5章:第19話 無駄なあがき
「ようやく追いついたね!」
「ああ!」
オレはフェナリアの背に乗り、交易路の先を見据える。
海沿いの草原。
水平線に沈む夕陽。
草むらは夕焼けの橙に染まり、都へオレたちを導く絨毯のようだった。
そして、その先に見えるのは──
赤黒い竜と、彼女の背にまたがる青い鎧の竜騎士。
ニルとオーズだ。
「アイツらに勝って、何もかも解決してやろうぜ」
「そうだね、カイ! 優勝して、リェーズに謝らせる! そして、彼の元からニルちゃんを解放するんだ!」
フェナリアは地面を大きく蹴り、黒竜の横に並ぶ。
「追いついたよ、ニルちゃん! これでようやく、自己紹介できるね」
「そうだったね、第3ステージでは聞きそびれちゃったから」
ニルはイジワルに微笑む。
何が『聞きそびれちゃった』だ。
コイツ、フェナリアなんて全く寄せ付けようとしなかったクセに。
「わたしの名前はフェナリア。今日はニルちゃんに勝ちに来たよ」
「へえ、面白いね。ニルに食らいついてくるんだ」
ニルはジットリとした瞳で、フェナリアを見つめる。
品定めをする目だ。
商人が、めぼしい物の価値を図ろうとする時の。
このニルっていう少女は、本当にオーズの言いなりになってるのか?
オレにはむしろ、この状況を楽しんでいるように見える。
だとしたら、どうしてレース参加者の妨害に手を貸してるんだ?
この──リーヴベルテ交易路周遊レースは、種族の調和を目的としている。
ニルのお姉さんは生前、調和のために命懸けで戦った。
なら、レースを妨害するのは、お姉さんの意志に反することじゃないのか?
「ニルちゃんは、どうしてその人のために走ってるの? だってオーズは、わたしの友だちを殺そうとした。それだけじゃない。レースの参加者を闇討ちしてたのも、彼なんでしょ?」
「オーズのため? 全然違う。ニルは、ニルのために走ってるんだよ」
瞬間──
背後から激しい風が吹いた。
それはニルの黒い翼を、追い風となって押し上げる。
並走していたさっきとは打って変わり、今はオレたちが追走する形になった。
「ニルはね、歴史の傷をみんなの記憶に刻み込みたいの」
「歴史の傷?」
「ニルは、みんなにお姉ちゃんのことを忘れてほしくない。みんながお姉ちゃんを殺した事実を、風化させたくないの。だから、ニルはレースで一位を取り続ける。竜の亜人であるニルが『お前たちをずっと見てるぞ』って、何度も何度も刻み込むために」
「そんな……」
言葉を失うフェナリア。
確かに、ニルの考え方は少し残酷だ。
けれど、オレはニルの気持ちが痛いほど分かる。
冥府の大災害以後、オレたち『人ならざる者』への差別は顕著になった。
けれど、差別する側──当の本人である人間たちは、その罪をまるで意識しない。
平然とした顔で笑い、平然とした顔で差別する。
そういう世界だった。
ニルは、亜人たちの代弁者なんだ。
ある意味では、お姉さんが目指した平和をリスペクトしているのかもしれない。
「でも、いいの!? ニルちゃん。だってオーズは、人の命を奪うことに躊躇が無かった。ニルちゃんだって、お姉ちゃんを喪って悲しかったでしょ? なら、どうして人殺しの手助けなんて──」
「あはは。オーズが説明しないから、変な誤解されてるじゃん」
「説明なんて無意味だ。俺は俺の責を、誰かに分かってもらおうとは思わない」
退屈そうに呟くオーズ。
彼はただ真っすぐゴールを見つめ、オレたちに少しも関心を向けない。
コイツが、あの竜騎士か。
でも、どうしてコイツは、頑なに結晶を奪ってきたんだ?
ニルの実力なら、他の参加者を妨害する必要が無い。
妨害へ割くリソースを、そのまま優勝のために使った方が合理的だ。
逆に、オレの結晶はどうして興味が無いんだ?
行動に一貫性が無いような──
「お遊びは終わりだ、ニル。俺は既に目的を果たした」
「りょーかい!」
オーズの言葉を皮切りに、ニルは走行のペースを大きく上げる。
目的?
まさか──
オレは自分の胸をまさぐる。
するとそこには──
「無い……! 参加資格が、奪われている」
オーズの手元には虹色の結晶。
おそらくあれは、オレが胸につけていたものだ。
いつの間に?
いや、そんなことはどうでもいい。
早く取り返さなきゃ……。
でもどうやって追いつけば──
「大丈夫だよ、カイ」
フェナリアは大きく加速し、再びニルと並んだ。
「わたしが必ず優勝して、カイの商会を再建させてあげるから」
「ありがとうな、フェナリア……!」
オレは、手綱を強く握りしめる。
そうだったよな。
オレたちは二人で戦ってるんだ。
走りの速さはフェナリアに任せればいい。
だってオレは、コイツの足を信じてるから。
オレのできることは、勝つための戦略を考えることだ……!
──魔術師の荷縄!
一瞬のスキを突き、
オレはオーズの手から結晶を奪い返す。
結晶からは、闇の魔力による残滓が感じ取れる。
今までの被害者たちからも感じられた、魔術痕だ。
やっぱり、このオーズこそが、参加者たちを襲った犯人!
「申し訳ございません、竜騎士様。ワタシたちから優勝を奪うには、レースで勝っていただかないと」
「無意味な」
「まあまあ! いいじゃん、オーズ。サクッと勝ってサクッと終わらせちゃえばさ」
「恐れ入りますが、フェナリアはアナタ様よりも速いですよ、ニル様」
「へえ。この国の商人って、誇大広告も許されるんだ」
「そんなことない……ッ! わたしが、勝ってカイの誠実さを証明するから!」
フェナリアは大地を蹴り、大きく飛び出す。
ラストスパートは、『坂』……!
しばらくすると、最終ゴールである砦が見えてくるハズだ。
つまり──
「ここを登り切った人が優勝者だね! カイ!」
「ああ。最後の最後はシンプルな速さ比べってワケだ!」
だが、それは好都合だ。
直線距離の加速力において、フェナリアの右に出る者はいない。
その末恐ろしさは、砂漠での走行で充分理解できたからな。
「フェナリア、お前は自由であればあるほど強い。そしてここはただっぴろい草原。お前の独壇場だ! 好きなだけ駆け抜けろ!」
「うん! 任せて!」
刹那──
妙な気配を感じて、オレは振り向いた。
けど、
後ろの草原はキラキラと夕陽を反射するだけ。
そこにニルとオーズの姿は無かった。
「無駄だというのに、どうして抗う?」
死角から聞こえたのはオーズの声。
墓標に話しかけるように、陰鬱な声色だ。
さながら、命を刈り取る死神のようでもある。
オレの死角──本当の意味での真後ろで、
ニルは、オレたちに張り付くようにして走っていた。
「ええ!? もう追いつかれちゃったの?!」
「スリップストリームだ。ニルのヤツ、オレたちの真後ろピッタリにくっついて、風を利用した。加速しやがったんだ!」
「それズルじゃん!」
「でも、大丈夫だ、フェナリア。スリップストリームには弱点がある。それは、オレたちの影から出る時『バランスを崩しやすい』こと……! 追いつかれただけじゃ、負けには──」
けれど、
そんな祈りも虚しく、ニルはオレたちを軽々と追い抜いていった。
「何ですかその技術! そんなことできるなら、優勝なんて簡単。ライバルを蹴落とす理由なんて無いじゃないですか!」
いや、もしかすると……。
口に出して気付く。
もしかしてオレたちは、前提が間違ってたんじゃないのか?
大会の参加資格が、レース中に奪われた。
だから、『ライバルを蹴落とすため』だと勘違いしてたんだ。
「オーズは『参加資格だから』奪ったんじゃない。『結晶だから』奪ったんだ」
「でもカイ、それって同じ意味じゃないの?」
「フェナリア、思い出してみてくれ。十年前、冥府の大災害によってこの国の土地は『変質』した。それは、異界と繋がったことで漏れ出た、闇の魔力が原因だ」
「そうだったね。確か、闇の魔力に曝されたら、何もかもおかしくなっちゃうって」
木々が成長するハズの光が届かない『黒衣の森』も、
海水が全て蒸発し砂漠になった『涙の跡形』も、
煮えたぎる活火山を雪が覆いつくす『灼銀の頂』も──
「オレたちがレースで通ってきたのは、どれも大災害によって変異した場所だった。そして、闇の魔力が変異させるのは、景観だけじゃない」
「…………!」
「『生物の体も』だ。だからこそオレは、冥府の大災害によってこんな体になった」
「でも、闇の魔術痕があった被害者たちは何ともなかったよ? 闇の呪術を、オーズがかけてたんだよね?」
「違う。全部逆だったんだ」
「どういう意味?」
「闇の魔力を孕んでいたのは『結晶』の方だ。そしてオーズは、参加者の体から負のエネルギーを吸い取っていた」
「そっか。だから、オーズに襲われた人たちは、みんな精気を失って──」
「そこまで理解したなら、拒む理由も無いだろう」
目の前のオーズは振り向き、装甲をまとった左腕をこちらに伸ばす。
「早くその結晶を渡せ。それは、人の手に余るものじゃない」
「確かに、この結晶を長時間身につければ、異形になる危険性がありますね。しかし──」
オレは片方の手袋を取り、彼に見せつける。
黒い鱗に包まれた、異形の腕だ。
「ワタシは既に、『変異』しています。何も心配することは無い。大人しく勝負をしましょうよ、竜騎士サマ」
「無意味だ。俺の目的は勝つことじゃない」
「残念ですが──」
オレはオーズに向かって指を突き付ける。
「断る権利なんてねェんだよ。お前はオレたちの友人を傷つけた。だから、その謝罪を賭けて勝負するんだ」
「その提案も無意味。まず、謝罪する必要が無い。次に、勝つのは俺たちだからだ。ナンセンスなことに拘るような愚者に、負けるわけがないからな」
瞬間──
手綱が揺れるとニルは大きく加速する。
そして、見る間に坂を登っていった。
「何あの態度! ムカつく~! カイをバカにするなんて!」
「そうだよなあ、フェナリア。なら、やることは決まってる」
「うん!」
「優勝して、アイツらに吠え面をかかせてやろうぜ!」
すると、
思いっきり加速するフェナリア。
オレは前傾姿勢になり、上半身を全て彼女に預けた。
「困ったことに、オレたちは今、絶体絶命だ。残り数百メートルの内に、あの竜を追い抜かさなきゃならない。ニルはこのレースを何連覇もしてる猛者だ。だが、オレたちならやれる!」
「うん! 絶対カイを勝たせるから!」
フェナリアは更にスピードを上げる
今のコイツなら、どんな突風だって、回り込んで撫でることができるだろうな。
それはさながら、自由の体現者だ。
このまま行けば勝てる!
オレは手綱を強く握り、ただひたすらにフェナリアを信じた。
刹那──
ばつん。
紐が切れるような音が響く。
それが何の音か理解した時、オレの体は既にフェナリアの背から離れていた。
鞍の腹帯──座るため、フェナリアの腹部に巻いていた紐が切れたんだッ!
クソッ!
こんな時に!
あとちょっとで勝てるってのに!
もう少しでリェーズの仇を取れる。
もう少しでフェナリアに自由の称号を与えてやれる。
それなのに……ッ!
「カイ!」
振り向こうと首を傾けるフェナリア。
けど、ダメだ。
「オレを信じろ!」
ここでスピードを緩めれば勝てない!
道具の不備を見逃したのは、オレのミスだ!
オレなんかのせいで、フェナリアに悔しい思い、させたくねェんだよ!
──魔術師の荷縄!
伸びた縄は、二人の体を瞬時に結ぶ。
オレは自分の体を、フェナリアの背に括り付けた。
「これで二度と離れねえだろ。一蓮托生ってやつだ。あとは、勝つことがお前の役割だぜ、フェナリア。オレはお前を信じてる」
「うん。わたしもカイを信じてるよ」
フェナリアは瞬く間に坂を駆け上がる。
そして遂に、ニルの横に並んだ。
「無駄なあがきを」
変わらない口調で吐き捨てるオーズ。
「たまには無駄を楽しむのも一興ですよ? 世の娯楽とは無意味さと表裏一体だ」
「フッ。無駄なモノに価値を与えるのも『商人』の仕事だったな」
そう言って、彼は最後に微笑んだ。
そして、
オレたち四人はゴール地点になだれ込んだ。
「ゴールイン! リーヴベルテ交易路周遊レース、優勝に輝いたのは──」
司会の声が響く。
砦を埋め尽くす観衆。
この国の人が、みんなそこに押し込められたと勘違いするほどだ。
みんながオレたちを見て、祝福している。
「フェナリアとカイ! 二人に盛大な拍手を!」
ゴールした勢いで、芝生の上に投げ出されるオレとフェナリア。
互いの体はもつれ、二人で添い寝するように倒れ込む。
聞こえてきた言葉を嚙みしめた後、
オレたちは顔を見合わせ、熱い抱擁を交わした。
「やった! やったよ! カイ!」
「ああ。フェナリア、お前はこの国で一番『自由』になったんだ」
すると彼女は、オレの顔を見つめ呟く。
「カイと出会えて良かった」
口元をほころばせるフェナリア。
それは彼女が、全てのしがらみから解き放たれたみたいだった。




