3章:第8話 善人じゃあない
「やったね、カイ! 1位になれたんだ!」
ゴールインしたフェナリアとオレ。
彼女は街の中で立ち止まり、歓喜の声を上げた。
まるで「優勝しました」って感じ。
心底うれしそうだ。
オレは辺りを見回す。
ここは第1ゴール。且つ中間地点の町中。
木造りの建物が立ち並ぶ、小規模な集落だ。
都と比べたら少し寂し気に感じるが、決して貧しくはない。
特に今は、祭りのさなか。
野次馬をしようと、何人もの町民が街道の脇を固めている。
フェナリアのヤツ、よくもこんな恥ずかしげもなく喜べるな。
お陰で辺に目立ってるよ。
でも──
その気持ちも分かる。
だって彼女は、これまで見世物小屋という狭い世界で生きてきた。
今はこうやって外の世界で、色んなことを経験できる。
まだ中間地点とはいえ、フェナリアにとって勝利であることは変わらないよな。
「やりましたね、フェナリア」
彼女の頭を撫でる。
すると、
「ふえ!?」
フェナリアは、大きく跳ね上げた、
その毛むくじゃらな狼の体を。
あ。
商会の馬を褒める調子で撫でたけど、これってセクハラか?
まあ、今頃気付いても遅いし、後でテキトーに誤魔化すか。
誤魔化すだけで手は止めないんだけどね。
感触良いし。
手触りを例えるなら、上等な寝台だ。
ふわふわで、触れているこちらが優しく包まれてるような気持ちになれる。
このまま横になったら、そのまま寝てしまいそうだ。
「驚かせてしまいましたか? 申し訳ありません。どうにかアナタを労いたくて……」
オレはフェナリアに訴えかけた、
彼女を労わるような表情を浮かべて。
「す、すごい拒みづらいコメントされてる! でも、流石に恥ずかしいんですけど!?」
とか言っておきながら、別に頭から振り払うわけでもない。
甘いな。
「もう夕方です。夜の行軍は危ないからね。補給も兼ねてこの町で休みましょうか、フェナリア。一位も取れたことだし」
手綱でとある建物を示した──
その時だった。
「あの、さっき『一位』と言いましたか?」
一人の町民がこちらに声をかけた。
「一位なら、五分前に通過しましたよ? 赤黒い竜が……」
ッ……!
赤黒い竜だと?
確か、草原地帯でも見たな。
きっと、前日にフェナリアが言ってた参加者──
「ニルちゃん……!」
声を上げるフェナリア。
だがその声は、喜びの裏に落胆も感じられた。
「竜の巫女ニル──十年前に表れて以来、無敗の女王と聞きますからね」
「そうだったの?!」
「ええ! 少なくとも彼女は、この国で最速の存在。相手に不足無し、ですね!」
「確かにニルちゃんは速いよね。けどさ──」
「五分ってどれくらいの差なの?」
首を傾げるフェナリア。
その顔は無邪気で、何の焦りも無い。
確かに、字面ではピンチだと分かりづらいかもな。
「五分の差──それは一見『たかが五分』だと思うかもしれません。ですが、ワタシたちはショートカットをしたんですよ? 序盤のロスはありました。とはいえ、それでもフェナリアは、このゴールに相当早く辿り着いた」
「そっか! あれだけ命懸けでも、敵わないくらいの速度なんだ、ニルちゃんは……」
するとフェナリアは、立ち止まったまま黙り込んでしまった。
彼女が焦る気持ちも分かる。
オレはニルに対して、油断ならない相手だろうと思ってた。
が、
まさか、ショートカットしたオレたちよりも早いとはな。
少し見誤っていたかもしれない。
「じゃあ、もっと『がんばらなきゃ』だね、カイ! わたしたちはニルちゃんに勝たなきゃなんだから!」
「へえ、『がんばらなきゃ』……ですか」
これは驚かせてくれるな。
不安がるでもない。諦めるでもない。
ニルの実力を理解した上で、コイツは『勝つつもり』なんだから。
オレが見誤っていたのは、あの竜だけじゃない。
フェナリアの器の方もだ。
「そんなアナタにご褒美がありますよ、フェナリア」
オレは彼女の背から降り、とある店の戸を開けた。
木造りで見るからに古めかしい、陰気な門構えだ。
ヒビ割れた柱。
思いっきり蹴飛ばせば、オレにだって折れるかもしれない。
だから、
誰も思わないだろうな。
ここの職人がどれだけすごいかなんて。
手早く会計を済ます。
と、店の外のフェナリアは狼から人の姿に戻っていた。
纏ったシルクのローブは、彼女の桃色の髪と似合う。
数日前贈ったものだが、気に入ってくれたら良いな。
「ホントはレース前に渡したかったのですが……」
オレが手早く会計を済まし、彼女に空色の球体を手渡した。
「えっ? これって?」
ドロリ。
フェナリアが球体を手に取ると、それは瞬く間に溶ける。
そして彼女の両手両足を包んだ。
「わわーッ!」
「驚きましたか?」
「驚きましたかじゃないよ! 何なのこれ!? 冷たくてドロドロで、歯の無い怪物に咀嚼されてるみたい」
フェナリアは背筋を縮こまらせ、わたしを見つめる。
助けを求めるような眼だ。
きっと予想外の状況に困惑し、藁にも縋る思いなんだろうな。
「驚きましたか?」
「味わうな! わたしの驚きを!」
「失礼しました♪ 融体鉱物を知らない人も珍しくて」
「融体鉱物?」
「ええ、またの名をオーダーメタル。きっと旅の役に立ちます」
ぐにぐに。
彼女の手足を包んだ金属はしなやかに形を変え、
すぐさま手袋とサンダルを形作った。
空色をした、かわいらしいデザインだ。
生娘がデートにでも行く時のような。
「これって……!」
「ええ。アナタ専用の手袋と靴です。防寒具も無しじゃ、この国は寒いですから」
「ありがと、カイ! とってもあったかいよ!」
「それは良かったです! では、次の店で飲み水を確保しましょうか」
店を後にしようとしたその刹那──
街道を行く馬から、人が転がり落ちた。
──魔術師の荷縄!
ケガしないよう、オレは男に縄で受け止める。
そいつは、あの時のカス賢者だった。
「アナタ様は──カス! まだ出番あったんですね」
軽口を叩いてみるも、反応が無い。
それどころか、衰弱している?
でも、どうして?
今は夕方。ここまで来るのに半日程度だ。
死ぬ気で馬で駆けたとしても、ここまで消耗するのは道理じゃない。
とにかく、応急処置をしなきゃ、この男は死ぬ!
オレが顔を上げると、目の前にはフェナリア。
彼女は複雑そうな顔で、カスへの介抱を眺めていた。
そうよな。
だってコイツは、フェナリアの人生を──自由を奪ってきた。
どころか、何度も命を懸けさせたんだ。
コイツが死んだ方が、世界にとってもプラスなのかもしれない。
けど──
頭をよぎるのは幼い頃の記憶。
それは親が病に伏した時、見返り無く助けてくれた一人の賢者の顔だった。
別にオレは、このカスを救いたいってほど善人じゃあない。
しかし、だ。
ここでコイツを見殺しにしたら、一生『なる』ことはできない、
オレが憧れていた『賢者』に。
「申し訳ありません、フェナリア。ワタシに少し時間を──」
「大丈夫、分かってるよ。その人を助けてあげて」
予想に反し、彼女は微笑みを向けてくれた。
まったく、自分の仇を前にして、憎しみよりも慈愛を向けられるなんてな。
オレが言うことじゃねェが、とんだ甘ちゃんだぜ。
「ありがとうございます、フェナリア」
カスを炉端に横たえ、オレは傍らにしゃがみ込む。
そして鞄から取り出した巻物を展開し、カスに回復の術を施した。
巻物から浮かび上がる文字。
それは青と緑の光を帯び、横たわったカスの体を包み込む。
すると──
弱まっていたカスの呼吸は次第に落ち着き、小康状態になった。
これでコイツも、数日休めば回復するだろう。
でも、
「どうしてコイツの体に、魔術痕が?」
「魔術痕って?」
フェナリアは隣に座り、首を傾げた。
そういやコイツ、外の世界には疎いんだったな。
「魔術痕──つまり『魔法を使われるとアトが残るよ』ってことですね。だから、彼が衰弱してたのは、何らかの魔法によるものです」
だがまさか、
どうして『闇の魔術痕』が?
呪術系に特化した魔法。
それが闇の魔術なワケだが、このカスの体には呪いの痕跡があった。
もちろんコイツは、呪われて当然のカスだ。
けど、
馬で走行してきた上、黒衣の森は暗闇に包まれている。
相手の顔を判別して呪いをかける?
そんな手間を取るか?
それに闇の魔術とは体を変異させる異界の呪術だ。
誰が一体何のためにこんなことを?
とにかく、詳細はフェナリアに隠しておこう。
何の確証を得ないまま話しても、余計な不安をかけるだけだ。
「やれやれ、流石ケダモノ。理解できませんね、命を狙った相手を助けるなんて」
カスは意識を取り戻すや否や、苦笑まじりに話し始めた。
ってコイツ!
まだ差別発言を!
まあ、別に礼なんて期待してなかったけどサア!
にしても、小康状態とはいえ瀕死だぞ?
息も絶え絶えなのに、よくそんな発言ができるな……。
オレは少し身構えながら、次の句に耳を傾ける。
「ですが──」
すると彼はオレの胸元に手を伸ばした。
「な、何を……ッ!」
「カイに触らないで!」
オレは飛びのき、フェナリアはカスを腕で静止してくれる。
が、カスは何か危害を加えるでもない。
ただ、胸のペンダントをゆっくり指し示した。
「理解できないことと、恩を返さないことは別。この僕が、一つ警告してあげます。何者かは、その『石』を奪っていった。レースの参加資格を意味する、その石を」
「何だって? カス」
「カスではないけどね?」
オレは自分のペンダントを掌に乗せる。
虹色に輝く不思議な鉱物。
それは複雑な形だ、
いくつもの立方体が重なり合ってるような。
手の上を転がせば、宝石は様々な色を投げ返す。
これは参加の際、受付から手渡されたものだ。
この鉱石を失くせば、参加資格を失うとか言ってたな。
商人をやってるオレでも、見たことのない不思議な石だ。
確かに、そんなものを偽造できるワケもない。
参加資格を示すのに相応しいだろう。
にしても、よくよく考えたらおかしなことばかりだ。
商人のオレが見たことの無い結晶を、参加者何百人分も用意できた?
いったいこの結晶は、どこから来たものなんだ?
「おそらく襲撃の犯人は、僕をリタイアさせるつもりだったんだろうね。優勝の邪魔になるであろう、この僕を。何せ、石を奪われた時、同時に力も奪われたからね」
誇らしげに語るカス。
まず、その線は除外できるな。
とにかく、まだ情報が足りない。
考えるのは一区切りだ。
「有益な情報を聞かせてもらえました! ありがとうございます、元賢者さん♪」
「き、貴様! 遂に僕のことをカスじゃないと認めたな! フフ、まあ僕は何だかんだ優秀だ。貴様が望むなら、更に手を貸してやらんでもない。だからまずは、動けない僕をどこかに運んで──」
元賢者に別れを告げ、オレたちはその場を後にした。
「僕、瀕死で放置されてるーッ!」
彼の叫びは夕暮れの町にこだました。