6.母の死を止めるべく
初めにリリアは事件の起こる時間帯に目星を付けた。イレギュラーはあったものの、もしあの頃と変わりなければアルテミスは今からきっかり一週間後の凡そ昼頃に友人の茶会へと出掛ける。
当然、母からは何も伝えられていないけれども、そのまま彼女を放っておいて悲劇を繰り返す訳にはいかなかった。
あの日リリアが帰宅した時間帯は日が落ちる頃で、その時には既にアルテミスは亡き者となっていた。だとすればやはり、行きしなか帰りで事件に巻き込まれた可能性しか考えようがなかった。
最も可能性が高いのは行きしなだ。何より、アバンリッシュへの情報の伝達が早すぎたから。勿論彼が共犯者てある可能性も念頭に置かねばならないが。
少なくとも、リリアは当分外に出る訳にはいかない。アルテミスの行動が読めない以上、常に周囲を警戒しておかねばならないのだ。
アルテミスがお茶会に行くのを何とか止めたとしても、アバンリッシュが共犯者だったら全てが無駄に終わる。何とかルートを変えさせたとして、付いて行けない以上は常に不安が付き纏う。
けれども残り一週間という短い準備期間しかない今、出来るだけのことは対策しなくてはならない。時期が早まってもいいように。
さて、先ずリリアはアルテミスの元を訪ねた。兎に角話をしなければ、分かることも分からない。教えてくれるかは別にして、リリアはある程度状況を把握しておきたかったのだ。
一先ず、面会を断られることはなかった。二、三回ほど部屋をノックして名を告げると、アルテミスはすんなり部屋の中に彼女を通した。
けれども、相変わらず素っ気ない。リリアが向かいに座るまでアルテミスは手に本を持っていたし、彼女が席についてからも暫くは黙りを貫いていた。
「……それで、私に何か用かしら」
一向に話し出さぬリリアに痺れを切らしたのだろうか。持っていた本をパタリと閉じて、アルテミスがじとっと彼女を見つめた。
だが、決して不機嫌という訳では無い。いつもアルテミスはこんな感じなのだ。
「こうしてお話するのは久し振りですね」
さっさと話を終わりたいだろうに。リリアが前置きをすると、アルテミスは怪訝そうな表情を浮かべた。
彼女は不思議な筈だ。今朝はバタバタしていてそれどころではなかったが、リリアとアルテミスが話をするのに其処まで期間が空いている訳では無い。
いくらリリアにとっては数年ぶりであっても、アルテミスにとっては数日ぶり或いは昨日ぶりの会話なのかもしれなかった。
とは言え、まともな親子がする話ではないが。
(嗚呼。全くもって変わらない)
心がジンと来て堪らなかった。嬉しさなのか哀しさなのか、胸の奥が熱くなった。
期待はしていないつもりだった。けれどもやはり、心の何処かでアルテミスが優しく微笑んでくれることを願っていたのか。
けれども、やはり何も変わらない。
少しでも微笑んでくれたら、少しでもリリアを見てくれたら、今の彼女にはきっと気付くことが出来ただろうか。――そんな希望すら持てなかった。
彼女のささやかな願いは、この時、無碍にも砕け散った。突き付けられた気がした。
「用がないのなら部屋に戻りなさい」
ふぅっと息をついて、アルテミスが淡々と告げた。本を静かに机に置いて、珈琲を口に含んで鋭い視線でリリアを見つめた。
不味い、と。そうリリアは思った。このまま何も言わなければ直に追い出されてしまうだろうし、だからといって世間話もまともに出来そうにない。
呑気に話を引き延ばす余裕は既になく、ここで帰っては態々来た意味がない。
「………単刀直入に言います。
これから一週間、お茶会には絶対に出席しないでください。何があっても出掛けないで下さい。
特に、今から一週間後の日には」
一か八か。リリアは、前置きなく本題に入った。これには流石のアルテミスも眉を顰めた。
「……どういうこと?」
突然の要求に、声をより一層低くしてリリアを見つめる。訳が分からないとでも言いたげだ。
当然のことだ。彼女はこれから自らの身に何が起こるのかなど知らないし、知る由もないのだから。
誰だって予定していた茶会に突然参加するななどと言われれば困惑するし、きっと怒りだって覚える。
だが、これで確信できた。やはり一週間後に茶会はあって、その日にアルテミスは狙われる。その可能性が極めて高いことに。
「実は近頃、不穏な話を聞いたのです」
「それが私と何か関係あるの?」
間髪入れずに尋ねるアルテミス。気にすべき話ではない、と言わんばかりの彼女の態度に、リリアは臆することなく頷いた。
「はい。お母様の命が狙われていると」
「…………誰から?」
余りに切迫した娘の様子に只事ではないと思ったのだろう。不安に思っているのか、はたまた不快に思っているのか、アルテミスは眉をピクリと動かした。
食い付くようにリリアを見つめて、彼女の答えを静かに待ち続けている。
リリアは、そんな彼女にたじろぐことなく話を続けた。
「私が街に降りた時、酒屋の裏で話しているのを聞きました。決行は一週間以内に行うと。お母様が外に出た時を狙うと。確かにこの目で目撃しました」
これは嘘だ。真っ赤な嘘。けれども彼女はリリアがひとり街に降りていることを知っていた。護衛も付けず、一人きりで出掛けては戻って来ていることを知っていたのだ。
この地区は比較的治安が良い。そのこともあって誰も何もリリアを咎めなかったのだろうが、話に信憑性を持たせる為に、それが良いように働いた訳である。
何より、一度目の人生でリリアは既に公爵令嬢として殆ど完璧なレベルにまで仕上がっていた。つまり、嘘を見抜くのも容易では無いのだ。
「…そう、なの。今度はメイドを連れて行くように」
結果、アルテミスは彼女の嘘を信じ込んだ。暫く頭を悩ませた後で、彼女はリリアに言葉を投げ掛けた。
何処か歯切れが悪く、辿々しい。そんな声だ。
アルテミスは不意に立ち上がった。リリアの静止も効かず、スタスタと扉の前まで歩いて行った。
そうして、彼女はひとり部屋から出て行ってしまったのだ。