4章:第17話 こんな痛み、我慢してみせる
「ほら! 早く行くよ、カイ!」
「どうやら、完全に回復したみたいですね」
わたしの背に乗り、苦笑するカイ。
その態度は、昨日より少し柔らかい気がした。
たぶん、カイも疲れてたのかな?
それに、わたしがしっかり休んだことで、心配も無くなったのかも。
よし!
これなら準備万端だよね!
わたしは意気揚々と、ピンクの雪原に足を踏み出した。
「ですが、無理は禁物ですよ? 体力を回復してもらったとは言え、最終ステージは長い。ペース配分に気を付けて走らなければ──」
「大丈夫だよ、カイ! だってわたしたち、これまでも色んなこと乗り越えてきたんだ! どんな困難が待ち受けてたって、わたしたち二人なら何とかできる!」
「……それなら良いのですが」
カイは相変わらず、わたしを心配する。
そもそも、第3ステージで後れを取ったのだって、休息が足りなかっただけ。
それはカイが言ってたことだ。
今日のわたしは、ぐっすり寝てきた!
ロプト様に回復してもらっただけじゃない。
だから、何も心配することないのに……。
「しかし、雪で道が見えませんね。そろそろ、曲がり道のハズですが……」
「確かに、一面が雪に覆われてるもんね! 試しに高いところに登ってみる?」
「いえ、止めておきましょう。場所によっては雪崩の危険があります」
「じゃあさ、あの木の上に登ってみるとか! それなら雪崩も心配無いし!」
「しかし、木の表面が凍結してる場合が……。レースも終盤です。あまりリスクを負わない方が良い」
「はーい」
わたしも何かカイの役に立てるかと思ったのにな。
なんかつまんないの。
黒衣の森でも涙の跡形でも、わたしたちは色んな障害を乗り越えてきたんだ。
少しくらい無茶したって、二人なら大丈夫なのに。
ぐるぐると考えながら、わたしは静かに雪原を駆けた。
「なら、そうですね。折衷案はどうでしょう? わたしが魔法を使って、木の上に登ります。そうすればフェナリアにリスクを背負わせる必要が無い」
「じゃあ、そうしよっか」
やった!
カイがわたしの意見を聞いてくれた!
あと、カイがさっき身長だったのって、わたしのことを考えてだったんだ。
それだけ大切にされてるってことだよね?
だったらまあ、悪くない気持ちだ。
「では、ここで少し待っていてください」
カイはわたしを木の根元で静止し、背から降りる。
そして、魔法の鉤縄を伸ばし、木の上へ器用に昇った。
「やっぱりカイはすごいなあ。ところでカイって、何の亜人なの?」
わたしは木の上のカイに呼びかける。
こんなにすごい身のこなしなんだ。
それにカイはいつも余裕たっぷりで、どんな問題も解決してくれる。
きっと、とんでもない性質を秘めた亜人なんじゃないかな?
「……『ワタシの種族』ですか」
するとカイは何か考えるように沈黙する。
答えの決まってる質問なんだから、考え込むことなんてないのにな。
「ああ、すいません。地図を確認してました。それで……種族の話でしたね? 何てことはない、ワタシは狸の亜人ですよ。ほら、『商人っぽい』でしょ?」
「へえ、そうだったんだ! なんかかわいらしいね!」
「お褒めいただきありがとうございます♪ 是非これからもかわいがってやってくださいね、フェナリア」
「『かわいがって』って、そんな」
変なの。
狸の亜人かあ。
聞いたことないけど、わたしみたいに珍しい種族なのかな?
このレースが終わったら、尻尾でも触らせてもらおうかな?
「さて、方角は分かりました」
しゅるしゅると、
カイは鉤縄を駆使して、木の上から軽やかに降りた。
こんな俊敏な飄々とした狸がいてたまるか!
「もう少し進んだところを曲がりましょう」
「うん! 分かったよ、カイ!」
わたしはしゃがみ、彼がまたがりやすいように待機する。
刹那──
響いたのは、何かが軋む音だった。
「危ない! フェナリア!」
わたしに倒れ込む何かの影。
カイは手のひらから伸びた無数の鉤縄は、それを縛り付ける。
まるで蝶を絡め取る蜘蛛だ。
倒れてきたのは……、カイがさっき登った木?!
でも、どうして急に?
「怖がらせてしまいましたね、フェナリア。どうやらこの木は、枯れ木だったようです。ワタシの注意不足でした。でも、アナタ様にケガが無くて良かった」
カイはわたしに微笑み、枯れ木を解放する。
「ありがとうね!」
と、言葉を口に出そうとした時だった。
足元の違和感。
何かがズレたような、そんな感覚。
そして、遠くから聞こえる、何かが迫るように響く音。
レースが始まった直後に聞いた音と同じだ。
馬の大群が一斉に駆け出したみたいな、そんな地響き。
峰に広がっていたのは、迫り来るピンク色のビロードだった。
「マズいッ、フェナリア! 来るぞ、『雪崩』が!」
カイはわたしを抱き上げ、もう片方の手で鉤縄を伸ばす。
瞬間、
鉤爪は流星のように山肌を縫い、遠くの木に引っかかった。
そして、わたしたちの体を引っ張り上げる。
迫り来る雪崩よりも遥かに素早く、わたしたちは大きく跳躍した。
流石はカイだ!
やっぱり二人なら、どんな困難だって乗り越えられる!
わたしはカイの腕の中、心があったかくなった。
瞬間──
眼前に迫り来る大樹。
このままじゃ、ぶつかっちゃう!
カイは必死に荷縄を張り巡らせる。
だが、スピードを殺せない。
けれど、辺りは雪崩に飲まれ、縄を結ぶ先が足りないんだ。
なら、ここはわたしが何とかしないと……!
わたしはカイを庇うよう、
迫り来る木の幹に着地した。
「何とかなったね、カイ!」
「ええ。助かりました、フェナリア」
わたしたちは鉤縄で空中にぶら下がり、過ぎていく雪崩を見送る。
まるでハンモックだ。
なんか、ぶらぶら揺れてちょっと楽しいかも!
「そろそろ良さそうですね」
わたしはカイに導かれ、ゆっくりと雪原に降り立った。
今度は足元に違和感なんて無い。
安全な雪だ。
「──ッ!」
わたしの足首に走る痛み。
もしかしてさっき、捻ったのかな?
でも、これくらい問題無い……!
レースも残り少しなんだ!
我慢して乗り切れる。
「早く乗って、カイ! 後れを取り戻さなきゃ!」
「はい。よろしくお願いします、フェナリア」
彼が背に乗ると、わたしは再び全力で雪原を蹴った。
そして数時間後──
日も暮れた頃、わたしたちは崖下で一夜を明かすことになった。
「ここなら、風もあんまり吹いてなくて快適だね! 晩ごはんは何かな?」
すると──
「フェナリア。ちょっといいですか?」
カイは距離を詰め、わたしのスカートをめくろうとする。
「ふええ!? いくら相棒とはいえ、こういうことを許可なくするのは……」
「ちゃんと見せてください!」
「──ッ!」
カイは鬼気迫る表情で、わたしの右足首を確認する。
「腫れてるじゃないですか」
彼が視線を向けるのは、真っ赤に腫れた足首だった。
わたしは俯き、目を逸らす。
「どうして、わたしに相談してくれなかったんです? もし、あの雪崩の時に教えてくれれば、町に戻って療養することも──」
「言えないよ! ただでさえ遅れてるんだもん!」
わたしはカイの手を振り払った。
「自由を手に入れるため、わたしたちはこのレースに参加した。でも、今はそれだけじゃない! リェーズの仇も取りたいし、ニルちゃんだって助けたい! ロプトさんにだって使命を託されたんだ! だからわたしは……ッ!」
わたしは痛みを我慢して立ち上がった。
こんなケガどうってことない。
そう、カイへ示すために。
「この命を賭してでも、ゴールに辿り着く。こんな痛み、我慢してみせる」
すると彼は、悲しそうな顔をした。
どうして?
わたしは間違ったことなんて言ってないのに。
「このレースにはカイの人生だって懸かってるんだよ? これは、カイのためを思って言ってることでもあるのに……!」
「ワタシは、レースよりもフェナリアの体の方が大切です」
「こんなケガ、全然平気だよ! 今までだってわたしは、高いところから飛び降りたり、火の輪っかを潜り抜けたり──危険なパフォーマンスをいっぱいしてきた! これくらい、日常茶飯事だったんだ! わたしは自分よりも、背負ってるモノを大切にしたい!」
「そこまで言うのなら、分かりました」
カイは手荷物から地図を取り出し、とある地点を示す。
「この近くに『薬師の町』と呼ばれる場所があります。交易路から少し逸れてしまいますが、そこならば足の腫れも治せるでしょう」
「でも、わたしたちに寄り道してる余裕は──」
「なら、本来休む想定の時間に移動すればいいのです」
「休む想定の時間──って、もしかして夜中に移動するって意味? ただでさえ夜間は見通しが悪いんだよ? その上、ここは雪原地帯。今日みたいに、雪崩の危険性だってある。それどころか、夜休めない分、次の日にシワ寄せが──」
「大丈夫です。アナタは眠っているだけ。その間に、全部終わらせますから」
「え……?」
彼が何か言ったかと思うと、わたしの視界は暗転する。
視界の隅で、巻物を持つ彼の手が見えた。
いつの間に、魔法を使ったんだろう。
何だか体がぽかぽかして、力が入らない。
カイが、わたしを抱きかかえてる。
ただ、それだけが理解できた。
「絶対に、目を開けないでくださいね」
ぷつり。
意識はそこで途絶える。
そしてわたしは、いつもの夢を見た。
パパとママの夢だ。
わたしの見た目は今と同じだけど、パパとママは昔のまま。
家族三人で仲良く荷馬車に乗って、揺られてた。
リーヴベルテの城下に向かう馬車だ。
あの日、わたしたちは都に引っ越すために、長い旅をしてたんだっけ。
「あのね! わたし今、国を一周するレースに出てるんだ!」
パパもママも、わたしの話を聞いてくれる。
微笑みながら、優しい目で見つめて。
「たくさん大変なこともあったけど、全部乗り越えたんだよ? それで今、最後のステージまで来たんだ! でも、パートナーと意見が合わなくなったりしてさ。よく分からなくなってるんだ」
不思議だな。
レースの方針をカイと話す時、どうしても感情的になっちゃった。
けど、パパとママの前だと、頭がスッキリする。
自分の本当の気持ちと、今なら向き合える気がした。
「カイはわたしを心配してくれる。うれしいハズなのに、子ども扱いされてるみたいで、納得いかない気持ちもあるんだ。だから、レースの方針のこととか、つい感情的になっちゃう。どうして上手くいかないのかな?」
わたしが困った顔をすると、パパとママも一緒に困ってくれた。
わたしが悲しい顔をすると、パパとママも一緒に悲しんでくれた。
もう、二人の声も顔もよく思い出せないけど、
ただ寄り添ってくれるだけで心が軽くなった。
「目が覚めたら、またいつもみたいに喋れるようになるかな?」
わたしが問いかけると、パパとママは優しく頭を撫でてくれた。
何だか落ち着くなあ。
本当はわたし、疲れてたのかもしれない。
最初は何もかも問題無かった。
色んなことがあって、たくさんの気持ちを背負った。
そして、ニルちゃんと竜騎士オーズに出会って、越えられない壁を実感した。
でも、
どんなに疲れていても、わたしに立ち止まる選択肢なんて無いよね。
本当は、カイの言う通りなんだって分かってる。
ちゃんと休んで、それからゴールを目指すべきなんだって。
けど、
わたしって実はそんなに強くない。
きっと今、止まってしまったら、二度と立ち上がれないと思う。
カイは優しくて素敵な人だ。
わたしが休息するって言ったら、いっぱい甘やかしてくれると思う。
だからこそきっと、
カイの優しさに甘えたら、どうやって足を踏み出すのか分からなくなる。
あの日、リェーズの首を絞めるオーズを見て、本当は足がすくんだ。
怖くて怖くてたまらなかった。
でも、
カイがいたから──背負うものがあったから、ここまで走ってこれた。
「パパ、ママ、一緒にいてくれてありがとうね。お陰で、少し気持ちが整理できたよ。目が覚めたらね、カイと話し合ってみる。わたしの気持ちを打ち明ければ、きっと新しい道が開かれると思うから」
すると、両親は最期にもう一度わたしへ微笑みかける。
そして、わたしを置いて荷馬車を降りた。
「外で何か騒ぎがあったみたいだ。じっとしているんだよ」
一言、そう言い残して。
ああ、そうだった。
これは、幸せな夢じゃない。
あの日の追想だ。
「ダメだよ、二人とも! 行かないで!」
わたしは手を伸ばす。
けれど、
二人には届かない。
するり。
指の隙間をすり抜けて行ってしまう。
わたしは、ホロ布の隙間から外を覗く。
覗きたくなんてないのに、覗いてしまう。
だってあの時、幼い日のわたしは『そうした』から。
視線の先、
蠢く黒い影。
それは獣のようにゴワゴワした毛皮と、
虫のような何本もの手足を持った、
竜のような輪郭の化け物。
荷馬車の外、
その化け物は、わたしの両親を食べていた。
冥府の大災害──
異界から溢れた魔族が、わたしたちの日常を奪い去った。
その日の夢は、脳裏から未だに消え去らない。
わたしはそこで目を覚ました。
けれど、思考はおぼろげなまま。
わたしは体の要求に従うまま、もう一度目をつむった。
じっとりとした汗が、衣服を肌に張り付ける。
あれ?
わたしって今、どうしてるんだっけ?
確か、カイがわたしを町に運んでくれるって言ってて……。
すると、
わたしの体はどこかに降ろされた。
そっか。
そもそもわたし、カイに運ばれてたんだ。
優しい手つき。
肌を撫でる冷たい風。きっとまだ外だろう。
わたしの体が降ろされたのは、どこかの軒下かな?
雪の冷たい感じが、わたしの背中に伝わってくる。
カイ、言ってたもんね。
わたしの足を治すため、近くの町まで運んでくれるって。
でも、すごいな。
カイは大人だ。けど、わたし一人を運ぶのは簡単じゃない。
きっと、わたしのためにいっぱいがんばってくれたんだ。
そう思うと、胸があったかかった。
雪の寒さなんて気にならなかった。
「ありがとうね、カイ」
彼に伝えようと目を開ける。
視線の先、
蠢く黒い影。
それは獣のようにゴワゴワした毛皮と、
虫のような何本もの手足を持った、
竜のような輪郭の化け物。
『それ』が、こちらを見下ろしていた。




