2章:第6話 商人じゃなく詐欺師だったりする?
「おーっと! 先頭をすごい勢いで駆ける参加者がいます! ゼッケン番号777──DD商会のフェナリア選手だ!」
頭上──気球の上から司会者の声が草原に響き渡る。
「速い! 速い! 速い! まるで弓神アポリアが放った一矢! 他の選手を突き放し、ドンドン進んでいきます! しかしこれは長距離レース! 一体この先行が、吉と出るか凶と出るか! 今後の展開が気になります!」
そっか。
わたし今、一番なんだ……!
うれしさで顔があったかくなる。
でも、
勘違いしちゃダメだ。
このレースにはニルちゃんが参加してる。
きっといずれ、彼女と戦うことになるハズだ。
だから、気を引き締めなきゃ。
わたしは地平線の向こう、眩い朝陽を真っすぐ見つめた。
青々とした草原を、真っ赤な日が照らす。
まるで暗示だ、わたしたち二人が向かうべき明るい未来の。
そう思うともっと元気が湧いた。
「いや、フェナリア選手だけじゃない! 彼らの先行に煽られたのか、一人また二人と、集団から抜け出しトップを追いかけます!」
後ろから響く実況。
わたしを追いかける他の選手──それってニルちゃんかな?
振り返りたくなる気持ちを抑え、わたしは脚に力を込める。
すると──
「フェナリア、そろそろ速度を落としましょうか」
背中のカイは優しく囁いた。
えっ?
「速度を落とすって……でも、追いかけられてるのにどうして?」
けれど、
「すぐに分かりますよ」
カイは不敵に笑うだけだ。
納得なんて全然できないけど──
わたしは分からないまま、少しずつスピードを弱めていく。
あのカイのことだ。きっと何か考えがあるんだろう。
刹那──
わたしたちを追い越す他の選手。
「オイオイ。さっきは驚いたが、やっぱ犬の散歩だったみてぇだなw」
さっきのゴロツキにまで煽られる始末だ。
「おおっと、フェナリア選手どうしたことか? 先程までと打って変わって、後続の選手たちに飲まれていく! スタミナ切れなのか?」
実況も疑問を抱いちゃってるよ!
わたしたちは完全に、真ん中ほどの順位に落ち込んでいた。
「ダメダメだー!」
絶対ダメだったよ、速度落とすなんて!
それもそうだよね!
ここで順位を譲るなんて、よく分からないもん!
でも、
「よくできましたね」
カイだけはこの状況を微笑む。
「ど、どうして笑ってられるの!? わたしたち真ん中だよ? こんなんじゃ優勝なんて夢のまた夢──」
言いかけた瞬間──
「おおっと!? 一体何が起こったんだァ~ッ?」
頭上から実況の声が響く。
それは演技でも何でもない、本気の驚嘆。
とにかくリアクションを取って、言葉が出てこないことを誤魔化すような。
「始まりましたよ、フェナリア。他選手との距離に注意してください」
カイは何の感情も無く言うと、わたしの顔に何かを無理やりハメた。
「防塵ゴーグルです。お代は金貨一枚にしといてあげます♪」
「払えないよ! そんなの!」
刹那──
前方から迫り来る砂埃。
一体、何が……?
わたしはゴーグルに守られた両目で、その様子を捉える。
これはッ──
落馬ッ!
キッカケは、先頭集団の一匹が倒れたことだった。
隣の馬、そのまた隣の馬と、ドミノ倒しになっていく。
でも、どうして──
「どうしてカイは、これを予期できたの?」
「お忘れですか、フェナリア。これは交易路周遊レース。そして、このワタシは商人です。この大陸で知らない交易路などありません。商人にとっては散歩道みたいなものですよ。そういう意味では、さっきの男たちは間違いではありませんでしたね」
そうか!
カイは商人。
さっきのゴロツキは体力の無さを笑ったけど、彼にはそれ以上に知識がある!
旅慣れているからこそ、全ての交易路を知り尽くしているからこそ、
このレースで彼以上に手強い存在もいないんだ!
「ここはレーヴベルテ平野──またの名を『早駆け殺しの草原』。ここは一見平たく見えますが、その実、西に向かって少しずつ下り坂になっています」
下り坂ッ!
つまり、さっきわたしを下がらせたのは──
「他の馬をわたしのスピードで釣って、転ばせるため!」
「ええ♪ フェナリアを追い越す馬は、まさかアナタがわざと速度を落としたとは思わなかった。ペースを狂わせたんですよ。トップスピードで坂をぶち当てれば、転ぶのは必然」
この男、最初っから他の参加者を一掃するつもりで作戦を……?
「あなたもしかして、商人じゃなく詐欺師だったりする?」
「いえ? ワタシはただのしがない商人ですよ♪ もちろん命を奪うことなんてしません。ただ、ライバルが減ってくれれば良いだけです」
カイはロープの魔法を使い、落馬した人と馬を脇に寄せる。
「先頭集団はさっきの落馬で全滅! これは大番狂わせになりました! さきほどのはフェナリア選手の作戦勝ちでしょうか! 他選手のペースが一気に崩れました! きっと、優勝するにはどんな手も厭わない──そんな信念なのでしょう!」
ドン引きする実況。
ちょっと!
全部後ろの詐欺商人の作戦なのに!
なんかわたしが悪いみたいになってるし!
「なかなか恐ろしい選手もいるもんですね、フェナリア」
カイは苦笑しながらわたしの首筋を撫でる。
「あんたのせいだよ!」
乱暴な方法だけど、
主導権はわたしたちが握ってるってことでいいのかな?
わたしは半分尊敬もう半分は呆れのような感情で走る。
その時──
「いや、全滅ではありません! 今、一組の選手が! 一匹の黒竜が! 砂煙の中から出てきます!」
実況が興奮の声を上げた。
一匹の黒竜!
いや、聞かなくても分かる。
それはきっと──
「ゼッケン番号4! 巫女ニル選手と竜騎士オーズ選手だ!」
ニルちゃん!
それと、もう一人の人は昨日傍にいた甲冑の人かな?
よし、下り坂も過ぎたことだし、ニルちゃんに追いついて──
足に力を込める寸前、わたしはあることに気付いた。
「やられましたね、フェナリア」
じわりじわり。
迫り来る周囲の馬たち。
その近さは気のせいだとか偶然だとかじゃない。
まるで拘束具。
わたしの体ギリギリにぴったりくっつき、
走りを妨害するような位置取りだった。
「数日前はよくもやってくれたな、ケダモノども」
その声はッ──
背後から現れた人影。
ひらひらな服のほっそりとした嫌味なヤツ。
「見世物小屋のカス賢者!」
「誰がカス賢者だ!」
わたしの言葉に憤慨する元支配人。
でも確か、この人って大賢者に捕まったんだよね?
「それに僕はもう賢者ではない。ロプトのやつに位をはく奪されたからな」
「つまりアナタ様は、『カス賢者』じゃなくただの『カス』ということですね♪」
「誰がカスだ!」
わたしたちを睨みつけ、ハンカチを噛む、カス。
その目は血走り、親の仇を恨むような表情だ。
加害者なのに?
「ケダモノども! 調子に乗るのも終わりだからな! 狼は既に、僕の手下に包囲させた! 逃れることはできない!」
でも、わたしの足ならどうにか振り切って──
「──ッ!」
ダメだ。
スピードが出せない。
違う。
どんどん速度が落ちてる。
いや、落とさせられてるんだ!
「気づいたか? 汚らわしい亜人ども。お前を囲む手下は、今少しずつスピードを落としている。これが何を意味するか──その穢れた脳細胞でも分かるだろう?」
スピードが落ちる──
つまり、このまま包囲網を突破できなければ、優勝は不可能。
このカス、レースの優勝なんて目的じゃない。
ただ、わたしたちを妨害するためにこの祭りに参加したんだ!
でも、
カイと大賢者さまのお陰で、わたしは既に自由の身。
仮に今年度の優勝を逃したって、来年がある。
なのにどうしてこんなことを?
「お前ら、まだ緊張感が足りないんじゃあないか? まるで貴様らケダモノに、帰る場所があるかのような余裕さだァ。商人ってのは取引する相手がいないと、仕事にならないよなァ~?」
カスは下卑た笑みを浮かべ、懐から一枚の書類を取り出した。
そこには何行にも渡って何らかの組合名が羅列されている。
えっと、
商業組合の……名簿?
「これは『お前との取引を行わない』と表明した商業組合の名簿だ! つまりカイ、お前に未来なんて無い! ここで終わるんだよ! 僕を侮辱した罰だ!」
勝ち誇ったように笑うカス。
その目はわたしたちを──カイのことを見下すようで、心底腹が立った。
カイは、わたしを助けてくれただけなのに……。
良いことをしたのに……ッ!
「ケダモノ風情が、勘違いも甚だしいよな、狼。その商人が来てくれなきゃ何もできなかったクセに、レースの優勝なんて夢見て。心底バカバカしいよ」
それは──
反論したかった。
でも、確かにそうだ。
十年前、親が亡くなって以来、見世物小屋で働いてきた。
自由を夢見ながらも、わたしは何もできなかった。
それは事実だから。
でも、
関係無い!
今はカイがついてる!
そうだよ!
こんなカスの罠だって、カイがまた魔法を使えば簡単に──
ってあれ?
魔法で蹴散らせるならどうして、彼は何も動かないんだ?
その気になれば瞬殺のハズだ!
なのに、どうして?
「カイ? 使わないの? この前のアレ」
コッソリ話しかける。
あのカスに悟られないように。
けど──
「魔法? そんなの必要ありませんよ。だってワタシは商人ですからね~」
能天気な口調で白々しいことしか言わない!
何なんコイツ!?
魔法使えば一発でしょ!
ああ、こんなことやってる内に、ニルちゃんとの距離がドンドン開いてく。
どうして彼は何もしないんだろう。
「にしても災難だなァ、亜人の商人。こんなガキの面倒見なきゃ、僕から目を付けられずに済んだのに。とんだお荷物を背負い込んだもんだよ」
これでもかと煽るカス。
やっぱり、わたしってお荷物なのかな?
でも、そうだよね。
カイはわたしを信じてくれた。
けど、他の人から見たらわたしは無価値なままだ。
わたしが彼を運ばなきゃいけないのに、
脚を引っ張るだけの存在になっちゃってる。
そんなわたしの気も知らず、
「何か言われてますよ」
ヘラヘラと話しかけるカイ。
何でそんな能天気なの!?
マジで散歩気分なの!?
やっぱりこの人、詐欺師なのかな?
ホントは優勝なんて興味なくて──
刹那──
「アナタはそれでいいんですか? フェナリア」
厳しい口調で囁くカイ。
わたしが彼の真意を悟ったのは、その時だった。
カイが魔法を使えば簡単?
違う!
彼はわたしを信じてくれてたんだ!
魔法なんて無くても、わたしの力で乗り越えられるって!
この人たちを見返してやれるんだって!
わたしとカイは『チーム』なんだ!
彼に頼るだけじゃない!
わたしもがんばるんだ!
貿易路周遊レース──
この大会にわたしは、
「『二人で』優勝する!」
瞬間──
わたしは強く大地を蹴り、高く飛び上がった。
こんな包囲網を怖がってた過去の自分もまだまだだね。
だってわたしはこれから、もっともっと困難を乗り越えていかなくちゃなんだから。
空中で風を切るのわたしは、これまでで一番『自由』だった。
もう何も、わたしを縛れない。
「よくやりましたね、フェナリア」
優しく背中を撫でるカイ。
それはなんて言うか、
自分の手で自由を勝ち取ったことを祝福してくれてる──そんな気がした。
「あ、申し訳ないですが、名簿は返してもらいますね♪」
「ヤメロ! 何をする!」
いつの間に奪い取ったのか、カイの手に収まる名簿。
きっとすれ違いざまに奪い取ったのだろう。
なんて手癖の悪い……。
「ま、名簿奪ったところで、全部解決では無いですけどね」
わたしにだけ聞こえるように呟くカイ。
けど、その声は少しも不安さを感じさせない。
「じゃあ、どうするのこれから? もう商売できないんでしょ?」
「なあに、心配要りませんよ。だってさっき言ってたでしょう? 『二人で優勝する』って。優勝すれば名声が手に入ります。きっとワタシとの取引に興味を持つ人は少なくない。だから──」
カイは試すように笑う。
「期待してますよ、相棒」
相棒、か……。
きっと彼にとっては『ビジネスパートナー』くらいの意味なんだろう。
でも、わたしにとってそれは、とても誇らしい称号だった。
こんな魅力的な詐欺師──
あるいは商人から、そうやって認めてもらえたのだから。
「うん! よろしくね、相棒」
わたしはまた、うれしさで顔があったかくなった。