第3話 初めての戦闘と森の少女 アキラ編
アキラは鬱蒼と茂る森の中を、あてどもなく歩いている。
「この森どんだけ広いんだよ・・・もう2時間ぐらいは歩いたんじゃないか?」
そうボヤきはしたものの、全く疲労は感じていない。
現実のアキラは短距離走は得意でも長距離走は苦手なタイプで、長時間出歩くのは疲れるので好まないタイプだった。
だからこそ、家の中で出来る趣味…それこそギガントハンターズに傾倒したわけだが。
「これも異世界転移の影響なのかな、全然疲れないわ」
それこそギガントハンターズで自身が使うキャラクターのように、木の幹や岩、ぬかるんだ泥などで不安定な足場を息を切らすこともなく歩いている。
はっきり言って異常事態なのだが、アキラはすんなりと己の状況を受け入れている。
異世界系の小説も読み漁っていたとはいえ、その順応ぶりにアキラは自身でも違和感を覚えていない。
むしろ、どれだけ動いても疲れない己の体が喜ばしく鼻歌まで歌い始めた。
「にしてもあれだな、異世界もののセオリーならそろそろモンスターの一匹でも現れて・・・」
そう呟いたことに応えるように。
「きゃあああああああああああ!!!」
森の中に、少女の悲鳴が木霊した。
「きたきた・・・!!」
物語の中でしか見聞きしたことのないような状況展開に、アキラの口端が思わず緩む。
その喜びのままに、アキラは森を疾る。走る。
木の枝を、岩を、行く手を阻むツタの葉を、軽業師が跳ねるかのように森を全力疾走する。
「ヒャッホウ!!」
ひと際大きな横倒しの幹を、まるでオリンピックの体操選手のように空中できりもみ回転しながら飛び越え、着地した先に・・・悲鳴の主たる少女はいた。
「いや・・・こないで・・・」
年のころは10歳前後だろうか。
いかにも町娘が着そうなエプロンワンピースの肩の上で、やわらかそうなオレンジ色の髪の毛が揺れていた。
その勝気そうな瞳と小さな目鼻立ちはいかにも可愛らしいが、今はその顔も涙と恐怖に歪んでいる。
無理もない。
少女の目の前には、彼女の身の丈の倍以上はある巨大な獣が迫っていたからだ。
しかしそんな状況を目の前にしてもアキラは
(・・・フェイダーウルフだ!!)
喜びの声を心中で挙げた。
フェイダーウルフは、ギガントハンターズの序盤で出てくるいわゆる雑魚モンスターだ。
コウモリの顔が乗った灰色の狼といった風情で、背中には飛行能力の無い申し訳程度の羽が生えている。
彼らは基本は死肉食らいで群れることもなく、人間を襲うこともない。
しかしごくまれに、飢えに苛まれ人間を襲いその味を覚えた個体が討伐対象となることもある。
ゲーム中においてはチュートリアルクエストで戦う相手で、そこでゲームの基本的な動作を学ぶ流れだ。
とはいえ現実に目にするその姿はいかにも獰猛で、成人男性ほどのサイズがある野生動物と考えると恐怖の対象としては申し分のないものだ。
だが。
(ギガントハンターズだ! 俺はギガントハンターズの世界に転移したんだ!!)
アキラは、ギガントハンターズのいわゆるトップランカーだ。
誰よりもギガントハンターズを遊び、誰よりもギガントハンターズのモンスターと戦ってきた。
他の何で勝つことが出来なくても、ギガントハンターズにおいて自分は誰にも負けることはない。
アキラは当たり前のように、己の背中に手を伸ばす。
そこには初めて触れるというのに、ひどく慣れ親しんだように思える武装があった。
片手で取り回しやすいサイズの剣と、体全てを覆うような巨大で強靭な盾。
ギガントハンターズのゲーム内チュートリアルで手渡される、防人用鉄盾刃一式だ。
右手の盾を前に、左手の剣は脱力してだらりと地面に垂らすように。
ゲーム内で幾度となく目にした、あらゆる戦況に備えるための構えをアキラは自然と取っていた。
「あ・・・」
目まぐるしく変わる状況を前に、少女は呆然と声を漏らす。
あと少しで少女の柔らかな肉に牙を付きたてられたのに。
そんな苛立ちを表すかのように、低く唸り声をあげながらフェイダーウルフがアキラに向き直る。
端の少し欠けた耳が、ゲームでは再現されなかった個体差を感じさせる。
ゆっくりとこちらに歩み寄るフェイダーウルフを前に、アキラは己の得物を握りなおす。
不思議と緊張はない。
アキラはこのモンスターを知っている。
一瞬身を沈ませて、彼我の距離を縮めてくるフェイダーウルフ。
自身の喉元を狙った牙は、しかし何も噛み砕くことはない。
飛び掛かりの勢いがそのまま転じたかのような勢いで、悲鳴を上げながら宙へと跳ね上がるフェイダーウルフ。
それを成したのは、盾による『弾き』だ。
片手剣を扱う上での基本動作であると同時に、攻めにも守りにも応用できる万能動作。
熟練の片手剣使いは、この盾の扱いで全てが決まると言われている。
「いいのか? そんなに嬉しそうに飛び込んできて」
ましてギガントハンターズにおいてアキラは。
「片手剣と盾がある。その気になれば俺は・・・ドミナゴラスのブレスだって盾で弾いてやるぜ」
世界に数人しかいない、終末龍ドミナゴラスの単独クリアプレイヤーなのだから。
飢えと命の危機を天秤にかける知能はあったのか。
フェイダーウルフは、ひとしきり唸ると踵を返して森の奥へと消えていった。
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アキラがフェイダーウルフを撃退した後、森は本来の静寂さを取り戻した。
少女は茫然とした表情から一転、安堵のため息をつきながらアキラを見上げた。
「本当にありがとう、すっごく怖かったんだから! あなた、めちゃくちゃ強いんだね!」」
身の危険が去って、本来の活発さが戻ったのか。
腰に手を当てて、見上げるほどに身長差のあるアキラに対し臆することなく笑いかける。
「お、おう」
その溌剌とした様子に、思わず気圧されるアキラ。
思えば家族以外の人間と喋ったのは久々だった。
そんなアキラの様子を気に留めずに、少女は自己紹介をする。
エイラと名乗る少女は、この付近の村唯一のアイテム屋の看板娘だった。
薬草を採集しに来た最中に崖から足を踏み外し、普段立ち入らない場所に踏み入ったことでフェイダーウルフに襲われたのだという。
お店に寄ってくれればお礼に少しお安くするよ、と小首をかしげながら笑うその様子は、年齢を感じさせない一端の商人の顔だった。
「そ、そうか・・・悪いな、サービスしてもらえるなんて」
アルバイトすらしたことがないアキラは、なんとなく居心地の悪さを感じて少女から目をそらす。
上を仰いでみれば、なるほどエイラが足を踏み外したという崖がそびえたっていた。
「そこそこ高いな・・・大丈夫なのか?」
「うん、加護石持ってたからね。落っこちたときに割れちゃったけど」
加護石はギガントハンターズのアイテムで、致命傷となるダメージを一度だけ肩代わりしてくれるアイテムだ。
アキラはますます、自分自身がゲームの世界にいるのだと実感する。
とはいえ、周囲の光景はゲーム内では見たことのないものだ。
植生などは似通っているが、道筋は初めて見るものばかり。
己の手を引くエイラに導かれるまま、アキラは村へと続く道を歩き続ける。
進むにつれて、アキラは周囲の自然の美しさに目を奪われる。
最初に異世界に降り立った当初の混乱と、フェイダーウルフを撃退した興奮から覚めてようやく、彼の心の中に新しい環境に対する好奇心が溢れ始めた。
「おおすっげ・・・この花、実際に見るとこんな感じなのか? あっちにあるのは・・・川か?」
「・・・変なの。お兄ちゃん、ベテランハンターって感じなのにそんなものを珍しがるなんて」
そうはいっても、ゲーム内で見飽きたものも実態を伴って見るとなると勝手が違う。
最初は怪訝そうにしていたエイラも、途中からはどこか嬉しそうにアキラが目についたものの説明を続けた。
年齢が逆転しているが、まるでお姉ちゃんみたいだなとアキラは感じた。
先ほどの商人の顔から一転した無邪気な姿勢と、純粋な好奇心にアキラはようやく先ほど感じた居心地の悪さを払しょくしつつあった。