だって、美味しそうだったから。
「その雄、私がもらってもいい?」
その言葉が投げかけられたのは、ある日のパーティーのことだった。
――そのパーティーはそもそも、前代未聞なことが行われた。
それは主催者である王女が婚約者ではない男性を伴ってそのパーティーに参加していたこと。それでいて婚約者の貴族子息、辺境伯の息子が一人でパーティーにやってきたこと。
……あろうことか、王命である婚約を王女が勝手にパーティーで「お前のような面白味もない男とは婚約破棄をするわ。彼の方が素敵だもの」などと言って婚約破棄を通達したこと。
元々王女と辺境伯子息の婚約は、その関係性強化のために結ばれたものだった。
辺境伯は南部から侵攻してくる魔物たちを抑える要であり、もし辺境伯が機能しなくなればこの国は魔物の侵攻に苦しむことになるだろう。近年、王家と辺境伯の関係は微妙なものになっていた。良好な関係を築くための婚約……それが理不尽に破棄された。
パーティーに参加している貴族たちは、これから王家と辺境伯の関係がどうなるのだろうかとその様子を見ていた。中には婚約破棄騒動などという恰好の話の種を愉快そうに見ているものもいた。
辺境伯子息が婚約破棄に対して何を言うか――それを周りははらはらした様子で見ていたわけだ。
……しかしその場に、似つかわしくない言葉が響いた。
いつの間にか辺境伯子息の隣に立っていた少女。
……この世のものとは思えないような美しい白髪の少女。その瞳の色は、エメラルドのように煌めく緑。
黒と白のゴシック系のドレスを身に纏ったその少女は、じっと辺境伯子息を見ている。
その瞳に見つめられている辺境伯子息は、思わず見惚れてしまった。
だけど、次の瞬間にははっとした様子を見せる。
「失礼ですが、貴方は? それに雄って、私のことですか……?」
「うん。そう。貴方のこと」
驚いたように声をかける辺境伯子息に、その少女はにっこりと笑って告げる。
つい先ほど婚約破棄が行われたばかりだとは思えないような和やかな会話。
その和やかな雰囲気をぶち壊したのは、
「ティルート!! 貴方、来ていたんですの? それにこんな面白味のない男、貴方に相応しくありませんわ!!」
先ほど辺境伯子息に婚約破棄を言い放った王女だった。
どうやらその少女は、王女の知り合いであるらしかった。
「なんで? それは私が決めること」
「それはそう――って私はこんな方を貴方がもらおうとするなんて信じられませんわ! 田舎者ですわよ!! 貴方が望むなら貴方に相応しい男性を紹介しますから、やめて!」
「ブルク、煩い」
「それにこんな男のどこが気に入ったんですの? 美しくもない田舎者なのに!!」
王女は周りに人が居る場だというのに、中々酷いことを言っていた。
……美しくもなく、田舎者であること、それでいて面白味もないと王女は辺境伯子息を気に食わなかった理由らしい。周りで話を聞いていたものたちは、「そんな理由で?」と驚いている。
「だって、美味しそうだったから」
王女から問いかけられた少女、ティルートはそんなことを言う。
それは人に対する感想とはとてもじゃないが思えない。
「美味しそう……? 何がですの?」
「魔力。とっても美味しそう。私好みの味な匂いがする。いっぱい食べたい。だから私、この雄、もらいたい」
「……ティルートがそこまで言うほどなのです?」
「うん。とっても美味しそう。今すぐ食べちゃいたい」
「なっ、だ、駄目ですわよ!! こんな場ではしたない! でもそうですの……、ティルートにとってはこの男が美味しそうなのですわね」
「うん。ブルクがいらないなら私がもらう。お父様も言っていた。お気に入りの魔力の持ち主は自分の物にしていた方がいいって。沢山美味しい魔力食べられるし、凄く心地よいから捕まえとけって」
「……どういう教育をしてらっしゃるのですの。まぁ、いいですわ。ティルートがどうしてもこの男を欲しいというのならば私が許可しますわ! どちらにせよ、お父様も貴方の望みは叶えるでしょうし」
……辺境伯子息本人のことを置いてけぼりで、ティルートと王女の間で話が進められている。
正直、聞いている側はその会話が半分以上も理解が出来ない。
魔力が美味しそうって何なのか。
そもそもなぜ雄呼ばわりなのか。
勝手に許可していいもなのか。
疑問は尽きないが、話をはさむ間もなく彼女たちの間ではそれが決定事項になっているらしい。
王女がエスコート役として連れてきた男性も、意味が分からないという様子で沈黙している。
婚約破棄の騒動が起きたと思いきや、不思議な少女の乱入でよく分からないことになっていた。
「ジョレシス! 聞きましたね! 貴方はこれからこのここにいるティルートと婚約を結ばせます。これから貴方はティルートのものですわ! ティルートの物になれる幸運をかみしめなさい!」
……その王女は何処までも不遜で、自分勝手なことを言っていた。
婚約破棄を言い放ったかと思えば、今度は突然現れた少女と婚約を結ぶようにいい、そして幸運をかみしめなさいなどと言われる。
辺境伯子息――ジョレシスは正直、よく分からない。
ただ王女とは婚約を結んだ時から気が合わなかったので、婚約破棄自体は受け入れて良いと思っていた。
「ええっと、君、ティルートっていうの? 私はジョレシス。私の魔力が美味しそうっていうのは……?」
何が何だか分からない。
それがジョレシスの正直な感想であった。
しかし突然現れ、自分を欲しいなどという少女に不思議と嫌悪感などはなかった。
「私、ティルート・スピリネア。私、精霊の血引いてる。今日は美味しそうな魔力の匂いに誘われて此処にきた。ジョレシス、凄く美味しそう。だから私の物にすることにした」
「スピリネアって、精霊公の?」
「うん。私、娘」
この国には精霊公と呼ばれる存在がいる。
――それは公爵家の娘が、精霊に見初められ、添い遂げた結果、そう呼ばれている。
ティルートは、人間である母親と精霊である父親の娘である。
人と精霊の血を半分ずつ持ち合わせている彼女は、精霊としての性質が強かった。
精霊にとって魔力とは食事である。
精霊それぞれに好みの魔力というものがあり、彼女の父親も母親の魔力に惹かれて近づいたのがなれそめだった。
ティルートは魔法を使って、他の精霊と同じように姿を隠して漂っていることも多い。
今日もふらふらと散歩をしている中で、美味しそうな魔力の匂いにつられてこのパーティーにやってきたらしい。
そして旧知の仲である王女が婚約破棄をしていたので、そのままもらってしまおうと思ったらしい。
「私と婚約、問題ない?」
「……おそらく問題ないとは思うけれど、父上が納得するかどうか」
「貴方の父親関係ない。貴方は問題ない? 私、ジョレシスの魔力、凄く美味しそうに見える。今すぐでも食べたいぐらい。嫌がられたらジョレシスが受け入れてくれるように頑張る」
「私は問題ない。……君、凄く可愛いし」
「ありがとう。ジョレシス受け入れるなら、他の人が反対してもジョレシス、私の物。何か色々煩いなら精霊界に攫う」
人ならざるものであるティルートは、大変自分本位である。
力のある精霊というものは、人とは考え方が違う。ティルートの父親は、精霊界でも力のある精霊であり、その娘であるティルートは半分しか精霊の血を引いていないとはいえそれはもう強大な力を持ち合わせている。
――だからこそ、そんな風に簡単に精霊界に攫うなどと言ってのける。
「分かった。……父上のことはきちんと説得するから強行突破はやめてくれ」
「うん。それより……」
ジョレシスの言葉に頷いたティルートは、すんすんと匂いを嗅ぎながらその顔をジョレシスの身体に近づける。
「ちょ、近い!」
「婚約するなら、問題ないはず。それより本当に美味しそうな匂い」
ティルートは周りに人がいるというのを全く気にしていない様子である。パーティーに参加している人たちからの評判は彼女にとって等しくどうでもいいのだろう。
「……そんなにか?」
「うん。凄く美味しそうな甘い匂い。冷たくて甘くておいしいんだろうなって」
愛らしい顔が、嬉しそうに笑う。その口からは涎が垂れそうになっている。
「ねぇ、我慢できないの。食べていい?」
「えっと……」
「食べたい。駄目?」
その緑色の瞳が物欲しそうに、ジョレシスのことを見上げている。
そんな瞳に見つめられたジョレシスは勢いに押されて頷いてしまった。
――その次の瞬間、ティルートはその顔を近づけ、唇を奪った。
何が起きているのか分からないうちに、魔力が、少し減ったのが分かる。
しかも軽くではなく、味わうように深く口づけをされる。
「ななな、なにを……」
「食べていいっていった。だから、食べた。接触は一番、魔力を食べやすい。それに美味しくなるってお父様言っていた。とっても美味しかった。ありがとう。もっと食べたい」
……どうやら口づけなどをしながら魔力を食べるのが一番美味しいらしい。
「ジョレシス! この場で頷いちゃ駄目ですわよ。あとティルートが可愛いからと言って、婚前に流されては駄目ですわ。精霊にとっての食事は――」
王女は慌ててティルートと、ジョレシスに近づき、小声でジョレシスに説明する。
口づけや男女の営みなどの、身体の接触時に魔力を食べるのが一番美味しいとティルートが父親から言われていることを告げられると、ジョレシスは驚いた。
「……ブルク。私の物になったジョレシスになんで近づくの? 秘密話、酷い。怒るよ」
「ティルート! 私はこの男と婚約破棄するぐらい合わないのですわよ! ちょっと説明しただけですわ。お父様とかには私が説明しておきますから、二人はさっさと下がりなさい! ほら、ティルート、王宮の一室を貸しますからそこで話しなさいよ。でも本格的に食べるのは結婚してからじゃないと駄目ですわよ!!」
独占欲の強いのも、精霊としての本質の一つである。
悲しそうに、だけど少し怒っている風のティルートに王女は慌ててそういった。
それを聞いたティルートはご機嫌な様子で、ジョレシスと手をつなぎ、そのままパーティー会場を後にするのだった。
そうして、「美味しそうだったから」という理由で辺境伯子息ジョレシスは精霊公の娘ティルートと婚約を結ぶことになった。
王女は勝手に婚約破棄をしたことは国王に大変叱られたものの、ティルートの望みは叶えられ、辺境伯もその婚約を快く受け入れた。
……辺境伯側としては我儘で都会を好む王女を嫁に迎えるよりも、精霊公の娘を息子の嫁にする方が魅力的だと思ったのだろう。ただ身勝手な理由での婚約破棄だったので、王家から辺境伯への賠償金は支払われた。
「ねぇ、本当に駄目? もっともっと、食べたいのに」
「……そんな目で見られても結婚するまで駄目だ」
「じゃあ、すぐ結婚しよ?」
「結婚式の日程整えただろ。それまで我慢してくれ」
「むー、なんで人間の結婚式ってそんな時間かかるの?」
それから結婚式までの間、そんな会話を交わす二人の姿がよく目撃されるのだった。
王女の婚約破棄騒動として貴族たちに刻まれるはずだったその出来事は、精霊公の娘ティルートの婚約のなれそめとして伝えられていくことになる。
そんな騒動から、少し後すぐにティルートは辺境の地へと嫁いでいった。
ティルートに会いに精霊たちもよくその土地を訪れるようになり、不毛な地であったその土地は精霊に愛された土地として広まっていくことになるのだった。
急に思いついて書きたくなった話です。
良かったら楽しんでもらえたら嬉しいです。
ティルート・スピリネア
白髪、緑の瞳の美少女。父親が精霊であり、精霊としての本質も強い。
基本的に自由人で、パーティーなどにもあまり出ない。
美味しそうな魔力につられてパーティー会場を訪れ、そのままジョレシスをもらった。
ジョレシス
辺境伯子息。王女と婚約していたが、王女とは気が合わなかった。
婚約破棄騒動時、ティルートに見初められそのまま婚約を結ぶことになった。
戦闘力は高い。辺境の地でいつも魔物を狩っている。
ブルク
王女。ティルートとは旧知の仲で、お友達と思っている。
ちょっと頭が足りないお姫様。ジョレシスのことは見た目が気に食わないし、話も合わず面白くないと思っていた。