1章:第1話 がんばれば七聖魔導にもなれる
「──だから、それは儲からないと思うんだよね。ま、賢者だからさ。そういう商売においても目が利くっていうかァ~?」
「はい! おっしゃる通りで!」
──なんて、
思ってるワケないだろ。
オレは心の中で嘆息する。
目の前の賢者に笑みを見せながら、オレは反論を心の中に押し込めた。
「これからは転売が来ると思うんだよね、賢者的に。ほら、売る側も儲かるし本当に欲しい人たちにも届くでしょ?」
「いやあ、取引のことなのに、商人である『ワタシ』の方が学ばせてもらってばかりですよ!(大嘘)」
とある都の裏路地、
オレは算盤アバカスで計算する傍ら、賢者を観察する。
ひらひらとしたローブを纏った細身の青年。
歳はオレと変わらないだろう。
風体は小奇麗に着飾って賢者としての雰囲気を纏わせている。
が、さっきから話す商売についての論理は浅はかな点が多い。
例えるなら、見栄えは良いがご利益の無いお守り。
その見てくれで観光客程度なら騙せるかもしれないが、その本質は薄っぺらいだけの布切れだ。
「計算完了です! これで取引成立ですね!」
オレは商材を渡し、賢者から料金をいただく。
「いやあ、見どころあるよね、キミ」
すると賢者は──
「『亜人』なのに」
オレの赤土のような肌を顎で指した。
「がんばれば賢者にもなれるんじゃないかな? 今だって僕の知恵を少し学ぶ機会があったワケだしィ?」
ニコリ。
賢者は少しの悪気も感じず、作り笑顔でこちらに笑いかける。
オレは──
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、彼と同じように笑顔で返した。
「『賢者』ですか~! いやあ、その発想は無かったです! 確かにワタシも、賢者様のように学術の道を選べば良かったですね! 亜人のワタシも、また違った生き方になったかもしれません!」
オレは受け取った金貨の袋を固く握りしめ、賢者へお辞儀をした。
「では、ワタシはこの辺で失礼しますね! またどこかで取引できましたら幸いです!」
がんばれば賢者にもなれる?
面白いね。
去り行く賢者の背中を見つめ、ワタシは自嘲した。
そんなワケないだろ……。
学術の道を選べば?
『選んだ』さ!
違う生き方になった?
『ならなかった』んだよ!
ワタシは作り笑顔を捨て、
オレは路地裏の石壁を殴った。
けど、それはオレの拳なんかじゃビクともしない。
オレの抵抗なんて無かったみたいに立ちはだかる。
何かを求めても自分の拳が痛いだけだ。
オレは、
子どもの頃、七聖魔導に憧れていた。
賢者の中でも最上位──世界の全てを超越した存在。
オレはそんな存在に憧れていた。
なんてことないありふれた話だ。
病気で苦しむ親を、通りすがりの七聖魔導様が助けてくれた。
だからオレも、同じように誰かを助けられる大賢者になりたかった。
けど、
そうはならなかった。
何故ならオレは、人間ではない何かだから。
それがバレたオレは、七聖魔導となる試練の直前に学術院を追い出されたんだ。
賢者は公明正大な職で、人間や一部の位が高い種族じゃないと就かせてもらえない。
亜人には辿り着けない地位だ。
能力は足りていた。そう思いたい。
けど、オレは人間じゃなかった。
ただ、それだけの話。
でも、ヒドいよな。
せっかく夢を諦めたのに、あんな賢者見るとさ。
どうしてオレはその道を歩めなかったんだ?
そんなドロドロとした、恥ずべき感情が溢れてくる。
せっかく大金稼いでさ、その心の空洞が紛れるとこだったのに。
どれだけ金貨を積み上げて隠しても、
感情は、その隙間から蛆のように這い出て来る。
救いを求め顔を上げるも、ここは路地裏。
それに日も沈む頃合いだ。
誰もいない、角張った石造りの街並み。
それは、他者を拒絶させる冷たさを湛えていた。
でも、それはオレにとって救いなのかもな。
オレがどんな無様な人生でも、今のこの場所なら誰からも揶揄されない。
まあ、どんだけドン底でも、金ならあるからな!
とにかく酒でも飲んで、切り替えていくか!
がはは!
オレは金貨の入った袋を手に、意気揚々と表通りに飛び出した!
すると、
「悪いが金はいただくど、商人様!」
男がオレの財布をブン盗った。
「金すらワタシを見放した!?」
オイオイ、嘘だろ?
この流れで金も盗られることある?
現実が非情過ぎるだろ。
世界、もっとオレに優しくあれよ!
「商人様の境遇には同情するど。亜人差別のせいで夢を諦めただなんて──」
「心を勝手に読まないでください!」
オレは男の後を追いかけ、路地裏に入っていく。
マズいな。
この盗人、入り組んだ路地を熟知してやがる。
表通りに出て人ごみに紛れられたら終わり。追跡できなくなる。
なら仕方ない。
使うか、魔法を。
──魔術師の荷縄アンコルス・マレフィクス──
左手の腕輪が光を放つと、
一本の赤い縄が手のひらから伸びる。
そして、それは盗人の体に巻き付き、動きを封じ込めた。
「困るんですよね、ワタシってあくまでも『商人』をやってるんですよ。魔法を使ってるのがバレたら、面倒なことになる」
オレは男の手から財布を取り戻し、懐に入れた。
けれど──
「『泥棒』はいけないよ」
その時、ピンク色の影がオレの隣を駆け抜けた。
獣……の亜人?
全力で走るオレの数倍の速さ。
いや、そんなことより──
取り返したハズの財布が無い!
あの女、さっきの口ぶりからすると、
『オレの方が泥棒側だ』って勘違いしてないか?
だが、
値踏みは終わった。計算完了だ。
オレは再び魔法の鉤縄を伸ばし、彼女を追跡する。
薬屋の突き当りで右に追い込めば、それで詰みだ!
路地裏を駆け抜けていく影の獣。
それは落ちゆく夕日よりも素早い。
拘束しようと何本もの鉤縄をけしかけるが、それらは全て躱された。
コイツ、どんな反射神経してるんだ!?
オレは確かに賢者にはなれなかったが、魔法の練度だけなら誰にも負けない。
そんなオレの技を全て躱し切れるなんて、亜人の中でも上位の種族なんじゃ?
曲がり角の向こう、
オレが追いついた時、ピンクの影は月明かりを反射してキラキラと輝いていた。
佇んでいたのは撫子のような少女。
オレが張り巡らせた縄の上に、器用に立っていた。
歳は十三とか十四くらい。
粗末な羊毛の外套を身にまとい、手足には木製の枷。
靴にいたっては履いてすらいない。
こんな寒い国で靴も無しだなんてな。
貧民街の出身だろう。
まさかこのガキが、オレの拘束を全て躱したっていうのか?
確かさっき獣の姿をして……、
それにあの耳──
オレは少女の頭の上、
ツンと立った獣の耳を注視する。
狼の亜人か。
だとしたらその強さも納得できる。
この世に数多いる亜人の中でも、恵まれた身体能力を持った種族。
そしてその野蛮さから、
最も忌避され、虐げられた種族だ。
けど、目の前の少女からはそんな暴力性は感じられない。
とにかく、
目の前の彼女は、少し特別だった。
それは小国で見かけた精巧な民芸品。
素朴で日常に溶け込んでいるけど、本質的には大きな価値を孕んだ原石。
世界がまだ気付いてないだけの、未来の具現化だ。
少女から、そう思わせるほど強い生命力を感じる。
貴婦人が宝石に目を奪われるように、オレは少女のしなやかな力強さに見蕩れていた。
「ごめん! この財布、わたしのじゃなかったや!」
打楽器みたいに胸に響く、明るくて安心させる声だ。
少女はピンクの髪を揺らし、財布を投げて寄こす。
さっきオレが盗人に奪われた、金貨の入った財布だ。
けど今の発言──もしかしてこの子も、あの盗人から財布を奪われたのか?
つまり、コイツは、自分の財布を取り返すつもりでオレの財布を持ってったのか。
オレは苦笑いで応える。
すると、
「さっきの泥棒のこと、怒らないで上げてね。盗みをしないと生きていけない亜人もいるから……」
少女はオレたちが来た路地の方を見つめた。
言われてみれば確かに、さっきの男も亜人っぽい見た目だったな。
でも──
「お言葉ですがお嬢さん、ここは大国レーヴベルテ──差別に異を唱える融和の国ですよね?」
オレは商人らしく、いつもの丁寧な言葉遣いで問いかける。
「うん、そうだよ。でも、王様の一言で全てが変わるわけじゃない」
狼少女は視線を横に逸らし、感情を殺して呟いた。
彼女自身、自分の生活に思うところがあるのか?
ともかく、
この国はオレが聞いてた評判と少し違うみたいだ。
融和の国レーヴベルテ、もしここがホントに種族の差別が無い国なら、個人商店を開くのに打ってつけだったんだがな。
っていうか、そのために遥々出向いたっていうのに。
とんだ大損じゃないか。
テキトーに吟味して、利益が無さそうなら街を出た方が良いかもな。
もうこれ以上、オレは無駄な時間を費やしたくないから。
でも──
「ともあれ、非礼を詫びますよ、お嬢さん。理由はどうあれ、ワタシはアナタ様に攻撃を浴びせてしまった。良ければ、保護者の方にお詫びさせてもらえませんか?」
詫びを入れるのは無駄な時間じゃない。
商人の原則は等価交換。
他人に与えた損害は、きちんと賠償する。
それが商会のイメージアップにも繋がるからな。
オレは少女に笑いかける。
けれど──
「要らない、そんなの」
ぽつり。
彼女は短い言葉で拒絶を表した。
どころか、オレに背を向けて駆け出した。
押し売りを見るなり扉を閉めるような、確固たる意志!
だが、
そんな修羅場を幾度も潜り抜けてきたのがこのオレだ!
商人として、一方が損するだけなのは美学に反するからな。
彼女がどんな理由で礼を拒絶するかは知らない。
でも少なくともオレなら、裸足の彼女に靴を履かせてやれる。
彼女が望むなら、両親の分だって用意してみせるさ。
だから、
させてもらうぜ、お節介の押し売り。
オレは自分の信条を掲げ、狼少女の後を追いかけた。