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新しい私

 時間喰らいの王との決戦を終え、リンは「私が私を諦めない限り、私たちは生きている!」という言葉と共に、自分自身を許し、受け入れた。王は光となってリンの元へと還り、彼女の心は、かつてないほどの穏やかさに包まれていた。久留米の空は、夜が明けようとしていたが、リンの心の中では、既に新しい朝が訪れていた。

「……リン……」 深い意識の底で、いくつもの声が、リンの名前を呼ぶ。それは、統合された99の人格たちの声だった。しかし、その声は、これまでのような切迫したものではない。まるで、長い旅を終え、ようやく安息の地に辿り着いたかのような、深い安堵と満足に満ちていた。

「ありがとう……みんな……」 リンが心の中で呟くと、彼女の精神世界に広がる無数の光の粒子が、ゆっくりと収束し始めた。虹色の光は、次第に薄まり、リンの心の奥深くへと沈んでいく。

 シュワァァァ……

 精神世界の光が、最後に優しい輝きを放つと、リンの意識は、穏やかな眠りへと誘われた。99の人格たちは、リンの心の中で、深い眠りについたのだ。彼らは消滅したわけではない。リンという「私」の中に、確かに存在している。ただ、今は、リンが「一人」としてこの世界を生きるために、一時的にその活動を停止しただけなのだ。彼らの存在は、リンの血となり肉となり、彼女の根源的な力として、これからも生き続けるだろう。

 リンの心は、広大な宇宙から、一つの小さな星へと収束していくような感覚だった。全ての人格の記憶、感情、経験が、リンという個の中へと凝縮され、彼女を構成する確かな一部となった。それは、久留米の川が、やがて大海へと注ぎ込むような、自然で、そして力強い流れだった。

 動き出す時間、新しい日常

 意識が浮上する。瞼の裏に広がるのは、ひび割れた琥珀色の光ではない。柔らかく、しかし確かな、生命の息吹に満ちた光だった。指先に伝わるのは、冷たいグラスの触感と、微かに震えるカップの温もり。鼻腔をくすぐるのは、淹れたてのコーヒーの芳醇な香りと、焼きたてのパンの甘い匂い。

 リンは、ゆっくりと目を開いた。

 そこに広がっていたのは、見慣れた病室の白い天井ではなかった。木目の美しいテーブル、柔らかな陽光が差し込む大きな窓、そして、控えめに流れるジャズの調べ。リンは、カフェのテーブルに座っていた。久留米の商店街の、とある路地裏にある、小さなカフェ。窓の外には、行き交う人々、車の走行音、そして、どこからか聞こえてくる子供たちの笑い声。

「……ああ……」 リンは、ゆっくりと息を吸い込んだ。空気が、こんなにも美味しいと感じるのは、いつぶりだろう。

 テーブルの上には、飲みかけのカフェラテと、読みかけの本。これまで、時間が停止したようなループの中で生きてきたリンにとって、この日常の風景は、何よりも尊いものに感じられた。時間喰らいの王との決戦後、止まっていた世界の時間が、再び動き始めたのだ。

「お客様、どうぞ、お飲み物です」 穏やかな声がして、店員がリンの前に新しいカップを置いた。リンは、その店員に、はにかむように微笑んだ。

 リンは、自分の両手をゆっくりと見つめた。その手には、もう、99の人格たちの光は宿っていない。しかし、その温もりは、確かにリンの中に息づいていた。彼女は、もはや「誰かの欠片」ではない。全てを受け入れ、自分を許し、統合された「一人の私」として、ここに存在している。

 リンは、カフェラテを一口飲んだ。苦味の後に広がる、優しい甘さ。 (私は……)

 リンは、ゆっくりと顔を上げた。窓の外では、久留米の青い空が広がり、白い雲がゆっくりと流れていく。風が、優しく通りを撫でていく。全てが、当たり前のように、しかし、奇跡のように輝いて見えた。

 そして、リンは、静かに、しかし確かな響きをもって、自分の名を告げた。

「私、カミシロ・リンです」

 その声は、誰かに聞かせるためではない。自分自身に、そして、心の中で眠る全ての人格たちに、告げるための言葉だった。

 リンの物語は、ここから始まる。 あなたも、誰かの中にいる“もう一人のあなた”かもしれない。



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