【第五話】夜会編その1
広いダンスホールの中央、キラキラと輝くシャンデリア。
王城内で一番大きなホールは、中央正面に立派な内階段があり、深紅と金で作られた椅子が複数置かれている。
恐らくあれは、王族の席なのだろう。
ホールの壁際の一角には、ビュッフェ形式の豪華な料理がずらりと並んでいる。
ハムや肉、魚、野菜のオードブル。
食べやすくカットされた瑞々しい果物と、カラフルなスイーツ。
パンは複数の種類が籠に盛られている。
大広間に集う紳士淑女たちは、皆、色とりどりの衣装を纏っている。
桃色、水色、黄色、黄緑色にラベンダー。
春ということもあり、パステルカラーや明るい色のドレスを着た女性が多いように見える。
マリアはレオナルドの腕に手を添えつつ、デビュタント以来の夜会に興味津々だった。
キラキラとした目で周囲を見るマリアを、レオナルドは愛しそうに見ていた。
二人は、建国記念の夜会に参加していた。
「マリア、楽しいか?」
「はい!デビュタントの時は、初めての夜会に緊張して余裕がなかったので。実はあまりちゃんと覚えていないのです」
残念そうに言うマリアの頭に、垂れた耳が見えた気がした。ならばとレオナルドは提案する。
「そうか。では今後は、もう少し社交に力を入れてみるか?」
「いいえ、そこまでは。たまに、こんな風にキラキラした世界もあるのだなと知るだけで十分です」
特に遠慮した様子もなく、ばっさりとマリアは謝絶した。
元々マリアはインドア派であり、派手なことや贅沢なことが好きなわけではなかった。
たまにはいいかな、とは思うが。
「そうか」
特に気を悪くした様子もなく、レオナルドはそのまま受け止めた。
レオナルドにとっては、マリアとこんな風に普通の会話をすることすらも新鮮だった。
だから、マリアから貰える言葉ならば、最早何でも嬉しいとすら思っていた。
レオナルドとマリアは一応正式な夫婦である。
しかし、思い返せば結婚式から二ヶ月以上三ヶ月未満くらいしかまともに関わっていない。
これは全て、レオナルドが勝手に、マリアから距離をおいたせいだ。
「どちらかといえば、領地をもっと回りたいかもしれません」
「領地?何故」
「将来、旦那様が直接治める土地をきちんと知っておきたいのです。烏滸がましいかもしれませんが、私にも何かできることがあれば、いつかやってみたいのです。お母様たちのように」
まるで子供が憧憬を語るように、マリアは答えた。
確かに、マリアの実母も、クリスティーヌも、彼女らの夫に負けないくらい領民から支持を受けている。
マリアの実家である伯爵家は堅実な領地経営をしており、農業や商業のみならず、数年前から福祉や教育にも力を入れている。
そこに、自領の福祉や教育の改革を考えていたレオナルドの両親――つまり侯爵夫婦が目をつけ、伯爵家に視察を打診し、何度か顔合わせて親睦を深めた結果、なかなか身を固めないレオナルドにマリアを嫁がせる、というアイデアが生まれた。
というような話を、そういえば以前、レオナルドは両親に聞いていた。
「そうか。ならば今度、領地内を新婚旅行がてら巡ってみるか?良い景色の場所もあるし、温泉や観光地、市場なんかもいいか。
あとは……そうだな。私はまだ王城勤めがメインだが、父上や母上に頼めば喜んで視察に連れて行ってくれる気がする」
「よろしいのですか!?是非お願いします!」
レオナルドの言葉を受け、ぱあっと明るい顔になるマリアがとても眩しくて愛しい。
こんな些細なことで笑顔にできるとは。
何故これまで気付けなかったのか。
今更悔やんでも仕方ないと分かっていても、レオナルドの後悔は尽きない。
マリアは、賢くて真面目である。
純粋で素直な半面、頑固な一面と、人の言葉の裏や自分に求められていることを汲み取れる聡さを持っている。
結婚して割とすぐ、侯爵家の妻として適任かつ逸材だと、クリスティーヌもマリアをべた褒めしていた。
マリアの顔立ちは、整ってはいるが、一言で言えば普通だ。
真っ直ぐなミルクティー色の髪と茶色の目も、中央値よりは少し低い身長も、柔らかな曲線を描く体つきも、良くも悪くも目立たない。
それは一見地味ともいえるが、マリアの心根の良さと清楚な雰囲気と相まって、凛と野に咲く一輪の白い花のようだとレオナルドは思っている。
手に入りそうな気がして、あわよくば手折って自分のものにしてしまいたくなる、そんな風に。
諦念と期待を半分ずつ込めて、レオナルドは甘い笑みを浮かべて問う。
「マリア。それは新婚旅行の方?それとも、父上や母上の視察についていく方?」
「――どちらも、です」
「!」
マリアの回答が、レオナルドの期待値を超えていた。
恥じらうように目を逸らし、短く答えたマリアに、レオナルドは胸が締め付けられるような喜びを覚えた。
「ありがとう、マリア」
その瞬間、会場が一瞬シンとなった。
レオナルドは、感極まったような一言と共に、大輪の花が一気に全開になったような笑顔になった。
マリアはどぎまぎしながらも「いえ、こちらこそです」と呟いて頬を染める。
美しく、賢く、剣術にも長けているが、無表情かつ無愛想で有名なレオナルドの笑顔が珍しかったのだろう。
数秒の後、ざわざわとまた喧騒が戻ってくる。
ヒソヒソとした声や、上気した頬でレオナルドに秋波を贈る妙齢の女性たちがマリアの視界に入る。
そもそもレオナルドは、まだ爵位を継いでいないためあまり夜会には参加しない。
仮に参加してもいつも一人であり、女性を伴って夜会に来るのはこれが初めてだと言っていた。
(私の旦那様は、モテるのね)
マリアは、結婚してから初めて、自分の夫の人気を肌で感じた。
実際、アイボリーのタキシードを着て、白いシャツとブラウンのベストを合わせたシックな装いのレオナルドは、まるで絵本から出てきた素敵な王子様のような出で立ちで、とても目立っていた。
ジャケットの襟には、まるでレオナルドの瞳のようなエメラルドが輝いている。
一方マリアは、レオナルドにプレゼントしてもらったミントグリーン色に金色の刺繍が華やかなAラインのドレスを纏い、ミルクティー色の髪は複雑に編み込まれてハーフアップになっている。
そしてその胸元、耳、そして髪には、同じくレオナルドからもらったエメラルドとダイヤが埋め込まれた金色のアクセサリーが飾られている。
「マリア、とても綺麗だ」
「旦那様、もう5回は聞きました」
「そうか。では、美しい」
「……っありがとう、ございます」
「マリア。好きだよ」
美形の旦那様は、本日も甘さ全開である。
マリアは、心臓が煩くなるのを感じた。
(そんなに蜂蜜みたいにとろっと笑わないでほしい。恥ずかしくなるから……)
二人で知り合いに挨拶をして回っている途中、不意に音楽のボリュームが上がり、華やかな音楽が流れ始める。
それを合図に、男女のペアが複数組、ホールの真ん中へと歩み出た。
ダンスの時間が、始まる。
「私達も行こうか。マリア、手を」
「はい、旦那様」
恭しく、王子様のようにマリアに手を差し伸べるレオナルドは、妻の贔屓目なしにも格好良い。
優しく微笑んで、小柄なマリアに歩く速さをさり気なく合わせてくれるレオナルドは、立ち居振る舞いも洗練されている。
マリアは、夢見心地でレオナルドに手を引かれてホール中央に足を進めた。