第2話 戦場の覚醒と謎の邂逅 ショウタ編
ショウタは教室のガラス越しにやわらかい春の日差しを浴びながら、自身の席に腰かけていた。
彼の周りには、いつも通りクラスメートが群がっている。
群がっている。
アキラからすれば、まさにそう形容するしかない。
彼らはショウタの話を聞きながら、時折、彼の軽い冗談に笑い声をあげる。
アキラの記憶が確かならば―――記憶する程度には常にショウタの会話に耳を傾けているということだが
―――雑談の内容に代り映えはない。そしてショウタが発する言葉への周囲の反応も、ほとんど似たようなものだった。
彼らは、自分たちが何を話しているか本当に把握できているのだろうか? まるで与えられたプログラムで動く機械のようではないか。
そんなことを考えながら、アキラは机に突っ伏して寝たふりを続ける。
しかし寝たふりを続けつつも、薄目でしっかりとショウタの姿は目に入り続けていた。
ショウタは数学のテストではいつもトップで、英語のエッセイでは教師からの賞賛の言葉を一人占めしている。体育の時間には、どんなスポーツにも自然と順応し、バスケットボールのコートでは彼はまるでダンスをしているかのようだ。
まさしく文武両道、あらゆる教科において万年最下位付近をうろうろしているアキラにとってはうらやましい限りだった。
しかし、アキラから見てショウタは時折ひどくつまらなそうな顔をしていることがある。
周囲の取り巻きが気づくことはないそんな様子を、自分だけが知っていることにショウタはなんとなく優越感を覚える。
おそらく気のせいだろうと、自分でも思うけれど。
実際のところ、それはアキラの気のせいではない。
彼は周りから見れば何不自由なく生きているように見えるが、内心では常に何か大切なものが欠けているような感覚に悩まされていた。
教室ではショウタは常にムードメーカーとしての役割を果たし、時には教師すらもその明るさに引き込まれる。
放課後、ひとり帰路につく頃、彼の表情からはその日常の輝きが消え失せ、彼の眼差しは遠くを見つめる。
そこには、未知のものへの渇望、新たな挑戦への渇望があった。
今の自分の境遇に不満があるわけではない。
大体何をやっても人よりうまくやるし、周囲から賞賛され人の輪が絶えないことは恵まれていると自分でも思う。
しかし。
だがしかし。
ショウタは自分自身に問いかける。「俺は本当に満足しているのか?」それは、彼が毎日のルーチンの中で直面する永遠の問い。彼には分かっていた、彼が真に求めているものは、ただの成績や評価ではない。それはもっと深い、もっと実質的なもの――それは彼がまだ名前をつけることのできない、心の奥底からの呼び声だった。
ショウタは学校から帰ると、いつものようにすぐに夕食を済ませて自室へ向かった。
パソコンを立ち上げ、ゲームのクライアントを立ち上げる。
ギガントハンターズ。
ネットニュース経由で知ったそのゲームを、ショウタはここ1ヵ月ほどプレイしている。
元々あまりゲームをやる人間ではなかったが、ここでもやはり、ショウタはあっという間に上位プレイヤーと肩を並べる腕前になった。
(つまらない・・・)
そしていつものように投げ出そうとしたとき、ショウタの前に一体のモンスターが立ちふさがった。
終末の龍ドミナゴラス。
このモンスターはギガントハンターズで最後に立ちふさがる敵であり―――そして、世界中のプレイヤーでも片手で数えるほどの人間しか討伐に成功していないモンスターだった。
攻撃手段そのものは、巨大な体躯を利用した肉弾戦と、強烈な炎のブレスを武器としたシンプルなものだ。
しかし、まるでプレイヤーの思考を読むかのような―――中に人が入っているような、明らかにこちらを「殺し」にかかってくるモンスターだ。
初めての敗北の予感、そしそれが現実のものとなろうとしたとき・・・一人のハンターがショウタの前に現れた。
それはゲームシステムによって用意された、他プレイヤーによる救援だった。
ラキアと名乗るそのプレイヤーは、ドミナゴラスの攻撃をかわし、いなし、一撃をくわえ、永遠とも思えるほど戦い続け・・・そしてついには打倒した。
結局一言も発することなく、ラキアはショウタの前から姿を消した。
しかしその背中を、ショウタはもうずっと忘れることが出来ない。
授業中でも、遊んでいるときでも、他の何をしているときでも、ラキアの背中が脳裏にちらつく。
それは、ショウタにとって初めての経験だった。
その正体不明の感情の正体を掴むために、今日もショウタはギガントハンターズを起動する。
「・・・」
そして、ショウタは異世界へと降り立った。
比喩表現ではない。
先ほどまでいたショウタの自室ではなく、渇いた風の吹きすさぶ岩と砂の荒野。
赤い太陽が照りつける空の下、赤いモンスターが立ちふさがる。
馬の体の上、狼の口がガバリと牙を剥き出し、口内で炎が渦巻き始める。
ショウタはこのモンスターを知っている。
そのことを認識するより先にショウタは左に―――跳んだ。
間髪入れずして、先ほどまでショウタがいた場所が爆発する。
身を起こしたショウタの視線の先に、モンスター・・・焔狼馬レッドバーナーが立ちふさがった。
レッドバーナーは、ギガントハンターズの中でも人気のモンスターの一体だ。
馬の体に見合う機動力で攪乱しつつ、口から吐き出す爆発性の火球でプレイヤーに襲い掛かる。
口端から巨大な牙を生やしたその口からは、先ほど吐き出した火球の余韻が細くたなびく煙となって空へと消えてゆく。
ゲーム内で見慣れたモンスター。
しかし現実に目の前にしたそれは今まで見たことのない暴力の塊であり、今まで感じたことのないリアルな「死」を想起させた。
「・・・」
圧倒的な死の気配を目前にしてショウタは自分でも驚くほどに冷静だった。
いや、自覚すらショウタはしていない。
ただ、ゲーム内で慣れ親しんだ自分の武器・・・撃剣バルカンブレードの柄の感触だけを確かめた。
その刃は、今まで数え切れないモンスターを斬り伏せた証として、微かに光を帯びている。
身の丈を超す巨大な刃を正眼に構えつつ、彼は目の前の焔狼馬レッドバーナーの動きを捉えていた。
ここはゲームの世界ではない。
かの焔狼馬が放つ熱気が、距離を置いてもじりじりとショウタの頬を焼く。
一歩、二歩。
まるで値踏みするかのように悠然と歩くレッドバーナーに対し、それと逆方向に足を踏み出すショウタ。
お互いで弧を描くように間合いを詰めあう両者の間で、くしくもその足跡によって円状の戦場が形成される。己の刃を届かせんと、徐々に狭まる円はさながら死の太極図だ。
そして彼我の制空権が重なり合った瞬間・・・レッドバーナーが最初に動く。
彼の武器は炎だけにあらず。狼のような飛び掛かりではなく、まさしく馬そのものの突進力でもってショウタの体を押しつぶそうとする。脆弱な人間の体など、ただの一撃で吹き飛ばされるのは火を見るよりも明らかだ。
しかし、ショウタはその動きを知っていた。
ギガントハンターズで幾度となく見てきたその動き。
ただ単に避けるのではなく、あえて前方に飛び込む。
人間の骨など一撃で踏み砕く足をかいくぐるその踏み込みは、一見して無謀な行いだ。
しかし、まるで針の孔に糸を投げ入れるかのような、大胆かつ繊細な動きでショウタは死の足踏みから生還する。
そして、その回避動作はことレッドバーナー相手に対しては正しい。
突進と共に開かれた巨大な顎は、数舜前までショウタがいた空間を火の粉と共に嚙み砕く。
もしショウタが横や後ろに飛んで避けていたら、噛み砕かれていたのはショウタの肉と骨そのものであっただろう。
たたらを踏み、一瞬判断に迷うそぶりを見せるレッドバーナー。
彼の狼の顔は、体である馬のそれほど横に広い視界を有していない。
体ごと振り返り、ショウタを視界に収めようとしたその瞬間、そこに写るのは鋭き鉄の刃の切っ先だ。
ずぐん。
重い手ごたえがショウタの腕全体に響く。
鉄が硬い頭蓋骨を貫くその衝撃に、しかしそこに思考を割く余裕などショウタにはない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
ショウタの叫びと共に、これまでとは趣の違う爆発音が激発する。
一、二、三、四、五、六発。
立て続けに響き渡る爆発音は、ショウタの手にする撃剣バルカンブレードによるものだ。
巨大な回転弾倉と長大な剣先が一体化したそれは、引き金を引くことで刺し貫いた獲物の肉体を内側から破壊しつくし、逃れえぬ死を与える恐るべき武器だ。
全ての弾を撃ち尽くしたとき、レッドバーナーの顔面は半分以上が消滅し、どす黒い血を噴水のごとくショウタの顔に浴びせかけた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
地響きを立てながらレッドバーナーの体が地面に倒れ、その身にまとう炎が徐々に消えていく。
戦いは終わった。しかし、ゲームの世界とは違い、現実の重さと疲労がショウタの体を襲う。
彼はその場にへたり込むと、深く息を吐き出す。
今更ながらに、爆発しそうなほど脈打つ心臓の鼓動を意識した。
生き延びた。
周囲は静かで、ただ渇いた風がショウタの汗ばんだ顔を撫でる。
彼は空を見上げ、赤い太陽が照りつける中で、自分が生きていることを実感する。
まるで状況がわからない。
自分はなぜここにいる?
ゲームの世界でしか見たことがないモンスターを前に、まるでゲームのような動きで打倒した己自身。
まるで現実感のない状況を、手に残る生き物を殺した感触と、それを成した火薬の爆発によるしびれが現実だと主張する。
そんな中。
「おいおい・・・驚いたなこりゃ」
現実感を吟味しているショウタの意識を、新たに己にかけらた声が目の前の状況に引き戻した。
「・・・ん、なんだ? 俺の顔に何かついているのか」
「いや・・・」
振り返った先の男を目にして、思わずショウタはまじまじとその顔を見つめてしまう。
ところどころ鉄で補強された皮の鎧から、鍛え抜かれた手足が見え隠れする肉体。
その体の主たる顔は、ショウタがある意味見慣れている顔だったのだ。
モンスターと人間が鎬を削る、最前線で兵団を率いる団長。
ギガントハンターズにおいて、クエストをプレイヤーに与えるNPCがそこにいた。
「お前、一人でこいつを倒したのか?」
「ああ・・・」
混乱を深めるショウタをよそに、団長は言葉を続ける。
「俄かには信じがたいな。通常このクラスのモンスターを倒すには最低でも3人がかりじゃないと全く歯が立たないんだがな・・・」
それは、ゲームでのギガントハンターズでもそうだった。
ゲーム内表記でのレッドバーナーの危険度はAのボス級モンスター。
ショウタは知るよしもないことだが、このモンスターに勝てなくてギガントハンターズを去るプレイヤーが多くいる。
言い換えると最初にして最大の関門であり、レッドバーナーを一人で打倒した者はその後一流のプレイヤーとして大成することが多い。
だがいずれにせよ、それはゲーム内での話だ。
ショウタは自分が知る限りのギガントハンターズの知識と、目の前の現実の情報が一致し続けることで混乱から抜け出せない。
普段はどんな相手とも流暢に会話を続けるショウタも、このときばかりは石のように押し黙ることしかできなかった。
「お前、それバルカンブレードじゃないか。まさかそれだけで・・・」
「・・・これ、バルカンブレードだったのか」
「なんだお前、自分が使う武器の名前も知らないとでもいうのか」
「いや・・・」
知っている。
知っているどころではない。
バルカンブレードは、ショウタがギガントハンターズを始めてから使い続けている武器だ。
だからこそ、再びゲームとの符号にショウタは混乱し続けるしかない。
「あ・・・おい!!」
混乱の極みに達したのか、それとも先の戦闘で体力が限界だったのか。
ふらりと目の前が歪み、明滅する視界の中で地面が近づく。
倒れ込むショウタの体を、団長はその分厚い体で抱きとめた。
「なんだか面白そうな奴じゃないか。俺の拠点に来てもらうぞ」
そんな団長の声を遠くに聞きながら、ショウタは今度こそ意識を手放した。