ライカの爆発
ループ脱出条件が「誰かを完全に理解し、名前を呼ぶこと」であると判明した後も、リンの精神世界は、静かな緊張感に包まれていた。99の人格たちがリンの中に統合され、彼女は、彼らの存在を、かつてないほど鮮明に感じていた。久留米の街も、この日の朝は、微かな風の音と、鳥のさえずりが心地よく響く、穏やかな表情を見せていた。しかし、リンの心は、この平静の裏に潜む、嵐の前の静けさを感じ取っていた。
このループの朝、リンは病室のベッドで目覚めると、全身が微かに高揚していることに気づいた。そして、部屋には、どこか懐かしい、甘く、そして哀しい香りが漂っていた。それは、ライカの匂い。かつて、リンが彼女の感情に触れた時の、あの繊細な香りだった。
「リン……私の身体が……」 病室のドアが控えめに開くと、そこに立っていたのは、No.17ライカだった。彼女は、感情人格。リンの心の中の「感情」を司る存在だった。しかし、その顔は、苦痛に歪んでおり、その瞳は、まるで嵐の海のように、激しく揺れ動いていた。彼女の身体からは、漆黒のオーラが、煙のように立ち上っており、リンの皮膚をピリピリと刺激する。そのオーラは、王の瘴気に似ていた。
「ライカ! どうしたの!?」 リンが駆け寄ると、ライカは、苦しそうにうめいた。 「王が……私の中に……入ろうと……してる……! 私の感情を……喰らおうと……!」 その声は、久留米の地底から響く、苦痛の叫びのように、悲痛に響いた。
ライカの身体は、王の瘴気に侵食されつつあった。彼女は、王が最も欲する「感情」を司る人格。王は、リンの精神を完全に支配するため、ライカの感情を喰らい尽くし、彼女を乗っ取ろうとしていたのだ。ライカは、必死に抵抗していた。彼女の身体が、激しく痙攣する。その全身から、色とりどりの感情の光が、火花のように散乱する。喜び、悲しみ、怒り、愛情……それら全てが、王の漆黒の瘴気によって、じりじりと蝕まれていく。焦げ付くような硫黄の匂いが、空間に充満する。
「やめろ……! 私の感情を……奪うな……!」 ライカの叫びが、精神世界全体に響き渡った。その声は、久留米の雷鳴のように、リンの心を揺さぶった。
「ライカ! 負けないで! あなたは、私の感情の全てでしょう!?」 リンは、ライカの震える手を強く握った。リンの指先から、温かい光が、ライカの身体に流れ込んでいく。それは、リン自身の、そして統合された全ての人格たちの「希望」の光だった。
リンの光がライカに触れると、ライカの身体から、さらに強い光が放出された。それは、王の瘴気を押し返すほどの、まばゆい光だった。 「リン……ありがとう……!」 ライカの声が、わずかに、しかし確かに力強くなった。彼女の瞳に、王の闇に抗う「意志」が宿る。
その日の人格劇場での「王の使い」による襲撃は、ライカにとって「最後の抵抗」を伴うものだった。王の幻影が、ライカの苦しみに満ちた空間に現れる。王の触手が、ライカに向かって猛然と襲いかかる。
「感情の者よ……我が支配に、抗うか……ならば……その身を……喰らい尽くしてくれよう……!」 王の声が、精神世界全体を揺るがす。
「させるか……! 王……私は……リンの……感情だ……!」 ライカは、王の触手に向かって、自らの身体を投げ出した。彼女の身体から、かつてないほど強烈な光が噴き出した。それは、感情の全てを凝縮した、純粋なエネルギーだった。
ゴオオオオオオォォォォォ!!!!
ライカの身体が、まばゆい光の塊となり、爆発した。それは、ただの破壊ではなかった。感情の奔流が、王の触手を巻き込み、精神世界の根源である「ループ構造」そのものに、激しい亀裂を生じさせたのだ。その光は、久留米の夜空を照らす、巨大な花火のようだった。そして、その爆発は、精神世界の構造そのものを揺るがし、時間の流れを歪ませた。