3.救いの手
家に着くなり、リリアの身柄は皇家直属の騎士たちからナイーゼ家のメイドへと引き渡された。
殺害未遂を冒した悪女を牢屋にさえ入れず家に軟禁するなど、ただえさえ異例の事態であり、何を仕出かすかさえ分からない彼女は、まさに危険物そのものである。
だからせめて部屋に入れるまでは同行すると騎士たちは提案したのだが、半ば強引に断られてしまったのだ。
メイドたちに引き渡されたリリアは、抵抗する気さえないのにも関わらず、無理やり手を引かれながら見慣れた部屋へと連れて行かれた。
薄暗く、小汚い部屋に。
―――それがリリアの部屋だった。
部屋と言うには余りにお粗末な空間は、何時もの彼女には一時の安らぎを与えてくれた。
ここにさえいれば、誰かが入ってこない限り何もされない。
だからこそ屋敷の中では、彼女にとって最も落ち着ける居場所だった。
が、今日だけは違った。
「ほら!早く部屋に入りなさい!!」
一人のメイドがリリアに言い放つ。
社交界を追放されたとはいえ、公爵令嬢に対する態度だとはとてもではないが思えない。
メイドはグイと彼女を部屋に押し入れると、そのまま勢い良く扉を閉めた。彼女と同じ空気を吸いたくないとでも言いたげに。
それから暫く経った。
すっかり静まり返った部屋の中で、リリアは虚空を見つめて、呆然と呟いた。
「カル‥‥‥‥‥」
カルロの冷ややかな視線を思い出す。彼女に向けられた視線を。
例え彼の態度が変わったとしても、それでも唯一の心の拠り所だった。救いだった。
何時か事実に気が付いてくれることを信じて、彼女はずっとずっと耐えてきた。
彼のお陰で、ここまで耐え続けることが出来たのだ。
けれども結局は信じて貰えず、最後にはこっ酷く捨てられた。
噂を信じて、騙されて、本当のリリアに彼は気付くことが出来なかったのだ。見向きさえも。
リリアはベッドの上に無造作に置かれた布団へと目をやる。
"布団"というには余りに粗末な布だ。
(ここから一生出られない位なら―――――)
彼女は布団に手を伸ばした。
それをロープのように捻って輪っかを作って、扉の取っ手へと括り付けた。
生唾を飲み込んでロープの輪っかに手をやる。
―――さようなら、カル‥‥‥。
そう思ったときだった。
幸か不幸か、扉が開いてメイドが訪れたのは。
「お嬢様!?何をして‥‥‥!?」
メイドは目を見開いた。慌てた様子でリリアを押し、ロープから遠ざけようとする。
リリアの手は無事にロープから外れ、押された衝撃で尻もちをついた。
ようやく、メイドはハッとしたように口を押さえた。
顔だけをリリアの部屋から出して、周囲の様子をコソコソと伺う。
誰にも見られていなかったのか、胸を撫で下ろしたメイドは扉を静かに閉ざした。
それからリリアの方へと近づく。
「お嬢様、今、何をしようとしていたのですか‥‥?」
メイドはしゃがみこんで、リリアの様子を覗き込んだ。憂いに満ちた、優しい顔つき。
リリアは無言で俯いた。それが答えだった。
どうせまた、何かをされるのだろう。そう思っていた彼女は、諦めたように目を瞑った。
こんな所でも邪魔をされるのか、と。
が、そのメイドから返ってきたものは、予想していたものとは違う反応だった。
「それ程までに追い詰められていたことに気付けず、私は‥‥‥」
まるで自分のことのように苦々しい声。
ようやくリリアは顔を上げ、メイドを直視した。
思い悩むかのように苦悶の表情を浮かべたそのメイドは、ラミアの目を逃れた数少ないメイドの一人だった。
アルテミスの生前も、ラミアが来てからも、誰にも見られないよう密かにリリアの手助けをしてくれていたメイドがいることはリリアも知っていた。
しかし、それが誰なのかまでは知らなかった。
が、今この瞬間、彼女だ―――。と確信した。
リリアは、ほんの少しだけなら屋敷のメイドの名前を把握している。特に、追い出されなかったメイドは。
その中に珍しくも双子の者がいた。
確か名前は、アリーとノーマ。何方もナイーゼ家のメイドだ。
一卵性双生児の彼女らは、見ただけでは判別が極めて難しく、リリアには見分けがつかなかった。
「あなたは‥‥‥‥‥?」
「‥‥‥アリーと申します、お嬢様」
アリーと名乗ったメイドは、もの寂しげに微笑を浮かべた。
「私で宜しければ、話をお聞きいたしますよ。それでお嬢様の気持ちが少しでも和らぐのなら」
アリーは真っ直ぐにリリアの眼を見た。
まるで、彼女の心を見透かしているかのようだ。
「けれど‥‥‥‥」
リリアが一瞬口籠る。彼女に話して良いものかと。
が、この気持ちを何処かにぶつけてしまわないと気が狂いそうだった。
「‥‥‥彼を愛していた。だけど、だけど、そんな彼にさえ信じてもらえず、捨てられた」
暫くして、リリアが心情を吐露し出した。
一度話し出すと止まることはなく、これまで抑え込まれていた感情が一気に溢れてきた。
誰かに聞いて欲しかった。ずっと話を聞いてもらいたかった。
アリーはそれを只管頷いて聞いてくれた。
「もう私に生きている意味なんて‥‥‥‥」
リリアがその言葉を言い終わる前に、彼女の口は閉ざされた。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
自分のものではない誰かの鼓動が、温もりが、ハッキリとリリアへと伝わってくる。
「泣いて、いいのですよ」
アリーが宥めるかのように、耳元でリリアに囁いた。久しぶりに聞く、優しくて温もりに満ちた声。
リリアはアリーに抱擁されていた。
気が付けば、リリアは身を任せていた。声も出さずに、子供のように泣きじゃくっていた。
ボロボロと大粒の涙が止め処なく溢れてくる。
服がぐしょ濡れになることも厭わずに、アリーはそんなリリアを撫で続けた。
が、突如としてその手がピタリと止まった。