1章:第2話 自由が欲しい
跡をつけると、
狼少女はレンガ造りの建物に入っていった。
劇場だ。
けれど、それが鎮座するのは裏通り。
しっかりとした門構えのわりに、どこか薄暗さを感じる。
それは何かを取り繕うよう。表面的な厳格さに見えた。
見世物小屋?
確かに、レーヴベルテは都だ。
固定型の見世物小屋があるのは不思議じゃないな。
聞きかじった知識しか無いが、確か曲芸や魔術によるショーが見られるんだっけ?
あとは、
『動物や特異な種族による見世物』か……。
つまり、さっきの狼少女は職に困ってない?
だとしても、
裸足だったのは違和感がある。
投げ銭や入場料は支配人が徴収するとしても、銀貨一枚くらいは儲けがあるだろう。それでパンを2・3個買って、残りを靴や衣服に回せばいい。
いや、頭の中で算盤を叩いてもしょうがないな。
オレは入場料を払い、見世物小屋の中に入った。
劇場は少し薄暗く、舞台の上だけが明かりで照らされている。
客層は案の定、大半が貴族。平民もまばらにいるが、それは上澄みだろう。
明らかに、娯楽を楽しむ余裕のあるヤツらの集まりって感じ。
ま、オレが相手する客層とは少し違うな。
亜人を見世物にして回る需要と供給なんてカスだ。
ともかく、
この薄暗さなら、楽屋裏に忍び込むくらいワケないな。
支配人に目を付けられても、『押し売りに来た』ってことにしてやる。
何なら、お得意のセールストークで契約を取って見せたっていい。
下劣そうな笑い声を上げる観客をよそに、オレはキャスト用の通用口に入り込んだ。
すると、
狭い廊下の真ん中、
ピンク色の毛並みが月明かりを反射した。
さっきの少女だ。
その時と違うのは、彼女が『血に塗れた衣服』を纏わされていることだった。
ショーのための舞台衣装か。
血で黒ずんだ衣装が用意されてるのは、彼女が狼の亜人だから──
凶暴で攻撃的な性質を持つ、呪われた種族とされるから。
ご丁寧に、足枷には重りの鉄球まで繋がれてやがる。
観客に対し、それを視覚的に表すための小道具ってワケだろう。
まるで呪いの視覚化だ。
狼の亜人に背負わされた、偏見という呪いの。
彼女は感情の消えた顔で、小窓の外を眺める。
その横顔は路地裏で会った時よりも少し大人びたように感じた。
だが、それは良い意味じゃない。
全てを達観した老獪のような、終わった表情だ。
あるいは、バザーで投げ売りされる、損失回避のためだけの取引。
そんな、未来の無い顔をしていた。
オイオイ。
そんな悲しげに佇まれたら、出ていける雰囲気じゃないぞ?
オレは良い商人だが、それは善人だって意味じゃない。
彼女に恩を返したいとは思ったが、『思いやり』だとかいう形の無いモノで返そうとは思わないからな。
真に価値のあるモノは、そこに存在する形のあるモノ──揺るぎない実感だ。
だから、オレにとっての恩返しは『励ましの言葉』なんかじゃない。
手渡して喜ばれる物品だ。
とりあえず、
声をかけるのは、もう少し空気が変わったらにするか。
すると──
「お祭り、参加したかったな」
独り、呟く少女。
彼女は掲示板に張られた一枚の紙に手のひらを当てる。
あれは──
「参加したいんですか、お嬢さん。レーヴベルテ交易路周遊レースに」
オレは影から歩み寄り、彼女に話しかけた。
「ど、どうしてここに……!」
ピンクの耳をピンと立て、少女はこちらを睨みつけた。
毛並みどころじゃなく、その頬もピンクに染まっている。
気を抜いてたのが余程恥ずかしかったのか?
不気味な少女だと思ってたが、なかなか面白いところもあるみたいだな。
少なくともその色は、血の赤よりは似合うみたいだ。
レーヴベルテ交易路周遊レース。
その名の通り、
この国──レーヴベルテの外周を描く交易路を一周するレースだ。
参加に種族や身分なんて関係無く、レースで輪を描くことが種族の融和を表す国を挙げての祭り。
そして──
「優勝者には莫大な栄誉が与えられる。その栄誉があれば、もちろん不自由な境遇からの脱却だってできる。つまり──」
オレはいつもの笑顔を浮かべ、彼女の隣に立った。
「お嬢さんは『自由』が欲しいんですね」
その言葉に、少女は耳を垂らしオレから目を逸らす。
図星か。
この反応は、『見ず知らずの他人から心に踏み入られたこと』から来るリアクションだろうか?
まあ、その辺のプライバシーは知ったこっちゃない。
オレは恩が返せればそれでいい。
「構わないでってさっき言ったでしょ!」
警戒心剥き出しで口を開く少女。
耳もピンと尖らせ、分かりやすくスイッチが入ってるな。
なら、
ここで意表を突こう。
「ワタシから良い提案がありますよ♪」
懐から算盤を取り出し、弾いて見せる。
「レースには参加費が要ります。それだけじゃない。衣服に食費、そして靴もですね。それら『全て』を、ワタシが用意してさしあげます」
「全て用意って……本気で言ってるの?」
少女は、呆れたような訝しむような表情を浮かべる。
キタ!
オレは心の中でほくそ笑む。
さっきまでのコイツは『話を聞かないフェーズ』だった。
だが、今は違う。
本当にそんなことが可能なのか──
話を聞いて吟味しようとしている。
ともすればイージーゲーム。
あとは『納得』させるだけだ。
「そんだけ費やして、商人さんに何の価値があるの?」
「価値や損得だなんてとんでもない! ワタシは、財布を取り返してくれた恩を返したいだけの、しがない商人です」
──なんて、
それは半分ホントで半分ウソ。
オレがこんなプランを選んだのは、ひとえに金のニオイがするからだ。
レーヴベルテ交易路周遊レース。
オレが今、都を訪れたのもそれが理由だった。
人の大きな移動があれば、同じように金も動く。
開催も数日後に迫った一大イベント。
つまり、金になる。
種族のせいで賢者になれない。
なら、
金でその地位を買えばいい。
そして、
狼少女は、その触媒足りうる。
さっき路地裏で見せた脚力。
それに、狼の亜人という、亜人の中でもフィジカルに恵まれた種族。
例え優勝できなくても、良い順位にはなるだろう。
彼女の立ち上げにオレの商会が関わってるともなれば、知名度は高くなる。
それこそが、オレのプランだ。
「お嬢さんのレース参加を手伝う代わりと言ってはなんですが、ウチの商会の宣伝をしてくれたら幸いです! どうですか? 悪い話ではないとは思いますが?」
しかし、少女はその問いに答えを迷ってる様子だ。
もう一押しか。
「いくらでも迷っていただいて構いません。ただ──」
心底申し訳なさそうに呟いてみせる。
そして、
「レースは数日後……。参加申請だけじゃなく、衣服の準備時間も必要ですね。好きな保存食はありますか? 今決めていただければ、全て用意して見せましょう」
オレは矢継ぎ早に次の言葉を繰り出した。
「諸々の手続きを考えると、この月が沈んでしまう前に答えをお聞かせ願いたいです♪ きっと、このような機会は、後にも先にも珍しいかと思います。いかがでしょうか♪」
クロージング・テクニック:「今日中に決めれば特典がある」といった、決断のキッカケを与える手法。
限定性マーケティング:商品やサービスの供給を意図的に制限し、「今契約しなければ手に入らない」という心理を刺激する手法。
フォーモ効果:「今買わなければ後悔するかも」という機会損失の恐れを煽る心理的手法。
どうだ、狼少女。
古今東西の手法を全て備えた話術。
流石に首を縦に振るよな?
これでも余裕で賢者になるくらいの努力はしてきたつもりだ。
ま、その賢さをこんなことに使うなんて思わなかったけどな。
オレは上がる口角を食いしばり、彼女の答えを待った。
なのに──
「ごめんなさい、商人さん。どれだけお金を用意されてもレースには出れないの」
狼少女はオレの誘いを断った。
ひとかけらの迷いもなく、だ。
オイオイ。
嘘だろ?
こんなに美味しい取引、どうして断る理由がある?
オレは金を出し、コイツは願いが叶う。
対価は『オレを宣伝すること』だけ。
それ以上、何を望む?
動揺する心を奥底にしまい込み、オレは表情を取り繕う。
すると彼女は──
「わたしはね、この街から出られないの」
足元の鉄球をつま先で小突いた。
彼女はさっき、狼の姿で大人を軽々と蹴散らしていた。
だからその言葉は、逃げる力が無いという物理的な意味じゃないだろう。
きっと、精神的な部分で、彼女は縛られてるんだ。
でも──
「どうしてそんな……」
思った言葉が口からこぼれる。
しまったな。
商人として喋ってたのに、素の言葉が出てしまった。
他人に対し、いちいち心乱されたって何の得も無いのに。
「わたしは狼の亜人。親もいない。みんなから怖がられて、どこにいたって生きていけない。でも、少なくとも今、この見世物小屋では雇ってもらえる。高いところから飛び降りたり、火の海を歩いたりするだけでパンが一つ貰える」
ぽつりぽつり。
降ってきた雨のように、一言ずつ呟く狼少女。
それは一つ一つが冷たい質感で、よく目を凝らさないと見落としてしまうような、そんな小さな悲しみの積み重ねだった。
「ありがとうね、商人さん」
狼少女はこちらに背を向ける。
「お祭りに参加するのはわたしの夢だった。窓の外を観て、何度も思い描いた。レースに出てる人みたいに遠く遠くまで自由に行けたら、どれだけ幸せだろうって。もし優勝したりなんかして、そしたらみんなも、わたしのこと怖がらないで褒めてくれるのかなって。でも──」
その時、
舞台の方から少女を呼ぶ声が聞こえた。
「オイ! 出番だぞ狼! 遅ェんだよ、お前は!」
「ごめんなさい! すぐ行きます!」
『狼』と呼ばれた影──
人とすら認識されていない彼女は、慌てて駆け出した。
なんだ、
いくら好条件を出しても契約が取れないのは当然か。
だってこの世界じゃ、彼女は顧客ですらなく、商品なのだから。
どんな腕利きの商人だろうと、モノに対し弁舌を振るっても何の意味は無い。
それが、亜人への──人間ではない存在への扱いだもんな……。
これ以上、首を突っ込むのは『損』だ。
まあ、このチャンスは逃したが、オレにはこの元手がある。
それさえあれば、いくらだって稼ぎの手段には困らない。
だから、これでいいんだ。
呼吸を落ち着けながら、オレは懐の財布に手を当てる。
すると、
脳裏を過ぎったのは、あの狼少女の顔だった。
オレは……!
オレは、
去り行く彼女の手を掴んだ。
「商人さん!?」
振り返る狼少女。
その耳は垂れ、頬は涙で濡れていた。
彼女に、種族のせいで夢を諦めてほしくない。
これはオレの自己満足かもしれない。
心の中で泣いている、幼い自分を泣き止ませたいだけの衝動かもしれない。
でもそれは、
彼女に手を差し伸べない理由にはならない!
「お嬢さん、キミの名前は?」
「ふえぇ、フェナリア……です」
フェナリアは耳を尖らせ、緊張した様子でオレを見上げる。
ま、それもそうだろうな。
彼女にとっては何が何やらって感じだろう。
だが、
オレだけが理解していればいい。
そうだよな?
夢を諦めた苦い過去も、
人生を変えられない虚しさも、
オレ以外の誰も、知らなくていいことなんだ。
「改めて自己紹介しよう、フェナリア」
オレは算盤を軽く弾き、盤面をゼロクリアする。
ここからはプランに無い商談だな。
「ワタシの名はカイ。何が何でもキミの夢を叶えたくなっただけの、しがない商人だ」
亜人が差別を受け入れ、涙を拭う世界?
そんなのカスだ!
だからオレが変えてやる!
フェナリアを優勝させるんだ、この交易路周遊レースで!