1.公爵令嬢リリア・ナイーぜ
リリア・ナイーゼは可哀想な子供だった。
生まれてこの方、両親から愛された覚えなどないし、屋敷で働くメイドたちも必要以上リリアに関わってこようとはしなかった。
きっと、政略結婚であった両親たちにとって、彼女のことなどどうでも良かったのだろう。食事を摂るときも義務的な話しかせず、普段はまともな会話すら交わした覚えがなかった。
"公爵令嬢"として恥ずかしくないように教育を受けさせてくれるだけ。本当に、ただそれだけだった。
だが、幼き頃の彼女はそんなことにも気付けなかった。いや、幼いながら察していたのかもしれない。
けれどもリリアはひたむきに頑張り続けた。どんなに辛くて苦しくても、必死に授業に食らいついた。
親の期待に答えたら、きっと目を向けてくれる。いつか褒めてくれる。そう我武者羅に信じ続けていた。
ある日、リリアは男の子と出会った。
気紛れに偶然抜け出した先で出会った男の子は、困惑気味に辺りを彷徨っていた。道に迷っているようで、手掛かりもなくひとり歩き回っている。
助けてあげようと思ったのか、それとも単に話し相手が欲しかったのか。そんな彼にリリアは自分から話し掛けた。
初め、彼はリリアに訝しげな視線を向けていたけれども、街の中をふたりで歩くにつれ、次第に心を開いていった。
一緒に遊んで、笑う。
それが一人でいるときよりもずっと楽しくて幸せで、気が付いたらリリアは初めての恋に落ちていた。
リリアだけが知っていた花畑を案内した時、彼はリリアに告白した。「君が好きだ」と。
爛漫に咲き誇る花々が彼らを祝福しているかのようだった。
幸せの絶頂期が地へと叩きつけられたのは丁度その日のことで、リリアが家にひっそりと帰宅してからだ。
いつもはリリアが家を抜け出そうが何も言ってこなかった父アバンリッシュが、この日だけはリリアを出迎えた。
母アルテミスの訃報を届ける為に。
その後は単純で、父は即座に自室へと戻り、リリアはその場で泣きじゃくった。
メイドに連れられて部屋へと入れられた後も三日三晩泣き続けた。涙が枯れるまで。
リリアの唯一の母だった。
結局一度も愛してはくれなかったけれども、お腹を痛めてリリアを産んでくれた大切な母親。
たとえ好かれていなくても、リリアはアルテミスが大好きだった。
母の死が受け入れられないまま、近日リリア宛に皇宮からの婚約打診が来た。父からリリアに相談などはなく、顔合わせの旨だけが伝えられた。
彼じゃなきゃ嫌だ、とリリアはアバンリッシュに初めて抗議した。が、勿論それは聞き入れられなかった。
母も失い、初恋も儚く砕け散ったリリアの心は悲しみで埋め尽くされた。
そうして迎えた顔合わせ。顔を沈めたまま婚約者となる者の声を聞いた。聞き覚えのある声。
ようやく顔を上げたリリアは、彼と目を合わせた。
カルロと名乗った彼は、皇太子であり、初恋の男の子だった。
これから君を不幸にさせたりはしない。その言葉は、悲しみに暮れるリリアを救い出しすのには十分だった。
これが、リリアが二度目に恋に落ちた瞬間だ。
が、義母ラミアが義妹アナを連れて家にやって来た瞬間から歯車が狂い出した。いや、その前から既に狂っていたのかもしれない。
ラミアはアバンリッシュと再婚するなり、リリアを陰ながら手助けしていたメイドたちを皆入れ替えた。
残ったメイドはリリアに無関心な者や悪意を持つ者ばかりで、ラミアの目を潜り抜けた者は少数しかいない。
それから、ラミアはアナには好きなだけ欲しい物を買い与え、対するリリアには厳しい教育を与えた。
初めは単にそれだけだった。
しかし、冷遇は日を増すごとに酷くなっていった。
リリアの部屋をアナのものとし、窓のない物置部屋にリリアを移動させた他、十分な食事を与えず同じ食卓につくことが許されなくなった。
感情表現が乏しくなるように、教育という名の暴行を加え、メイドたちにも手伝わせた。それも、人目につかない部位を狙ったり、痕の残らないよう狡猾に。
アバンリッシュはラミアの暴挙を知っていて、見て見ぬ振りをし続けた。助けを求めても、見事なまでに無視された。
それを知ったメイドたちは、気が付けば自ら進んでリリアを虐めるようになった。
義妹のアナに至ってはリリアを奴隷のように扱うようになっていった。
が、それは他の貴族たちには全く悟られることはなかった。教育の賜物か、リリアはすっかり外で感情を表に出さなくなったから。
いつも冷淡な態度で作法を完璧にこなし、世間には何処か人間味に欠ける令嬢だと認識されていた。
カルロの前だけでは、時折感情を覗かしていたけれども、それも昔に比べたら極微量だ。
貴族の通う学園に入学するまでは、それで良かった。
が、リリアが学園に入学してからというもの、ある噂が蔓延するようになった。
―――リリアが義妹を虐めている。
と。