5章:第21話 ボーナストラック
「カイ、いいのかい断って? ぼくの代わりに七聖魔導になるって提案をさ」
「はい、不要です。だってワタシは商人──『商人のカイ』ですから」
オレはきっぱりと答えた。牢獄の鉄格子、その向こう側でくつろぐロプトに。
城の地下に用意された石造りの独房。そこは薄暗く、寝台も粗末なものしかない。
彼女の足には枷がはめられ、逃げられないよう壁に固定されていた。
けれど、独房の陰鬱さとは対照的に、ロプトはどこか上機嫌に感じる。
それは墓場でハミングを歌うかのように、場違いな雰囲気だった。
「でも、きみは賢者に憧れてた。夢だったんだろう? 先の事件でぼくが失脚した。その空席を埋めるのに、きみの功績は充分魅力的だ」
「大丈夫です。だってワタシは既に、夢を叶えましたから」
「ほう」
「ワタシは幼い頃、アナタに家族を救われました。それ以来、七聖魔導に憧れて生きてきた。けど、レースを経て気付いたんです。それは、『七聖魔導だからかっこよく見えた』んじゃない。『アナタが他者を救うその背中がかっこよく見えた』んです」
「うれしいこと言ってくれるじゃあないか。もし、ぼくが事件を起こす前にそれを聞いたら、思いとどまってたかもね」
ロプトはオレに妖しく笑いかける。
だが、その手には乗らない。どうせそんなのハッタリ。
オレを揺さぶって楽しむための虚言だろう。
「──なんて、本気にした? こんなことでぼくが心変わりなんてするハズがない。本気にしたなら、きみは本当に愚かってワケさ」
「さて、どうでしょうね?」
オレは彼女へ、同じように微笑み返した。
やれやれ。この女は独房に入って、相当退屈していたらしいな。
じゃなきゃ、こんなじゃれるような質問してこないだろう。
「まあ少なくとも、みんなの眼にかっこよく映ったろうね。あの日、ぼくに立ち向かったきみの背中は」
「七聖魔導サマにそう言ってもらえたら、ワタシは光栄です」
「やめてくれ。もはやぼくは七聖魔導の称号をはく奪されている。今はただの罪人さ」
「ワタシにとって、アナタ様は代わらず『七聖魔導』ですよ。あの日憧れた、他人のためにがんばる人。少し力の向ける矛先を間違えただけだ」
「へえ。じゃあ、ずっと見張っておいてくれよ? 次にまた、いつ矛先を間違えるか分からないんだから、ぼくは」
「いえ、今のアナタ様なら、きっと間違えないと思いますよ」
「どうしてだい?」
「だってアナタ様なら、こんな牢獄すぐに抜け出せる。それなのに、わざわざここで罪を背負ってるんですからね。健気で素敵だなと」
今度はさっきと反対に、オレは彼女へイジワルに笑いかけた。
オレを揺さぶろうとした仕返しだ。
案の定、ロプトはその顔に不快感を露わにする。
『法外な値段だけど文句が言えない客』みたいな表情。不服を嚙み殺す顔だ。
「やっぱりきみは七聖魔導になんて推薦してやるもんか。商人の方がよっぽど向いてる。賢者じゃなく商人に求められるからね、『人の心を読む力』ってやつは」
「どうやらまたワタシは、『七聖魔導になりぞこなった』ようですね」
オレはおどけたように自嘲して見せる。
すると、彼女は呆れたように鼻を鳴らし、最後の質問を投げかけた。
「ところで、国を発つことは、狼の女の子に伝えたのかい?」
「いいえ、言ってませんよ。既に契約満了。ワタシの役目は終わったのだから」
「寂しいこと言うねえ」
オレは返事の代わりにひらひら手を振ると、牢屋を後にした。
さて、次はどの国に行こうかな。
フェナリアに見つかるより先に、街を出ないと……。
考え込みながらオレは懐にしまう、レースの賞金がたんまり入った財布を。
刹那──
ピンクの竜巻が走り抜け、オレの財布を奪い去った。
それが誰かなんて視線で追わなくても分かる。
だってオレたちは、この何十日間ずっと一緒に過ごしたんだから。
オレはわざとらしく大きなため息を吐くと、顔を上げた。
「わたしも連れてってよ、カイ」
目の前に立つのはフェナリア。
この国一番、神速の狼少女だ。
どうしてか、オレが一人国を発とうとしてるのがバレたらしい。
おおかた、さっきの大賢者サマがオレに仕返しをしたのだろうが。
「イヤだね!」
オレは鉤縄を駆使し、彼女から財布を奪い返す。
そして、街の出口目がけ、一目散に駆け出した。
こうなったら逃げるが勝ちだ!
確かにフェナリアは早いが、裏路地に入り込めば関係無い。
どうにか撒いて、この国から出るんだ!
オレは目の前の角を曲がり、路地に入った。
ただでさえ狭いというのに、そこには壊れた荷車や家具が乱雑に置かれている。
まるで片付けのなってない子ども部屋だ。
いくらあの神速でも、これだけ障害物があれば、トップスピードでは走れない。
オレはその隙間をスイスイと縫って走る。
「おい、逃げるな!」
「見つかっちまったか。だが、もうオレに用は無いハズだぜ? お前は夢を叶え、オレは契約を遂行した。ハッピーエンドだろ?」
「違う!」
フェナリアはオレを追いながら、怒気の孕んだ声色を投げかける。
「わたし知ってるよ? ロプトとの戦いで、闇の魔力を吸収し過ぎた。だからカイの体がもうボロボロだってこと! わたしに助けさせてよ!」
「それはオレの問題だ。自由になったお前に、重荷を背負わせたくない! だからお前は、この国でのんびり暮らせって!」
「絶対にイヤだ! だからわたしと勝負して! ゴールはこの街の出入り口。わたしが勝ったら、一緒に旅を続けさせて!」
「ならフェナリア、『お前が勝てなかったら、オレの言うことを聞け』いいな?」
「分かった! 契約だよ!」
フェナリアは、一切の手心無くオレの後ろを追走する。
それは振り返らなくても気配だけで分かった。
何せ、ここ最近はずっと、オレとフェナリアは一心同体だったからな。
そうだよな、一心同体だったんだ。
このまま振り返らず逃げ切れば、オレたちは二度と出会わないだろう。
諦め朽ちていくだけのオレの人生を、変えてくれた少女。
そいつの顔を、拝まないまま逃げ切っていいのか?
オレはその問いに答えが出せなかった。
「今思い返せば、出会った時と真逆だな!」
「そうだね! あの時は、財布をひったくったわたしを、カイが追いかけてた!」
「まさか、そんな些細な追走劇が、国を一周するまで発展するなんてな!」
「あの時は想像もしなかった! ずっと窓の隙間から眺めるだけだった、この国一番のお祭り──わたしにとって自由の象徴だったレースに出て、優勝するなんて!」
「優勝して当然さ! だって言ったろ? 『何が何でもキミの夢を叶える』って」
「まだだよ! わたしの夢、まだ叶ってない! これって契約違反だよね?!」
何を言うかと思えば、契約違反?
レースは優勝したというのに、オレを引き留めるために詭弁まで使うなんてな。
どこの悪い商人に影響されたんだ?
「ほう、じゃあ言ってみろ! 何が叶ってないんだ?」
「わたし言ったよね? この街から出て、遠く遠くまで行ってみたいって! だから連れてってよ! この世の果てまで!」
そう来たか。
なら、もはや御託を並べるのは不要だろうな。
「最後の直線だぜ、フェナリア!」
裏路地を抜け、オレは街の正門を真っすぐと見据えた。
宿屋や教会の立ち並ぶ大通りの先──それがオレたちの正真正銘最後のゴールだ。
「あそこに辿り着いたヤツがこのレースの勝者! お前が勝てば旅を続ける。勝てなければ、オレの命令にしたがってもらうぜ?」
「もちろんだよ! 負けたからってゴネないでよね!」
「お前こそ、狼の姿にならなくていいのか?」
「カイと同じ条件で勝ちたいの! カイこそ、魔法使ったっていいんだからね!」
「オレは商人だぜ? かわいいかわいいワンちゃんが、何か吠えてるなあ!」
「『かわいい』ってとこだけ認めるわ」
「かわいくねえ返答」
「口の減らない詐欺師」
そしてオレたちは、正門に辿り着いた。
外に出るや否や、その場に倒れ込むオレとフェナリア。
お互い、レースで消耗してたせいで泥仕合になっちまったな。
「引き分けだね。ってことは、決着は保留?」
「何言ってんだ? 勝てなければオレの命令に従う──それはつまり、勝つ以外は終わりなんだよ、フェナリア」
「やっぱり詐欺師だ……」
「ああそうかもな。オレは詐欺師だ」
横に倒れるフェナリアに、オレは勝ち誇った顔で煽る。
すると彼女は無言のまま、突き刺すような視線で反抗した。
おお、怖い怖い。噛み殺されそうな顔だぜ。
けれど、その表情は次第に崩れ、泣き出しそうなものに変わった。
「イヤだよ、カイ。せっかく仲良くなれたのに、ここでお別れなんて」
ぽたり。
彼女の瞳から溢れた涙は、地面に落ちシミを作る。
いつも元気に立てている耳も尻尾も、今はへにゃりと垂れてしまっていた。
「わたし、カイに色んなことしてもらったのに、何も返せてない。カイの体に治療が必要なら、今度がわたしがカイのためにがんばるのに……」
フェナリア……。
今にでも涙を拭ってやりたい。震える背中をさすってやりたい。
でも、彼女が求めているのは、上辺だけの慰めじゃないと分かっていた。
オレは立ち上がり、地に伏すフェナリアに呼びかける。
「では、引き分けだったのでワタシが命令いたします。まず『泣き止んでください』そして『位置についてください』」
「えっと、位置に?」
訳も分からぬまま上体を起こし、こちらを見上げるフェナリア。
その顔は悲しみよりも困惑が勝っている。
やはり、話を聞いてもらうには意表を突くのが一番だな。
「そうですよ、フェナリア。だってワタシたちは今、引き分けたんですよ? だから次は、二回戦するに決まってるじゃないですか」
すると、彼女の顔は一気に明るくなった。
耳をぴょこんと立て、尻尾を大きく振っている。
そして、頬もキレイなピンク色に染まっていた。
「やはりアナタ様は、血の赤よりピンクが似合うようだ」
オレは彼女に手を差し伸べ、引っ張り上げる。
「次のゴールは、漁港にでもしましょうか? 海の向こうも、きっと楽しいものでいっぱいですよ」
「海の向こうなら、カイの体も治るかな?」
「ええ、きっと治ることでしょう」
オレはフェナリアと共に、道を進む。
ゴールの見えない、長い長い道を。
進んだ先は打ち切りエンドかもしれないし、夢や希望なんて無いかもしれない。
けれど、オレたちは知っている。
例えどんな困難が待っていようと大丈夫なんだって、
ともに立ち向かう相棒がいてくれるならば。
【完】