3.僅かな変化
6人の男女が向かい合って席に座っている。一方が公爵家、もう一方が皇族の面々。あまりに畏れ多い顔ぶれに、壁際で控えていた公爵家の使用人たちはそぉっと息を潜めていた。
普段は使われていない客席。然るべき日のために常に掃除されている広々とした部屋。ナイーゼ家の中でも際立って豪華なその部屋は、リリアも前世で一度きりしか利用していなかった。
―――皇太子との婚約を取り付けた場所だ。
(どう、して‥‥‥‥?)
リリアは頭が追い付かなかった。
メイドにされるがままに着付けをして、身だしなみを整えて、いきなり此処へと連れられた。言われるがままに席へと着いた。
不意打ちを食らった気分だった。この既視感を覚える光景が何なのかなど直ぐに分かった。
リリアはこの光景を知っていたのだ。
前回と殆ど同じ配置に、変わらぬ面々。この中で唯一違うことといえば、アルテミスがまだ生きていて、リリアの隣に座っていることくらいだ。
本来ならば、アルテミスはその時には既に帰らぬ人となっていた。
アバンリッシュがメイドを下げさせる。
「さて。皆揃ったところで始めるとしようか」
メイドたちがそそくさと部屋から出ていった所で、遂に皇帝が口火を切った。どこか威厳のある声色に、自然と空気に緊張が走った。
未だに混乱するリリアを他所に、話はどんどん進んだ。右から左へと、話が流れて行った。
彼女の目の前で、あの時と全く変わらない会話が繰り広げられていたのだ。
(あぁ、同じ―――)
男たちだけで勝手に進む会話。変わらない子供の疎外感。例え王妃や公爵夫人がいようがいまいが、それだけは何ら変わらなかった。
特に話すようなことはないのだろう。彼女らは殆ど口出しすることはなく、会話を静かに聞いている。
リリアはちらとアルテミスの反応を見た。彼女は、時々リリアの方を見ては、直ぐに視線を反らしていた。リリアに見られていることには気が付いていないようだった。
何処か不安げなその様子は、リリアが本当に子供であれば決して気付けなかったことだろう。きちんと見ていなかったとしても。
それ程までに、ごく僅かな変化だった。
けれどもそれで何かが変わる訳はない。誰が何をしようと、きっと勝手に話は進む。リリアの意志など関係なしに。
彼が声を上げるまで、リリアはずっとそう思っていた。無力感を感じることしかできなかった。
「お父様、お母様。私からも少し申し上げたいことがあるのですが‥‥、よろしいでしょうか?」
突然声を出したのは、皇太子だ。彼はおずおずと会話に割って入って、自らの意見を主張したのだ。
予想外の出来事にリリアは思わず目を見開いた。これは、一度目ではなかったことだった。
一体何を言い出すのかと、リリアがカルロを見る。それは皇帝たちも同様で、暫くの間誰もが息を潜めていた。
縁談の時期が早すぎることといい、やはり何かが可笑しい。
今度は、皇帝に視線が集中する。続きを催促するかのようにじっと彼を見つめて、皇帝の答えを待ち続けた。
暫くして、彼は小さく頷いた。
「ふむ、そうだな。言ってみなさい」
皆を宥めるように、皇帝はそう言い聞かせる。いや、カルロに向けた父としての言葉だった。アバンリッシュとは違い、子のことをしっかりと考えてくれているのだろうか。
父の返答を聞いたカルロは感謝の言葉を口にすると、躊躇うことなく言葉を続けた。
「私は一度、そちらのご令嬢と二人でお話したいのです。何せ初対面なのですから、彼女も不安なことでしょう。先に交流を深めてからでも遅くはないでしょう?」
そう堂々と言い放ち、カルロは冷静に周囲を見回した。
流石は皇太子。子供といえど、やはり周りの子息たちに比べ、一段と大人びている。リリアの記憶する彼と少し違う気がするが。
兎に角その言葉も、前には聞かなかった台詞だった。
リリアは困惑し、カルロの様子を探ることしか出来ない。それはアバンリッシュも同様で、余計な言葉を吐く彼を凝視している。
暫く彼らの様子を見た後、皇帝は小さく頷いた。
「成る程‥‥‥‥。では、子は子同士で話すと良いだろう。アバンリッシュ」
「は。別室に部屋を用意させます」
「よろしい。カルロにリリア嬢よ、後は子ら同士で仲を深めると良い。行きなさい」
こう言われてしまえばどうすることも出来ない。誰にも頷く他、選択肢がないのだ。
一抹の不安はあったものの、リリアとしてもこのまま勝手に婚約を結ばれるよりはましである。
正直な所、二人きりで話すことに抵抗はあった。
けれど、もしかすると何かが変わるかもしれないと期待して、彼女は深く頷いた。
「「はい」」
リリアとカルロの言葉が偶然にも重なる。
パッと、思わずふたりは顔を見合わせた。リリアは目を丸くして。カルロは呆然として。
二人の目が合うと、一瞬、カルロの表情がふにゃりと崩れた。何処か照れくさそうに、何処か申し訳なさそうに。
そこに先程までの大人びた雰囲気はまるでない。
リリアは呆然とした。不意に向けられた微笑みに。何処か含みのある彼の表情に。どう反応していいのか分からなかった。
あの時の面影はまるでない。将来、大勢の貴族の前でリリアを断罪するような男とは思えない。
だが、例え今の彼にそんな気配がなくとも、リリアは未来を知っている。それでいて、どうして気を抜くことができようか。
彼女が警戒していると、カルロが突然手を差し出して、ハッとしたように直ぐにその手を引っ込めた。
不思議に思い、リリアはその手を見つめる。
リリアは彼のことが余計に分からなかった。視線の先にいる、同い年の子供の考えていることがこれといって分からない。
「………行こうか」
程なくして、カルロがそう小さく告げる。リリアは静かに頷いて、彼の後に続いた。
ふたりの距離はほんの少しだけ空いていて、リリアはその間すらも遠く感じた。まるで二人の間に壁が聳え立っているかのようだった。