9.一種の諦めのようなもの。
四日目になって、漸くリリアは違和感を覚えた。
先日から騎士が出入りしているのは知っていた。使用人の間で噂にもなっているが、皇家直属の『聖騎士』が屋敷を彷徨いている、と。
だがそれもごく少数で、リリアが姿を見かけることもこれといってなかった。
けれども今、リリアは有り得ない光景を目の当たりにしている。
昼食を済ませて腹を満たし、部屋を移動していた時だった。外がやけに騒々しくて、たくさんの人の気配をリリアは感じ取った。窓の方につい視線を向けてしまう程に。
(どうしてこんなに騎士がいるの……?)
リリアを目を丸くした。敷地内で話をしている大勢の騎士たちを目撃したのだ。それも、噂に聞くよりも遥かに多い数がそこにはいた。
これまでは気に留めるまでもなかったものが、今では明らかに目に付くレベルにまで増えている。
特徴を聞いた限り、やはり彼らが聖騎士であることに違いはない。はっきりと、それを指し示す印が胸元に施されているのだから。
こんなことを仕出かす人間は一人しかいないし、他に心当たりなどない。
―――カルロだ。
そう確信するには一瞬のことだった。門前払いされていないことと、先日のこと。それを考えると、彼しか考えられなかった。
おまけに、過去とは全く異なる行動を真っ先に取ったのもカルロだ。これでいて、逆に疑わない訳がないだろう。
リリアは何度か、すれ違った聖騎士に事情を尋ねた。何をしているのか、誰に指示されているのか、と。
けれどもそれで教えてくれる訳がない。彼らは一様に話を逸らすばかりで、誰も口を割ってくれなかった。
きっと口外することを禁じられている。だからこそ余計に謎は深まった。
この状況を易々と見逃すリリアではない。メイド達に聞いて回ってカルロの居場所を突き止めて、彼女は自ら彼の元へと向かった。
確かにカルロに条件を突き付けたのはリリアだ。だが、こんな状況になって、訳も分からぬまま放置しておく訳がないだろう。
だから彼女は条件を自ら破った。そこまでして、一体何がしたかったのかを問い詰めたかったから。
カルロは屋敷にいた。飽きもせずナイーゼ家にやって来て、彼女の見えぬところでコソコソしているようだった。
「―――殿下!!」
人伝に聞いて回って漸く彼を見つけたリリアは、息が切れそうになりながらも精一杯声を張り上げた。髪は僅かに乱れ、公爵令嬢としてはだらしのない姿だ。
その時カルロは屋敷から少し離れた馬小屋にいた。何故馬小屋にいるのかは分からなかったが、メイドたちの言う通り、本当にそんな所で馬を撫でていたのだ。
突然の声に、カルロは馬からパッと手を離した。何度か瞬きを繰り返して、リリアの方をじっと見ていた。
「……リア?」
ぽつりとカルロが呟く。きょとんとした表情を浮かべていて、リリアの存在をはっきりと認識していないようにも見えた。
リリアが小首を傾げる。口の動きで何かを喋っていたまでは理解できたけれども、肝心の台詞が分からない。風の音に掻き消されて、虚空に吸い込まれて消えていってしまったのだ。
慌てて口を押さえていたカルロから焦りの表情が消える。むしろ、何を安心したのか胸を撫で下ろしているようにも見えた。
「どうして君がここに?」
一段落置いて彼が尋ねる。純粋な疑問だったのだろう。有ろうことかリリアが態々彼の元を訪れたのだから。
先を越された気分だった。それを聞きたいのは何方かというとリリアの方である。騎士の件もそうだが、何故皇太子ともあろう者が馬小屋にいるのか。何故公爵家に来てまで馬と戯れているのか。
馬など、皇宮でも見ようと思えば見れる筈だ。公爵家なんかより余っ程立派な馬が。
「殿下こそ……何故こんな所にいらっしゃるのですか?」
リリアが思わず聞き返す。頭の中で不思議に思っていたことが、計らずも口をついて出たのだ。
本来聞きたかったことを忘れた訳では無い。だが、先ずは此のことを聞かずにはいられなかった。
カルロは暫く黙り込んだ。ほんの少しだけ間を置き、ふっと息を吐いてリリアから視線を反らした。
「………馬が、好きなんだ」
含みのある笑みを馬へと向けるカルロ。そう呟いた彼は慈しむような視線を向けて馬をすっとひと撫でした。
ますます意味が分からない。言葉に嘘が見えないから尚更、リリアは何を言えば良いのか分からなくなった。
馬は、心地良さそうに彼に顔を寄せていた。
「そう、なのですね」
独り言のようにリリアが呟く。何処か辿々しくてぎこちない。そんな声色で、彼女は表情を固くした。
きっと何か大事なことを隠している。リリアはそう確信していた。また、隠し事をしているのだ。
だからか、胸の奥がむず痒くなった。前世も今も、どれだけリリアに隠し事をすれば気が済むのだろうか、と。
それはきっと恋なんかではなくて、言葉では表現し難い別の何か。一種の諦めのようなものだろうか?それは分からないが、只々うら寂しさが其処にはあったのだ。
カルロに視線をやる。いつの間にか目を丸くして動きを石のようにぴたりと止めていた彼は、漸く落ち着いたように喉を鳴らした。
心配げにカルロを覗き込んでいた馬も、安心したように彼から顔を離した。
サアッとそよ風が吹き付ける。僅かに伸びた草はざわざわと揺れ、立派に育った木も揺れ動いていた。
「―――ごめんね、隠し事なんかして。もう少しだけ待っていて欲しいんだ」
まるで心を覗き込まれたかのようだ。何とも言えぬ空気が漂う中、先に沈黙を破ったのはカルロだった。哀愁のある空気を纏ってリリアを見つめて、言葉を終えると彼は僅かに斜め下に視線を反らした。
自然に、拳を握り締めていた。唇をきゅっと引き結んで、静かに彼を見つめていた。リリアは、僅かに震える拳を必死に抑えながら、口をはくはくとさせていた。
―――言葉が出ない。
まるで魔法に掛かったかのようだ。腹から溢れた声は喉元でピタリと止まって、吐き出す前に腹の奥へと呑み込まれてしまった。
『待っていて』なんて、どうして今になって言うのだろう。言えるのだろう。前はどれ程信じて待っていても、そんな言葉一つ掛けてくれたことなどなかったのに。
幼い彼が何を抱えて、何を隠しているのかなどリリアには分からない。が、今更そんな事を言われても、彼の言葉を心から信じることなどリリアには到底出来そうになかった。
確かに、前と今の彼は同じであって異なるものだけれども。
だからこそ、どう接して良いのかが分からなかった。
いっそ言動から行動まで、何もかも前と全く同じであったらどれ程リリアは楽であっただろう。そうしたら、こんなにも困惑したり辛くなることなんてなかったのに。
再会してからずっとこの調子だ。カルロと会う度にペースが乱されて、思うようにいかなくなる。例え顔を会わせなくても、きっとこの先それは続くのだろう。
「ところで、私に何か用でもあった?」
不意に、カルロがパッと話題を切り替えた。
リリアの様子を見越したのか、白けてしまった雰囲気を少しでも良くしようと努めたのだ。
その甲斐あって、リリアは余計なことを考えるのを一旦止めた。考えた所で答えは出ない、と。
「家の敷地内で聖騎士を見かけるようになったのですが………。殿下は一体何をされようとしていらっしゃるのですか?」
「……すまない。それも今は言えない」
ハッキリと告げられる。
リリアが意を決して投げ掛けた疑問も、結局は無惨にも切り捨てられた。
「どうしてっ……」
言い掛けた言葉を途中で止めた。
どうせ教えてくれるつもりなどないのだと思い知らされたから。
「……分かりました」
リリアが呟く。何かを決意したように、力強く。
腹の底から溢れた声は、留まることを知らなかった。
「ごめ―――」
「もう、良いです」
何度も何度も謝罪して誤魔化そうとする彼に、リリアは吐き捨てるように言い放った。
もう謝罪なんか要らない。その場限りの謝罪なんて聞きたくなかったのだ。
カルロが目を見開いた。リリアの、これまでに見たことのないような失意と、諦めのようなものを肌で感じ取ったのだ。
「え、?」
彼は呆然と、けれども驚いたように声を出した。
きっとそれは無意識で、自然と漏れ出た言葉に違いない。
そんなこともいざ知らず、リリアが言葉を続けた。
「もう、これ以上は良いから。これ以上、余計なことをしないで」
そう力を込めて言い切った彼女は、カルロを拒絶するかのように彼に背を向けた。
そうしないと、今のリリアがどんな顔をしているのか知られてしまう。それを見せるのだけは嫌だった。
彼から距離を取ろうと、足早に歩き始める。
これだけ言ってしまえば、もう家に来なくなるだろう。もう婚約の話も綺麗さっぱりなくなるだろう。
これで彼との縁は終わりだと、リリアはその場から立ち去ろうとした。
わだかまりが残っていても、縁さえ切ってしまえば彼女には関係などなかった。
そう、関係なかったのだ。
カルロがリリアを引き止めるまでは。