4.後悔
カルロは、『アリー』から話を聞いた。それはもう、彼の知ることから知らぬことまでたっぷりと。
彼女は、突然様子のおかしくなったリリアに小首を傾げながらも、ほつほつと聞かれたことに答えてくれた。
彼女の話をまとめると、リリアは政略結婚で生まれた子供で、親は彼女に無関心であったという。
『アリー』の語る限りでは、彼女の親は精々、リリアを政治のための道具くらいにしか思っていないようだった。
酷い場合、道具ですらないのかもしれない。
リリアが政略結婚で生まれた子供だということは彼も知っていた。けれども、リリアの親が彼女に無関心だという事実に終ぞ気付くことは出来なかった。
なぜならば、幼い頃に彼女と初めて会った時、リリアはカルロにそんな素振りを一切見せなかったのだ。
それ以降もずっと、彼に事実を隠し続けてきた。
きっとリリアは、カルロに心配を掛けたくなかったのだ。あるいは、親を信じていたのかもしれない。
兎に角、彼はいつまで経ってもそんな事に気付くことができなかった。
衝撃的なのはここからだった。
リリアの実の母であるアルテミスが事故で亡くなってから、リリアの人生は一変したのだ。公爵が連れて来た後妻と義妹の謀らいによって。
アルテミスが亡くなってから直ぐのこと、待ち侘びたかのように後妻と義妹はやって来た。その後妻がラミアで、義妹がアナである。
そのことは、当時あちこちで噂になったものだった。公爵は一体何を考えているのか、妻が亡くなっているというのに直ぐに再婚するなど決まりが悪い、と。
幼きながら、カルロもそれはよく覚えていた。それから暫くリリアと会えなかったことも。
だから彼は手紙を送った。彼女の体調を心配して。それから、早く彼女が回復して笑顔を見せてくれることを祈って。
"勉強で今は忙しい"と返ってきた手紙は、彼に心配を掛けまいと気遣ってのことだったのだろう。親が亡くなったショックを隠そうとしていたのだろう。カルロはずっとそう思っていた。
その為か、これといって会ってはくれなかったのだと。
実はその時から、彼女は虐げられていた。
カルロの手紙は彼女の元に届くことなく、届いたとしても送り返せない状況だった。
けれども、偽の手紙を読んだカルロは安直にも"忙しいのだから仕方ない"と鵜呑みにして、彼女と会うことを我慢した。
彼女が苦しんでいることさえ露知らず。
メイドにいびられ、義妹に虐げられ、父はただ見ているだけで何もしない。そんな毎日がリリアの身に降り掛かっていた。
それに反抗しようとしたメイドたちは、皆揃って最後には精神を病んで消えて行った。
アリーはそんな中、従順な振りをしてリリアを影で支え続けていた数少ないメイドの一人だったのだ。
双子の姉の彼女は最期まで、リリアを、共に働く妹を守ろうと必死だったという。
そんなことは置いておいて、そうしてリリアは誰に助けを求めることも出来ず、いつの日か感情を押し殺すようになった。
カルロと再開した頃には既に手遅れで、それを何時しか彼は彼女が"変わってしまった"と誤解したのだ。
それが、事の顛末。一部引っ掛かることはあったものの、彼はただ一つの事実に言葉を失っていた。
(リリアは、幼い頃から虐待を受けていた‥‥)
『アリー』が部屋から去った後で、カルロはひとり考えた。
今更ながら、ずっと騙され続けた自分が愚かで嫌になる。彼女を虐げ続けてきたアナたちが。
そう思う資格はないかもしれないが、この行き場のない気持ちを何処かにぶつけないとどうにかなってしまいそうだった。
見事にカルロは騙された。
最後まで信じてくれた相手を裏切った。
漸く今になって考えてみると、不審な点はいくつも散りばめられていた筈だ。時々ドレスの裾から覗かせる細い手首に病的なまでに白い肌。それども彼は、それをリリアの体質的な物であると信じて疑わなかった。
彼女の見せた憂いに満ちた視線も、家のことを話すときに一瞬口籠ったのも、言葉の端々に見せる仕草も全て、彼女をきちんと見てやれなかった。
疑いだしてからは頭にフィルターが掛かって、余計そうなっていたけれども、その前から確かに兆候はあったのに。
(私は、愚かだ)
カルロは静かに虚空を見上げた。今更、掴もうと思っても届かない暗闇が、視線の先に広がっている。
信じ切れず裏切って、それを知って絶望して、それでも尚彼の償いは足りなかった。
こんなことになってやっと気付けたのだから、全てを諦めて自暴自棄になっている場合ではなかった。
何か自分に出来ることがあるのだろうか。皇太子ではない今の自分に出来ることは。
力もない、名誉もない、自由さえもない。あるのは"悪女"という汚名だけだ。
けれども、どうしても何か償いがしたかった。せめてもの罪滅ぼしがしたかった。
こうなってしまったのは彼の責任でもあるのだから。
アナたちの罪を、リリアの無実を自身の手で晴らして、今はどうなっているのか分からない『リリア』と一度で良いから向き合いたい。彼は、そう強く願ったのだ。
(引っ叩いて捨てられようが、刺されて殺されようが甘んじて受け入れよう。彼女とまた話す機会があるのなら。
だから、私にチャンスを与えてくれ)
そうしている内に、一筋の涙が頬を伝った。どうしてか、今世ではもう彼女と会えない気がして。
けれども、今世だろうが来世だろうが、彼女の無実だけは必ず晴らさねばならない。それだけは少しも揺るがなかった。
それが彼に残された唯一の希望であり、定めだった。
彼女がこれから受ける分の苦痛も全て受けて、耐え抜いて、それから――――。
そう考えている内に、精神と身体に限界が来たのか、彼は少しの眠りについた。