁人は広報部長の鍵山に食って掛かった。

「なんで私が最上重工業の創立記念パーティに出席する事になるんです!」

上司に対するにしてはかなり強い口調だった。

「いや…その…そのパーティは重役だけではなく、何人かの部長クラスも出席する事になって…」

何人かというのは、広報部のみ出席にすると不自然だからだろう。

「それなら鍵山部長が出席なさればいいわけですよね」

「それが…当日はちょっと都合が悪くて、代わりに広瀬君に行ってもらおうかと…」

都合が悪いというのは言い訳だろう。副社長から圧力がかかっている事は容易に想像できた。

「それなら広報部2年目の自分ではなく、下井(しもい)係長が行かれるのが順当だし、他にも林さんたちベテランが」

「し、下井君も都合が悪いらしくて、申し訳ないけれど…」

鍵山部長は悪い人ではないが、上司に楯(たて)突けるほどの気骨(きこつ)はない。副社長に命じられれば従わざるを得ないだろう。

「行く必要ないです、広瀬さん」

横から紗弓が口を出した。

「どうしてもというのなら、私が出席します。広瀬さんより私の方が広報部歴は長いですから、問題ありませんよね、部長!」

「いやその…男性社員でないと…」

「まあ!今時男女差別ですか?最上重工業ってずい分時代錯誤(さくご)な会社なんですねえ!!」

「し、城下君…」

これ以上話していても埒(らち)が明かないと暁人は思った。副社長も最上もどうしても自分を引っ張り出したいのだろうとわかったからだ。

「ありがとうございます、城下さん。大丈夫です」

暁人は紗弓に笑顔を向けた。

「広瀬さん…(ああ、スパダリ攻め様の笑顔…尊いわ…)」

「分かりました部長、私が伺います。副社長にそうお伝え下さい」

「ひ、広瀬君…」

鍵山部長は副社長からの指示だと口にしたわけではなかった。だがそんな事はお見通しだと暁人は言いたかったのである。

 暁人は腹を括(くく)った。実央だって先日最上光太郎と直接対決して一歩も引かなかったのである。自分もこの辺ではっきりさせないと、いつまでも面倒な事が続いてしまう。相手がどう出てくるかはわからないが、縁談の話をされたらその場ではっきりと断ればいいだけだ。


 パーティが数日後に迫ったある日、岩城は金沢と秘書室で向き合っていた。

「金沢さんは俺に恩がありますよね?」

「ええと…」

金沢は困ったような顔をする。

「8月の広瀬家明石家の食事会、どうしても出席したいから俺に口を利(き)いてくれと頼みましたよね。それで俺は自主的に金沢さんに声を掛けた事にして、広瀬に話を通しました。そうですね?」

「そ…そうだったわね…」

「じゃあその恩をぜひここで返して頂きたいんですが」

「……(汗)」

岩城が金沢を脅迫…じゃなくて、金沢に無理なお願いをしているのには訳がある。数日後の最上重工業創立記念パーティーに暁人がなかば強制的に出席させられると知ったからだ。パーティなんぞに興味はなかった岩城だが、暁人が出席するとなれば話は別だった。

(絶対何か仕掛けてくるはず…)

だが当日秘書として同行を仰せつかったのは金沢だった。岩城も金沢も社内では暁人と親しい人物だったが、金沢の方が御(ぎょ)しやすく無難だと副社長は思ったのだろう。

「当日ちょーっと体調不良になって頂ければいいんですよ」

岩城は張り付いたような笑顔で金沢に迫った。

「い、岩城君…(コワイ…)」

「聞いて頂けますよね、それとも金沢さんは食事会でタダ飯タダ酒食らって広瀬と実央君の仲を祝福したのに、広瀬がどこぞの社長令嬢と結婚しちゃってもいいんですか?」

その時秘書室にいたのは二人だけで、ほぼ壁ドンに近い体勢になっていた。

(俺が絶対に広瀬を守る)

岩城の中には使命感のようなものが湧(わ)いていた。暁人を守る事は実央を守る事なるのだが、そこはあえて考えないようにした。

「わ…わかりました…当日私は風邪をひきます…」

金沢は横を向いてそう言った。岩城はにっこり微笑んで

「ありがとうございます。当日はお大事に」

そう金沢に礼を述べた。


 最上重工業(株)創立記念パーティ当日はあいにくの雨だった。高級ホテルの大広間を借り切っての催しは近頃では珍しい、豪勢なものだった。

「特に節目というわけでもなし、社長も療養中というのに景気がいいですな」

そんな囁(ささや)きが、来客たちの会話から聞こえてくる。岩城は副社長とともに社用車でホテルまで乗り付けた。当日の朝になって金沢から「体調不良で熱が出たので同行できない」旨(むね)の連絡があり、急遽(きゅうきょ)(というか予定通りというか)岩城が副社長のお供となったのだ。

「おとなしくしていろ」

車を降りる時、副社長はそう言って岩城に釘を刺した。二人はドアマンに案内されて会場に赴(おもむ)く。

(そっちが何もしなけりゃ、おとなしくしてるさ)

岩城は内心そう思いながら副社長の後ろを歩いて行った。会場に入ると広く明るい空間が開け、壁側には高級食材を使ったと思われる料理の数々が並び、たくさんのテーブルが用意され、飾られた花の他に届けられたお祝いの花々がフロアから出入り口・廊下にまで並べられている。フロアはすでにセレブたちの社交場となっていた。色とりどりのドレス姿の女性たちに、タキシードやら高級そうなスーツに身を包んだ男性たち。開始を待つ間にあちらこちらで挨拶やおべんちゃらが飛び交(か)っている。

(普通なら縁のない別世界…広瀬はまだ来てないか。そりゃそうか、来てもぎりぎりだよな)

岩城は辺りを見回した。


 一方その頃暁人と実央のマンションでは—

「ごめーん、また来ちゃったー」

いつもの快活な調子で綾乃が篤紀を引き連れて玄関に入ってきた。

「…いらっしゃい」

苦笑いして実央が迎える。例によってのアポなし訪問だ。

「これ差し入れね、あ、今日はデパ地下のお惣菜(そうざい)だけじゃないわよ、お母さんが煮物を持たせてくれたから!」

綾乃は得意げに話すが、自分が作った物を持って来た事はまだない。

「ありがとうございます。お母さんの煮物美味(おい)しいから嬉しいです。僕はまだこの味ができなくて…」

「いやいや、実央君のだって十分美味しいわよっ…て、土曜日なのに暁人はいないの?」

「ああ、今日は広報部でお世話になっている会社の記念パーティだそうです。なんかいつも以上にカッコよく、ビシッと決めて出かけて行きましたよ」

「ふーん、そうなんだ…」

実は暁人は今日最上のパーティに行く事を誰にも話していなかった。岩城にも口止めしていた。終わった後に報告するつもりでいるのである。実央に余計な心配は掛けたくなかったし、下手に綾乃に知らせると何をするかわからないので黙っているのである。

「アイミが新しい写真を手に入れたから見せに来たのに」

別にPCやスマホで送ればいいのだが、わざわざ来るところが綾乃である。

「写真?」

「そうそう最上一花の写真。あれっ、実央君見てなかったっけ?前に咲さんがくれたやつ」

「見てないです」

「姉貴、ほら、あの日は実央君が星空観測会とかで留守だったとか言ってなかった?」

篤紀が横から口を出した。

「星空…ああ、天文部の泊まり込みの観測会ですね。僕が駆(か)り出された部活動の」

「暁人は実央君に見せなかったの?ここに置いていったのに」

「…はい」

「見せたくなかったのかしらね、ホラ、これ。前のはスマホに入っているし」

「ああ、キレイな人ですね…あれ?この人…」

実央は改めて今日綾乃が持ってきた写真と、スマホの中の写真を見比(くら)べた。

「この人、確か…」

「えっ、実央君最上一花を知ってるの!?暁人は見た事も会った事もないって言ってたわよ!?」

「いや、一花さんを知っているというより、この写真の女性に見覚えがあるんです」

実央の意外な言葉に綾乃と篤紀は顔を見合わせた。


 再びホテルの会場に場面を移すと、更に人が増えて賑(にぎ)わっていた。開始15分前くらいになって、岩城はようやく暁人の姿を入り口付近に見つけた。

「広瀬、こっち…あれ、大野さんも一緒ですか?」

岩城は暁人の隣いる大野の姿に目を留(と)めた。

「よう、盛況(せいきょう)だな。今日は佳山(かやま)部長の代理で来たんだよ」

「代理ですか?」

「部長が出席する予定だったんだけれど、奥さんの身内にご不幸があったらしくて来られなくなった。急遽俺をねじ込んでもらったってわけだ。俺もあれから役立つ情報を仕入れられていないし、気になったから」 

「ねじ込むですか」

岩城は笑った。鍵山部長のように曖昧な理由ではなかったようだ。

「ありがとうございます。心強いです」

暁人が礼を言う。

「佳山部長も今回の件では広瀬の事を心配してるんだよ。まあ俺近々係長に就(つ)く予定だから、無理でもないだろ?」

大野の言葉に

「「えっ、おめでとうございます」」

暁人と岩城が同時に言った。

「ありがとな、それより岩城、お前副社長に付いていなくていいのかよ」

大野が心配すると

「いいんですよ、ここに来てからずっとあっちの重役、こっちの有力者と渡り歩いてお世辞並べて顔繫ぎに必死なんですから。俺がいてもかえってジャマでしょう。こっちだってあんなのに付き合ってられませんよ。政治家の資金集めのパーティってこんな感じなんですかね」

と、岩城はにべもない。

「お前、よく同行できたな、金沢さんじゃなかったのか」

暁人の問いに

「金沢さんは急な発熱で」

岩城は笑ってそれだけ言った。

「…にしても、二人とも今日は一段と決まってるな。俺お前らの隣に立つのイヤだわ」

大野がしげしげと暁人・岩城の二人の姿を眺(なが)めて感心した。高身長でモデル並みのビジュアルの二人がタキシードではないにしろ、いつもよりも高級なスーツに身を包んで並び立つ姿はなかなかに壮観(そうかん)だった。会場には若い女性はちらほらいるが(コンパニオン除く)、男性は40代以上が多い。どこぞの社長令息なのか若い男性もいないではないが、まあ普通だった(見た目が)。20代と思(おぼ)しき男性はあまり見かけない。

 暁人たちは会場の入り口付近、端の方に立っていたのだが、それでも彼らに視線を送る人間、特に女性は少なくなかった。聞こえよがしに「メンズコンパニオンを呼んだのか」と皮肉る声も聞こえてきた。

「俺たち目立っちゃってるなあ、おっ、始まるみたいだぞ」

岩城の声を合図に3人は会場正面に目を遣(や)った。


   どさくさ紛(まぎ)れ


「本日はお忙しい中、また雨でお足元が悪い中弊社(へいしゃ)最上重工業(株)の創立記念パーティにお運び頂き、誠にありがとうございます。現在静養中の弊社社長最上弥之助(やのすけ)に代わり、代理を務めさせて頂いております私(わたくし)最上光太郎が心より御礼申し上げます」

会場正面最奥の一段高いステージから、最上光太郎が出席者に向けて謝意を述べた。一斉に拍手が沸(わ)き起こる。それから暫(しばら)く会社の歴史やら功績やら型通りの挨拶が続いたが、

(うわ、むずがゆ、聞いてられねえわ)

岩城はそんな事を思いながらステージの方を見た。挨拶をする最上から少し離れた所に紺色のタイトなドレスを着た若い女性が立っていた。

(あれが最上光太郎で横に立ってるのが…多分最上一花か。へえ、美人じゃん。さすが社長令嬢、ゴージャスな雰囲気だね)

岩城は素直に感心したが、その最上一花の視線がこちらに向いている事に気が付いた。

(こちらっていうか…広瀬を見てるんじゃねえか?)

そう思って横にいる暁人を見てみると、視線はまっすぐ最上光太郎に向けられていた。睨(にら)んでいると言ってもいい。

(あいつが最上光太郎…実央と差し向かいでファミレスで話したっていう…)

どうもこの男の脳内では、この期(ご)に及んでも「最上光太郎は俺の知らないところで実央に勝手に近づいた男」以上でも以下でもないようだった。少し自分の身の上の方を心配した方がいい。

「ご挨拶は以上になります。本日は取引やら契約やら無粋(ぶすい)な話は抜きにしてご歓談(かんだん)下さい。お席の指定はございませんので、皆様どうぞご自由にお使い下さいませ。お飲み物等の追加は係の者にお申し付け下さい」

そう言うと最上は一礼して、拍手の中ステージを下がった。

 「ご自由に」と言ったところで、序列(じょれつ)は自然に決まってくる。そして結局は「無粋な話」がメインになる。岩城は一応副社長に「離れておりますので御用の際は携帯でお呼び下さい」とだけ伝えに行った。当然ながら秘書として専用の携帯は持たされている。

「大室さんの秘書はずいぶんと男前ですなあ」

同じテーブルの年配男性が声を掛けた。

「いえいえ、気の利(き)かない男でして」

謙遜(けんそん)なのか本音なのか、大室副社長が笑って応じた。

(気が利かなくて悪かったな)

岩城は一礼して下がり、暁人と大野がいる末席の方のテーブルに戻ってきた。

「大丈夫だったか?ていうか、俺ら副社長に挨拶しなくていいのかな?」

大野が暁人の方を見た。

「別にいいんじゃないですか。直接副社長に命じられたわけじゃないし。受付で招待状は渡したから、来ている事は確認できるでしょう。義理は果たしましたから、適当な所で引き揚げますよ。何の義理だかわからないけど」

暁人はそっけない。

「そうだなあ、俺も敵情視察のつもりで来たけれど、こういう場は慣れていなくて落ち着かねえわ。長居は無用か」

大野も暁人に同意した。

「お前、見たのかよ最上一花を」

岩城の問いに

「え、見てないけど。写真で知らない人だって確認したから必要ないだろ」

暁人は面倒くさそうに答える。

(一方的とはいえ縁談持ち掛けられた相手にそれかよ。冷てえな。まあ実央君以外はジャガイモに見える男だからな。ひょっとして俺もジャガイモに見えてんのか?)


 1時間ほど経つと会場には席を立って、グラス片手に立ち話をする人も増えてきた。あちらこちらで笑い声が聞こえている。暁人たちのテーブルにはなぜか?コンパニオンが入れ替わりやって来て、「お飲み物はいかがですか」などなど世話を焼いてきた。

<光太郎君もいい歳だろう?まだ結婚はしないのかね。彼ならいくらでもいい話はあるだろうに>

<そうよね、その方が社長さんも安心なさるわよね>

<まず一花さんを送り出してからってお考えみたいよ。光太郎さんは妹思いで有名ですもの>

<この間T社の社長が娘さんとのお見合いを持ち掛けたが、体(てい)よく断られたらしい>

景気の話やら会社の経営状態やらの話に交(ま)じって、そんな噂話も流れてくる。暁人が大きくため息を吐(つ)いた。

「もう頃合いじゃないか、俺は帰るわ」

暁人の言葉に

「じゃあ俺も。広瀬、この後どこかで飲み直さないか。悪いな岩城、俺ら引き揚げるわ」

大野が応じて、二人で席を立った時だった。3人はテーブル近くがざわついた事に気が付いた。見ると最上光太郎とその秘書他社員数名と、最上一花がこちらに近付いてくる。大室副社長も一緒だった。

(あ、これヤバいやつか?)

岩城は緊張した。

「大室精密の広瀬暁人さんですね。初めまして最上光太郎と申します」

最上は明らかに他の二人は眼中にないかの如(ごと)く、暁人に右手を差し出した。仕方ないので暁人も応じて握手をする。主催者のトップがわざわざ末席の若い会社員の所に来たのだから、当然周(まわ)りは注目した。

「初めまして、広瀬暁人です。先日はうちの実央がお世話になりましたようで」

暁人は臆(おく)することなく話しをする。一花が一瞬身じろぎをした。

「いえいえ、お世話になったのはこちらの方ですよ。私と秘書がご馳走(ちそう)になってしまった。今度お礼をさせて下さい」

「お気遣いはご無用です。いきなりのお声掛けで驚いていたようですけどね」

岩城と大野は二人のやり取りを、身を固くして見守っている。周りの客たちも、最上とこの若い男の関係が何なのか、興味津々(しんしん)のようだった。

(広瀬、マズイぞ、これは…)

岩城はこの後自分がどうすべきか必死に考えを巡(めぐ)らせた。

 最上は後方の一花に目を遣(や)り、

「これは私の妹の最上一花です」

そう紹介した。暁人は仕方なく、

「初めまして、広瀬暁人と申します」

と挨拶をした。

「『初めまして』…?」

一花が明らかに戸惑いの表情を見せた。

「私(わたくし)のこと覚えていらっしゃらないのですか?」

言われた暁人も困惑した。

「とこかでお会いしましたか?申し訳ありません、記憶にないのですが…」

一花は唇を固く結ぶ。微妙な空気が流れた。一花の心理を分析するならば、「自分ほどの美人と会っているのに記憶にないなんて」というところだろう。周りは遠巻きにしていたので、この時のやり取りは岩城たちや最上一行以外にはあまり聞こえていないようだった。

 その時最上が後方の社員に目配せをした。その社員はマイクを持っている。

「皆様、実は本日サプライズがございます。最上家長女の一花さんとそこにおられる大…」

そう社員が言いかけた時、

「広瀬っ!!」

いきなり岩城が大声を出して、マイクの声を遮(さえぎ)った。暁人はびっくりして岩城を見たが、

「広瀬、好きだ!!」

岩城はそう叫ぶと隣の暁人をグイっと抱き締めた。

〔広瀬、許せよ〕

暁人の耳元でそう囁(ささや)いた直後—岩城は暁人に情熱的なキスをしたのだった。


 さすがの暁人も何が起こったのか頭の整理が追い付かず、ただ岩城のキスを受け入れている。大野はぽかんと口を開けたまま二人を見ているし、周囲の客たちもどういう状況なのか全く理解できていない。それは最上兄妹(きょうだい)も大室副社長も同じだった。そのうち周りでスマホのシャッター音がいくつも鳴り始める。セレブとはいえ目の前に面白い場面が現れれば、条件反射のようにスマホのカメラを向ける。今日会場で注目されていたイケメン二人のキスシーン、こんな面白い場面があるだろうか。

 10秒…15秒…岩城のキスは結構長かった。捨て身の行動とはいえ、暁人にキスできる機会なんてこの先訪れないだろう。以前岩城は「どさくさ紛れに広瀬にキスできねえかな」と思ったことがあったが、今まさに「どさくさ紛れ」のチャンスが到来したのだ。

 暁人から唇を離すと岩城はわざと周りに聞こえるように、言葉を発してもう一度抱き締める。

「広瀬、愛してる」

「い…岩城????」

暁人は岩城を突き放す事もせずに、呆然(ぼうぜん)としている。大室副社長は我に返って、真っ赤になって怒っている。最上光太郎もあまりの事に、どう対処していいのかわからない。マイクを持った社員もただオロオロしている。

「おい、行くぞ!!」

その時大野が二人の腕を引っ張り、強引に会場の外に連れ出した。そのまま一目散(いちもくさん)にホテルのエントランスを抜けてまだ雨の降る歩道に出ると、急いでタクシーを拾って3人で乗り込んだのだった。

 タクシーの後部座席に大の男3人が窮屈(きゅうくつ)そうに座っている。その様子が運転手も少し気になったのか、チラチラバックミラーを確かめる。暁人は目を見開いたまま、放心状態だ。岩城のキスの前の記憶がほぼ飛んでいた。

「岩城…お前…」

大野がようやく口を開いたが、

「すみません…今何も言わないでもらえます?俺も状況がよくわかっていなくて…」

それだけ答えて岩城は両手を膝の上で組み、頭を低く下げたのだった。


 今のご時世面白い写真や動画が撮(と)れたらどういう事になるか―そう、SNSであっという間に拡散される。それはものすごいスピードで日本中、いや場合によっては世界中に発信される。この時の場面がどれ程広まったのかは不明だが、少なくとも暁人の身近な所ではかなり早かった。

「え?え?ええーーーっ!????」

綾乃のとんでもない絶叫に、

「なんだよ姉貴、テレビの音が聞こえねえ…」

篤紀が文句を言いかけたが

「それどころじゃないわよ!今アイミからのラ〇ンで…この画像!!実央君、大変!」

キッチンで洗い物をしていた実央が、慌てて綾乃の所に飛んで来た。

「お姉さん、どうしたんです、一体何が…」

「こ、これ、この写真…」

さすがの綾乃も気が動転している。綾乃のスマホには暁人と岩城の濃厚な?キスシーンが映し出されていた。篤紀も絶句する。

「どういう状況!?」

「最上重工業の創立記念パーティ?暁人さんはそうは言っていなかったけれど…」

実央は画像を見て一瞬大きく目を見開いたが、すぐに冷静になった。アイミはBL漫画家なので呟(つぶや)き系のアカウントにはファンから随時色々なコメントが入るし、面白いBLネタがあれば素早く届く。この画像もすぐにアイミの元に届いたので、綾乃にも早く伝わったのだ。#イケメンキス#リアルBL#…色々なタグが付いて一気に拡散しているらしい。

「と、とにかく暁人に確認を…」

綾乃はスマホを持ち直したが、

「無理じゃないですか?」

実央が落ち着いてそう言った。

「まだそれほど時間が経(た)っていないみたいだし、暁人さんのスマホにも方々からメールやら電話やらがかかっているんじゃないですか?そもそも暁人さんが話せる状態なのかどうか…」

「実、実央君、なんでそんなに冷静なの?兄貴と岩城さんがキスしてんだよ?」

篤紀の方が狼狽(うろた)えている。

「見ればわかります。最上重工業の創立記念パーティという事は、何かこうしないといけない理由があったんでしょう。後で確かめればわかります」

実央は篤紀にそう答えた。

「そ、そうよね。まずは状況分析を…パーティは今日昼12時から××ホテル。かなりの人数が招かれたみたいね。多分岩城さんは副社長のお供だったんでしょうけれど、暁人がなんで…色々な写真が拡散しているみたいだけど、最上一花も写ってるわね。うわー動画もある、岩城さん、『愛してる』とか言っちゃってるし」

綾乃が少し平静を取り戻し、情報を集めてみる。

「コメントを見ると…『最上さんのサプライズってこれ?』『この二人今日一目立ってた』『二人とも大室精密の社員だって』『どういう余興(よきょう)?』『あっという間に消えちゃった』…少なくとも暁人は了解してここに行ったみたいね。サプライズ…最上はここで婚約発表でもするつもりだったのかしら?ちょっと強引過ぎる気もするけれど」

「だよなあ、兄貴がその場で全否定したら、大恥かくのは向こうだろ?」

「最上も一(いち)か八(ばち)かの賭けに出たのかも。暁人が一花の美しさに心を動かす可能性、婚約発表をしても会社の体面を考慮してその場では騒がない可能性に期待したのかな。もし暁人がそこで拒否すれば確かに最上としては大恥をかく事になるけれど、そうなると暁人の方も無傷では済まないわよね。個人的な問題ではあるけれど、こんな所で大事(おおごと)にしちゃったら進退問題になるでしょう」

綾乃は淡々(たんたん)と分析をした。

「いや、それヒドイじゃん。理不尽(りふじん)過ぎない?」

篤紀はカッカしているが、

「暁人さん、今どこだろう…」

実央はただ暁人の身を心配していた。


 行先に迷った大野は、とりあえず兄尊(たける)の経営するレストラン”le(ル) Soleil(ソレイユ)”に向かった。ここは暁人たちが8月の食事会で利用した店である。大野は電話で事前に兄に「個室が空(あ)いていないようなら兄貴の部屋を貸してほしい」と頼んだ。暁人をそのまま帰してもよかったが、いったん冷静になる時間が必要だと考えたのだ。そしてそれは岩城も同じ事だった。

「武(たけし)悪い、個室は埋まってて…俺の部屋でもいいけど、事務室使うか?今誰もいないから」

武というのは大野の名前だ。

「こっちこそ急に済まない。ちょっと訳ありで…」

「いいよ、酒より水かコーヒーがいいか?」

「水でいい、ありがとう」

3人は事務室の椅子に腰かけた。しばらく無言になる。尊が水を持って来て、

「ゆっくりしていいぞ」

と声を掛けた。

「すみません…」

暁人はやっと声を発した。尊が下がると

「…ええと、だな」

年長者の大野が口を開いたが、何を話していいのかわからない。

「広瀬、すまない」

岩城が謝った。

「最上がお前と令嬢の婚約を発表するつもりだと思って何とかしないと、と。…咄嗟(とっさ)にあれしか思いつかなくて」

岩城は「咄嗟に」と言ったが、暁人に惚(ほ)れているからできた行動である。普通なら思いつかない。

「うん、それは俺も気付いて『ヤバイ』と思ったけど、正直どうしていいのかわからなかった」

大野もそう言った。

 暁人は自分の脇の甘さに腹が立っていた。何を言われても断ればいいと安易(あんい)に考えていたのだ。ここまでの事態は想定していなかった。

「すみません…俺が油断したばかりに、岩城にも大野さんにも迷惑を…」

そこへ尊とシェフの篠原(しのはら)が入ってきた。

「ちょっといいか」

尊と篠原は共にゲイで、恋人同士だ。それは暁人たちも知っていた。

「これ、君たちだよな」

篠原がスマホを見せてきた。そこには先程のキスシーンが映っている。

「俺たちの仲間から回って来たんだけれど…ついさっきの話だろ?広瀬さんの恋人は明石さんじゃなかったのか?3人がここに来た事と関係があるのか?」

篠原はちょっと怒ったような顔をしている。

「あー、説明が難しいんだけど、込(こ)み入った事情があって…会社絡(がら)みなんだよな…」

大野はなんとかわかってもらおうとするが、会社絡みのどういう事情で男二人が衆人環視(しゅうじんかんし)の中キスをするというのだろうか。

「まあ詳しい話は後日落ち着いてからでいいよ。それよりこの写真、かなり拡散されているけど大丈夫か?」

尊に言われて3人は漸(ようや)く各自のスマホを確認した。暁人と岩城のスマホにはラ〇ンやらメールやら電話やら、とにかく着信の数がすごかった。特に岩城のスマホが凄(すさ)まじく、

<お前女に飽(あ)きてついに男に走ったのか(笑)>(学生時代の友人等より・多数)

<信じらんない。サイテー。もう連絡しないで>(セ〇レの一人より)

<お兄ちゃん、どういう事!?お父さんもお母さんも卒倒(そっとう)しそうだよ!?>(妹渚(なぎさ)より)

<諒ちゃん、どうしちゃったの!?暁ちゃんの事を奪うつもり!?よくわかんないけど、でもス♡テ♡キ>(ミックスバーの常連・オネエのユウさんより)

<実は学生時代先輩の事が好きでした。男もOKなら告白すればよかったです>(高校時代の部活の後輩より)

…などなど。

(なんだよ、最後のは…知らねえよ…)

一方暁人の方は、滅多に連絡を寄越(よこ)さない母静子から留守電が入っていた。

<ちょっと!!どういう事なの暁人!実央さんを認めた私の立場はどうなるのよ!ご近所にも花菱(はなびし)会にもこの人が暁人の相手だと思われるじゃないの!>

母の後ろで「まあまあ静子さん」という父の声が入っていた。困ったのは実央の父・匠(たくみ)からのものだった。

<暁人君、君実央の事を大切にするって言っていたじゃないか!これ会社の人だよね、君は浮気をしているのか、実央を捨てるつもりなのか!>

こちらも後ろで実央の母・実和子の宥(なだ)める声が入っていた。明石家の方には問題が解決した後に事後報告をと思っていたのだが、そうもいかなくなってきた。それにしても両親たちは、どういうルートでこの写真を知ったのだろうか。

 さすがに大野の携帯の着信は少なかったが、山下をはじめ心配した営業部社員からいくつか連絡があった。ただ妻の加奈子(かなこ)からも着信があって、「これ、どういう状況?今日はパーティだって聞いていたけれど、何が起こったの?」と、聞いてきた。どうやら広まった写真の中に大野が写り込んだものがあったらしい。拡散された写真には顔の上半分が隠されていたり目の部分にノリが貼られていたりと配慮されたものもあったが、そのまま顔が出てしまっているものもあった。

(山下たちは会社ルートからの情報だとしても、加奈子が何でこんなに早く写真に気が付いたんだ?)

大野はそれが不思議だった(※腐女子ルートからの情報です)。

「とにかく今日のところは一旦(いったん)引き上げよう。俺たちも頭を冷やす必要がある。ただ明日の日曜を逃すとその後出勤が続いて十分な時間が取りにくい。間を開けない方がいいと思うが、みんな集まれるか?」

大野の提案に二人は頷いた。

「うちにいらして下さい。実央もいるし、その方がいい」

暁人がそう言った。

「広瀬、もう自分だけの問題だと気に病むな。こうなったら会社同士の問題だ。早まったことはするなよ」

大野の言葉に、暁人はもう一度頷いた。

 一応付け加えておくと、この画像は当然大室精密腐女子会の面々も共有するところとなり、大騒ぎになったのは言うまでもない。


   鳩首会談ふたたび


 その日暁人が帰宅すると、実央はいつも通りに出迎えた。

「お帰りなさい、暁人さん。お疲れ様でした」

実央は暁人に優しくハグをした。綾乃と篤紀もまだ家にいたが、暁人の疲れ切った様子にすぐには声が出せなかった。暁人は実央にもたれかかるようにハグをして

「実央、嘘ついて出掛けてごめん。帰ったらちゃんと話すつもりだった」

力なくそう言った。

「わかっています。まず着替えて…お風呂に入りますか?」

「いや、いい…」

暁人は自室に着替えに行った。いつもは「また来たのか」と綾乃たちに文句を言うところだったが、今日は実央のためにも自分のためにも二人がいてくれてよかったと思った。綾乃もいつもなら「どういう事よ!!」と怒鳴(どな)りそうなものだったが、それはしなかった。怒鳴って済む問題ではないと思ったのだ。

 着替えてリビングの椅子に座ると、暁人は今日の経緯をポツポツと話し始めた。

「先に話すと実央が心配するし…姉さんが何かやらかすかと思ったから…」

暁人はチラっと綾乃の顔を見た。

「確かに…姉貴なら会場潜入とか平気でやりそうだよな」

篤紀が大きく頷く。綾乃も内心(確かに)と思ったが、篤紀の頭を小突(こづ)いただけで何も言わなかった。そして

「暁人、今日は一旦帰るけど、もう一度話し合いが必要ね」

暁人に向かって、そう言った。

「明日岩城と大野さんが来る」

相変わらず力のない暁人の声だった。

「わかったわ、私たちも明日また来るわ」

綾乃は泊まっていくとは言わなかった。篤紀の方が

「泊まって行かなくていいの?」

と確認してきた。綾乃はそれには答えず、

「実央君、また明日お邪魔するわ。お母さんが私の所へもギャアギャア言ってきてるから、説明しておかないとね。暁人のこと、頼んだわよ」

実央に向かってそう言った。

「はい、お願いします。お父さん・お母さんにもあまり心配なさらないよう伝えて下さい。僕たちは大丈夫ですから」

実央は笑顔でそう答えた。


 翌日の日曜日、前回の鳩首会談メンバーに大野が加わって暁人と実央の家に集まった。二人の住まいは2LDKでリビングの面積はわりと広めだが、それでも大人7人ともなると窮屈感は否めない。実央が椅子を追加し、ソファの向きも変えてみんなに座ってもらった。

「アイミさんにまた迷惑をかけなくても」

と、暁人は言ったが

「こういう時はね、当事者でない人の目線も大切なの。客観的な判断も必要なのよ」

そう綾乃に言い返された。

「そうそう、若干(じゃっかん)追加情報もあるし(ここはネタ作りの宝庫だし)、気にしないで暁人君」

アイミもにっこり微笑んだ。その時岩城が神妙な顔で立ち上がった。そして実央に向かって頭を下げる。

「実央君、すまなかった」

いつものふざけた口調ではない、大真面目な謝罪だった。

「咄嗟(とっさ)の判断だったとはいえ…その…広瀬にあんなことをしてしまって…」

一同もどう言葉を掛けていいのか迷っている。

「実央、岩城は…」

暁人が言いかけたところで

「気にしてません」

実央はあっさりと言った。みんな実央の顔を見る。

「岩城さんがああしてくれなければ、最上さんが一花さんとの婚約を発表するところだったんですよね。後の事を考えれば、むしろリスクを負ったのは岩城さんの方です。だから謝罪なんてしないで下さい」

実央は岩城に笑顔を向けたが、なぜかその表情に岩城はゾクッとするものを感じてしまった。

「そ、そう言ってもらえると、助かる…」

岩城は顔を背(そむ)けた。

「と・に・か・く、あんな強硬手段に出たってことは、敵も焦ってる証拠よね。岩城さんの事がなくても暁人が婚約を全否定したらどうするつもりだったのかしらね」

場の空気を変えるように綾乃が切り出した。暁人は昨日からずっとそのことを考えていた。もし岩城がキスしなかったら—自分はどうしていただろう。もちろん縁談を受ける気はないが、最上や大室副社長だけではない、各界の有力者が集まって注目している中で声高(こわだか)に「嘘だ」と言えただろうか。

「そういえば、最上一花はお前の事知ってたみたいじゃないか?」

大野が思い出して確かめてきた。

「そう言えば…広瀬が『初めまして』って言った時、反応が変だったよな?」

岩城も頷く。

「実央君、昨日兄貴にあの話しなかったの?」

篤紀が実央を見た。

「暁人さん疲れていたみたいだったから、まだ…」

「あの話?」

暁人の問いに綾乃が答えた。

「実央君が最上一花を覚えていたっていう話よ」


「えっ…実央が覚えていたって、それはどういう…」

当然ながら暁人は驚いている。

「っていうか、あんたが忘れてるのよ、暁人」

綾乃は弟に向き直って指さした。

「忘れ…?」

「去年のK大の学際です。二人で温研(温泉研究会の略)に顔出しに行きましたよね」

「行った…けど…どこで?」

困惑する暁人に

「ここまで言われて思い出せないとか、一花嬢に少し同情するわ」

綾乃はため息を吐(つ)いた。

「覚えてませんか?自販機の所で、困っていた女性がいたでしょう?」


—実央の記憶に基づく昨秋K大学際の一コマ―

 ある校舎の廊下の自販機の前で、若い女性が困っている。バッグの中に財布やカードの入ったポーチが見当たらないらしい。どこかに置き忘れたのか、落としてしまったのか。そこへたまたま温研帰りの暁人と実央が通りかかった。

「どうかしましたか?」

暁人が女性の様子に気が付いて声を掛けた。

「水を買おうとしたら…お財布が見当たらなくて…カード類も一緒にしてあったから…」

暁人は自販機を見た。

「水でいいんですね?」

「え、は、はい…」

暁人は自分の胸元のポケットから電子マネーのカードを取りだし、自販機の水を購入した。

「これでいいですか?」

暁人はにっこり微笑んで、それを女性に渡す。

「ええ、ありがとうございます…あ、あの…」

「もしお財布を無くされたのなら、中央館の総務課に行ってみて下さい。届いているかもしれないし、後日拾得されれば連絡をもらえると思いますよ」

「はい、あの、お礼を…」

「では失礼します、実央、行こうか」

暁人はもう後ろを振り返らずに、実央が待つ方へとスタスタ歩いて行ってしまった。

—実央の記憶に基づく昨秋K大学際の一コマ 終わり―


「………」

リビングに何とも言えない空気がまた流れ始めた。

「…そんな事も…あったような気がするけど…」

暁人が気まずそうに口を開く。

「兄貴覚えてねえの?あんな美人を助けておいて」

篤紀の問いかけに

「顔なんて見てないし…いや、見たかもしれないけれど、覚えてない」

暁人の答えはそっけなかった。

「広瀬…俺いつも言ってるよな?気前よく愛想(あいそう)を振りまくなと、お人好しもほどほどにしろと」

岩城が呆(あき)れて暁人を責めるような口調で言ってきた。

(まあ実央君以外はジャガイモに見えるらしいから仕方ないけど)

岩城はそう思ったが、真相を聞いて力が抜けた。なんてことはない。一花嬢はイケメン暁人のスマートな対応に、一瞬で心を奪われてしまったのだ。

「大山鳴動(たいざんめいどう)して…ってやつかしら?」

綾乃も呆れている。昨日実央から学際でのことを聞いて、大体の事情を察したのだ。

「いや、きっかけは単純だったのかもしれないけれど、彼女の恋心が他の思惑(おもわく)に利用されたのは間違いない」

大野はあくまで会社絡みの背景で考える。

「そうね。子供がいない副社長にしてみれば、付き合いのある大企業の令嬢が自分の所の社員に惚れてるなんてわかったら、利用しない手はないもの。最上に恩を売るチャンスよ。しかもその交際相手が同性と知ったら、好条件で突(つつ)けばどうにでもなると思ったんでしょうね」

アイミはそう推測した。それを聞いた篤紀が、

「でもそのお嬢さん、なんで兄貴の身元が分かったんだ?在校生じゃないんだから、名前でも聞かなきゃちょっとわからないだろ?」

と、疑問を口にする。

「だよなあ、ただ『イケメン』てだけじゃあ…」

岩城も同じことを思ったらしい。

「多分暁人さんはK大じゃ案外有名人だと思いますよ」

「え、実央、何言って…」

「卒業しても毎年学際の時は温研に顔を出しているし、在学当時からモテてましたから。『あの人誰』ってなれば、知っている人もいるだろうし…それに…」

実央は恥ずかしそうに続けた。

「3年前の…捻挫(ねんざ)した僕をお姫様抱っこしたあの写真、結構出回ってるみたいですから…」

「お姫様抱っこ?実央君のケガの話は俺も知ってるけれど、何それ」

岩城が食いつく。

「暁人さんが一花さんを助けた時近くに数人いましたから、暁人さんを知っている人もいたかもしれませんね」

「岩城さん、これこれ」

綾乃が岩城に「お姫様抱っこ」の写真を見せる。

「姉さん!!いいからやめろ!」

暁人は綾乃のスマホを取り上げようとした。ややカオスな状態になりかかったところに

「でも実央君、よく一花さんの事覚えていたわね」

アイミが感心して実央に尋ねた。

「あー、それは…きれいな人だったし…」

実央はちょっときまり悪そうに言った。

「実は僕の好きなタイプだったんですよ。僕ね可愛い系も好きだけど、昔からああいうはっきりした顔立ちの年上の美人も好きなんです。一花さんのお歳(とし)は知らないけれど、年上に見えたから」

一同実央の意外過ぎる言葉に唖然(あぜん)として言葉も出ない。確かに実央はノンケだから、女性の好みもあるだろうが…。この時一番ショックを受けていたのは、間違いなく暁人である。口を開けたまま実央を見つめている。それに一同「その条件なら綾乃も当てはまるのでは?」と思ったが、誰も口に出さなかった。

「そういえば実央君の初恋は、確か幼稚園の先生だったわね」

綾乃は勝手に納得していたが、それはちょっと「年上」というレベルの話ではないだろう。


   ネズミ一匹?


「前回最上兄のシスコン疑惑の話をしたけれど、それ、結構当たってたみたい」

本題に入るべくアイミが切り出した。

「シスコン!?」

前回いなかった大野は露骨(ろこつ)に不快そうな顔をする。

「一花さんの歳は暁人君と実央君の間、誕生日まではわからないけど25ってところかな。最上兄とは8つ違い。ちょっと歳が離れているし、彼女が中学生の時に母親を亡くしているから、余計に大事にしているんでしょうね。最上社長は再婚していないから、継母とかもいないわけだし。家の事は家政婦さんとかがいたでしょうけれど、母親のいない寂しさは埋めようがないからその分お兄さんが可愛がったんじゃないかしら」

「なるほど」

アイミは話を続ける。

「最上光太郎自身30過ぎてるから縁談なんか降るようにあるでしょうけれど、まず妹の幸せを見届けてからっていう気持ちが強いみたい。その妹に好きな男ができたわけだから、シスコン兄としてはどうにかしてやりたいってなるわよね」

「なるわよねって…いい迷惑ですよ」

「広瀬冷たいなー」

「昨日のパーティの騒動は『サプライズ』ってことでなんとか場を収めたらしいけれど、直前に一花さんの名前が出ていたから不思議に思った人もいたみたい。ただまあセレブな方々だから、噂はしても忖度(そんたく)してあからさまにケチは付けないわよ。にしても大野さんがすぐに二人を退出させたのは正解だったわね、あのままあそこに残っていたらどうなっていた事か」

「アイミさんて…何者なんですか?」

大野が感心している。

「『何者』はヒドイなあ、ただのライターですよ。あ、複数のペンネームで色々書いてるんで深くは聞かないで下さいね(伏せているのはBL漫画家としてのペンネームだけだけど)。仕事柄探偵さんとも付き合いがあるんですよ。探偵さんとしても経済界のこういうネタを仕入れとけば後で使えるから、ギブアンドテイクなんです」

アイミはそう言って大野をごまかした。


「にしても、明日会社の方は大丈夫なの?」

綾乃が暁人に聞いたが、答えたのは大野だった。

「副社長の出方は分かりません。ただ会社全体で言えばそれほど問題はないと思いますよ。広瀬の恋人の事はみんな知っているし、今回の件が副社長からのゴリ押しだって事もわかってるやつは多いでしょう。それに広瀬と実央君のラブラブエピソードがやたらに広まってるし」

「ああそれ、俺も聞きました。弁当の事とかデートの事とかでしょう」

暁人はそう言ったが、

「いや、だんだん過激になってんぞ」

大野はおかしそうに笑った。

「過激?」

「会社で実央君に電話している時『愛してる』を連発してるとか、二人で映画を観ている途中で熱烈なキスをしていたとか、手を繋いでいそいそとラブホに入って行ったとか…」

「は?」

「けっこうみんな信じてるぞ。尾鰭(おひれ)がついてもっとすごい事に…」

「そこに尾鰭が付いたら、どういう話になるんですか!!」

どうも腐女子会が色々やり過ぎているらしい。

「さあなあ、また岩城の方も騒がれるだろうなあ、3年前の馬場(ばば)騒動の時も熱い友情で広瀬を守ったってちょっとしたヒーロー扱いだったもんなあ」

大野が思い出しながら、しみじみ語る(『同僚の恋の話』参照)。

「あ、その時の話聞きたい、暁人が教えてくれないから」

綾乃も乗っかってきた。

「もうこれ以上話をややこしくしないでくれよ!」

堪(たま)らず暁人が叫んだ、その時

「岩城さん」

実央が微笑みながら岩城に話しかけた。

「え?」

「岩城さんにはお礼をしないといけないですね、身を挺(てい)して暁人さんを守ってくれたんですから。昔の事もあるようですし…何がいいかな?」

「お、お礼?(お礼参り的なやつじゃなくて?)お礼なんて、そんな…いいよ、実央君…」

岩城はなぜか顔が引きつった。

「あ、カレーがお好きでしたよね、改めてカレーをご馳走(ちそう)しましょうか。先日召し上がって頂けなかった大野さんと山下さんもご一緒に」

「おっ、うれしいなあ、是非」

喜ぶ大野。

「岩城さん、何か具材のリクエストとかありますか?」

「いや、特に…あ、この間のキノコ?あれ美味しかったかな…」

「エリンギですね、承知しました」

「…」

岩城は実央の笑顔を見て何故か背筋が寒くなった。

(あの時の顔だ…あの、悪夢の時の実央君の顔…実央君、実は怒ってる?)

「えー、実央君のカレー俺も食いたい、食った事ないし。オフクロさあ、自分がそれほど好きじゃないからあまりカレーを作ってくれないんだよね」

篤紀が実央にリクエストする。

「さすがに大人数はお鍋的に難しいから、篤紀君は別の機会にね」

「えー、約束だよ、絶対ね」


「それと…暁人さん」

「え」

実央は今度は暁人の方に向き直った。

「こんなものがスーツのポケットから何枚も出てきました」

実央はテーブルの上に数枚の紙や名刺をさっと並べた。それらには名前とメール・ラ〇ン・電話などの連絡先が記されている。

「いや、知らない、こんなのもらってない」

暁人は慌てて弁解した。知らぬ間にコンパニオンや出席者の女性から入れられていたのだろう。

「あー、俺の方も何枚か入ってたわ。入れられる時気付く事もあったけど、知らん振りしてスルーしといた(矛先(ほこさき)が広瀬に向いたな、ヨシ)」

岩城がホッとして実央の話に乗った。暁人は昨日早く帰る事ばかりを考えていたので、自分のポケットの異変など気が付かなかったのだろう。こういう事には岩城の方が慣れていた。

「実央、ホントに俺何も気が付かなくて、直接には何も言われてないし…」

暁人は実央の誤解を解こうと必死になっている。

「暁人―、あんた女難(じょなん)の相(そう)でも出てんじゃないの?一度占ってもらったら?」

綾乃が暁人をからかうように笑った。

「じゃあ…これはもういらないって事ですよね?」

実央の冷たい声に、6人がはっとして彼を見た。暁人はコクコクと頷く。

「では、処分しますね」

そう言うと実央はテーブル上の紙を取り上げて、サイドボード脇のシュレッダーに投入した。ガガッと紙を粉砕(ふんさい)する音が辺りに響いた。

(コワ…)

なんとなく一同身を寄せ合っていたが、

「お腹空(す)きましたね。何か食べましょうか」

振り向いた実央はにっこり笑って、そう言った。


   功労者 1


 翌日の月曜日、予想通りだが大室精密本社ビル内は一昨日のパーティの話で持ち切りだった。そして注目の的は暁人というより岩城の方だった。

「よお岩城、お前女にモテモテだったのに宗旨(しゅうし)替えか?それにしたって彼氏持ちはやめておけよ」

「お前広瀬の事になると一生懸命だったもんな、ひょっとしてそういう事だったのか?」(※ほぼ正解)

「合コンの席空(あ)いたら、俺に譲れよな」

「広瀬の彼氏と争うなら、味方になってやろうか?」

 入社4年目ともなれば社内に顔見知りも増えている。出社して誰かと顔が会う度に、岩城は声を掛けられた。ただ悪意のある嫌がらせというより、親しみを込めた冷やかし?のような感じだった。

(これは思っていた以上にキツイ…営業部の方は大野さんと山下さんがうまい事説明しておいてくれるって言ってたけど。それに女性からの視線が冷たい…)

岩城は揉(も)め事を嫌って、遊びでも本気でも女性社員と付き合うのは避けていた(※本気ならいいのでは?)。岩城に告白して振られた女性もいる。彼にロックオンしていた女性もいる。それなのにこの状況では、多少恨みを買っても致(いた)し方ない。

 すぐに副社長から呼び出しがかかるかと思っていたが、意外にもそれはなかった。広瀬の方も同じだという。お昼になって二人は社食で一緒になった。暁人は広報部で弁当を食べるつもりだったが、篤紀に呼び出されたのだ。

「…よう…」

「…ああ…」

二人揃えば当然周囲の視線が一斉(いっせい)に集まる。

<ええ~、早速二人でランチデート?>

<一昨日のキス、情熱的だったわよねえ、岩城さん「愛してる」って言ってたし>

<もしかして営業部の頃から三角関係だったとか>

腐女子・腐男子でなくても、こういう話は興味の対象だろう。

「兄貴、岩城さん、こっち」

そこへ篤紀が声を掛けてきた。

「篤紀、お前…パーティの直後にこうなったら気まずいってわかるよな」

「ごめんて、円テーブル確保しておいたからさ」

正確には確保していたのは腐女子会である。

「それで、何の用だよ。昨日散々(さんざん)家で話したよな、電話やメールじゃダメなのか?」

「ええと…昨夜うちに帰ってから姉貴と話したんだけれどさ…」


—日曜の夜、広瀬家にて 回想シーンー

「なあ、これで向こうは手を引いてくれるかな。さすがにパーティでキスした片方と令嬢が婚約とか、カッコ悪いだろう?」

「…そうだといいけど」

「まだ何かしてくる可能性とかあるかな?一花ちゃんは可哀想だけど、諦(あきら)めてもらうしか…」

「(なんで『ちゃん』付けなのよ)パーティじゃ向こうも一(いち)か八(ばち)かの賭けだったわけだから、もし更(さら)なる手を打って来るとすれば…」

「すれば?」

「マスコミにリークとかするかもね」

「マ、マスコミ!?」

「最上重工業一族の結婚話…ってだけならそこまで騒がれはしないでしょ、光太郎氏本人じゃないし。でもその妹の相手が一介(いっかい)のサラリーマンだってわかったらどう?そりゃ個人の恋愛でそういう場合もあるでしょうけれど、ちょっと興味を引くわよね、相手はどんな男だろうって。最上は経済界だけじゃない、政界にも親戚がいるのよ?そんな家の一人娘の相手が大企業とはいえ役職にも就(つ)いていない平社員だって知ったら、調べようとする物好きの一人や二人は出てくるわ。最上自身が記事を書かせる可能性もあるしね」

「それって…」

「そうなれば暁人と実央君との関係はすぐにわかる。一時的にしろネット上では面白おかしく取り沙汰(ざた)されるでしょうね。二人の周囲は色々探られて、仕事にも支障が出てくるわ」

「だけど…面目が潰れるのは向こうも一緒じゃない?」

「そうね、両刃(もろは)の剣。死なば諸共(もろとも)?」

「…よくわかんないけど…」

「権力ってね、持つだけじゃダメなの、振るうものなの。昭和も平成も令和になっても変わらない。狡猾(こうかつ)な政治家や官僚が一時的にバッシングされても、いつの間にか有耶無耶(うやむや)になっちゃうのは何故(なぜ)だと思う?泣き寝入りするのはいつも弱い立場の方なのよ」

綾乃の勢いに押されて、篤紀は言葉が出なかった。

「ただ向こうがそこまで考えていないにしても、これ以上は手出しさせないために止(とど)めを刺す必要があるわね」

「と、止め!?(これ、こっちが相手を倒す展開!?)」

「さてと、どうするかなー」

—日曜の夜、広瀬家にて 回想シーン 終わりー


「…姉さんはその先は言っていなかったのか?」

「うん」

「広瀬…俺が言うのもなんだけれど、お前の姉さんて…かなりアレだよな…」

「…(フォローできない)まあ…アレだな」

「アレ」の差すところが何なのか、誰も詳しくは言及しなかった。そこへ

「ちょっとジャマするわ」

大野と山下が入ってきた。

「大野さん、週末はどうも…」

暁人が礼を言おうとすると

「ニュースニュース、浅見(あさみ)専務が緊急帰国してる」

「えっ」

「詳しい理由はわからないけど…岩城、お前のところに連絡入っていないのか?」

「あ、社用の携帯は副社長から連絡が来ると嫌だから無視してた(※おい)、やべっ、綿貫(わたぬき)さんからメールが来てる」

「何のための緊急帰国だ?まさか今度の一件のためじゃないよな」

山下が首を傾(かし)げたが、

「岩城、とりあえず戻った方がいいんじゃないのか?」

大野に言われて、

「そうっすね、お先です」

岩城が慌てて食器を戻しに社食のカウンターへと急いでいった。

「浅見専務の帰国で何か変わるのかなあ」

山下の言葉に

「さあな…」

大野はそう答えるしかなかった。


   本丸


 大室精密本社で岩城が「時の人」になったり、長期海外出張中の浅見専務が一時帰国したりと何かと騒がしかった日から2日後、ここは都内某区(ぼうく)に聳(そび)える最上重工業(株)本社ビル。大室精密のビルよりはやや高層だ。その受付に一人の若い女性が訪れた。

「ワタクシ広瀬綾乃と申します。お約束はしていないのですが、最上光太郎社長代理にお話がありまして参上いたしました。『是非』とも面会をお願いしたいので、お取次ぎ願えませんでしょうか?」

嫣然(えんぜん)と立つ美女に、最上重工業本社ビルのロビーはざわついた。大きな会社なので、ロビーには常にある程度の人数が行き来している。

<あの美女何者だ?社長代理を指名してきたぞ、ひょっとして…>

最上光太郎は年齢の割に浮いた噂のない人物だが、見慣れない美しい女性の突然の来訪に周囲にいた社員たちの間で勝手な憶測が飛び交(か)った。

「し、少々お待ち下さい」

いきなり社長代理をアポなしで指名されて、受付嬢も戸惑っている。まあアポなしは綾乃の得意技だ。アイミからの情報で最上光太郎は水曜日は本社ビルにいる事が多いと聞いたので、ダメ元で訪れたのだ。もし空振(からぶ)りでも、自分が来たことがわかれば向こうから接触してくるはず―綾乃はそう踏んだのだ。

「お待たせいたしました。お話を伺いたいとの事ですので、ただ今案内の者が参ります」

「ありがとうございます」

暫くして、エレベーターから一人の男が降りてこちらに向かってくる。

「お待たせ致しました。最上の秘書の芦高(あしたか)と申します。只今ご案内致します」

「お願い致します(前に実央君に接触してきた男ね…)」

綾乃は芦高とともに重役専用のエレベーターに乗り、最上階の社長室へと案内された。ノックしてドアを開けると芦高は一礼し

「お連れしました」

と、正面の立派なデスクに座る人物に声を掛けた。見晴らしのいい大きなガラスを背に、男はゆっくりと立ち上がる。最上光太郎だ。

(でけー、高層とはいえビルに間借(まが)りしているウチとは大違い。実央君よくこの社長(代理)とファミレスで差し向かいで話したわね)

綾乃は素直に感心する。最上は秘書を下がらせると、綾乃に近付いてきた。

「広瀬暁人さんのお姉様…でよろしいんですよね。初めまして、最上光太郎です」

「初めまして、広瀬綾乃と申します。弟夫婦が色々お世話になっておりますようで」

「『夫婦』…ですか」

最上はふっと笑った。綾乃は最上の顔を正面から真っ直ぐ見据(す)えると、両手を腰に当ててはっきりと言い放った。

「前置きはしないで本題に入るわ。今後一切広瀬暁人・明石実央に手出しする事は許さない!これはお願いじゃない、宣告よ」

敬語も丁寧語も取っ払った綾乃の口調に最上はさすがに面食(めんく)らったが、すぐに平常モードに戻った。

「なるほど…広瀬さんにこんなお姉様がいらっしゃったとは…さすがご姉弟(きょうだい)だ。肝(きも)が据(す)わっていらっしゃる」

最上は笑った。

(え、コイツ私の事ノーマークだったの?篤紀と同等の扱いってちょっとムカつくんですけど)

そう思ったが、綾乃は気を取り直した。

「あんたたちがあの二人に何をしようと何を企もうとムダよ。あの二人は絶対に別れない。私が保証するわ。悪足掻(わるあが)きはもうやめておく事ね。傷口が大きくなるのはそちらの方よ」

今度は綾乃は腕組みをする。その時社長室奥の扉が開いた。

「お兄様…」

現れたのは最上一花だった。


「一花、お前はまだ…」

最上が言いかけたのを、綾乃が遮った。

「あら、妹さんもいたのね、ちょうどよかったわ」

「一応うちの社の役職付きなので…あなたがお見えになったと聞いてこちらに呼びました」

「25くらいで役職付きって…七光(ななひか)りもいいところじゃないの。シスコンだかなんだか知らないけれど、兄バカが過ぎるんじゃないの?そういうのは社員の反感買うだけよ」

綾乃の言葉に一花は顔を赤くした。

「容赦(ようしゃ)のない人だな、無礼じゃないですか」

最上はさすがにむっとしたようだが、綾乃は意に介さなかった。

「そちらがこちらにした事を思えば、これくらいどうってことないわ。まあ三輪春に噂を広めなかった事だけは褒めてあげる。大事な母校に傷を付けたくなかったってところかしら」

「…」

最上はこの時だけは何も答えなかった。綾乃は一花の方に向き直る。

「一花さん、あなたの恋心は純粋なんでしょうし、同じ女として気持ちはわからないでもないわ」(※えっ…)

「でもね、暁人に惚れたんなら虎の威を借(か)る狐のような事しないで、堂々と告白しなさいよ。まあ結果は同じで失恋でしょうけど」

「綾乃さん、それは違う」

最上が焦ったように横から口を出した。

「一花は初めから私を頼ったわけではない。周りが縁談を勧めても端から断るので好きな人でもいるのかと冗談半分に聞いたら、黙り込んで…」

「それで勝手にお兄ちゃんが助け舟を出したの?調べてみたら付き合いのある大室精密の社員だったから好都合だったって訳ね。そこに大室副社長の思惑が乗っかったと」

「乗っかったのは私も同じですよ。今は療養中の父に代わって社長職を務めていますが、父が社長を退任する事になってもすぐに私が継げるわけではない。年齢的に重役の誰かが就くことになるでしょう。だがその後スムーズに私に地位が移行する保証はない。この業界、社長の長男だからって30代の若造が簡単に後継者になれるほど甘くはない、案外土台は脆弱(ぜいじゃく)なんですよ。」

「それで同じような立場の大室副社長と手を組んで、自分がトップに立つ時のために強固な地盤を築こうとした…大室副社長はあちこち手広くネットワークを作り上げようとしていたから、それを利用しようとしたと」

「そんなところです」

「ふざけんじゃないわよ!」

綾乃お得意の一喝(いっかつ)が出た。

「そんなくだらない事のために弟たちの仲が壊されてたまるもんですか、壊そうったって壊れないけどね!あなたも自分の恋心がそんなところに利用されて平気なの、一花さん!」

「利用したのは私も同じです。暁人さんが恋人と別れれば私と婚約して下さると思った…」

一花は俯(うつむ)いて答えた。

「兄妹(きょうだい)揃ってホント―にバカなの!?上(うえ)つ方(かた)っていうのは、下々の私たちの理解の外でお暮しになってるのね。あんたたちゲイでもない男二人がくっついてたら、うまいエサぶら下げてちょっと揺さぶれは簡単に別れるとでも思ったの?」

ヒートアップした綾乃は止まらない。

「暁人はね、一花さんと同じように実央君に一目惚れだったのよ(多分)。それまで男と付き合うなんてこれっぽっちも考えていなかったのに、たくさんの人の中から実央君を見つけたの、そして好きになったのよ、男とか女とかそんなのどうでもいい事なのよ!」

最上が何か言おうとしたが、綾乃は隙を与えなかった。

「おあいにくさまでした、重工業だか何だか知らないけれど、ブルドーザーやクレーン使ってデカいビルぶっ壊すようにはいかないのよ。二人の仲はあんたたちには壊せない。二人の仲は永遠に不滅なの!」(※重工業ってそういう業界なのか?)

そこまで一気に言って、綾乃はふーっと息を吐いた。

(つ、疲れた…)

 一応言っておくと、綾乃はこの時ボイスレコーダーを使っている。当然最上側も録音、もしかしたら撮影もしているかもしれない。何しろ社長室だ。綾乃は暁人と実央にボイスレコーダーを渡した時、確か「録音するって事は自分の声も入るわけだから、くれぐれも発言には注意する事。相手を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)したり、カッとなって乱暴な言葉を吐いたりしない事」と言っていた。今日それが自分の念頭にあったのだろうか?

 しばしの沈黙の後、最上が口を開いた。

「男とか女とかどうでもいい…ですか。今ならその意味も分かります」

「あ、そう?」

適当に相槌(あいづち)を打った綾乃はバッグからミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、ふたを開けてごくごく飲みだした。本当に自由な人である。

「ああ、お茶もお出ししないで…」

多分いきなり論戦?が始まってしまったので、秘書もお茶を出すタイミングを失ったのだろう。

「お構いなく、言いたいこと言ったからもう帰りますので。一花さん、あなたが暁人を諦められないというのなら正々堂々アタックしたっていいわよ(ムダだろうけど)」(※綾乃が許可する事では…)

「暁人さんは…私(わたくし)の事を思い出しては下さらなかったのかしら」

一花がポツリとそう言った。

「あー、そこは申し訳ない。記憶になかったみたいで。去年のK大の学際でしょ?むしろあなたの写真を見て気が付いたのは実央君の方だったわ」

「明石さんが?」

最上が意外そうな顔をする。

「そう、一花さんみたいな人が好きな女性のタイプなんですって。暁人の方は実央君からあなたと会った時の話を聞いても、顔を覚えていなかったみたい。こんな美人が記憶に残らないなんて失礼なやつよね」

綾乃はまた水を飲む。

「あの日私は友人たちとK大で講師をしている知り合いに会いに行ったんです。学際だからちょうどいいって。ラウンジで休憩していて、水を買おうとしたらバッグに財布の入ったポーチがない事に気が付いて…友人の所に戻ろうとしていた時、暁人さんが通りかかって助けて下さいました。…そうですか…あの時一緒にいたのが実央さん…。暁人さん、後ろも見ずに彼の方へ急いで行ったわ」

「お財布は見つかったの?」

「はい、暁人さんに教えて頂いたとおり、総務課に行ったら届けられていました」

「それはよかった、暁人にも伝えておくわ。一花さん、あなた暁人の外面(そとづら)いいとこだけ見て惚れたんでしょうけれど、あいつとんでもない執着(しゅうちゃく)束縛(そくばく)男よ。あれに付き合えるのは、実央君くらいでしょうね」

そう言うと綾乃はペットボトルに蓋をして、バッグの中に戻した。


   功労者 2


「まあ妹のためとはいえ、男同士の仲が脆(もろ)いなんていう甘い見通しを立てた自分の浅はかさを恥じ入る事ね」

最後の一刺しと言わんばかりの綾乃の一言に

「本当に容赦のない人だな」

最上は苦笑いする。

「あなた方が同性愛を否定しても、それは個人の自由だからどうでもいいわ。説得するつもりはさらさらない。でも否定しているから壊していいっていう事にはならないのよ」

「否定はしていないですよ」

「あら、そうなの?なら機会があったら頭にカビの生えてる大室副社長さんにも伝えておいてね。それとこれだけ言ってもまだ何かするようなら、こちらも法的手段に出るわ。ハッタリじゃなくて、いい弁護士を紹介するって言ってくれている人がいるの。私の周りには正義感の強い人が多いみたい。そちらも優秀な顧問(こもん)弁護士さんは何人もいるでしょうけれど」

「『正義感』ですか…こちらはまるで『悪役』ですね」

「私たちにとっては、そうでしょう?あ、お見送りして頂かなくて結構よ、一人で帰れるわ」

「ここに繋がるエレベーターは暗証コードがないと使えませんよ」

「(チッ、めんどくさいわね)…じゃあ、お願いします」

隣で控えていたと思われる秘書の芦高が現れたが、最上はそれを手で制した。芦高は

〔このままでよろしいのですか〕

と、小声で最上に確認したが、最上はそれには答えなかった。綾乃と最上は沈黙したままエレベーターで1階まで降りた。扉があいた途端(とたん)最上にエスコートされた?件(くだん)の美女が現れたので、ロビーは再びどよめいた。

<あの美人、やっぱり社長代理の…?>

そんな囁(ささや)きが漏れ聞こえたが、綾乃は全く気にしなかった。

「こちらの要望を聞き入れて頂いてありがとうございました。それではごきげんよう」

綾乃はそれだけ言って微笑むと、最上に軽く会釈した。そして後ろを振り返ることなくスタスタと歩き、最上重工業本社ビルを後にした。


 一方その頃の大室精密本社ビル。

「どなたからの連絡ですか」

日本に一時帰国した浅見専務が大室副社長に向かって尋ねた。副社長の携帯が今鳴ったのだ。副社長は発信元を確認する。

「いや、ちょっと…野暮(やぼ)用で…」

「最上重工業のご子息ですかな」

副社長の肩がビクッと動く。当たりでも外(はず)れでもいい、専務が口に出すことが重要だった。

「最近随分と親しいご関係のようで」

専務が無表情のままそう言った。この人は普段から強面(こわもて)というか、迫力のある佇(たたず)まいだった。

「もともと当社とはご縁のある取引先ですからね。わざわざ縁談の取りまとめをするほどとは知りませんでしたが」

専務は言葉を続ける。

(相変わらずイヤな男だ、威圧(いあつ)的で無遠慮で)

副社長は口元を歪(ゆが)める。そして話題を変えてきた。

「奥方のお怪我(けが)は大丈夫なのですか?」

「ええ、ご心配をおかけしまして。たまたま近くの台湾に滞在していたのですが、綿貫(わたぬき)が手早く手配してくれてすぐにこちらに戻れました。大げさに騒ぐから何事かと…大したことはありませんでしたよ(足の小指をテーブルの脚にぶつけただけとか…)」

「それはよかった、ではまたすぐ海外にお戻りで?」

副社長が探るように聞いてくる。

「いえ、社内も何やら騒がしいようですし、じっくり様子を確認してから社長に『色々』ご報告していこうと思っています。大株主の方々にまで余計な事を耳打ちする輩(やから)もいるとか聞きますから」

「…」

序列(じょれつ)で言えば専務は副社長の下になる。だが二人を見ていると、明らかに副社長の方が小さくなっているように見えた。


 その日の定時後、大室精密本社の社食で腐女子会と堀越がお茶を飲みながら話をしていた。

「もう社食を使っても、心配ないんですか?」

真理が堀越に聞いてきた。

「大丈夫だと思いますよ」

堀越はそう答えてお茶を一口含んだ。

「広瀬さんたちは落ち着いたんですか?まだ副社長に無理難題を言われているとか…」

有彩(ありさ)が不安そうに言う。

「広瀬さんと親しい人の話によれば、落ち着いているらしいです。心配いらないと思いますよ」

「(広瀬さんと親しい人?)浅見専務の緊急帰国と関係あります?」

続けてレイナが尋ねる。

「…専務は奥様が怪我をなさったから、戻られただけです。幸い日本のすぐ近く、台湾にご滞在でしたからね」

「奥様のケガは本当に偶然なんですか?」

「偶然ですよ、もちろん」

「前に『場合によっては浅見専務に一時帰国して頂くのもアリ』とか堀越さんが言っていて、その通りになったから…」

葵がおずおずと聞く。

「あら、そんな事言いましたっけ?」

「(一同)……」

「堀越さんて、やっぱり専務と繋がりがあるの?」

紗弓の問いに

「紗弓ちゃん…」

金沢が止めるように口を出した。彼女はすでに何かしらの事情を知っているようだ。堀越はふーっと息を吐く。

「誤解のないように言っておきますが、決して縁故(えんこ)入社とかではないですよ」

そう前置きして堀越は話し出した。

「専務の奥様と私の母が旧友でして」

「えっ!?」

「私の母は三重県出身なのですが、頭のいい人だったので東京の親戚にお世話になってR院大付属の女子校に通いました。大学もそのままR院大に進んでいます」

「R院大…すご…」

「母が高校の時知り合ったのが専務の奥様です。奥様は当時クラスでいじめや嫌がらせにあっていたようで、それを救ったのが母だったそうです。母は正義感の強い人なので、いじめグループをやり込めておとなしくさせたみたいですね」

「(一同)(母子(ははこ)二代にわたってコワイ…)」

「奥様が母に恩を感じてそれから親しくなったようです。大学までは親交があったようですが、祖父が体調を崩した事もあって母は卒業後に帰郷して三重で就職しました。年賀状のやり取りなどは続いていましたが、関係は遠のいたようです。母は地元で、奥様はこちらで結婚しましたし」

「お父様も三重の方なんですか?」

「いえ、父は隣の滋賀県ですね」

葵は思った。

(三重と言えば伊賀(いが)!滋賀と言えば甲賀(こうか)!堀越さんはやっぱり忍者の子孫!?)

「その後父は仕事の関係で東京住まいになったので、私はほぼこちらで暮らしています」

「それでまたお母様たちにご縁ができたと?」

「それもありますが、たまたま専務がお宅で会社の話をされた時私の名前を出されたそうです。『堀越』って変わった苗字ではありませんがそこまで多くはありませんから、母への手紙でちょっと奥様がその事に触れたようです。専務職に就(つ)かれる前のお話ですけどね。それまでお互い夫の勤務先までは話していなかったようで」

「そこで旧友の娘だとわかったって事ですか、そういう経緯で専務の忍びに…」

「はい?」


「それにしてもあのキスシーンは凄(すご)かったよねえ」

「岩城さん、まんまとしてやったっていう感じ?」

腐女子たちの会話に

「してやったって…どういう意味ですか?」

堀越が怪訝(けげん)な顔をした。

「岩城さんが広瀬さんを好きってことですよー」

真理が楽しそうに話す。

「は?そうなんですか?」

「違う、違うの堀越さん、これは真理ちゃんたちの妄想(もうそう)で」

金沢が慌てて口を挟んだ。

「…妄想を広めたら大問題ですよ」

「ここだけの話です。でも当たってると思いますよ!」(※そうだね)

「岩城さんも思い切ったよねえ、広瀬さんを救うためとはいえ…。うちの会社じゃみんな大体の事情は知ってるけどさー、SNSでかなり広がっちゃったでしょ。サイトによってはちょっとしたネットニュースになってたよ。もちろん名前と顔は伏せられていたけど、『最上重工業創立記念パーティでのハプニング』って」

「岩城さんもだけど、私たち腐女子会、そして堀越さんも陰の功労者じゃない?」

「私は何もしていませんよ、腐女子会の皆さんはまあ…後の方の噂はちょっと脚色しすぎでしたけどね」

「堀越さん、出世しちゃう?」

「出世は興味ありませんね…それに…」

堀越にしては珍しく、はにかんだ表情を見せた。

「来年辺り名字が変わるかもしれないので、仕事を続けるかどうか…」

「(一同)えっ!!それって…」

「では、私はそろそろ失礼します」

堀越は立ち上がって会釈をした。彼女を見送りながらレイナが呟(つぶや)いた。

「夫人を通じて浅見専務を呼び戻したのって、絶対堀越さんよね…」


   花束


「姉さん…」

「え?お礼の言葉ならいいわよ、姉弟(きょうだい)の間で水臭い」

「…お礼…の気持ちもあることはあるけれど…」

「何よ、回りくどい。褒めたかったら褒めてもいいわよ?」

「俺や実央には言動に気を付けろとか言ってたくせに…」

今日暁人たちの部屋には二人の他に綾乃・篤紀・アイミ・岩城が顔を揃えていた。今後の展開予想というか、対策を講じるためだった。そこで綾乃は先日最上光太郎のところに突撃した時の録音を、一同に聞かせたのだった。

「なあ、コレ、逆に訴えられたりしないか、広瀬」

「…どうだろうな…」

「内容的に正論だとは思うよ?でも言い方が…」

岩城の問いかけに、暁人は姉をフォローするような返答ができない。

「よくアポなしで行けたよなあ、姉貴も」

篤紀は素直に感心している。

「事前にアポなんか取ったら断られるか、屈強(くっきょう)な男たちを並べて待ち構えられるかもしれないでしょ」

屈強な男たちがいても綾乃なら動じないんじゃないかと全員が思った。

「お姉さんの言葉を受けて一花嬢が正々堂々迫ってきたら、どうするんだ広瀬」

「どうもしないし…姉さんも余計な事言うなよ。それにパーティからあまり日が経(た)っていないのに、いきなり最上の本社に行くとか」

暁人は文句を言ったが、綾乃は気にしない。

「何言ってんのよ、機先(きせん)を制して黙らせないとダメでしょうが。考える隙(すき)を与えず、相手が次の手を打たないようにするのが大事なの!」

(またもっともらしい事言い出したわ、姉貴…)

篤紀がそんな事を思った時、インターホンが鳴った。急いで実央が応答する。

<フラワーショップ・ツシマです。明石実央様宛(あ)てのお花をお届けに参りました>

「何、お花のお届け?実央君誕生日?」

篤紀が確かめる。

「違う、実央は7月だってお前も知っているだろう。蟹(かに)座だから蠍(さそり)座の俺とは相性がいいんだ」

暁人が得意げに言う。

「(いや、誰も聞いてないし。あ、また暁人の誕生日忘れてたわ)なに少女趣味なこと言ってんのよ。今時女子中学生でもそんな事言わないわよ。でも一応言っとくと私はアリエスの乙女」(※…)

綾乃の言葉を受けて

「俺獅子座―、8月だから皆覚えててねー」

篤紀が調子よく乗っかる。

「アイミさんは?」

「水瓶座だけど…」

「岩城さんは?」

「射手座…(何この話の流れ…)」

全員の星座が揃(そろ)ったところで、実央が花を受け取って戻ってきた。

「わ、スゲー!!真っ赤なバラじゃん!100本?いや、もっとありそう、誰から?」

「…それが…」

実央は言いにくそうに困った顔をしている。

「赤いバラかー、花言葉は『あなたを愛しています』」

アイミの言葉に暁人の顔つきがさっと変わった。

「実央!誰からだ!」

「えー、どれどれ、あー、カードが付いてるじゃん」

綾乃が無遠慮に覗(のぞ)き込んで封筒からカードを取り出した。

「あ…」


「なになに『先日初めてお会いした時、パンケーキを食べるあなたの愛らしい口元に見とれてしまいました。そして毅然(きぜん)とした態度と意志の強さ、生徒に慕われる様子、あなたのすべてに惹(ひ)かれました。私の気持ちを受け取って下さい 最上光太郎より』うーん、文才はイマイチね、ていうか食べてる口元に惹かれるとか、もう絶対にエロい目で見てるじゃない」

勝手にメッセージを読み上げた綾乃はケラケラ笑う。

「いや…姉貴、そこじゃなくて贈り主…」

篤紀が兄と姉の顔を見比(くら)べて狼狽(うろた)えながら指摘する。

「贈り主?…最上光太郎…もが…えっ、ええーっ!!」

自分が読み上げておいて、そこはスルーだったらしい。一同も想定外の出来事に驚きを隠せない。暁人は怒りのあまりすぐには声が出なかったが、

「捨てろ!!実央!!今すぐ捨ててこい!!」

忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)で実央に向かって叫んだ。だが実央は

「ダメです。花に罪はありません」

そう言って首を振った。

「食い物じゃないからいいだろう!それにそんな大量の花を入れる花瓶(かびん)はうちにはないぞ!俺は買わないからな!」

「花だって生きています、それに…花瓶も一緒に贈られてきていて…」

「アラ、用意周到ね。ドライフラワーにすれば長く楽しめるわよ。それにしても…光太郎氏そっちに行っちゃったか~」

アイミの言葉が気になって

「『そっちに』って?」

綾乃が聞き返した。

「いや、さっきの突撃録音聞いてたら最上光太郎は綾乃に惚れるんじゃないかなって思ったの」

「私に?なんで?」

「ホラ、少女マンガとかでよくあるじゃない、『おもしれー女』ってやつ」

「…(おもしれー女)…」

「モテる男がさあ、自分に全然興味のない女子が気になったり、ちょっとぶっ飛んだ言動の女子を好きになったりするパターン」

「…私が面白くてぶっ飛んでるって事?」

綾乃は親友の自分に対する評価が気になった。そこをフォローする者は誰もいなかったが、暁人の様子が気になった岩城は

「でも、花束は向こうの新たな策略かもよ、実央君の方を引き離して広瀬と一花嬢をくっつけようとか…」

と、言ってみた。しかしアイミがそれを即否定する。

「それはどうかなあ、策略なら自分の名前は使わないでしょ。社名にするとか秘書を使うとかするんじゃない?花屋さんの伝票にも『最上光太郎』って書いちゃってあるわよ。こんな事しちゃったら、向こうもリスクを負わない?」

「つまり…最上光太郎は実央君に本気っていう事…」

綾乃は複雑な気分になった。自分は最上の事なんてこれっぽっちも気にしていないし、異性として意識もしていない。ただアイミの「そっちに」という表現に、なんだか自分が実央に負けたような感覚になったのだ。綾乃は日頃自分の異性関係には無頓着(むとんちゃく)だが、さすがに「女としてこれはどうなんだ」と引っかかってしまったのである。


「やっぱさあ、話の内容の差じゃないの?」

篤紀がちょっと偉(えら)そうな顔で言いだした。

「どういうイミよ」

「姉貴の言ってる事は間違ってはいないよ?でも言い方がさあ、一方的に自己主張して迫力で相手をねじ伏せたって感じじゃん?」

「…」

「実央君の方もさ、自分の意見ははっきり言ってるけれど、もう兄貴への愛が溢(あふ)れてるじゃん。日頃会社の利益だ取引だなんて殺伐(さつばつ)とした世界で生きてる最上さんとしてはさあ、グッときちゃったんじたゃないの?自分もこんな風に愛されたいなーって」

「…」

一同篤紀の推理に妙に納得してしまったが、一人我に返った暁人が叫んだ。

「ふざけるな!!どうしてそれが実央への告白になる!!こんな花の匂(にお)いをずっと嗅(か)いでろっていうのか、気色悪い!(実央の俺への愛が溢れてるのは嬉しいけど)」(※バラが可哀想です)

暁人の怒りのボルテージは上がる一方だった。実央が案外平然としているのも暁人は気に入らなかった。

「さすが実央君、魔性の男だね」

篤紀がボソッと呟(つぶや)くと

「あー、篤紀君もそう思う?実は俺もそう思ってて」

岩城が速攻で同意した。

「ですよねー、実央君無自覚な所がまた残酷で…なにせ幼稚園の時からだからなあ」

「幼稚園!?そんな幼少時から男を誑(たら)し込んでいたのか!?」(※表現が悪い)

「そうなんすよー、見ます?実央君の幼稚園時代」

そう言うと篤紀は以前明石家で見せてもらった幼少時の実央の写真を、スマホからチョイスして岩城に向けた。

「え…かわいすぎっ、女の子みたい。確かにこれは園児もやられるなー」

「でしょでしょ?大学時代は男の先輩にも惚れられていたんすよ、あ、これ本人と兄貴は知らないんでオフレコで…」

篤紀は声を落として岩城に囁いた(※篤紀よ、プライバシーの侵害…)。

「そこっ!なにコソコソ喋(しゃべ)ってるっ!!」

暁人の怒りの矛先(ほこさき)が篤紀たちに向いた。

「あ、やべえ」

実央は花瓶に水を入れとりあえずバラを活(い)けた。

「お手入れ方法の説明書きは花屋さんがくれたけれど、後でネットで調べて長持ちさせないとな」

そういう実央に、暁人を煽(あお)る意図は全くなかった。


「あー、そうそう、岩城君」

この微妙な空気の中、綾乃がいきなり岩城に声を掛けた(※いつの間にか「君」呼び)。

「ハイ?(なんかイヤな予感…)」

「恋人になってもらえる?」

「ヘ?」

挨拶や前置きなく、いきなり本題に入るのも綾乃の得意技である。

一同綾乃と岩城の方を見る。暁人は怒りの表情のままである。

「姉貴、岩城さんが好きなの!?」

篤紀のツッコミに

「好き?ああ、違う違う、エア彼氏になってくれるかっていう事」

「エア…彼氏?」

「うん、ちょっと職場でめんどくさい事になってて…事情があって私恋人がいるっていう事にしてるんだけど、写真を見せろってしつこいのがいるのよ。もう3年も前の話なのに時々蒸(む)し返してきてさ」

「はあ…(3年前?)」(※『弟の恋の話』参照)

「はじめは暁人の写真でも見せておこうかと思ったけど、さすがに弟はバレた時恥ずかしいし実央君にも悪いしさ」

「はあ…(恥ずかしいっていう感覚あるんだ)」

「あなた手広くやってるようだし、写真使わせてもらっても実害ないかなーって」

綾乃はそう言うと岩城の承諾(しょうだく)を待たずに、いきなりスマホで彼の写真を撮った。

「実害…(先日のキスの一件でセ〇レは半分に減ったけどな)」(※半分とか言っている時点でかなりクズ)

「あ。そうだ、ツーショもいい?」

綾乃はそう言うと岩城の隣に立ち、微笑んで自撮りする。

「これでヨシと。もし会わせろとか言われたら、顔貸してもらっていい?バイト代出すわよ」

「(顔を貸す?)いいですけど…」

「岩城さん、姉貴の『バイト代出す』は注意した方がいいっすよ、とんでもない事に巻き込まれ…っ痛えよ!!」

「あんたが余計な事言うからよ、篤紀」

綾乃の一方的な要求に戸惑った岩城だが、少し気を取り直して

「別に『エア』でなくてもいいですよ綾乃さん、生身の恋人だって俺は…」

と言い、綾乃の頭上に右腕を回した。

「えー、やあよ、私下半身のユルイ男は生理的にダメ」

自分の方から「エア彼氏」を頼んだくせに、ずいぶんとヒドイ言い様(よう)である。

「…(生理的にダメ?俺が?)」

モテメンを自認する岩城は言葉を失った。

「あー、あなた私と結婚すれば、ずーっと暁人の身近にいられるとか思ってるんでしょう?弟の恩人でもお断りよ」

「……」

「まあまあ、元気出してよ岩城君」

今度はアイミが岩城に近寄って囁いた。

「キミ、特大のご褒美をもらったじゃない。暁人君とキスして愛の告白までできたんだよ?暁人君の方は告白を演出だと思ったらしいけど、よかったわね」

「…(広瀬、もう1回くらいキスしないとワリに合わねえ…)」

その日暁人と実央の家にはずーっとおかしな雰囲気が漂(ただよ)っていたが、

(これだからここに来るのは止(や)められないのよね、ネタの宝箱でアイディアが次々浮かんじゃうから嬉しい悲鳴♪)

アイミだけはBL漫画家としての充実感を心ゆくまで味わっていた。


   バラの行方


 実央のもとにバラが届いた翌日の日曜日、暁人と実央は明石家を訪れた。実央の父・匠に浮気疑惑を掛けられていた暁人は、詳しい事情を説明しに来たのだ。もちろんあのキス事件の直後、電話で誤解であると伝えていたが、暁人も実央も明石家には今回の件の詳細は話していなかったからだ。

「お父さん・お母さん、お久しぶりです。急にお邪魔してすみません。今回はその…僕の不徳(ふとく)の致すところで色々ご心配をおかけしまして…」

明石家の玄関に立った暁人は、芸能人の不倫の言い訳のような前口上(こうじょう)で実央の両親に挨拶をした。二人の交際が発覚した当初、匠は前向きな反応を見せてはいなかった。暁人の母・静子ほど強硬(きょうこう)ではなかったが、理解を得るまでは時間を要したので暁人も匠には気を遣(つか)っているのだ。

「あらまあ、キレイなバラ!100本くらいあるんじゃないの?すごいじゃない、どうしたの?」

実央の母・実和子が感嘆の声を上げる。実央は結局、最上から贈られたバラを実家に持って来た。昨日綾乃とアイミに分けようとしたのだが、「電車で持ち帰るのは面倒だから」とあっさり断られてしまったのだ。だが家に置いておくと嫌でも視界に入るし、何より香りがけっこう強い。それで暁人はずっと不機嫌な状態のままでいる。今日車でここに持って来たが、バラの香りが充満する車の中で暁人は終始苦虫(にがむし)を噛(か)み潰(つぶ)したような顔つきで運転をしていたのだ。

「ええと…ちょっと頂いたものなんだけれど…暁人さんがバラの香りが苦手みたいで、ここに持って来たんだ」

実央が困り顔で説明する。

「(バラ100本がちょっとした頂き物?)そうなのね、たくさんあるからご近所に分けてもいいかしら」

実和子が聞くと

「どうぞどうぞ、どんどん配っちゃって下さい。お気兼(きがね)ねなくどうぞ」

暁人の方が大き目な声で答えたのだった。


 暁人は10月に舞い込んだ縁談話からここまでの、大まかな経緯を匠と実和子に説明した。

「そんなに大変な事になっていたのか…広瀬さんの方も大変だったんだね」

二人とも驚きを隠せない。匠と暁人の父明は、わりと早い時期から意気投合して仲が良かった。

「こちらには何事もなかったようで良かったです。ご心配をおかけしないよう、解決してからお話しするつもりでした」

「じゃあもう解決したって事でいいの?それで今日来てくれたんでしょう?」

実和子の言葉に

「はい、多分もう大丈夫かと…(早いとこバラを処分したかったっていうのもあったけど)」

暁人は神妙な面持ちで答えた。そのとき明石家のインターホンが鳴った。

(イヤな予感がする…)

暁人は玄関の方を恐る恐る見る。

「お邪魔しまーす、実和子さん久しぶりー!」

「姉さん…なんでここに…篤紀まで…」

来るのが当然と言わんばかりに明石家のリビングに入ってきた二人を、暁人は睨んだ。

「あら暁人、もう来てたのね。なんでって、明石さんにはちゃんと事前に連絡したもの。実和子さんと私がずーっと(腐女子の友として)仲良しなのは知っているでしょう?最近バタバタしてゆっくり話せなかったから、ねえ、実和子さん」

「そうねえ」

綾乃はふとバラの匂いに気が付いた。

「あちゃー、このバラ、ここに来ちゃったんだ」

「綾乃さん、知ってるの?バラの事」

「知ってるも何も…」

「姉さん!!」

「まあまあ、ちょっと早いけれどお昼にしましょうか」

実和子がそう言うと、

「お母さん、僕マリネ作ってきた。広瀬のお母さんに教わったサラダ」

実央がクーラーバッグを取り出す。

「あらうれしい、静子さんのマリネ美味しいものね。実央は色々教えてもらっているの?」

「うん、でも煮物はまだ遠く及ばなくて…」

ほのぼのとした会話の中で、暁人は姉弟(きょうだい)にきつい視線を送っていた。


 食事をしながらもやはり話題はこの約2か月間の話になった。

「そんな状況なら、早く相談してくれても良かったのに」

匠が実央に向かって言った。

「うん…でも僕たちもどうしていいかわからなくて」

実央は俯(うつむ)く。

「だけど静子さんの対応はありがたかったわね。変わらずに二人の味方をしてくれて」

実和子がほっとしたような顔で言うと、

「私も意外だったわ。てっきり社長令嬢に乗り換えろとか言い出すと思ったから」

綾乃も相槌を打つ。

「俺も頑張ったよ」

篤紀が自分を指さしてアピールした。

「あんたは何もしてないじゃん」

綾乃の冷たい一言に

「え、ええと…社食の円テーブルを確保した!」(※しつこいようですが確保したのは腐女子会)

「はあ?何よそれ」

「それにしても実央君、すごかったよね。俺見直しちゃったよ、敵にも敢然(かんぜん)と立ち向かってさあ」

分が悪い篤紀が思い出したように言った。

「全然怯(ひる)まなかったもんなあ」

「ああ、あれは…」

実央はくすりと笑った。

「今回の件が起きて、最初にお姉さんがうちに来た時に言ったでしょう」

「私が?何を?」

「『これから悪の組織と戦わなくちゃならない』って、そうしたら篤紀君が『戦隊ヒーローものかよ』って」

「…言ったっけ?」

綾乃は篤紀の顔を見る。

「…言ったような気もする…かな?」

どちらの記憶もだいぶ怪しい。

「それを聞いてなんとなく気合が入ったっていうか、負けないぞ・暁人さんを守るぞって気持ちになったというか」

「そうなんだ?」

綾乃は今一つピンときていないようだったが、実和子が大きく頷いた。

「ああ、そういえば実央は小さい頃特撮(とくさつ)ヒーローものとか大好きだったものねえ」

実和子の言葉に広瀬3姉兄弟(きょうだい)が「えっ」となる。

「実央君が特撮ヒーロー好き?意外~、結びつかない、どちらかというとおままごととか…」

「…おままごとはいい思い出がないです…」

「ああ…(察し)」

「よくテレビに齧(かじ)りついてたわよねえ、何を言っても動かなくて。DVDもよくねだられたわ」

実和子が思い出してクスクス笑う。

「暁人知ってた?」

「いや…」

「やっぱりヒーローごっことかやったんだ?」

「やったけど…ヒーローごっこもいい思い出がなくて…」

「そうなんだ?悪役ばかりやらされたとか?」

「悪役はなかったけれど、ヒーロー役もやらせてもらえなかったです。いつも怪人に攫(さら)われる役ばかりだったから、つまらなくなってやめました」

「ああ…(ヒロインポジか…)」


 食事が終わってデザートとお茶で一服する。ちょっと小声で実和子が綾乃に話しかけた。

〔実央には悪いけど、暁人さんと岩城さんのキスシーン、すごくステキだったわね。ドキドキしちゃった〕(※お母さん…)

〔ねー、あの二人だと暁人が受けなのかしら。結構絵になってましたよねえ〕

「なんだよ、姉さん」

姉の視線が気になったのか、暁人は不審な面持(おもも)ちになる。

「いやいや、二人とも偉かったねって話してたのよ。どんなにちょっかい出されても、色よい話を出されてもビクともしなかったでしょう」

綾乃がこちらの話をごまかそうとする。

「そんなの当たり前…」

暁人が言いかけたところでデザートの梨を食べていた実央が、

「だって暁人さんが僕以外を好きになるとかあり得ないし」

さらりとそう言った。

(え…)

匠は気に留(と)めなかったようだが、実和子・綾乃・篤紀は思わず実央の顔を見た。実央は変わらず母の剥(む)いた梨を美味しそうに食べている。特に何か意図したわけではなく、無意識に出た実央の言葉だった。

 暁人は思わず隣の実央の顔を見た。そして実央の表情になぜか暁人はゾクッとした。決して不快な悪寒などではない。何とも言えない、暁人にしかわからない感覚だった。

(あら…)

二人の様子を見て、実和子が何か気付いたらしい。

「実央」

ふいに母に呼ばれて実央は顔を上げた。

「追い出すわけじゃないけれど、明日早いんでしょう?今日はそろそろ帰りなさい」

「え」

「月曜日は朝早いって言ってなかった?」

「それは…全校集会があるから確かに早いけど…」

「お天気も下り坂だってテレビで言ってたし、そうしなさい。また泊まりでゆっくり来て話を聞かせてちょうだいね」

「なんだ、せっかく来たのに慌てて帰ることないじゃないか」

親バカの匠が息子を引き留めようとする。

「帰ろう、実央」

暁人もそう言いだした。

「そうですか?…じゃあ後片付けをしてから」

「お母さんがやっておくからいいわ、バラの花束ありがとうね」

「うん…」

実和子に急(せ)かされるように、実央は帰り支度を始めた。

「お父さん、また来るね」

「ああ…」

匠はがっかりしている。

「姉さん、父さんと母さんによろしく言っといてくれ。また改めて二人で報告に行くから」

暁人は綾乃に実家への伝言を頼んだ。

「わかったわ、気を付けてね」

4人で二人を見送りまた居間に戻ったが、匠は実央が帰ってしまった事にへそを曲げて、リビングにテレビを観(み)に行ってしまった。

「実和子さん、いきなりどうしたの?私たちも帰った方がいい?」

綾乃が不思議に思って実和子に確かめた。

「ああ、綾乃さんたちはゆっくりしていってちょうだい。ただあの子たちは…なんとなく早く二人だけにしてあげた方がいいかなって気がしたから」

「あー、実央君が大変になるパターンか…」

「大変て、何が?」

篤紀は(腐男子のくせに)状況がよくわかっていなかった。

「それにしても、実央は変わったわね」

実和子が言った。

「ああ、アイミもなんかそんな風(ふう)に言ってたわね。『マシュマロが折れないポッ〇ーまたはブランデーチョコになった』とか、訳のわからない事を言ってたわ」

「アイミさんらしいわね、それじゃあバラの話、じっくり聞かせてもらおうかしら」

実和子はそう言ってお茶を入れ直した。


   雨上がり


「明石先生、おはようございます。昨夜は結構降りましたね」

「おはようございます、金谷先生。そろそろ乾燥してくる季節なのに雨が多いですね」

実央が実家に帰ってから数日後、ここは職場である私立三輪春学園。あれから理事長は何も言ってこないし、とりあえず仕事は通常通り…だったのだが…

(また来てる…)

実央はため息を吐(つ)いた。デスクで職場専用のPCを開いて、実央はいつものようにメールのチェックをしている。

 このPCは学園支給で基本的に持ち出しは不可。携帯したければ自分のタブレット等を併用しなければならない。当然メールアドレスも学園専用のものになっている。保護者との連絡は電話かラ〇ンだが、職員同士や国内に3校ある兄弟校とのやり取りにも使う。

 それがここ2,3日新たな送信元からメールが送られてくるようになった。最上光太郎である。これまでのお詫(わ)びやら食事の誘いやら個人的な連絡先を教えてほしいやら愛の言葉やら、様々な内容だ。おそらく理事長が教えたのだろう。個人情報の流出だと文句を言いたいところだが学園の支給品だし、最上は一応学園OB会のトップに名を連(つら)ね、毎年多額の寄付もしている。学園の関係者と言えば関係者なので、文句が付けにくい。

(これ…本気なのかな?また新たな策略?返信にも困るんだよなあ。暁人さんには絶対言えないし)

バラの花束で烈火(れっか)の如(ごと)く怒った暁人だ。直接メールが来てるなんて知られたら、大変な事になる。実央の手はPCのキーボードの上で止まっていた。

「明石先生、その指輪…」

実央の手元を見た金谷が、その左手薬指に気が付いた。

「あ、へへ…これ、嵌(は)めちゃいました」

照れたように笑う実央の顔に

(うっ、かわいい)

と思いつつも、当たり前だが金谷はショックを受けていた。悪気はないが、こういうところが「実央君残酷」と評される所以(ゆえん)である。

 校内でも実央の指輪の事は、すぐ話題になって広まった。

<ショック~、実央ちゃん結婚したの!?>

<いや、結婚はしてないらしいけど…婚約かな>

<相手は誰だよ、校内…には対象者はいないな、オバサンだけだし>

<実央ちゃん「ナイショ」とか言って絶対教えてくれないんだよ、その笑顔がまた凶悪>

 校内で実央の相手を知るのは金谷の他にもう一人、現在3年生の沢田夏(さわだなつ)だけだ。理事長が暁人の事をどこまで知っているかは実央も把握していないし、沢田に知られている事も知らなかった(※『実央先生とある腐男子の日常』参照)。誰にも指輪の相手を教えるつもりはなかったが、実央は堂々と「自分には好きな人がいる」と示したかったのである。


 一方こちらは大室精密本社ビル、お昼の社食。暁人・岩城・大野・山下の4人が会していた。今日篤紀は腐女子会のテーブルの方に行っていた。暁人はこれ見よがしに実央が作ったお弁当を広げている。

「ひとまず落着って事なのかな。あれから副社長何か言って来たか?」

「いえ、何も。諦めたって事じゃないですかね」

「岩城もお咎(とが)めなしか」

「ええ、あのタイミングで浅見専務が一時帰国したから、それどころじゃなかったみたいっすよ。まあ俺は社外での実害が酷(ひど)かったですけどね…」

実際岩城はあの後各方面への対応に追われたのだ。多くの友人・知人たちへの釈明(しゃくめい)。強引に「あれはお約束のサプライズ」という事にした。苦労したのは家族への説明だが、「親友のピンチを救うため」と大まかな説明だけで納得してもらった(※してもらえたのか?)。離れたセ〇レは仕方がない、新規開拓しようと前向きに切り替えた(※クズの前向き)。

「ところでこういう時真っ先にからかってきそうなサポート課のヤモリが、何も言って来ないよな」

岩城が気付いてそう言った。

「あー、あいつ異動になったらしいぞ」

大野の答えに

「え」

暁人と岩城が意外そうな顔をする。

「あいつお前たち以外にも態度が良くなかったからさ、人事部に目を付けられていたんだよ。北海道にある下請(したう)け工場に出向(しゅっこう)したとかなんとか。向こうも迷惑だよな」

岩城は内心思った。

(ザマアミロ…と言いたいところだが、うまいもの天国の北海道だとアイツ案外喜んでるかも?ムカツクわ)

「専務はまた海外出張に戻られたんですよね」

「ああ、戻る前に専務はお見舞いがてら社長のお宅を訪ねたらしい。何を話したかはわからないけれど、社長は肝臓の数値がだいぶ良くなったとかで、思ったより早く復帰できそうだって。次期社長の事も考えて、社内の事を色々見直すとか…」

「山下、お前なんでそんな事知ってるんだ?」

「そうですよ、どこからの情報です?」

大野と岩城が立て続けに山下を問い詰めた。

「え?ああーと…ちょっと小耳に挟んで…」

「怪しいな…まあいいか、結婚に免じて許してやる」

大野の言葉に

「「えっ!」」

暁人と岩城が同時に叫んだ。

「結婚ていっても、来年の話な。ちゃんと決まったら知らせるよ。広瀬と岩城も式には来てもらいたいし」

山下が恥ずかしそうに報告する。

「おめでとうございます!」

「お相手は社内の人ですか?俺らの知ってる人ですか?」

「へへ…まあそのうちな」

「こいつ、勿体(もったい)ぶってなかなか教えてくれないんだわ」

「なんか一気に話が進んでさあ、俺も実感なくて」

「お見合いっすか?」

「いや…一応恋愛?」

「なんですか、一応って」

先輩後輩の会話は、久しぶりに明るい空気に包まれた。


 話が弾(はず)んだところで、岩城がひょいっと暁人のお弁当に箸(はし)を伸ばした。

「あっ、岩城お前、実央の卵焼きを…」

「いいだろ一つくらい。ケチケチすんな、いつも食ってんだから。うん、うまい」

「大目に見てやれよ広瀬、岩城はお前のために自分の身を犠牲にしたんだ、くくっ、ホントによくやったよ、ふふ…」

大野が笑いを堪(こら)えながらフォローする。

「そりゃ感謝はしてますけれど…あ、そういえば実央に言われたんだ。お礼も兼ねて皆さんを招いてカレーパーティしたいって」

「おお、そりゃ嬉しいな。俺たちまだ食ってないもんな」

山下が身を乗り出す。

「なんか具材のリクエストありますかって言ってたけど。岩城はエリンギだったよな」

「(大)そうだなあ…俺は定番のジャガイモ・人参(にんじん)・玉ねぎごろごろかな。それで豚肉」

「(岩)え、鶏(とり)が美味しくないですか」

「(山)俺は母親が大阪出身だから、牛が多かった」

カレー談議に花が咲く。

「(岩)じゃあそれぞれ1回ずつご馳走(ちそう)になろう。材料費はこっちで持ってもいいぞ」

「…実央のカレーを食いに3回もうちに来るのかよ…」

「冗談だよ、実央君に任(まか)せる。お前実は実央君の手料理を他の男に喰わせるの嫌だろ?」

「…(図星(ずぼし))…」

「心が狭い男は嫌われるぞ。まあ実央君に捨てられたら、俺が広瀬を拾ってやってもいい」(※半分冗談、半分本気)

「お断りだ、俺は実央の傍(そば)を絶対離れない」

暁人ははっきりとそう答えた。


 その日は午後からまた強めの雨が降ってきた。

「降ったりやんだり、いやになるわね」

ここは都内のある喫茶店。ちょっとレトロで昭和の雰囲気が漂(ただよ)っている。綾乃とアイミは次回作の打合せがてら、遅めの昼食を取っていた。

「大丈夫だったの?半日休暇なんか取っちゃって」

「あー、平気平気。仕事は一区切りついてたし、その辺うちの会社はわりと融通(ゆうづう)利(き)くのよ。仕事に支障が出なければOKなの。それにさあ」

綾乃は、「やれやれ」というように首を傾けた。

「岩城君の写真を同僚に見せたら、納得するどころか異様に盛り上がっちゃって、今度は『会わせろ』ってうるさいの」

「会わせてあげたら?バイト代出すんでしょ?」

アイミがクスクス笑う。

「んー、まあ考えとく。でもあまり彼に借りを作るのもね」

「いっそ、付き合っちゃえば」

「だから身持ちの悪い男はイヤだって。しかも暁人に惚れてんのよ?弟に惚れてる男と付き合うってどういう状況よ。BLなら面白いけれど、当事者になるのはカンベン」

この二人にとって「岩城が暁人に惚れている」という推測は、いつの間にか確定事項になっていた。


「それで、次の作品のコンセプトは?光?夜明け?闇?」

「私はやっぱりハッピーエンドが好きなのよね。途中波乱があっても『二人は幸せになりました』っていうのが描きたいの」

「うん」

「今回もネタはたくさんもらったけれど…やっぱり実央君の変化は興味深いなあ。あれをうまい事ストーリーに落とし込めないかしら。なかなか難しそうだけど」

「そうね…この間明石さんの家に行ったんだけれど、実和子さんも言ってたわ。『実央は変わったわね』って。私はアイミみたいにすぐ気が付いたわけじゃないし、具体的な説明はできないんだけれど…」

綾乃は珍しく?言葉にする前に考えた。でもどうしてもいい表現が見つからない。

「蛹(さなぎ)が蝶になったとか、そういう陳腐(ちんぷ)なのじゃなくて…んー、逞(たくま)しくなった、一皮剝(む)けた、強くなった、色っぽくなった…あー、違うな。つくづくボキャブラないわー、私。最上光太郎の文才の無さを笑えないわよね」

綾乃は頭を抱える。アイミが笑った。

「でも全部外(はず)れていないと思うよ」

「別に元から弱い子だとは思ってないわよ。ただアイミが『マシュマロ』って言ったみたいに、実央君てほわーんとした癒(いや)し系というかさ」

「わかるよ」

「それでいて暁人の愛情も執着も、時には怒りだってちゃんと受け止めて吸収しちゃうしなやかさがある。そういうところ、実はちょっと尊敬してるのよね。でも今回それだけじゃないってわかった。理不尽な圧力は断固として撥(は)ね除(の)けるし…あとは…やっぱり…」

綾乃はまた顔を傾けて目を瞑(つむ)り、

「『魔性の男』だわね」

アイミは吹き出した。

「何よ、結局それなの?」

「今までは冗談半分だったのよ、でも今回の事で完全に開花しちゃったなって。しかも実央君無自覚なところがコワイ」

綾乃は先日明石家に行った時の事を思い出していた。無意識に出た実央の言葉。それを聞いた時の暁人の表情—今思えば綾乃ですらゾクッとしたような気がする。

(暁人はもう実央君から離れられないな)

「癒し系と魔性の共存か。いいわね、ギャップ萌(も)えとはちょっと違うけれど、一人の人間の中に相反(あいはん)するような二つの性質が存在する―か」

アイミは何か思いついたようだった。

「あ、雨が上がったわよ、綾乃」

「ほんとだ、この後田島(たじま)さんとも打合せよね、そろそろ出ようか」

田島はアイミがお世話になっている出版社の編集担当だ。綾乃はアイミのマネージャー的な立場なので、打合せには同席する事が多い。会計を済ませると、二人は傘を腕に掛け外に出た。

「うわ、眩(まぶ)しい、いきなり晴れたわね」

雨が上がって鮮やかな青空が広がっている。

(あれ?)

外に出た綾乃は辺りを見回した。

(違う風景みたいな気がする)

店に入る前と何も変わっていない。そこには同じ建物が並び、看板が掲(かか)げられ、街路樹(がいろじゅ)が立っている。違うのは行き交(か)う人と車くらいだ。ただあちこちに残った水滴が陽(ひ)の光でキラキラと反射していて、空気感が違う。輪郭(りんかく)がはっきりしたような感じだった。

(なんだか実央君みたい)

見た目が変わったわけではないのに何かが変化した、綾乃はそう思った。

「綾乃?」

歩き始めていたアイミが立ち止まったままの綾乃に気が付き、振り向いて声を掛けた。

「どうしたの?忘れ物?」

綾乃はハッとしてアイミを見た。

「あ、ゴメンゴメン、虹でも出てないかなと思ったんだけれど見えないわね」

「出ていても、ちょっと街中からは見えないかもね」

「うん、急ごう。田島さん、時間に厳しいから怒られちゃう」

綾乃は畳(たた)んだ傘を持ち変えてアイミと二人、雨上がりの歩道を歩いて行った。


               終わり


           おまけ 比翼(ひよく)の鳥


「お父さん、お母さん、実央と暁人さん連れて来たよー」

真知(まち)の声が元気に響いた。ここは北海道札幌市の郊外にある住宅地。北原(きたはら)家の門を通り、真知に案内されて若い青年二人が入ってきた。玄関ではなく、直接庭の方に回る。もう3月とはいえ、まだ雪が残っていた。そこにはテーブルと椅子が置かれていて、老人二人が腰かけている。天気が良くこの時期にしては暖かかったので、日向(ひなた)ぼっこというところか。

「おじいちゃん、おばあちゃん、久しぶり。元気だった?」

小柄な方の青年・明石実央が祖父母に声を掛ける。

「実央かい、よく来たね、お仕事は大変なの?」

祖母が嬉しそうに実央の手を取った。

「うん、まあ、なんとかやってるよ」

そう言うと実央は振り返ってもう一人の青年・広瀬暁人の方を見た。

「紹介するね、この人が広瀬暁人さん。僕のとても大切な人」

「広瀬暁人です。初めまして。実央君のパートナーです」

暁人は実央の祖父母の前に立つと、深く頭を下げた。やや緊張した面持ちだ。暁人と実央が付き合い始めて5年半以上が過ぎた。その間実央は何度か両親とともに母・実和子の実家がある北海道に帰省(きせい)しているが、暁人と一緒に来たのは今回が初めてだった。

「お父さん、お母さん、この前話した広瀬暁人さんよ」

真知が言葉を添(そ)えた。真知は実和子の妹で、実央の叔母に当たる。実央たちが来る前に、二人の関係は両親に知らせていたのだ。

「あらまあ、モデルさんみたいに素敵な人ね、実央のお婿(むこ)さんは」

祖母の言葉に暁人と実央は顔を見合わせて、困ったように微笑んだ。祖父はまだ口を開かない。

「二人ともごめんね、庭の方が先になっちゃって、玄関に回って中に入ってちょうだい」


 広い居間に通されて、二人は改めて挨拶をした。

「これは僕たちからです。お口に合えばいいのですが…。こちらは僕の実家からで」

暁人が手提(てさ)げから菓子折りらしいものを二つ取り出した。

「こっちはお父さんとお母さんから預かったものだよ」

実央ももう一つお土産(みやげ)を取り出した。

「まあまあ、ありがとうね、お気遣い頂いちゃって。おじいさんもお礼を言って下さいな」

祖母が祖父の方を見た。

「うん…」

祖父はぽつりとそれだけ言う。真知が暁人に囁いた。

〔ごめんなさいね、暁人さん。おじいちゃん、別に怒ってるわけじゃないのよ。もともと口数の少ない人で…〕

「はい」

暁人は苦笑した。実央が仏壇にお線香をあげて手を合わせたので、暁人もそれに倣(なら)った。座卓(ざたく)に戻って座布団に座ると、暁人は改めて居住(いず)まいを正し実央の祖父母に向き直る。

「僕たち二人の事をお聞きになって驚かれたと思います。交際を始めて5年半、同居もこの春で丸2年になりました。同性同士という事でここまで色々ありましたが、お互いを想う気持ちに変わりはありません。これからもずっと実央君を大事にします。今回はそのご報告に上がりました」

暁人はここに来るまでに頭の中で整理していたことを、ゆっくりと自分自身にも言い聞かせるように祖父母に伝えた。

 祖父は相変わらず口を閉ざしたままだったが、祖母の方が

「それはそれは、ご丁寧に」

そう言って、ちょっと複雑な表情を滲(にじ)ませた。

「ごめんなさいねえ、暁人さん」

「え?」

「実央が女の子だったらよかったのにねえ」

祖母はそう言って残念そうに頬に手を当てた。祖母の意外な反応に実央も暁人も戸惑っている。ただ祖母の言葉は、悪意でも嫌味でもないようだった。真知が慌てて

「ちょ、ちょっとお母さん、何言ってるの、失礼でしょうそんな言い方!ごめんね、暁人さん、母に悪気はなくて…」

そう暁人にとりなした。それでも祖母は話し続ける。

「実央は小さい頃そりゃあ可愛くてね。行く先々で女の子に間違われたの。親戚も可愛い服ばかり買って着せちゃったのよ。『実央君は女の子に生まれればよかったね』って何度言われたことか」

「お母さん!」

真知が堪(たま)らず叫ぶ。

「大丈夫です」

暁人は笑顔で真知を制した。

「おばあさん、僕は明石実央という人間が好きなんです。男でも女でも関係ないんですよ。もし実央が女性だったせいで僕と出会えなかったとしたら、やっぱり男でよかったって思います」

噛(か)んで含めるように、暁人は祖母に説明した。

「でも…子供が…」

祖母がそう言いかけた時

「やめないか、千鶴子(ちずこ)」

祖父が口を開いた。


「お前は広瀬さんに申し訳ないと思って話しているのだろうが、的外(まとはず)れだとわからないのか」

「おじいさん…」

「広瀬さんは実央がいいと言ってくれてるんだ、それでいいだろう」

「お父さん、二人の事認めてくれるの?」

真知の方が身を乗り出した。

「認めるも認めないもない、二人がいいならそれでいい。認めんと言ったらやめるのか」

「やめません」

暁人は食い気味にきっぱり答えた。暁人はちょっとおかしくなった。今祖父が言った言葉は、奇(く)しくも最初に父明が自分に言った事と似ていたからだ。

「だけど実央は子供が産めないから、暁人さんに悪くて…」

祖母はなおも言い続けた。祖母の中でも実央は「嫁ポジ」らしい。

「お前は古い、今時そんな事を言うのは時代遅れだ。LG…なんとかを知らんのか」

「お父さん…(そんな言葉知ってたんだ、最初の2文字だけだけど)」

真知がどうフォローしたものかと迷っていると、

「おじいちゃん、おばあちゃん」

実央は祖父母の近くに行って、それぞれの手を取った。

「曾孫(ひまご)はごめんね。でも僕は暁人さんと一緒にいられてとても幸せなんだよ。だから安心して」

孫の言葉を聞いて、祖父はその日初めて相好(そうごう)を崩した。

「それならいい」

祖父は何度もうんうんと頷いた。

「ほら、これね、暁人さんがくれた指輪なんだ。素敵でしょう?」

実央は嬉しそうに自分の左手を祖父母に見せる。

「明石家の人は本当に心が広いですね、真知さん」

暁人は3人の様子を見て心の底から感心している。祖母の心配も決して悪意からでない事は、暁人にも理解できた。

「まあ、北海道の人はわりとおおらかかもね。安心して、こっちの親戚一同は大丈夫だと思うわ。先に知らせると『実央が彼氏を連れてきた!』って大騒ぎしちゃうから、今回は話していないけれど。あなたたちが帰った後、私がみんなにうまい事言っておくわ。次回は覚悟しておいてね、大宴会になると思うから」

「はい、覚悟しておきます」

暁人は笑った。真知は去年夏の広瀬・明石両家の食事会に出席している。その時暁人とも会っているので、気安く話せるのだ。内心真知は思った。

(私とお姉ちゃんには「腐女子」っていう付加価値もあるんだけどね)(※付加価値?)

「曾孫も気にしなくていいよ、両親はまだ70代だけど兄の所に曾孫が生まれているから」

真知はそう付け加えておいた。

 その日二人は祖父母宅に泊まった。

「おばあちゃんの肉じゃがおいしい。懐かしい味だ」

「実央はほんとにジャガイモが好きだね。また実和子の所に送るから、たくさんもらいなさい」

「うん」

「実央の肉じゃがも美味しいですよ。おばあさんの味に似ています」

「そう?うれしいね」

5人で楽しく喋(しゃべ)りながら、夜は更(ふ)けていった。


 翌日朝、暁人と実央は祖父母宅から旅に出ることになった。

「おじいちゃん・おばあちゃん、泊めてもらってありがとう。ごちそうさまでした。また来るね」

「いつでもおいで、暁人さんと一緒に」

「お世話になりました。是非僕たちの家にもお越し下さい」

「そうだな、実央の暮らしも見てみたいな。実和子と匠さんにもよろしく伝えてくれ」

祖父母は孫と離れがたいらしく、実央の手をなかなか離さなかった。

「さ、列車に乗り遅れるからもう行くわよ、駅まで車で送ってくからね」

真知が暁人と実央を玄関先から引っ張り出す。祖父母は二人の後ろ姿が消えるまで、ずっと手を振っていた。

「あら、実央、泣いてるの?」

車を運転する真知がバックミラーを覗き、後部座席の実央の様子に気が付いた。

「うん…ちょっとほっとしちゃって…よかったなって…」

隣の暁人が実央の頭を優しく撫(な)でる。

「僕たちたくさんの人に応援してもらってお世話になって…幸せだね。みんなにお土産奮発(ふんぱつ)しなくちゃ」

「そうだな」

(相変わらずラブラブねえ)

真知はバックミラーの中の二人に、笑顔を向けた。

最寄(もよ)り駅について車を降りると

「暁人さん、お姉さんの綾乃さんにもよろしく伝えてね。いつでもお待ちしてますって」

真知がそう言った。

「姉ですか?はい…伝えます。 (なんで姉さん?)。駅まで送って頂いてありがとうございました」(※『広瀬家と明石家の長い一日』参照)

「なんもなんも。実央はわかってると思うけれど、この先北海道での移動を甘く見ないでね。お姉ちゃんが道外の人はとんでもない旅行プランを立てるって、よく笑ってたわ。無理しないで鉄道使って、まだ雪が残っているからレンタカーの運転も気を付けて。給油はまめにする事。信号は少ないけれど、飛ばし過ぎないように。どうせ来るならG.Wがよかったのに」

真知は一気に注意事項を伝えた。

「それも考えたんだけれど…G.Wは人出も多いし、宿も高いし…まだ寒いけれど、今の方がいいかなって」

「しっかりしてるわね、まあいつでも遊びに来なさい、待ってるわ」

真知とはそこで別れ、二人は駅へと歩(ほ)を進めた。


 今回二人は、実央の春休みに会わせて予定を立てた。新年度実央は2年生の担任を受け持つことになっているので何かと忙しかったが、残業を頑張り何とかスケジュール調整して、連休をもらったのだった。

 祖父母の家を出てから2日目、二人は標茶町(しべちゃちょう)にある展望台に来ていた。

「すごいな…」

暁人が感嘆の声を上げる。

「へへ、いいでしょう?ここは僕のお気に入りなんだ。札幌から離れているから帰省のたびに来られるわけじゃないけれど、よく連れてきてもらったよ」

 さほど高くはない展望台だが、上(のぼ)ると360度に展開した北海道の大地が一望できる。地平線を眺めて、地球が円(まる)い事を実感できる。飛行機や列車からも北海道の広さは体感できたが、ここは圧巻だった。牧場もあるし、夏ならキャンプも楽しめる。まだ雪が残る中、空気は冷たかったが心地よささえ感じる。季節的に特別な何かがあったわけではないが、暁人はその雄大さに息を呑(の)んだ。

「暁人さんと北海道に来たら、絶対ここに連れて来たかったんだ」

実央は手すりにもたれて、暁人に笑顔を向けた。二人の会話からいつの間にか敬語が消えている。大学生の頃は必ずしも敬語ばかりではなかったのに徐々に敬語オンリーになってしまって、暁人はそれが不満だった。実央とはいつでも対等でいたいからだ。ただ「さん」付けはまだ変えられないらしい。

「うん、すごいよ実央、俺こんなに広い空を見たのは初めてかもしれない。北海道は中学の時に家族旅行で来たけれど、訪れたのは札幌とか函館とか街の方が多かった。そこも良かったけれど母さんや姉さんは買い物ばかりしていたし、篤紀はラーメンラーメン騒いでたし」

暁人の言葉を受けて

「まだステキな所がたくさんあるよ。何回も来ようね、北海道は広いから」

実央がそう言った。やや陽(ひ)が傾きかけて、ほんのり夕方の気配が現れ始めている。暁人は「何回も」といった実央の言葉に、自分たちの仲がこれからもずっと続いて行くのだと実感した。

「実央…」

暁人は実央の腰を抱き寄せて、キスをした。展望台には他に何組かの旅行者がいて、いきなりのラブシーンに思わず目を奪われている。しかしからかったり、カメラを向ける者は誰もいなかった。二人の様子があまりに自然で、見とれてしまったからだった。


「暁人さん、こういう事をすると『バカップル』って言われるよ」

実央は照れて暁人の体を少し押した。

「いいよ、言われても。俺は実央の事になるとバカになるんだ」(※うん)

「それじゃ困るんだけど…あ、あそこ、鳥が飛んでる。2羽いるけれど番(つがい)かな」

「ほんとだ」

実央の言葉に近くにいた子供か反応して

「パパ、ママ、鳥さんがいる!何の鳥?」

楽しそうに話しているが、遠すぎて種類まではわからない。

「実央知ってるか?動物の世界って案外オス同士のカップルが多いらしいぞ」

「えっ、そうなの?」

「まあ動物ならではの事情もあるんだろうけれど、ペンギンなんか純愛もあるらしい」

「へえ、人間だけじゃないんだ…あの鳥はどっちかな」

実央は遠くを飛ぶ鳥を眺めている。

「ああ、そういえば」

暁人が思い出したように話し始める。

「6月に山下さんが結婚するそうだよ」

「えー、それはおめでたいね、ジューンブライドかあ、いいなあ」(※「いいなあ」とは?)

「会社では佳山部長と大野さん、俺と岩城も出席するんだけれど実央にも来てほしいって」

「僕!?なんで僕まで」

「俺たちが縁結びなんだって」

暁人がニヤニヤして実央を見る。

「僕たちって…あ、ひょっとして去年の夏の食事会?」

「当たり、人事部の堀越さんとゴールインだって。早いよなあ、まだ1年経っていないのに。浅見専務が仲人(なこうど)やるって張り切ってるらしい。山下さんたちは仲人なしでやるつもりだから、どうしたもんか困ってるって。堀越さんからも報告を受けたけど、あのクールな人が照れくさそうに笑っててさ、こんな表情もするんだってびっくりしたよ」

「そうなんだ、驚いたけど幸せになってくれたら僕たちもうれしいね」

「そうだな」

「そう言えば、篤紀君と三松さんも付き合ってるらしいよ」

三松(みまつ)晴奈(はるな)は実央と篤紀の大学時代の先輩だ。

「そうなのか?篤紀のやつ、俺には何も言わないぞ」

「僕も三松さんから聞いて知ったんだ。食事会の時箱根の件をごまかすための方便(ほうべん)だと思ってたけど、三松さんは卒業前から篤紀君の事が好きだったみたい。嬉しそうに話してた」(※この辺の事情は『研究室の三松さん』・『広瀬家と明石家の長い一日』等をご参照下さい)

「あの篤紀をねえ…奇特(きとく)な人だな」

「最近篤紀君うちに泊まりに来ないでしょ。どうも三松さんの所に行ってるみたいで」

「あいつ…ちゃんと手順を踏んでるんだろうな」

「手順て…僕たちだって…」

「俺はちゃんと早くに双方の家族へ挨拶や紹介をしたぞ」

「そうだけど…その前に暁人さんだって…」

実央はクスクス笑う。

「なんだよ、手が早かったっていうのか」

暁人は顔を赤らめて聞き咎(とが)める。

「遅くはなかったよね。暁人さんは肉食系だよ」

「……」

暁人は黙った。


「みんな幸せになるといいな、『比翼の鳥』みたいに」

実央はすでに飛び去って鳥のいなくなった方角を見ながら、そう呟いた。

「『連理(れんり)の枝 比翼の鳥』だっけ?古典か漢文かで習ったな」

「うん、男女や夫婦の深い結びつきを表した言葉。『比翼の鳥』は翼と目が一つずつしかない雄と雌が、繋がった体で助け合いながら飛ぶ様を表現しているんだって」

実央は頬杖(ほおづえ)を突いて遠くを眺めながら、言葉を続けた。

「外から見ると比翼の鳥は普通に見えなくて可哀想って思われたかもね。2羽が助け合わないと飛ぶこともできないから。でも自分たちはそれが幸せだって思ってたんじゃないかな」

そう言うと実央は手すりを持って、軽く背伸びをする。

「僕ね、付き合い始めの頃は全然自信がなかったよ。暁人さんと全く釣(つ)り合っていないし、いつ捨てられても仕方がないなって。神様のいたずらで僕らが出会ったのなら、神様もひどい事するなって思ってた」

「実央」

「でもね、今は神様がいたずらしたのが僕たちでよかったって思ってる」

実央は暁人の方を向いて、満面の笑みを見せた。暁人はまた実央の腰を抱き寄せたが、今度はキスをせず頭をこつんと触れ合わせた。

「愛してるよ実央、男女でなくても俺たちは『比翼の鳥』だ」

「うん」

陽(ひ)が傾きかけた北の大地で、暁人と実央は2羽の鳥が飛んでいた方角を名残(なごり)惜(お)し気にずっと見つめていた。


                おしまい


                  完



 お読み下さりありがとうございました。『息子が彼氏を連れてきた!』のシリーズは、本作をもちまして完結となります。もし12作(前・後編は1作として)すべて読んで下さった方がいらっしゃいましたら、この場を借りて心より御礼申し上げます。私の拙い文章にお付き合い下さって、感謝いたします。

 当初はあくまで暁人・実央カップルの周辺にスポットを当てるつもりでしたが、段々彼らの出番が増えてしまいました(私も腐女子なので)。篤紀と晴奈のその後・綾乃とアイミの北海道旅行・山下と堀越の裏話・腐女子会山梨旅行・暁人たちと大野兄たちのダブルデートなどなど書いてみたい小ネタも実はあるのですが、きりがいいのでここまでという事に致しました。

 3月の北海道の描写についてはネットで調べたのですが、もし「ちょっとおかしいよ」というところがございましたらご容赦下さい。私が大昔に訪れたのは確か6月でした。G.W.にすることも考えたのですが、さすがに人出の多い中で暁人と実央にキスさせるわけにはいかないなと…。

 本作終わりの方で触れている動物の話に関しては、璞つぶこ様のBLコミック『いきものBL図鑑』を参考にさせて頂きましたので、ここに明記致します。決して作者様と知り合いという事ではなく、作品の一大ファンとして紹介させて頂きます。やはり大昔某水族館へ行った時、目の前でペンギンが致していたのを目撃したのですが(ホントの話)、もしかするとBLカップルだったのかも…。

 次の作品は未定ですが、このシリーズの人物たちがモブで登場する事も…あるかなあ?

 あらためまして、ここまでお読み下さりありがとうございました。

                          滝野 卯月

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