表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/22

2章:第4話 速いんだねキミって

「それでは、ワタシが手続きをしますので、フェナリアは自由にしてて良いですよ」

 カイは笑顔でそう言うと、係の大人と話を再開した。


 でも、なんか不思議な感じだな。

 体が痒くなるって言うか……。

 わたしは自分の耳を撫でながらぐるぐると考える。


 今まで、わたしは好きなことをやれなかった。

 窓の外に見えるものは全部、遠い世界のお話。

 だからわたしは、それに何の気持ちも持たないようにしてた。

 けど、今は──


 賑やかな表通りを見て、わたしは心に風が吹き抜けたように感じた。


 焼けたパンの香ばしいニオイ。

 熟れた果実の甘いニオイ。

 笑い合う婦人。駆け回る子どもたち。

 広場の方からは打楽器の跳ねるような音が聴こえる。

 視界に映る人々はみんなどこか楽しそうで、数日後のお祭りへのドキドキが伝わってきた。


 この都って、こんなにも楽しげなものでいっぱいだったんだ……!


 昨日までのわたしにとって、この石造りの街はどこか冷たくて、よそよそしい場所だった。

 今までのわたしは、こんなにもしっかり街を見たことはなかった。

 見ないようにしていた。

 だってそれはわたしにとって手の届かない世界で、焦がれたって仕方がなかったから。

 でも、


 今は違うんだ。

 そう思うと、自然と涙が頬を伝い落ちた。


 こんなとこで立ち止まって泣いてちゃ、時間がもったいないよね。

 カイの手続きが終わるまで、楽しく時間を使わなきゃ!

 わたしは彼から渡された数枚の銀貨を握りしめた。

 刹那──


 わたしの体は何かにぶつかった。

「わ、ごめんね」

 地面に転がるわたしに手を貸す女の子。

 真っ白な髪に真っ赤な目。

 身に纏うのは赤と黒のドレス。

 彼女はまるで、おとぎ話のお姫様だった。

 おとぎ話と少し違うのは──


「私の角に当たってないといいけど……」

 そう言って女の子は、自分の頭を撫でる。


 頭に生えた二本の角。

 それが真っ先に目につく、彼女のシンボルだった。

 竜……の亜人……?

 亜人と言っても、わたしとは全然違う。

 選ばれた血筋の亜人だ。

 優遇はされても、差別はされないような。


 キレイな子。

 わたしと同じくらいの歳なのに、わたしよりずっと大人びてる。


「立てそう?」

「あ、うん」

 わたしは彼女の手に引かれるまま立ち上がる。

 近付く顔。

 この子、まつ毛もすごく長いんだ。

 真っ赤な瞳は深くて暗くて、ずっと見ていたら、わたしの何もかもが溶けてしまうと思った。

 わたしは怖くなって、思わず目を逸らす。


 夜の海みたいな子だ。

 気を抜いたらわたしをどこかに攫っていってしまいそうで、冷ややかだけど体を委ねてしまえば心地良いような。


「よそ見しててぶつかっちゃった。気をつけるね」

「よそ見って、何を気にしてたの?」

「人を探してたんだ。私の相棒なんだけど、すぐどこかへ行っちゃうから」

 竜のお姫様は無表情のまま、辺りを見回す。

 その顔はまるで絵画みたいで、完成された状態で何も移ろわない。

 でも、だからこそわたしは、この子のことを知りたいと思った。

 すると──


「あ! あそこ!」

 お姫様は人混みの向こうを指差す。

 そこには、藍色の甲冑に身を包んだ男が歩いていた。

「じゃあ、私は彼を追いかけ──」


「待ってて、わたしが呼び止めてくる」

 その子が言い終わる前に、わたしは駆け出していた。

 この人混みで狼になったらみんなを驚かせちゃう。

 けど、


 わたしは速い。

 人の姿のままでも、大人に追いつくくらいならできる。

 それにそもそも、狼の亜人は他の人の何倍も足が速いんだ。

 変身しなくても、わたしの速さについてこれる人がいるとは思えない。

 それはドン底の人生だったわたしの、唯一の取り柄でもあった。


「何? 風?」

「違う、子どもが走ってるんだ」

「最近の子どもは速いのねえ……」

「【悲報】ワイ将ガキのかけっこ未満」


 ざわめく人を横目に、

 わたしは人混みの合間を縫い、甲冑の男の跡を追う。

 このまま追いつけそう!

 たぶん、この直線を走り切る前に──

 刹那──


「驚いちゃった。急に走り出すんだもん」

 囁くような声が、わたしの背後から聴こえた。


「速いんだね、キミって」

 そしてその声は、今度は前から聴こえてくる。

 え?

 わたしは両足にブレーキをかけ、立ち止まろうとする。

 けど──


「わ、とと……」

 勢いのあまり、前に倒れ込んだ!

 しまった!

 このままだと顔から落ちちゃう。


 何やってるんだ、わたし。

 数日後にはレースだって言うのに、怪我するようなことして……。

 カイに顔向けできないよ。

 瞬間──


 わたしの体は長い何かに包まれた。

 それはザラザラとしていて、氷のように冷たい。

 けど、どこか優しさを感じる触り心地だった。


「辞めるんだ、街中でその姿になるのは」

 わたしの頭上で低い声が響く。

 カイとは真逆。

 聞いてるだけで心臓を掴まれるような、ヒヤリとした声だ。


 恐る恐る目を開くと、わたしの体は竜の背中に乗っかっていた。

 その傍らには甲冑の男の人(さっきの声はこの人のものだろう)。


 馬車ほどもある、鋭い輪郭の飛竜。

 そのトゲトゲとした翼は、きっと風を切り裂くためにあるんだ。

 手足の爪は大地を強く蹴るために。

 彼女の姿を見れば、それがどんな速さを産むのか、簡単に想像できた。


「変身した姿を見せたかったんだよ、この子に」

 くすくすと、

 楽しげに笑う赤黒い竜。

 それはわたしを降ろすと翼を翻し、瞬く間にさっきの少女へと姿を変えた。


「私は竜の巫女ニル。貴方のお名前は?」

「わ、わたしは……」


 勘違いしてた。

 わたしは速い?

 ついてこれる人はいない?

 全部間違い。


 わたしは見えてなかったんだ、

 知らなかったんだ、

 この世界の広さを。


 怖い。

 昨日までは何となくレースに出たら夢が叶うと思ってた。

 でも、ホントはわたしよりも速い人なんて当たり前にいて、優勝だって簡単じゃない。

 せっかく世界が広がったと思ったら、また行き止まりだ。


 わたしは何だか泣きそうで、思わず拳を握り締めた。

 すると何かが、わたしの手のひらを押し返した。

 それは──


 銀貨だ。

 カイが渡してくれた、数枚の銀貨。


 今までわたしは、命を削らないと銀貨どころか銅貨すら手に入らなかった。

 なのにあの人は、何の見返りも無いのに、数枚の銀貨をわたしにくれた。

「これはアナタの未来への投資なんですよ」

そう言って。


 カイはわたしを信じてくれたんだ!

 昨日今日出会ったばかりのわたしを!

 なら、


 わたしが勝手に一人落ち込んだり諦めたりするのは違うよね。

 だってわたし、まだ何も彼の信頼に応えてない!


「わたしは、数日後のレースに参加します。あなたもッ──ニルちゃんも出ますか?!」

 すると彼女は楽しげに微笑み、わたしの手を取った。


「そうだよ、狼ちゃん。隣の男は私の騎手。二人一組でこのレースに挑む相棒なんだ」

「わたしも同じレースに出ます!」


 拳を握り締め、ニルの瞳を見つめる。

 今度は目を逸らさない!

 昨日の夜、カイはわたしを助けてくれた。

 それはあの人が、わたしに可能性を感じてくれたからだ!

 だからわたしも、戦う前から諦めたくない!


「このレースでわたしは、ニルちゃんに勝ちたいッ!」


 この子から名前を聞かれて、少しうれしかった。

 なんていうか、わたしを認めてくれたみたいで、わたしに興味を持ってくれたみたいで。

 でも、


 今のわたしに名乗る名前なんて無い!

 だから、

 次はわたしがニルの背中を追いかけて、その時に改めて名乗るんだ!


「楽しみにしとくね、狼ちゃん」

 ニルは妖しげに微笑み、わたしの前から立ち去った。


 圧倒的な身体能力を持つ狼の亜人。

 純血種ともなれば一人で数千単位の軍を滅ぼし、一夜で千里を駆けるとも言われる。

 そして、


 竜の亜人は、

 それよりも遥かに優れた能力を持つ。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ