【第一話】ドレス編その1
書きたい内容が長くなってきたので連載にしました。
前回投稿した作品の続きです。
シリアス弱め、甘さ強めです。
侯爵家の別邸には、初々しくて若い妻にメロメロな美形の旦那様がいる。
「旦那様、いってらっしゃいませ」
玄関ホールにて、使用人たちとともに笑顔で見送るマリア。
身長差のあるレオナルドを見ようと上を向いた瞬間、癖のない真っ直ぐなミルクティー色の髪が、サラサラと流れた。
レオナルドは、まるで焼きたてのパンに乗せたバターのようにとろりとした笑みを浮かべ、髪を一房手に取って口付けた。
「ああ。いってくる」
見方によっては非常に気障な行為ではあるが、驚くほど自然で、映画の一コマのように美しく滑らかな瞬間だった。
「か、かみにキス……」
マリアはひとりごちて、ぱっと頬を染め、あわあわと視線を泳がせた。
「マリア、今日も可愛い」
惜しみなく、有り余る好意を全て向けられて、マリアは毎日たじたじだ。
甘さ全開の美形は尊い。しかし、早く慣れないとこちらのメンタルがすり減り続ける。
これは夢か幻か。
もしかしたらこの男性は、レオナルドの皮を被った別人かもしれない。
何度かそう思ったが、この1ヶ月間、寝ても覚めても以前のレオナルド――会話はなく、視線も合わず、話しかけても塩どころか粗塩対応――に戻ることはなかった。
レオナルドは、クールな男性といえば聞こえはいいが、無口で無表情、愛想の欠片もないタイプだ。
しかし、王太子の側近になるほど優秀であり、顔面とスタイルの良さは抜群で、これらの長所が欠点を全面的にカバーしており、その冷たさすらも素敵だと女性たちに人気があった。
それが、今はどうだろう。深いフォレストグリーンの瞳でマリアを愛で、クールというよりは柔和で、とても優しい表情をしている。
「そういえば来月、建国記念の夜会があるのだが、今年は一緒に参加してもらえないだろうか。ドレスは私が用意する」
「建国記念の夜会……私もご一緒してよろしいのですか?」
「勿論だ」
建国記念の夜会は、年に一度王城で開催される大規模な夜会だ。16歳の貴族令嬢は、大抵この夜会で社交界デビューとなる。
マリアはデビュタントのあと間もなくレオナルドと婚約したため、それ以降、夜会の経験はない。
また、結婚した後すぐ身籠ったため、レオナルドと二人で参加するのは初めてだった。
「ありがとうございます。私、いつか好きな人ができたら、その人と踊るのが夢だったんです」
嬉しそうに言うマリアに、レオナルドは一瞬、はっとしたような顔になった。
しかし、マリアはそれに気づかない。
ニコニコと野に咲く花のように微笑み、レオナルドに請う。
「旦那様、私と踊ってくださいね」
「勿論だ。何度でも君と踊ろう」
レオナルドは、言いかけた言葉を飲み込んで、確りと頷いた。
レオナルドは長きにわたり、結婚は勿論、そもそも女性に興味が持てなかった。
若かりし頃の経験を踏まえると、身体的に不能というわけではないものの、もはや精神的不能なのではないかと思うほどには、心がそういった方向を向くことがなかった。
マリアとの政略結婚も、元はと言えば、引く手数多で釣り書まみれになってなお、あまりにもその気がない一人息子を心配した両親が、吟味に吟味を重ね、勝手に決めてきただけのことだった。
そして、それに抗う情熱も拒否する理由も持ち合わせていないレオナルドが、単に貴族の義務として受け入れた、というだけだった。
よって、レオナルド本人が婚約期間に仕事を休んでまでマリアに会いに行く、などということは一度もなされなかった。
ところが、結婚式でレオナルドの世界は一変する。
まるで他人事のような気持ちで臨んだ儀式の序盤、深紅のヴァージンロードの最終地点で立ち止まったマリアと向き合ってベールを捲り上げた瞬間、ドキリとしたのだ。
レオナルドはこの時、生まれてはじめて異性に対して興味が湧いた。
一言でいうと、一目惚れをしたのだ。
そこからはもう、振り切ったように、そして、沼に嵌るようにマリアに溺れた。
結婚式の後は当然に初夜で、翌日は休暇を貰えたこともあり、思う存分マリアを愛した。
毎日、時間の許す限りマリアを見て、マリアに触れて、それがとても心地よいと思った。
レオナルドは、マリアと過ごせば過ごすほど、擽ったいような、面映いような気持ちになり、時には胸がきゅっと締め付けられるようなことも増えた。
マリアも満更でもなさそうで、政略結婚とは素晴らしい、両親の嫁選びのセンスは抜群だと、レオナルドは心から感謝した。
これが恋というものか。
これが愛しいということか。
遅れてやってきた自らの思春期に、すっかり大人のレオナルドが今更向き合い始めた矢先のこと、マリアは妊娠する。
悪阻に苦しんで青白い顔で痩せ細ったかと思えば、小さくて細い体には不釣り合いなほどよく食べるようになり、みるみる大きな腹になり、やがてラファエルを生んだ。
ラファエルは、髪は黄金色、目の色は深緑色で、レオナルドと同じ色彩を持つ男の子だった。
出産は命がけというが、その前後も大変そうなのは理解できたし、性別が異なる自分の手に負える部分はほぼなかったから、レオナルドは一旦、マリアから距離をおいた。
どのようにすればよいのか、分からなかったからだ。
本当は、もっと構いたかった。
欲しくて欲しくて、たまらないと思った。
けれど、マリアの気持ちが分からなかった。
そもそも、若くして侯爵家の妻としての義務を果たしてくれたマリアを、政略結婚という柵から自由にしてやるべきかもしれないとすら思った。
10も年上の初対面の男と結婚して、マリアが幸せなのか分からなかった。
そうこうしているうちにラファエルは1歳を過ぎ、レオナルドはマリアに離縁を切り出される。
衝撃だった。そして、トラウマになった。
あの時、どうしてもマリアを手放したくなくて、今度はもう二度と間違えない、二度と悲しませないと、そう決めた。
だからこれで、このままでいいのだと、レオナルドは手のひらをぐっと握った。
「では、また夜に」
マリアの頭にポンと軽く触れ、レオナルドは踵を返す。
使用人が屋敷の扉を開けてくれる。
庭の桜が満開で、あたたかな風が頬を撫でた。
*****
「おい、今度はどうした」
「どうした、とは?」
「無表情で書類を見ていると思ったら、急にへらっとしたり、難しい顔をしたりしているだろう。今日のお前は少し変だ」
急ぎの仕事を捌き切ったガブリエルが、アメジストのような紫色の目を細め、執務机に片肘をついてレオナルドに話しかけた。
リラックスしたガブリエルの銀色の髪がサラリと流れたのを目にしたレオナルドは、不意に今朝のマリアの様子――髪に口付けた時の可愛らしい反応を思い出し、口元が緩んだ。
「ほら、それ。何故私を見て、そんなに嬉しそうに笑うんだ。気持ち悪い……」
「気持ち悪い、ですか」
本気で鳥肌を立てそうなトーンの王太子に、レオナルドはきょとんとする。
「いや、すまない。言葉が悪かった。
レオナルドが笑うなんて、嵐どころか天変地異の前触れに違いないから不気味だ、という意味だ。
私に言われても嬉しくないだろうが、お前は相変わらず美しいと思う」
「ありがとうございます?」
「褒めているが、褒めていない。何を考えていた?ひと月ほど前に離縁を希望してきた奥方のことか」
「はい。その節はありがとうございました。妻に、建国記念の夜会に向けてドレスを贈りたいと思っていました。アクセサリーはもうできているのですが」
嬉しそうに、はにかんだ笑みで語るレオナルドは、恋する男そのものだ。
(あのレオナルドが、女にドレスを贈るだと!?アクセサリーは、もうできているだと!?こ、これは一大事だ……!)
内心、仰け反りすぎてブリッジしそうな勢いだが、ガブリエルは王族の教育の成果を発揮し、まるで何でもないことのように質問してみた。
「そうか。アクセサリーはどんなものにしたのだ?」
「石はエメラルドを中心にダイヤを添えて、台座はゴールドにしました。ネックレス、イヤリング、髪飾りのセットです。――妻の白い肌と、薄い茶色の長い髪に合うと思うんです」
うっとりと話すレオナルドは、最早レオナルドの偽物か、双子の別人かもしれない。
長年の付き合いだが、クールで冷静さを欠かず、色恋沙汰の流行に疎いどころか興味も持たなかったレオナルドがこんな風になるとはつゆほども思っておらず、ガブリエルの脳はまだこの現実に追いついていない。
「エメラルドとゴールド……そうか、なるほど……」
確かに最近、王都で人気のある演劇の影響で、婚約者を想起させる色を身につけるのが流行っている。
例えば瞳や髪の色、あとは、制服の色。
目の前の美丈夫は、昔からずっと、金髪に深緑の目をしている。
(こりゃ重症だな)
自らの色をした装飾品を自ら進んで用意し、妻を飾りたい。
これはもう、完全に惚れている。
奥方は一体、どんな手を使ったのだ。
ガブリエルは、虎が猫になったようなレオナルドの変化に衝撃を受けつつ、しかしやはりそんな様子は見せずに提案する。
「では、良い仕立て屋を紹介しよう。
侯爵家が懇意にしている店もあるだろうが、妹が気に入っている店があってな。腕も評判もいいらしい」