1章:第3話 商人のクセにどうして魔法を?
「ちょっと、腕掴まないでください! 何やってるんですか商人さん? いや、カイさんでしたっけ? とにかく、わたしには出番が──」
フェナリアは涙を拭うのも忘れ、オレの腕を振り払う。
だが、オレも譲らない。
「ふっふっふ、ワタシたち商人ってのは案外肉体派なんですよ! 契約を取るためには、足で稼ぐことだってありますからね!」
ってうおお力強ッ……!
オレは彼女の腕に必死でしがみつく。
これが狼の亜人の腕力なのか?
まさか、狼の姿に変化してない状況で、こんなにも攻撃力高いの!?
走る馬にしがみついてるみたいだ。
えっと、彼女に落ち着いてもらうには……。
なんて考えを巡らせてると──
「オイ、狼。お前の出番だって分からねェのか?」
舞台の方から、一人の男が歩いてきた。
高そうなローブを身にまとった、吹けば飛ぶような男。
それは見栄えは良いがご利益の無いお守りみたいな薄っぺらの──
って、
コイツは……!
「あれ? 貴方は先ほどの商人さんでは?」
舞台袖から出てきたのはオレの取引相手──改め、あのカス賢者だ。
夕方に話した感じから、利己的な商売にしか興味無さそうだったよな。
けど、まさか見世物小屋で亜人を奴隷みたいに扱ってるだなんて……。
国は知ってるのか? 城下でこんな商売がまかり通ってることを。
「ああ、また会いましたね、賢者サマ」
オレは笑顔を張り付けながら考えを巡らす。
コイツから穏便にフェナリアを開放させるには──
「お節介かもしれませんが、一つ情報を掴みましてね。賢者サマにお伝えしたくはせ参じたんですよ。どうやら近々、国は『亜人の権利が迫害されてないかの査察』を考えているようで……」
フェナリアを手元に置く利益より、リスクが上回ればいい。
「もしよければ、その査察の期間が済むまで、ワタシが彼女の身元を預からせていただけませんでしょうか? 見返りはただ一つ、これからもより良い取引ができればと♪」
とにかく、二十日──
いや、せめて十日くらい稼げれば、フェナリアを自由にしてやれる。
ここは、このカス賢者をどうにか丸め込んで──
「それは興味深い情報だ、商人さん。確かに最近、国の動きは油断ならない。リスクを背負ったまま、金は稼げないからね」
「なら──」
「じゃあ殺そうか、狼は」
表情一つ変えないまま、賢者は答えた。
え……っと?
オレは呼吸を落ち着けながら、情報を整理する。
殺す?
殺すって言ったか?
彼女──フェナリアのことを。
「今日の演目は変更だ、ケダモノ」
くるり。
賢者は踵を返し、舞台の方に悠然と歩を進める。
「飛び降りてもらう、いつもの二倍の高さ──この劇場の天井から」
「えっ? えっ? 二倍……ですか?」
フェナリアは耳を垂らし、何度も瞬きを繰り返す。
「でも、それってわたし死んじゃうような……」
「処刑の見世物だからな」
賢者は冷ややかに答えるが、彼女の様子を見るにその言葉は届いていない。
状況が飲み込めてない、か。
それもそうだろう。
たった今、自分の死が宣告されたんだから。
でもまさか、用済みになったら彼女を殺すつもりだったなんてな。
少なくともこれで、
オレが手加減してやる理由は無くなったみたいだ。
「そうだ、商人さんもどうですか? 舞台袖──特等席からの見物は?」
カス賢者は振り向き、こちらへ笑いかける。
しかしそれは乾いた笑いだ。
退屈そうな、何の感情も乗ってないような表情。
「では少しだけ」
オレは彼の後を追い、舞台袖に出る。
スポットライトに照らされた舞台の脇。
雑多に溢れかえる大道具や小道具。
換気も充分でないのか、不快な空気が漂っていた。
これじゃ見世物小屋どころか豚小屋だ。
オレは息を止め、舞台に目をやる。
「皆様、お待たせしました!」
賢者は観客に呼びかける、
見せつけるようにローブをはためかせて。
「大がかりなショーでしたので、少し準備に時間がかかってしまいました! それもそのハズ、何せ今から皆様にはあの狼の亜人──そのフィジカルの限界を観てもらうのですから!」
なーにが、フィジカルの限界だ。
殺しをショーにするつもりのくせに。
対して高台のフェナリアは、必死でオレを見下ろし耳や目で救いを訴えている。
まるで──
「わたしの夢を叶えるんじゃないんですか!? これじゃ死んじゃうんですけど!?」
そう訴えるような表情だ。
そうよな。
あれじゃ、崖から命綱無しで飛び降りるのと同じだ。
流石の彼女でも、致命傷は確実だろう。
しかも、フェナリアの背後には何者かが控えている。
おそらく彼女が拒んだ時、突き落とすための人員か?
つまり、
このままだと、
フェナリアは死ぬ。
「それでは皆様行きますよ? 3・2・1──」
カス賢者が呼びかけると、観客も一緒になってコールが始まる。
そして──
「ゼロ」
その言葉とともに、フェナリアの背中が押された。
宙を落ち行く狼少女。
「助けて! カイ!」
彼女は両耳を抑え、救いを訴えた。
処刑の見世物、か。
「だが、どうやら──」
オレは左の人差し指で、天井に狙いを定める。
「その演目は変更のようだぜ」
──魔術師の荷縄アンコルス・マレフィクス──
詠唱するや否や、左の腕輪に紋章が浮かぶ。
瞬間──
ガチン。
手の内から飛び出た鉤爪は天井の梁を掴み、
オレの体を劇場の中空に引き上げた!
そして、
オレは右腕で、落下するフェナリアを抱き止める。
「殺しの代わりに脱出ショーってのはどうでしょうか、賢者サマ」
「な、お前ッ……商人のクセにどうして魔法を……?」
オレを見上げ、うろたえるカス賢者。
ざわめく観客。
「知りたいですか? もう少し近くで観たら分かるかもしれませんよ?」
オレが笑いかけるや否や、
鉤爪はすぐさまカス賢者の襟元を掴み、引っ張り上げた!
「特等席から見物させてあげますよ。なあに、チケットの代金はいただきません」
するすると、
賢者が吊り上げられるほど、下降するオレとフェナリア。
まるで傾く天秤。
最後には、カス賢者は劇場の天井に吊り下げられてしまった。
刹那、
ざわめき立つ観客。
「なんて斬新なショーだ!」
「とってもドキドキしたわ!」
「おもれ~ww」
「支配人涙目で草」
それらの声は次第に拍手がかき消し、劇場には喝采で埋め尽くされた。
「何をやってる! これじゃ賢者である僕が死んでしまうだろ!」
頭上で喚く男。
何言ってるんだ、コイツは。
さっきフェナリアに、自分がやったことじゃないか。
「とにかく、今夜のショーはこれで終わりだ!」
賢者の声を聴き、まばらに帰り始める観客。
けれどどうやら、どの客も投げ銭がしたくてたまらないらしい。
オレとフェナリアの目の前には、すぐに硬貨の山ができた。
「投げ銭ありがとうございます♪ 長年商人やってますが、こういった稼ぎ方をしたのは新鮮で良いもんですね♪」
「わ、わたしも、こんなにお金貰ったの初めてです!」
耳をへにょへにょさせ、笑みを浮かべるフェナリア。
その顔は安心しきっていて、さっき見た絶望の表情は完全に消えていた。
良かった、
彼女が死なずに済んで。
「ってオイ、ケダモノども! 僕を忘れて団らんするな! 助けろ僕を!」
「でも賢者さん、処刑の見世物がお好きなんでしょう? それにそもそも、飛び降りれば済む話じゃないですか?」
オレは縄を適当な柱に結び付ける。
「この、悪徳商人ッ……! 僕に何の恨みがあってこんなことを!」
悪徳はどっちだよ。
オレはため息を吐き、肩を落とす。
「とにかく、この見世物小屋は国の法・倫理を著しく逸脱してる。そう思っただけですよ♪ それに──」
オレはフェナリアの風貌に目をやる。
裸足に、みすぼらしい衣服。
とても、充分な賃金が貰えてるとは思えない。
「雇用形態にも疑問がありましたから」
オレは笑顔のまま、吊るされた賢者に語りかけた。
「法や倫理? そんなの知らないね! その狼を自由にしたいんだろうが認めない。僕が所有権を手放さない限り無駄さ」
男は悪びれもせずに語る。
コイツ、ここまでされてフェナリアを解放しないだと?
損得じゃなく、完全に意地の逆張りじゃないか。
しまったな。
オレはこういう、利潤で話が通じないヤツはニガテなんだ。
「支配人さんは、どうしてわたしたちを自由にしてくれないの?」
思わず口を開くフェナリア。
その顔には落胆が浮かんでいる。
ほらー!
ガッカリしてんじゃん、この子!
あのカス賢者が空気読まないからだからね!
それどころかフェナリアは、遂に耳をへたり込ませ、涙を流し始めた。
「支配人さん、最初は亜人にもお仕事くれて、優しい人だと思った。でも、ショーは命懸けで、お金も少ししか貰えない。生きてるだけで痛くてツラかった……」
その言葉を聞いてオレは、胸が苦しくなった。
彼女はオレと同じ──亜人として同じ苦しみを背負った仲。
さっきまでどこか漠然とそう思ってた。
だが違う。
オレは恵まれていた。
夢は諦めたが、商人の仕事に就けた。
選ぶ余地があった。
けど、この子は違うんだ。
命をチップにしなきゃ、生きていけなかった。
どうにかこの子を自由にできないのか?
オレは吊るされた賢者を睨みつける。
コイツを黙らせるとしたら、もっと理不尽な力──権力でも無いと厳しいだろう。
だが、オレは賢者でも何でも無い、しがない商人……。
他に手は無いのか?
「僕は賢者で、純血種。亜人なんかじゃない、完璧な人間だ。獣を飼って何が悪い? 見るもおぞましい人ならざる者ども。十年前の事件でも、亜人たちが暴れただろう? だから僕はそうならないよう『管理』してるだけだ」
「違うッ! その事件は──」
オレが口を開いたその時だった。
「どうやら、査察に来たのは正解だったわね」
客席から煌めく紫の光。
それは無数の軌跡を辿り、頭上の賢者包み込む。
刹那──
男の体は鳥籠のようなものに閉じ込められていた。
あれは、魔法でできた檻?
それにさっき、『査察』って言ったか?
「あ、貴方様は──」
驚嘆の声を上げるカス賢者。
間違いない。
この傲慢な賢者が敬うほどの人物。
そして、民衆を監査する立場の存在。
つまり──
「ぼくは七聖魔導のロプト。この国で一番偉い魔法使いさ」
紫のローブに身を包んだ魔女は、オレたちへ不敵に笑いかけた。
目深に被った大きなとんがり帽子。
そして地を擦るほど長いローブ。
ふわふわした佇まいと輪郭は、クラゲを想起させる。
妖しい光を湛えた、紫のクラゲ。
あるいは、煌びやかだが呪いが込められた織物。
彼女がただものじゃないということは、一目見れば理解できた。
「これは誤解です! 待ってください! 七聖魔導様!」
「全て観させてもらったわ。奴隷扱いしていた従業員は解放。もちろん、賢者の称号は剥奪ね」
冷ややかに言い放つロプト。
権力には逆らえないのか、カス賢者はそれを聞くと同時に口をつぐんでしまった。
「詳しい聞き取りもしたいとこだけど、キミたち帰っていいよ。面倒だから部下に任せるし」
気怠い雰囲気でこちらに話しかけるロプト。
眼中にあるのは目の前の『罪』だけって感じだ。
ってことはつまり……?
これでフェナリアは完全に救われたのか……?
目配せし合うオレとフェナリア。
彼女は耳をぴょこりと立て、その表情には自由への喜びが滲んでいた。
「やったー!」
オレに飛びつき、抱擁を交わすフェナリア。
服越しに感じられる体は十四・十五歳にしては細く、彼女の生活の過酷さを感じさせる。
「良かったですね、フェナリア。これでアナタ様は晴れて自由の身です!」
オレは彼女を抱きしめ、
誰にもバレないよう袖で涙をぬぐった。
ぴょこぴょこと動く彼女の耳が、少しくすぐったい。
「次は夢を叶える番ですね」
オレが問いかけると──
こくり。
フェナリアは涙を流しながら、無言で頷いた。