3章:第10話 全てを委ねてください
オレの胸には、
一本の短剣が突き刺さっていた……!
何ッ?
さっきオレは確かにマントで……。
けれど、マントが破れた様子はない。
マントなんて飛び越えたみたいに、短剣はオレの胸に深く突き立っている。
「ごめんね、カイ。わたしが上手く避けれなかったから……」
「大丈夫。気に病むことではありませんよ、フェナリア。これはどうやら、彼女が使う『魔法』のようですね」
不思議なことに、胸に痛みは無い。
血も流れない。
なのに、胸に刺さる短剣の異物感だけが『有る』。
胸のところが短剣の分だけ少し重い。
ただのそれだけ。
だからこそブキミだ。
オレの体に、何をされた?
少なくともこの短剣は、敵意の表れだろう。
だが、短剣はズブズブと胸に沈むものの、それ以上の変化は無い。
オレは恐る恐るその短剣を掴む。
だが──
何も握れない。
いや、掴もうとしても短剣はオレの手に『沈む』だけ。
まるでッ、
石を投げたられた泥沼だッ!
「ちょっと、カイ!? 何が起きたのよ、その体──」
けれど、
フェナリアが驚いたのは、この短剣についてじゃない。
「どうしてあなたの体が、『崩れていってる』の!?」
「ハッ──」
ドロドロと、
体全体の輪郭がぼやけていく。
日差しに溶かされた氷のように、少しずつ失われているッ!
「そうでしたか」
オレは思い出す、さっきの短剣──
キャラバン隊の足元にあった短剣を。
「アナタの魔法は、『刃物で斬りつけた物に異常を付与する』とでも言ったところでしょう。それでキャラバン隊を襲ったのですね」
オレの仮説だと彼女の魔法は──
だとしたらマズい……!
瞬間、二本目のナイフが視界で煌めいた。
「距離を詰めましょう! フェナリア! この魔法を使われれば──」
「分かってるよ、カイ! でも……ッ!」
必死に駆けるフェナリア。
だが、前に進まない。
どころか、後退している。
クソッ!
もう、既に──
目の前には、地面に突き立った短剣。
つまり今、この砂漠の砂地は、
オレの体のようにドロドロの──
「底なし沼になっているッ!」
抜け落ちた地面。
沈みゆくフェナリアの体。
階段を踏み外したかのように、オレたちの体は重力に誘われた。
──魔術師の荷縄!
オレの左手から伸びた縄は、フェナリアの体と近くの岩とを結びつける。
そして、宙に引き上げた、
魚でも釣り上げるみたいに。
だが、このまま地面に足をつければ同じこと。
「フェナリア! ワタシの荷縄に着地してくださいッ!」
オレは荷縄を辺りの岩場に張り巡らせる。
そしてそれは瞬時に、足元を覆いつくすほどの網を作り出した。
「綱渡りだね! 見世物小屋で何度もやったよ!」
フェナリアは宙で体を翻し、軽々と着地した。
蜘蛛にでもなった気分だな。
(オレはコイツの背の上に乗ってるだけだが)
「オイ、何奪ってんだ? このリェズヴィー様の見せ場だぞ?」
女──リェズヴィーは顔に不快感を浮かべ、
懐から出したナイフを投擲した!
「お前ら亜人は、いつもオレから奪うよなァ?」
ナイフは真っすぐ荷縄を目がけて飛んでくる。
だが──
「残念ですが、この荷縄は魔法で作ったもの。ナイフを投擲してもムダです」
ナイフの切っ先は縄に迫るも、縄はそれを避けるよう独りでに動く。
「さて、フェナリア。あの女をどう懲らしめてやりましょうかね」
オレは魔法を使えるよう左手を構え、辺りを警戒した。
けれど、
忽然。
目の前からリェズヴィーは消えていた。
「なッ……!」
彼女は既に前方──交易路の先を馬で駆けていた。
迷うことなく。
ってことは、まさか……ッ!
「追いかけますよ、フェナリア」
「や、でも、せっかく助かったのに──」
「ワケは後で話します」
彼女は無言で頷き、縄から飛び降りる。
どうやら、少し離れた場所に飛び降りれば、泥沼化してはいないらしい。
「どうやらあの盗賊は、二つ勝ち筋があったみたいですね」
「二つ? 一つ目は泥の魔法だとして、二つ目は?」
「それは、ワタシにかけた魔法を『解除すること』ですよ」
「え? でも、解除してくれた方が良くない?」
「ですが今、ワタシの胸には短剣が突き立っています。そしてそれを、ワタシは取り除くことができない。これがどういう意味か分かりますか?」
「カイの胸が……!」
そう。
今、フェナリアが察した通りだ。
体が泥沼じゃなくなれば、胸の中のナイフは内側から内臓をブチ破る。
つまり、あの女のナイフは『防御貫通の時限式即死技』!
「そしておそらく、魔法の射程距離はせいぜい二十メートル程度。つまり、ワタシの命はフェナリアの足にかかりました! 応援してますよ♪」
「ちょちょちょ、ちょっと! なんでそんな他人事みたいに! カイの命が懸かってるんだよ!?」
「何言ってるんですか、フェナリア。アナタがあの程度の馬に負けるワケないじゃないですか」
「それは……!」
黙り込むフェナリア。
少し不安なのか?
だが、コイツには既に実力がある。
別に不安がる必要は無い。
ただ、
たった一回の敗北の記憶──それが彼女に自信を失わせてる。
確かコイツ、レースの前日「ニルに負けた」って言ってたよな。
フェナリアの足は充分速い。
きっと、ちゃんと戦えば一方的に負けるなんてことはないだろう。
けど、彼女にとって初めての敗北は、あまりにも鮮烈過ぎたんだ。
もちろん、第1ゴールはリラックスして走れたと思う。
だがそれは、他人との競争をしないで済むルートだったからだ。
その上、再びニルに追いつけなかった。
だから、まだ自信が持てずにいるのだろう。
「じゃあ、こうしましょう。フェナリア、アナタは目をつむってください」
「え!? でもそしたら前が見えないじゃん」
「いいですよ、見えなくたって。全部ワタシが指示します。だから、ワタシに全てを委ねてください。アナタは思いっきり走るだけです」
すると、フェナリアは少し逡巡したようだが──
「分かった」
素直にオレの提案を受け入れた。
「では、行きますしょうか♪」
刹那、
オレの体は「グン!」と強く引っ張られる。
全身がバラバラになったのか?
そう思うほど、オレの体は彼女にブン回された。
フェナリアのスピードに、体がついてこれなかった!
コイツ、今まで全然ホンキじゃなかったってワケかよ!
きっと、どこかで体にセーブをかけてたんだ。
でも今は、何もかもから解放されて全力で走れてる。
これなら追いつける!
目の前のリェズヴィーどころじゃない。
きっと、ニルにだって!
フェナリアとオレは、この世の一切合切を置き去りにした。
光も、音も、何もかも。
もはや五感で感じ取れるものは、オレとフェナリアの熱だけだ。
二人は世界と融け合って、夜の彼方に駆け抜けた。




